ゆううつ部部長のOB訪問 東藤泰宏 イラスト:ヨシムラマリ

第2回後編 27歳女性看護学生

職場でのコミュニケーションがないことが原因で、
うつ病になってしまった千明さん。
1度目の休職から復帰できたのはいいものの、
周りとの認識の違いに戸惑ってしまったそうです。
復職、異動、やりがいのある仕事、2度目の休職、引っ越しなどを経て
新しい道へ踏み出した千明さん。
その陰にはたくさんの人たちの支えと、
つらい中でも自分の気持ちと向きあい続けた
千明さんの踏ん張りがあったようです。
ボリューム満点の後編では、
回復へのヒントがたくさん語られています!

千明さん
千明さん
・年齢:27歳
・職業:看護学生(元会社員)
・うつ歴:約3年
・黒髪
・前髪ぱっつん
・おしとやかなお嬢さんな雰囲気

※本連載ではプライバシーを守るため、名前はすべて仮名とさせていただいております。

復職から異動へ

東藤:
復職はスムーズに行きましたか?
千明さん:
正直なところ、スムーズとは言い切れないですね。
まず、周りとの認識のギャップに驚きました。
最初は半分の勤務時間、4時間勤務から始まりましたが、
「復帰=完治」と思われているんです。
最初は、「迷惑をかけたし、毎日ちゃんと行かなきゃ」と気張って、
無理矢理がんばったのもそう思われた原因のひとつかもしれません。

そしたらいきなり8時間の通常勤務に戻そうと、
上司から提案が来たんです。
短時間勤務ですら、しんどそうな素振りを出さないようにするだけで
こんなにいっぱいいっぱいなのに、どうしよう……と。
そのときに、自分からも周りの人にコミュニケーションを
とっていかないと、うまく伝わらないなと気づき、
今の気分とか、できることとできないこととか、
具体的な症状などを自分から上司に伝えました。

きちんと伝わったようで、パソコンを使ってコツコツ積み重ねる
仕事から、単発の業務に切り替えてもらいました。
上司からは
「これからはぶっちゃけどうよと聞いていきますので何でも言ってください」
と言っていただきました。

 これもよく耳にする話です。お医者さんとしては「会社に通えて、一定時間オフィスにいることができる」という判断はできますが、それぞれの具体的な仕事内容は知り得ないので、「医者から復職の許可が出た=発病前のようにバリバリ働ける」ではありません。
 また、うつ病は症状が波のように上下しながら徐々によくなっていくものなので、ある程度症状が改善しても「完全に治った」とは言い難いです(再発の可能性もあります)。
 よく上司がうつ病になった部下に「しっかり休んでいいから、完全に治して復帰してこい」と言ったりしますが、それはほぼ無理ではないかと……。
 千明さんの上司は説明したことで理解してくれて、よかったですね。

千明さん:
復帰してからも、その月に欠勤してしまって。
カウンセラーさんにその後のことを相談しました。
休まずがんばってみたけれども、
実際は仕事が十分こなせずに疲れていて、
それを周りに悟られないよう隠しながらの苦しい毎日。
給料泥棒だと自分を責めるようになっていました。
東藤:
休職期間中は、お給料は出ていたんですか?
千明さん:
私の場合は丸々出ていました。
もちろん無制限ではないのですが、
何年目の社員は何ヶ月の休職までは全額支給、
と決まっていて、私の休職はその範囲内だったんです。
4時間勤務のときも8時間勤務のときと同様に出ました。
なので自分は給料泥棒だという思いが余計に……。
働いてないのにほかの人と同じぐらいもらっちゃって……。
ありがたくはあったのですが、余計に苦しんだ面もありました。
東藤:
なるほど。
復帰してすぐサービス残業してボロボロだった
ぼくからするとうらやましいように感じますが、
その分つらさもあるんですね。
千明さん:
このころは不安障害も併発していて、友人関係や仕事のことなど、
いろいろなことが常に不安で、頭の中でぐるぐる回っているような、
どうしようどうしようと常に怖いような思いをしていました。
東藤:
起きてる間ずっとそんな感じですか?
そこでうまく息抜きができると違うんですよね……。
千明さん:
そうですね、起きている間はずっと。
寝ているときもふと
「また休職したら社会人としてやっていけないのでは」
と考えるとパニックになってしまっていて、
自分で自分を苦しめているような感覚がすごくつらくて。
今考えれば、「もう社会人としてやっていけない」というのは
偏った考え方だとわかるのですが、
当時はどんどんマイナスに考えてしまうのが苦しかったですね。
「もうOLは無理だ」と泣いてばかりの日々でした。
気持ちのアップダウンが激しくて自分についていけないんです。
東藤:
復職してすぐで、体力的にきつい中、
精神的にも追い込まれていたんですね。
千明さん:
本当にきつい、どうしたらいいのかな、というタイミングで、
会社の配慮があったのか、人事部に異動になりました。
じつは人事部でも相変わらず会話は少なかったのですが(笑)、
社外とのやり取りが増え、外出の機会もあったりと、
仕事内容に変化があったことで少し楽になりました。
そして社内のメンタル問題を知るようになりました。
東藤:
よかったですね……っと、それはとても興味深い(笑)。
千明さん:
労務管理をしている人から、
社内の休職をしている人の資料が回ってきたんです。
名前はないのですが、年齢、性別、長期休暇の理由などが
書かれたもので。
ケガではなく、うつ病を含む精神の問題で休まれている人が、
じつはたくさんいるということを知って危機感を感じ、
それがこのあと医療職を目指すきっかけのひとつになりました。
東藤:
なるほど。

「優しい人=理解者」ではない?

千明さん:
そのころ、他部署で声をかけてくれた男性がいました。
彼とは出会って日が浅く、
復職したとはいえ自分の病気のことをどこまで話すか悩みました。
とはいえ、伝えておかないと急に具合が悪くなったときに困るし、
なにより自分のことを理解してほしいと思ったので、
うつという言葉は使わず、
「仕事のストレスでたまに体調が悪くなってしまう」
「今週お休みしてしまった」と少しずつ話していきました。
東藤:
それはとても勇気を振り絞ったのではないでしょうか。
よくがんばりましたね。彼はどういう反応でしたか?
千明さん:
自分でも、葛藤を乗り越えてがんばって伝えたつもりでした。
でも彼は
「なんでそんな簡単に会社を休めるの?」
「みんながんばってるんだよ」と言い、最後は
「千明のことが理解できない」と言われてしまいました。
優しい人なので、何でも受け入れてくれる気がしましたが、
拒絶されてしまいました。すごくショックでした。

 うつ病になると、人とのコミュニケーションがうまくいかなくなります。そして自分の状況は同じうつ病患者にしか理解してもらえません。その結果、ひどい孤独感に包まれることになります。
 なので、矛盾しているようですが「誰とも一緒にいることができない。でも誰か側にいてほしい」という心境になるのではないかと思います。千明さんもこの時期は、共に過ごしてくれる人を欲していたのではないでしょうか。
 また、自分のうつ病のことを誰かに伝えるのは本当に勇気が必要です。ぼくも、長年の親友に伝えるときでさえ涙が流れました。がんばって相手に伝えようとして、完全に拒絶されてしまうのはつらいですね……。

千明さん:
復職して数ヶ月がんばってみたのですが、
「逆戻りしてるのでは?」と思うぐらい体調が悪くなって、
また電車で気持ち悪くなりました。
仕事ができない、生きているのがつらいと思い、
母に「死にたい」と言っていました。
東藤:
そのとき、お母様はどんな対応をされましたか?
理解してくれましたか?
千明さん:
母は私の症状を責めることなくすべて受容してくれました。
よく「家族が理解してくれない」と聞きますが、
うちの母は黙って「うん、うん」と聞いてくれたり、
背中をさすってくれたり、
全部自分の感情を出しても受け止めてくれました。
東藤:
話を黙って聞く、背中をさする、というのはとてもよかったですね。
きっと普通ご両親というのは……
新卒で大企業でマーケティングです、となったら
「せっかくいいところなんだからがんばりなさいよ」
「ここが社会人としての踏ん張りどころ」と言いそうです。
拒絶されることもあれば、理解してくれる人もいるのが世の中ですね。

そこからの回復

千明さん:
その後、一時期カウンセリングを中断していたのですが、
お薬が追加になったりしたので、
8ヶ月ぶりにカウンセリングで先生とお話しました。
その中で、私は
「ここができなくてまた休んだ」
ということばかり言っていたと思うのですが、
「できたこともあるよね」と言われて。
気持ちが楽になりましたね。
あと、人に話す作業の中で、
自分の気持ちが整理されていく感覚が実感できて、
カウンセリングを受けること、
人に話すということはいいことだと思いました。
自分で話しながら、自分は今こういうことを思っているんだ、
こういうことがつらいんだ、ということの確認作業ができました。

そして、そのころ、家を出ることにしたんです。
東藤:
おー!
突然ですね。どうして引っ越しを決めたんですか?
千明さん:
そのとき一番つらかったのが、通勤の電車だったんです。
片道1時間半って珍しくはないのかもしれませんが、
時間以上に混雑がすごくて、途中で下車してしまうんです。
毎日のように駅員さんにお世話になっている状態で……。
今日はこの駅で降りちゃったとか、今日はこの駅で、という具合に、
いろいろな駅の駅員室に寝かせてもらっていました。
そのころには「パニック障害も併発しているね」
と主治医の先生から言われました。

東藤:
電車に乗れない、というのは、確かにパニック障害のようですね。
全ての駅を制覇した感じですか?
鉄道マニアのように(笑)。
千明さん:
そうなんです(笑)。
それで今住んでいる家に引っ越しました。
通勤時間が30分短縮されましたし、
路線も変わり以前ほどの混雑具合ではなくなったので、
すごく楽になって。
東藤:
最大のストレス要因を、積極的になくすという試みだったんですね。
千明さん:
でも、そのタイミングで「もう一度休職しますか?」と
産業医に言われたんです。
少しずつ回復していたところだったんですが。
2度目の休職の勧めを受けて、これはもう無理だなと思いました。
1回目はなんとしても復職したいと思っていたんですけど、
2回目となると、退職して新しい道を探したほうがいいんじゃないか
って、うまい具合にあきらめというか、違う方向に意識が向きました。

もうひとつ退職を考えた理由というのが、
人事にいると会社にいる女性の少なさというのがわかって。
女性社員はいるけど、その中でいったい何人の人が
長く働いているのか、と。
子どもを生んで続けている人がほとんどいなかったんですよ。
ここにいても結局やめるんだ、というのが見えてきたことによって、
徐々に、他の道に進んでもいいのかなと思いはじめていました。

 雑誌やうつ病の本では、「如何にして元の職場に復帰するか」という前提で書かれているものが多い気がします。でも、うつ病をきっかけに違う生き方を探してもいいんじゃないでしょうか。
 うつ病になる理由は様々ですが、要因の多くが現在の職場にあるのであれば転職を考えてもいいですし、あるいはぼくのように起業という道もあります(ストレスが多すぎておすすめできませんが)。
 また、会社員をやめてフリーランスになったというお話も多く聞きます。世界にはいろいろな道があります。行き詰まったときには、一度さまざまな選択肢を考えてみてもいいかもしれません。

千明さん:
自分の道を考えているうちに、
大学時代の友人で看護学校に通う子がいたことを思い出しました。
それまでは看護師という仕事を考えたことなんて
全然なかったんですけれども。
パソコンと向き合っているより、
直接人に何かをするような仕事がいいような気がしてきました。
何か資格をとり、その資格を活かして人のために
長くキャリアを積んでいきたい、と思うようになりました。
東藤:
1年間ずっとデータ入力していたのが最大の原因ですもんね。
そこでまず医療職の資格を目指したんですか?
大変そうなイメージがありますが。
千明さん:
看護助手という職業があるんですけれども、
まずはそれをやってみようと思ったんです。
病棟に配属されて、看護師さんと一緒に仕事をするんですけど、
患者さんの身の回りのお世話とか、医療器具をそろえたりとか、
資格がなくてもできるお手伝いをする仕事です。
間近で仕事を理解して、
本当にこの仕事を目指しても大丈夫と思ってから、
看護学校に入れればなと計画しました。
東藤:
そういう職種があるんですね。
少し前まで混乱していたのに、
なんだかすっかり計画的になられている……。
「会社を辞めよう」と決断したことで視界が開けた感じでしょうか。
千明さん:
とにかく、「新しいことをはじめる」ということが何年もなかったので、
いろいろと考えるのが楽しかったです。
幸い自転車で通える距離に、
とくに経験はなくても受け入れてくれる病院があったので、
そちらでお世話になることに決まりました。
保健師さんを通じて上司に退職のお話をしてもらって、
自分の荷物をとりにだけ行って、OL生活が終わりました。
自分のデスクにある書類をシュレッダーにかけているときに、
自分で決めたこととはいえ
「ああ、わたしは本当にこの場所からいなくなるんだな」
と実感しました。
東藤:
休職になったという時点で、体調的には回復しつつあるとはいえ、
以前より悪化しているわけですよね。
その状態だけど、看護助手として気持ち的にはもう動き出していた?
実際に働いてみて、大丈夫でしたか?
千明さん:
不安はもちろんありました。
けれど、病院の勤務は土日休日というわけではなかったので、
2~3日働いてお休みというスタイルがよかったです。
5日連続の勤務じゃない分、疲れが取れやすいんです。
あと、電車がとにかく問題だったので、
そこが自転車通勤になったのでかなり体調はよくなりました。
それと、実際に患者さんに会うと、お礼を言われたりして。
やっていることは雑用に近いんですけど、やりがいがありましたね。
仕事の中でいろいろな感情が湧いてきたり、
人と人が支え合ったりしているというのが、
「ああ、すごく人間らしく生きているな。素敵だな」
と思いました。
看護師はハードワークと言われますが、
この仕事だったらやれそう、という気がだんだん湧いてきました。
東藤:
今までと正反対のお仕事ですもんね。
それはリスキーでもあるけれど、
千明さんの場合はうまくはまってよかったです。
まったく慣れない仕事をして潰れてしまう可能性もあったはずなので。
千明さん:
そうならないために看護助手から始めたんですよ(笑)。
そこで師長さんとお話しする機会があったんですけど、
「看護学校の3年間で
自分を見つめる機会というのはすごく多いし、
その中で体調を整えることもできると思うから、
挑戦した方がいいんじゃないの?」
と言ってもらえて、看護学校を受けました。
今通っている学校というのも、自転車で通えるところです。
そこの受験を経て、今に至ります。

どんなことがよかったのか。

東藤:
回復する上で何が一番よかったと思いますか?
千明さん:
まずはやっぱり、周りの環境が本当に恵まれていました。
家族の理解があって、上司の理解も割とあって、
同じオフィスにいつでも相談できる保健師さんがいて、
引っ越しする先もあって、
自転車で通えるところに新しい道を見つけられて。
とくに、家族の理解が大きかったですね。
そこで責められていたら自分の居場所がないですから。

あとは、先生との相性がすごくよかった。
無理な量のお薬も出されずに、
初回の受診で大学病院で30分以上カウンセリングしてもらえた、
まずそれが先生の信頼につながっていって、
絶対先生の言うとおりにしようって。
そう思える先生に1回目で会えたっていうのが
すごくついてたと思います。
東藤:
初診以外の診療時間はどれぐらいでしたか?
千明さん:
長かったです。
打ち切られることはなくて。
だんだんよくなっていくと、私が話すことがなくなって
3分以内に終わることもありましたけど、
それ以外はずーっと話を聞いてくれました。
なので信頼することができたんです。
東藤:
すごいですね。
実は、日本のメンタルクリニック、
初診が30分以上というのは決まっているんです(笑)。
千明さん:
えー!
そうなんですか!?
知らなかったです。
東藤:
信頼してよかったですね(笑)。
どこも最初は30分ほど経歴とか聞くんですよ、家族構成とか。
そういう制度なんです。そのあとは3分とかのところが多い。
でも、そのあとも診察が長いっておっしゃったので、
ああいい先生なんだなと(笑)。

かなり恵まれているのはおっしゃるとおりだと思うのですが、
他のうつ病真っ盛りの人や、
回復中だけどまだすっきりしていない人にアドバイスをするとしたら、
こういうことをやるといいかもしれないよ、というのはありますか?
千明さん:
先生からは、心の中に先生を持つといいよと言われていました。
これは気持ちが沈んだときに、自分に対して
「大丈夫?」とか
「そういうこともあるよね」と言ってくれる小さな先生、
というイメージです。
客観的に見る、ということだと思うのですが。
東藤:
「つらい、もうだめかもしれない」
という考えや感情に染まってしまいそうなときに、
少し距離をおいて自分を優しく見つめてあげるイメージですね。
方法としては認知行動療法っぽいですけど、
とても素敵な表現ですね。

千明さん:
あと、自分なりの「これをすると心が落ち着く」っていう
法則があるといいと思います。
気づかないけど無意識に自分でやっていたことって、
振り返ると意外と多くて。
お風呂に入るというのも、
好きでやっていたことが意外とリラックスになっていたりとか。
東藤:
お風呂に入れるのはいいですね。
ぼくはうつ病になってからお風呂やシャワーが
すごく苦手になってしまいました。
すごく気合を入れないと入れなくて。
「入るぞ!」と決意してから2時間かかったり。
千明さん:
たしかに、最初のうちは長風呂はできませんでした。
回復してきて、もともとお風呂が好きだったので、
という感じですかね。昔から長風呂だったからかもしれない。
お風呂でなくても、自分が好きだったことを、
少しずつやってみるといいかもしれません。
東藤:
わりとどうでもいい質問なんですが、
会社に行ってて、しんどかったときって、
お化粧はしっかりしていました?
千明さん:
うーん……
すっぴんで行くことはなかったですね。
朝の支度に組み込まれていることなので自然とやって、
駅に向かう途中までは、
一連の流れみたいな感じでいけるんですけど、
その先が無理、っていう感じですね。
あとは、私もともと顔色がよくないんですよ。
なので、お化粧してないと心配されちゃうから、
無駄な心配をかけないためにとりあえず明るめにしておかないと、
っていうのもあって。
とくに体調が悪いときはそんな感じですかね。
東藤:
まったく知らない世界でした……ありがとうございます。

いまの生活はどうか

東藤:
ご結婚は?
千明さん:
はい、しています。夫とは仕事の関係で知り合いました。
最初は自分の体調のことは話していませんでしたが、
たまに休むことで不審に思われたり、心配をかけるといけないので、
事情は簡単に説明しました。
まったく驚く様子はなく、
「無理しないでね」
「何かできることがあれば言ってね」
と言ってくれてたと思います。
東藤:
「まったく驚く様子はなく」というと、
メンタルヘルスに関しての知識がありそうな方ですね。
千明さん:
夫は人材会社で採用を担当しており、
自分が見込んで入社させた子がストレスで
休職や退職するのを見ていたので、
偏見はまったくなかったそうです。
「自分の会社にもそういう子はいるから」と言われて、
ほっとしました。
その後はメールで
「今日は仕事に行けた?」とか、
さりげなく気にかけてくれたのが嬉しかったです。

私はこのような理解ある人に恵まれ、本当にラッキーでした。
夫が人事部だったからというよりは、
メンタルを病んだ人に慣れていた……というのも、
学生時代から面倒を見ていた子が
だんだんつらくなっていく様子を近くで見ていたことがあるそうです。
人事の人間であっても「知識がある」ことと、
「本当に理解している」ということは別ですよね。
東藤:
これまでの恋愛ではうつ病が障壁になって
つらい経験もされたと思いますが、
素敵な方と出会えましたね。
みんながこうだったらいいのに。

 千明さんは素敵な方とご結婚できましたが、その前にはつらい経験もされています。
 うつ病の方が恋愛をする際にはやはり「早い段階で自分の状況を伝えること」が必要なのだと思いました。もちろん拒絶されてしまう可能性もありますが、それを恐れてカミングアウトを長引かせると、かえってつらい思いをしてしまうのではないでしょうか。
 千明さんの場合は、最終的に「前もってうつ病に対する理解が深い人に出会う」という幸運に恵まれましたが、当然みんながうつ病をわかっているわけではありません。なので「伝え方」も工夫しましょう。
 ぼくのおすすめは、ありきたりかもしれませんが、ベストセラーの『ツレがうつになりまして』をまず読んでもらうことです。うつ病によって、自分の意志とは関係なく、症状によって様々なことができなくなってしまうことが、読みやすく描かれています。
 そのうえで、本の主人公とは違う点――自分にできること、できないこと、少しずつやっていきたいことなど――を伝えていくとよいのではないでしょうか。
 それこそ「家事はできる範囲で」とか、話が進めば「披露宴は負担になるから、できるだけ小規模、短時間にしよう」などの相談をするベースになると思うのです。

東藤:
そういえば、きっかけはあったにしろ、
うつ病から回復しきっていない状態で
医療職を選んだ決め手はありますか?
千明さん:
そうですね、一言でこの理由とは言えないんですけれども、
患者さんと直接触れ合い、
人の役に立っているという実感を得ながら
キャリアを積み上げていけることですね。
女性として結婚や出産を経ても世の中の役に立てる
というのは魅力的ですし。
もし、仕事を中断する状況になっても、
資格や経験を活かしてその先の人生を柔軟にデザインできる。
そう考えるとわくわくしてきて、やっぱり「ずっと働きたい」
という私の想いは変わっていないのだと思いました。
東藤:
なるほど。
ところで聞きにくいことをお聞きしますが、
学費ってどうされていたんですか?
千明さん:
びっくりすると思うんですけど、年間20万円なんですよ。
東藤:
えーっ!
安っ!
月額2万円以下ですね。
千明さん:
公立なのですごく安いんですが、私立の看護学校でも、
奨学金の制度もすごく充実していて、学費自体は高くても、
必死にアルバイトしなくてもちゃんと3年間通えます。
というのを知って、なんとかなるかもと思いました。
東藤:
うつから回復した後の転職はみなさん悩まれると思うのですが、
「看護学校」という大きなヒントを得られました。
医療系に限らず、学費が安かったり、
奨学金制度がしっかりしている学校は他にもあるかもしれませんね。
すぐに「働く」という方法以外に、
「資格を得る」という選択肢が増えました。

しかし、振り返ると、本当にいろいろと恵まれていらっしゃる……。
千明さん:
そうですね、私は環境に恵まれていたので、
その点でほかのうつ病の方にはあまり参考にならないかも……。
東藤:
そんなことはありません。
これを読んでいる人で似た状況の人はたくさんいると思うんです。
ネット上でがーっと書いている人って、
壮絶な人が多いじゃないですか。
でも、寝続けていて今にも死にそうなわけじゃない、
休職したり復職したり、少しは働けるんだけど、
なんかすっきりしない、という人も多いんじゃないかと。
そういう人はうつ病のなかでもあまり苦しさを主張できないので、
千明さんのエピソードが救いになると思います。

東藤:
看護師さんとメンタルケアの臨床というのは
テーマとして語られることが多いですが、
今回の経験は、看護師を選んだ理由のひとつでもあるんですか?
千明さん:
私がうつの症状が出たからといって、
精神科にかかっている患者さんのことを理解できる
とは思っていないんですが、経験していない人よりは、
「どうしても何もできない」という感覚が
理解できるのかなというのがあったので、
この経験が少しでも活きればいいかな、と思います。
その中でも働く人のうつというのは、
人事部にいた経験も重なって、
将来的に臨床で経験を積んだら活かしていきたいな、
っていうのもありますね。
東藤:
はい。
ぼくはうつ病から回復された方にお会いする機会が多いんです。
みなさんから
「自分の苦しかった経験を活かして、誰かを助けたい」
という声を多く聞きます。失うものも多いですが、
その分やさしさが増していくように感じています。
千明さん:
みんなそうなんですね。
私も寝込んでいるとき、母親も一時精神科に通ったんですよ。
うつ病の影響って本人だけじゃなくて家族にも及んでいるなと思って。
臨床でもし精神科を選ぶことがあれば、
患者さんだけじゃなくって、その家族のケアもしたいけれども、
実際そこまでできているのかなと思うと、
今の現場はまだそんなに進んでいないような気がしていて。
いつかそういうところも開拓して行きたいというか、
領域として興味がありますね。
東藤:
それはぼくがやりますよ(笑)。
自分が望んだことではないけれども、
ぼくもうつ病になってしまったことで
周囲からたくさんのサポートをもらって、
またあるときはとても困らせてしまった。
うつ病の人の家族や、周囲の人たちを支援できる行動を
起こしていきます。
3年、いや2年待っていてください。
千明さん:
何をされるのでしょう?
楽しみにしています。
東藤:
乞うご期待ということで。では、本日はありがとうございました。

プロフィール

東藤泰宏(とうどう・やすひろ)
1981年生まれ。
IT業界で働くうち、過労のためにうつ病となる。
1年半のうつ病ニート時代を経て「ゆううつ部」(ブログ)を開設。
2011年にスカイライト社主催の「起業チャレンジ2011」で最優秀賞を獲得。
その賞金300万円で起業。仲間を集め、2012年1月にU2plusを公開。
新たな資金調達にも成功したが、まだ絶賛うつ病中。

「みんなでうつの予防&回復をする認知行動療法サイト」U2plus
ゆううつブログ
うつペディア - みんなで作るうつ情報wiki辞典
・ とうどうTwitterアカウント @toudou_U2plus
・ イラストレーター:ヨシムラマリ Twitter @coromegane
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