ゆううつ部部長のOB訪問 東藤泰宏 イラスト:ヨシムラマリ

第5回前編 35歳男性漢方薬治療商社マン

今回お話を伺ったのは、
35歳男性商社マンの吾郎さん。
過労や生活リズムの変化、
プライベートな問題などが重なり、
自律神経の不調から
うつ病へと発展してしまったそうです。
漢方を使った治療をされていたということで、
参考にしたいことがたくさんありました。
まずは前編から、お楽しみください!

吾郎さん
吾郎さん
・年齢:35歳
・前職:商社マン
・うつ歴:1年半
・漢方薬で治療
・物腰が丁寧
・細めのスマート会社員

※本連載ではプライバシーを守るため、名前はすべて仮名とさせていただいております。

うつ病になった3つの要因

東藤:
うつ病になった経緯を教えていただけますか?
吾郎さん:
実はそんなにはっきりしていないんですよ。
いろいろな要因があって。
でも、いま自分が振り返って考えると、
要因は3つあったかなと思っています。

1つめは、発症と時期がずれてはいるんですけど、
働きすぎというのがありまして。
うつ病を発症したときはそれほど忙しくなかったんです。
ただ、前の年の夏から秋にかけて、
相当きついプロジェクトを組んでいました。
東京をベースに、アメリカに月4日ほど行く、
という一人プロジェクトだったんですが、
「残業」の概念がないぐらい忙しかった。
東藤:
おー。第1回のコンサルタントもそうでした。
一人プロジェクト、危ない。
吾郎さん:
そうなんですよ。
大体朝10時が定時なんですけど、
9時ぐらいに来て、深夜まで働いて、休日も出勤する、
という状態が約1か月間続いたんですね。
東藤:
起きている時間ずっと仕事をしている感じですね……
これはあとで効いてきそうです。
吾郎さん:
そのときは相当きつくて、気分的にも落ち込んでいました。
初めて仕事で泣いたのもこの時期です。
夜中12時ぐらい、一人のオフィスで無性に涙が出てきて。
東藤:
涙が……。
カタカタ打ちながら、まさに仕事をしている最中に、
気付いたら泣いていたという感じですか?
吾郎さん:
そうですね。必死に仕事しているんですけど、
先が見えず、なんかどうにもならなくて、
でも仕事の手は止められなくて……
自分でもよくわからないけど、涙がとまらない、みたいな。
東藤:
すでに予兆が……。

 いままでお話を伺った皆さんからも、よくわからないけど涙が出てきた、というお話を伺っています。うつ病の症状のひとつなのですが、とくに男性は、戸惑うのではないでしょうか。まず最初に自覚する症状として、「涙」というキーワードを頭に入れておくと、病院にいく目安になるかも知れません。

吾郎さん:
そうですね。そのころにはすでになんとなく予感がありました。
「うつ病」をはっきり意識したわけではないのですが、
真冬に裸でいたら、一時的には大丈夫でも、
「このままだと風邪をひくな」というのはわかるじゃないですか。
それと同じように、「このままだと、なにか体がおかしくなるな」と。

2つ目の原因は、わたしがしんどかった時期が秋だったんですけど、
このタイミングで、彼女と遠距離恋愛になってしまって、
心のバランスもそこで崩れていたのかなと。
東藤:
転勤かなにかですか?
吾郎さん:
2人とも関西の大学に通っていて、
就職のときに2人で東京に出てきたのですが、
最初の配属で彼女が大阪に、わたしが東京になってしまったんです。
東藤:
ということは、社会人になって割とすぐに遠距離になって、
そこから心のバランスを崩してしまったということですね。
遠距離になってからは、どうやってやり取りされていたんですか?
吾郎さん:
毎週ではないのですが、
金曜の夜、終電でわたしが大阪に行き、
月曜日の始発で東京に帰って、
そのまま仕事に行くみたいなこともしていましたね(笑)。
東藤:
おー、ハードですね(笑)。
吾郎さん:
それまでは、仕事がきつくても毎週のように週末に会って、
そこである程度自分の仕事の悩みなどを話せる相手がいて、
なんとか自分を守っていたところがあったのですが、
そんなわけでその回数が減り、
行ったら行ったで体は疲れるし、
バランス崩れちゃったのかなと思います。
東藤:
なるほど。
それまでは週末に彼女とリラックスして過ごせていたのに、
遠距離になってからは、彼女に会うために、
チケットやらなにやらを手配して、
会うまでに体力や神経を使ってしまう状態だったんですね。
吾郎さん:
そうですね。
でも、やっぱり会いたいから、そこはがんばってしまって。
東藤:
それはいいことです!
そこで会わなくなって別れるのがぼくですよ(笑)。
吾郎さん:
で、会わなかったら会わなかったで、
土日が急に暇になってしまって、寝てばっかりで何もできなくなって。
生活リズムも崩れちゃったのかな、と思いますし、
何より悩みを聞いてくれる存在がいないというのが……
結果的に、ストレスを溜め込んでしまったように思います。

で、3つ目が、自分の家庭の問題です。
親や兄弟との関係に問題があって。
これは昔からずっと溜め続けてきて、
流石にもうもたなくなったのかなと、ぼくとしては分析しています。
家族仲が悪いというところに終始するんですけど、
両親がうまくいっておらず、兄と姉がいるんですが2人の仲も悪く、
ぼく自身も、兄・姉とはうまくいかなくて。
2人とも、自分とは10歳近く年が離れているので、
そういった家族の問題を、距離を置いて見られたんです。
冷静な目で見ながら、自分で何とかしたいとずっと思っていました。
東藤:
なるほど。
家庭の問題は、精神状態にも大きな影響を及ぼしますよね。
吾郎さん:
はい。それで商社を選んだっていうのも実はあったんですよ。
実力次第でお金が稼げるというイメージでした。
東藤:
それは生活費を渡したりしたいっていうことですか?
吾郎さん:
そうですね。
実家は自営業をやってるんですけど、
その会社も経営がむずかしくなってきて。
兄もいまその会社を手伝っていて、収入が他から持って来れない。
姉はもう結婚していて。
「誰がうちの両親の老後の面倒を見るんだ!」
と勝手に危機感を持っていて(笑)。

そのずっと考えてきた問題っていうのも、
直接的じゃないかもしれないですけど、
ひとつの原因かな、と思っています。

どうやってうつ病になったか

東藤:
ちょっとずつちょっとずつ追い詰められていった
っていう感じがありますよね。
吾郎さん:
そうですね。いつ発症してもおかしくない状態だったと思います。
で、直接のきっかけが、働きはじめて忙しくなったことですかね。
先ほどお話した忙しい期間を何とか乗り切って、
一息ついたころに、まず体が動かなくなって、
全体にバランスが崩れてしまって。

それまでは「落ちこんでるな、やばいな」と思えば、
話を聞いてもらったり体を休めたりと、
何かしら自分で対処してこられたのですが、
そのときは自覚するより先に体が反応してしまって。
3週間、体調の異常が続いていたんです……。
東藤:
3週間? 長いですね。
吾郎さん:
37度ちょっとぐらいの微熱が続いたんです。
あと動悸と息切れも。
最初は「精密検査に行って来い」と、当時の上司に言われました。
心電図や、血液検査、肝機能検査など、一通り検査したのですが、
原因がわからなくて。
で、「心療内科行ったらどうだ?」っていう話になって、
そこで「自律神経失調症ですね」と。
東藤:
そのときはうつ病という診断ではなかったんですね。
吾郎さん:
「不安神経症」というのが、はじめの診断でした。
その時は、自律神経のバランスを図る検査をしたのですが、
副交感神経が全然機能していなかったんです。
交感神経と副交感神経のバランスが、9:1とかで。
東藤:
9:1。
吾郎さん:
要は、ずっと、テンパってる状態ですね。
だから動悸などがするんですけど。

 自律神経失調症とは、「自律神経」と呼ばれる交感神経と副交感神経のバランスが崩れることによって起こります。交感神経は代謝や、消化などの活動を活発にする働きをし、副交感神経はその全く逆の働きをします。通常は、昼間は交感神経が強く働き、夜になると副交感神経の働きが強くなるのですが、夜更かしやストレスなどでその入れ替えがうまくいかなくなると、体に不具合が出てきます。
 吾郎さんが「テンパってる」「動悸がする」というのは、このバランスが極端に交感神経よりになってしまう身体症状ですね。他にも、めまいや冷や汗、吐き気、微熱などの身体症状から、人間不信、情緒不安定、不安感など、精神症状が起こることも多いので、うつ病とも密接な関係があるようです。

吾郎さん:
診断が出て、「調整機能が壊れちゃってるから、今すぐ休んで」
と医者に言われて。
「おお、ほんとかよ」みたいな(笑)。
そんな展開かよ、みたいな感じになっちゃって。
会社を休むほどのことだとは思っていなかったので、戸惑いましたね。
東藤:
不調は感じつつも、なんだそれ、みたいな?
吾郎さん:
そうそう、「そこまで?」と。
確かに眠れなかったり、倦怠感があったり、
すごいだるいなーっていうのはあったりしたんですけど、
事の重大さを最初はわかってなかったです(笑)。
東藤:
(笑)。
吾郎さん:
その時は、「ストレスが正常値をかなり超えてますね」
と言われました。自分では気づいてなかったのですが。
上司は「しんどいなら休んでいいよ」と言ってくれたので、
そこから休職、という流れです。
東藤:
具体的に「うつ病」という診断が出るまでは、
どういう風に進行したのですか?
吾郎さん:
自律神経失調症って言われてもピンとこないし、
会社を休むほどのことだとも思えなかったので、
彼女がいる大阪に行って、観光をしたんですよ(笑)。
京都に行ったり。

東藤:
なぜですか(笑)。
吾郎さん:
いま思うと何で行っちゃったんだろうとは思うのですが、
急に休みがもらえたので、調子よく観光旅行を(笑)。
3月末に診断が出て、「とりあえず1か月休みましょう」
ということだったので、大阪に行ったのは4月頃ですね。
その間、寝泊りはずっと彼女の家でしていたんです。
そのときは「なんだ普通じゃねえか」と感じていて、
旅行もできるぐらい元気だったんですよ。
それが、5月に東京にある自分の部屋に帰ったら、
起きられない、眠れない、ご飯も食べられない、
テレビやパソコンが見られない、本も読めない、
うまくしゃべれない、何もできない。
東藤:
うつだ!
吾郎さん:
ですよね(笑)。
そんな状態だったので、お医者さんに聞いたんですよ。
「この症状ってもしかしてうつ病ですか?」と。
すると、医者が「そうです」と(笑)。
東藤:
(笑)。
今まで言ってなかったけどそうだ、と?
吾郎さん:
そうそう。
だから、本当は最初のタイミングでうつ病だったんだけど、
医者が気を遣って言わなかったのか、どうなのか……。
で、それからがひどい状態になってくる……(苦笑)。

うつがひどいときはどうだったか

東藤:
一番ひどい時ってどんな感じでした?
吾郎さん:
自分が東京勤務に決まってから上京してきたので、
東京にはあまり知り合いがいなかったんです。
かといって実家に帰ろうかと思っても、
最初にお話したとおり家族の問題があり帰れなくて。
それで行くところがなくて、先ほどお話したとおり大阪にいる、
彼女の部屋に行ったんです。
ただ、その彼女の家が、会社の借り上げ社宅だったんですよ。
マンションのワンフロアをその会社が借り上げている形の女子寮で。
もちろん同棲はNG。というようなところに転がり込んでいたんですね。
東藤:
見つかったら大変ですね。
吾郎さん:
そうなんですよ。それで、常に人目を気にする生活でした。
狭いワンルームで、ベッドももちろんシングル、
そして、外にはめったに出られない。
週に1回外出できればいい方で。
東藤:
閉ざされた空間、しかも彼女とはいえ他人の家で生活する、
というのは、精神面にはよくなさそうですね……。
吾郎さん:
彼女が横でベッドで寝ていて、ぼくは不眠もあったので、
寝られずにひとりでぼーっとしている。
でも動いたら起こしちゃうし、彼女は翌日も仕事だし……
と、息の詰まる状態で何時間も、
身動きできずに過ごすのがきつかったです。
逆に、寝ちゃったら寝ちゃったで起きられず、ずっと寝てるんですよね。

ご飯も食べられなくなって、1日1食も食べられない。
テレビも見られないし、文字通り、何もできませんでした。
東藤:
テレビ見れないですよね。
吾郎さん:
番組にもよるのですが、ワイドショーなんかはうるさくてうるさくて。

 ぼくも、いまだにテレビはあまり見られません。バラエティやワイドショーは内容問わず、ニュースも内容次第では、「うぅ……」となってしまいます。
 テレビがつらいって、なかなか理解されづらいのですが、映像と、音と、最近のテレビは日本語にも字幕スーパーがついて、情報が多いんですね。そうすると、脳がいろんな情報を処理しなくてはいけなくなって、うつの人だとイライラしたり、しんどくなったりしてしまうようです。

東藤:
この時考えていたことってありますか?
吾郎さん:
なにか考えてたかなぁ。
いつこの状態から抜け出せるのかもまったく見えなくて、
そもそも本当に抜け出せるのか、元の生活ができるのか、
とか、どうやって毎日ちゃんと起きて仕事に行ってたんだろうって。
この状態を終わらせるには死ぬしかないな、死にたいな、
とも思っていたのですが、死のうにも何もできないので……。
東藤:
死ぬ元気もないよっていう感じですかね?
吾郎さん:
まさにそうですね。「死ぬっつっても死ねないしな」という感じでした。
この時、食べることもできなくて、5キロぐらい痩せちゃったんですね。
東藤:
食べられないんですよね。
この時期って、一緒にいた彼女さんはどんなことを言ってましたか?
吾郎さん:
このときは、彼女も実は仕事で大変な時期だったらしく、
そんなに私のことを気に掛ける余裕もなかったんですよね。
そっとしておいてくれてたっていうのが、
表現としてはいいんですかね。
東藤:
なるほどですね。
吾郎さん:
それはお互いにとってすごくよかったと思うんですよね。
彼女もわたしのしんどい時期に、正面からつきあってると、
共倒れしていたと思います。
向き合える状態じゃなかったから、逆に彼女が自分を守れたので、
安定して二人の関係は続けられたのかなと。
ただ、わたしはそのときの状態を実はよく覚えていないんです。
ただただしんどかったというだけで。
彼女の話では、よく仕事の相談にも乗ってくれていたらしいのですが、
そんな記憶もなくて……。
どうやらひどいことも言ったらしいです(笑)。
東藤:
基本、ひどい時期のことは覚えてないですよね。ぼくも数ヶ月分の記憶がないですよ。
吾郎さん:
うん。ただ夏の間だったのでセミがうるさかったです(笑)。
東藤:
とりあえず、「セミがうるさかった夏」(笑)。

どうやって回復していったか

東藤:
で、「完全にうつの症状が前面に出てきた&閉鎖された空間にいる」
というところからどうやって回復して行ったんでしょう?
吾郎さん:
その期間はひたすら寝て過ごしていたら、
徐々に動けるようになってきて、買い物行ったり、
散歩したりができるようになっていきました。
……人目を避けながら(笑)。
東藤:
それは変わらず(笑)。
吾郎さん:
外出るときはドアスコープから外を覗いて、
帰るときはエレベーターでは別の階で降りて、
非常階段を使って部屋まで行ったりしながら、
買い物などをしていましたね(笑)。

その頻度がちょっとずつ増えていきました。
カフェに行くのがその当時の楽しみでしたね。
東藤:
開けた空間でリラックスできる。
たしかにカフェに行けるといいですね。
吾郎さん:
最初は人目を気にして、
「なんでこの時間のカフェに大人の男がいるんだろう」
って思われているんじゃないかって思うと外出できなかったんです。
いろいろ理由をつけて、自分に言い訳しながら、
少しずつ慣れていきました。
最大の転機は、彼女の東京勤務が決まったことですね。
東藤:
普通の、閉鎖的でない生活に戻れたんですね。
吾郎さん:
9月10月ぐらいから徐々に動けるようになって、
転居が決まったのが12月でした。
東藤:
なるほど。
そして、うつで動けなかったのが、6月、7月、8月の3か月間。
吾郎さん:
7月、8月は一番ひどかったと思いますね。
マメに日記をつけているんですけど、
7~8月だけ空白なんですよ(苦笑)。
東藤:
(苦笑)。






(漢方を用いた治療が気になる回復編に続きます!)

プロフィール

東藤泰宏(とうどう・やすひろ)
1981年生まれ。
IT業界で働くうち、過労のためにうつ病となる。
1年半のうつ病ニート時代を経て「ゆううつ部」(ブログ)を開設。
2011年にスカイライト社主催の「起業チャレンジ2011」で最優秀賞を獲得。
その賞金300万円で起業。仲間を集め、2012年1月にU2plusを公開。
新たな資金調達にも成功したが、まだ絶賛うつ病中。

「みんなでうつの予防&回復をする認知行動療法サイト」U2plus
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・ とうどうTwitterアカウント @toudou_U2plus
・ イラストレーター:ヨシムラマリ Twitter @coromegane
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