ゆううつ部部長のOB訪問 東藤泰宏 イラスト:ヨシムラマリ

第2回前編 27歳女性看護学生

今回うつ病からの回復エピソードを聞かせてくれた千明さんは、
職場でのコミュニケーションがないことが発症の原因だったそうです。
新卒で入社した会社を辞めて、現在は看護学校に通われています。
会社員でうつ病になると、
「うまく職場復帰できるかどうか」がテーマになりがちですが、
うつ病をきっかけに違う生き方を目指されるケースとして、
ヒントになるかもしれません。
恋愛関係についても語っていただきました。

千明さん
千明さん
・年齢:27歳
・職業:看護学生(元会社員)
・うつ歴:約3年
・黒髪
・前髪ぱっつん
・おしとやかなお嬢さんな雰囲気

※本連載ではプライバシーを守るため、名前はすべて仮名とさせていただいております。

東藤:
千明さんは、今は看護学生ということですが、
以前新卒入社で働いているときに
症状が出はじめたんですよね。
もう病気の方は大丈夫ですか?
千明さん:
はい。回復するに従って、
環境自体を変えようと看護学校に入りました。
入学するぎりぎりまで減薬をしながら
病院に通院していましたが、
今は通院してないです。
学校に入ってからも少し「調子悪いかな?」
と思ったらスクールカウンセラーさんに相談したり、
つらいときは早めに休むように心がけたりと、
うつを経験したことで体調管理に気を使えるようになりました。

フロアが静寂につつまれていた職場

東藤:
まずはうつ病になった経緯をお聞きしたいんですけど、
病院にかかる前はどんな仕事をされていたんですか?
千明さん:
新卒で入社し、企業を顧客にした
物流会社のマーケティング部に配属されました。
メーカーではないので、
マーケティングといっても商品開発ではなく、
サービスの開発やお客さんの動向を
データとして調査する部署なのですが、
社会人になって間もない私は数字を入力したり、
エクセルの関数を使ったり、
それを表にしたりといった単調な仕事をしていて。
東藤:
マーケティングというと
なんだか派手で忙しいようなイメージがありますが、
千明さんのいた部署はちょっと違う感じですね。
千明さん:
まったく違いました。
人に言っても信じてもらえないぐらい会話がなくて、
みんな一日中パソコンに向かうだけの生活でした。
社員間の連絡はすべてメールで行うんです。隣同士でも。
電話などは一番下の私が取ることになるんですけど、
すごく広いフロアでしゃべってるのが私だけ、
みたいな張り詰めた空間でした。
東藤:
IT企業だとあまりしゃべらずに
チャットで済ますことも多いですけど、
そこまで静かなのは珍しいかもしれませんね。
そういう単調なお仕事以外はなかったんですか?
企画を立てて、どう実現していこう、というような。
千明さん:
上の人はいろいろ難しいこと考えてたと思うんですけど、
そういう話は会議室で少人数で決めてしまうので
ほとんどの社員はわからないんです(笑)。
当時は明らかに私が一番下だったので、私でもできる、
パソコンさえ使えればできるような仕事を
任せてもらっていたんです。
東藤:
ひたすらデータ処理。
それは……めんどくさいですね(笑)。
眠くならなかったですか?
千明さん:
眠いっていうか、退屈っていうか。
フロアでは会話も全然ありませんし。
東藤:
千明さんは総合職ですよね?
企業としても、それはなんだかもったいない気がしますね。
総合職の女性を会社として採りはじめたのが最近なんですか?
千明さん:
そうではないのですが、
マーケティング部ができたばかりだったんですよ。
だから、職場で1人だけ若い女の子だったので、
大事にされすぎて。
仕事とかも気を使って十分にまわしてもらえなくて、
残業はほぼない状態でした。
同期はがんばっているのに、
私だけ置いていかれるような気がしていました。
結局退職するまで怒られた経験ってあんまりなかったような……。
周りの先輩方もどう接していいか
わからなかったのかなと思うんですけど。
東藤:
それでひたすらエクセルをまかされちゃった(笑)。
指導してくれる先輩とかはついてなかったんですか?
千明さん:
そういう先輩はいました。ただ、
「次にこういうことやりたいから、
いつまでにこういう資料作ってね」
と言われたあと、作業自体は一人で黙々とやる。
わからないところを聞くときには話しますけど、
それ以外はずっと一人での作業で。
自分でペースを決めていいから、
自分のできるスピードで黙々とやる、という感じでした。
それが1日続くんです。

東藤:
その「会話がない張り詰めた空間で、ひたすらデータ入力」
というのはどれくらい続いたんですか?
千明さん:
新人研修が終わってからずっとなので、
1年くらいですね。
東藤:
それは長い!
その環境で、イヤだな、合わないなと
ずっと思っていらっしゃったんですか?
千明さん:
ちょっとつらいな、思っていたのと違うな、
とは感じていました。でも私の中では、
「働き続ける」というのがなんとしても叶えたいことだったんです。
この先結婚や出産をしても働く、
というのが自分の職業観としてあったので。
せっかく総合職として入れたんだから、
この会社で転職できるくらいのキャリアを積まなくちゃいけない。
だから、すぐには辞められない。
東藤:
転職を見据えても、今いる会社に一定期間は所属しなきゃ、
というのはわかります。
同期には相談できましたか?
千明さん:
他の同期は全員違う部署だったんです。
それで様子を聞いていると、夜11時とか、
終電ぎりぎりまで仕事をしていて大変!
っていう話ばかりでした。
多分私が話したら「残業なくていいね。うらやましいよ」
っていうことになると思って、話せなかったですね。

 「仕事が原因でうつ病になった」と言うと、過労だったりパワハラをイメージしてしまいがちです。もしくは複雑な人間関係でもめてうつ病に……ということも多そうですが、逆にコミュニケーションがまったくない職場で働きつづけたことが、心への大きな負担になったようです。
 ぼくもデータ入力や処理をしていた時期がありましたが、1日4時間くらいでも頭が煮詰まっていました。なおかつ職場で気軽に話す人がいない、というのは地味に見えますが相当つらいんでしょうね。

パソコンの前で涙が止まらない

千明さん:
それで、2年目に入って、だんだんと症状がでてきました。
パソコンをずーっと見ていられなくなってしまって。
それが私のメインの仕事なのに、
中断して離席をしなければいけないぐらいつらくなってきてしまう。
東藤:
つらいっていうのは、頭が痛いとか、目がキンキンするとか……?
千明さん:
そういうわかりやすいものではなかったですね。
まず、体全体にだるい感じがあって集中力が続かないんです。
そして自分の席で泣いてしまうんです。
涙が出てくると、周りの先輩方に見られたくないから
席を立つようにしていました。
でもあんまり離席してるとかえって怪しまれてしまうし、
とても困りましたね。

職場で一番年の近い先輩が30代の男性だったので、
相談する事もできませんでした。
東藤:
うつ病の症状のひとつとして、
とくに理由はないんだけど、涙が出てきちゃうことがあるんですよね。
他の人に「何で泣いてるの?」とか言われても、
自分でもわからないから説明できない。
千明さん:
そうなんです、わからないんです。
あと、残業もないし、立ち仕事でもないのに
体力的にすごく疲れてしまって、
朝すっきり起きれなくなってしまいました。
それなのに逆に夜寝付けなかったり、途中で目が覚めてしまったり。
深夜にぱっと目が覚めて、明日会社があるから寝たいんだけれども、
全然眠れなくて、ますます焦ったりとか、
どうしようという感じですね。

 これはまさに睡眠障害ですね。
 うつ病になると、眠りすぎてしまう「過眠」、眠れなくなってしまう「不眠」、寝ていてもふと起きてしまってそのまま寝付けなくなる「中途覚醒」などの症状があります。
 ぼくも最近不眠症になっていて、夜に眠ることができませんでした。自分でスケジュール調整できる仕事なので次の日の昼間に寝ればいいか、とも思うんですけど、昼間も眠れないんです。体と頭は疲れ切っているのに。
 そのまま夜になり、それでもまた眠れないので、ひたすら疲労がたまっていました。いっそ麻酔か何かで意識を飛ばしてほしいと思いました。

千明さん:
他には……
通勤が片道1時間半かかるんですが、電車で気持ち悪くなって、
途中で降りて駅員室で休ませてもらったりしていました。
あと食欲がなくなったりとか。
東藤:
ごはんを食べられないと、ご家族は心配されませんでしたか?
千明さん:
ごはんといっても家で食べるのは朝だけでしたし、
朝は個々でちょっとつまんでいくような感じだったので、
家族が異変に気づくというのはなかったですね。

 ぼくはうつ病になる前、家族の誰よりも朝早く家を出て、終電で帰るか帰らないかという生活をしていたので、家族に会いませんでした。なのでまったく異変に気づかれず(笑)。1ヶ月に1回しか顔見てないぞ、みたいな(笑)。
 このインタビューはつらかった時期のことを思い出すんですけど、似た体験を持つ人と話すと客観的に見れ、だんだん笑えてきます。

東藤:
眠れない、朝起きれない、起きたら起きたで電車もつらいし、
パソコン見ていられない、涙も出てくるとなると、
さすがに限界が近いかなという感じですね。
千明さん:
そうですね。
私はもともとPMS(月経前症候群)で、
お薬をずっと飲んでいる状態だったんです。
生理の前になるとホルモンバランスが崩れて、
落ち込みやすくなったりとか、泣いちゃったりとかしてしまうんですね。
女性なら誰でもあると思うんですが、
普通の人以上にそれが激しくなるんです。
でも、今回はそれとも違うな……と思いはじめました。

「ちょっと私、もう無理かも」って本格的に思ったのは、
1日に何度も涙が出たときですかね。
これじゃ仕事どころか、そもそも席にもいられない。
そのタイミングで、他の会社に就職した大学時代の友人が
うつになって、連絡が取れなくなったんです。
もしかして自分もそういうのなのかなと思い、
土曜日にかかれる病院を自分で探して、大学病院にいきました。
そこで「すぐに休職すべきだ」と言われて、
3ヶ月休職の診断書を受け取りました。
東藤:
元からうつ病の知識ってなんとなくありましたか?
今まで知り合いがうつ病になったって時に、
大体こういう感じなんだろうな、とか。
千明さん:
まったくなかったですね。
うつの人って弱ってるから話しかけてはいけない、
という風に思ってはいましたが、そのぐらいで。
先ほどの大学時代の友人も、とても仲良しだったんですけど、
うわさで田舎に戻ったらしいよと聞きました。
こっちからはなんて声をかけていいのかもわからないし。
彼女が完全に回復するまで、私からは連絡が取れなかったです。
うつ病についてはそれぐらいほとんど知識のない状態でした。
東藤:
そうですよね、うつ病になった人が
「今こういう状況で、だからこうしてほしい」とは言いにくい(笑)。
人前から消えざるをえないですからね。

 よほど身近にうつ病の人がいないと、「うつ病の予兆が出てきているな」「これはうつの症状だな」などの知識は得られないのが現状です。
 千明さんの場合は、タイミングよく(?)知人がうつ病になったことで、自分も危ないということがわかったようです。本格的にうつ病になると、人前に出るのもつらいし、他の人とのコミュニケーションが難しくなるので、仕方のないことなのかもしれません。

うつがひどかったときはどうだったか

東藤:
それですぐ休職に入れたと。
休職の間はどういう生活をされたんですか?
千明さん:
休職に入ったばかりのころは、ずっとベッドから出られなくて、
しばらくは家の中、おもにベッドの中にいる生活が続きました。
そのときは、心身ともに疲れ果てていて、
起き上がることすら出来なかったりしました。
東藤:
そのとき考えていたことはありますか?
「これからどうなるんだろう」とか。
逆にとにかく何も考えずに、ずっと寝ていたとか。
千明さん:
最初は思考停止していたので、「ああ、これでやっと休めるんだ」
と思うだけで。
疲れきっていたので、あまり物を考えられなかったですね。
苦しい思いというのはそのあとでした。
東藤:
具体的に、うつ病になってつらかったのはどういうことですか?
千明さん:
ひどいときはベッドの中でひたすら、
「どうやったら死ねるかな」と考えていて、
そういうことしか考えられないことがつらかったですね。
あと、友達が離れていくこと。
それから、その先に向かうものというのが想像できなくて、
これからどうなるかわからない不安も……
不安がすごく強かったですね。
東藤:
そうですよね。何ができるのかもわからないですからね。
これからどうしようと選ぶ前に。
千明さん:
そうそう。自分がどうなるのか想像ができなくて。
だから、何の目標も持てない、というのがすごくつらかったです。
東藤:
最初に診断されてから、お薬はちゃんと飲んでましたか?
抗うつ剤に加えて、眠れるようにするお薬も出たと思うんですが。
千明さん:
決められた量を飲んでいました。
睡眠導入薬も出してもらっていて、割とちゃんと効いていたと思います。
東藤:
眠れると無性にうれしいですよね(笑)。
千明さん:
うれしいです(笑)。
体が休まってるな、よかったなという感じでした。
休職に入って2ヶ月半経ったときから、
自分で症状などをメモするようになって、
ここからはこのタイミングで何をしたっていうのが記録として残ってるんです。

休職に入って2ヶ月半後の記録としては、
「まだ2日連続の外出はできない」
「慣れない場所に行くと具合が悪くなる、疲れやすい」
「本が少し読めるようになってきた」。
これまで知識がなかったので、うつ病に関する本などを読みはじめたんです。
仕事を続けたかったので、徐々に
「働きたいな、職場になんとしてでも戻らなきゃ」
というような気持ちになって、3ヶ月経ったところで、
会社の上司と主治医に会ってもらいました。

会社のバックアップ体制

東藤:
上司と一緒に受診したんですか!?
それって初めて聞くケースです。
自分の会社が抱えている産業医さんならわかるんですけど、
外の病院で関わってる主治医さんと、
自分の会社の上司が復職について話し合うっていうのは、驚きです。
千明さん:
会社には保健師さんがいたんです。
直接上司と連絡取るのは難しいだろうし、
産業医の先生にお世話になる際も、
すべての連絡は保健師さんを通すということになりました。
上司にも保健師さんから連絡してもらいました。
自分の今の気持ちとか、復職のタイミングとかも
すべて主治医と保健師さんに相談するというような状態でした。
保健師さんからは「いまはとにかく休んで、
メールが出来る状態になったら連絡ください」って最初は言われた気がします。
東藤:
いいなあ。素晴らしいですね。
産業医がきちんと診てくれる会社でも、
基本的にはうつ病になった本人が、
上司もしくは人事、産業医、主治医などの間に立って
調整しなくてはいけないことが多いんですね。
病気で頭がフラフラの状態なのに。
間に保健師さんがいるというのは、正直うらやましいです。
千明さん:
そうなんですか?
やっぱり私は恵まれていたんですね。
主治医からの依頼で、次の通院のときに上司が病院に来てくれて、3人で話をしました。
復職はするけれども、すぐに8時間の労働にもどすのではなく、
徐々に様子をみていくとか、そういう説明とお願いを
直接先生から上司にしてもらいました。
東藤:
完全に初耳です。
この話が掲載されたらみんな大学病院行くんじゃないですか(笑)。
千明さん:
その時点で、主治医の先生からは復職のOKがでたので、
産業医の先生にバトンタッチしました。
産業医の先生からは「いきなり通勤するのは負担が大きいので、
リハビリをしたほうがいいでしょう」と提案がありました。
「リハビリオフィスというのをやってみてはどうですか?」
というアドバイスです。
自分の好きな場所をオフィスに見立てて毎日通うということをしたらと。
以前からよく行っていた、家から1時間かからないぐらいの場所にある
カフェでやってみることにしました。

 これは復職前のトレーニングとしてよく推奨されているものです。毎日、出勤の時間に合わせて図書館に通いましょう、というものが多いですね。復職支援施設などを使えない多くの方がやっていると思います。
 あとは、症状で電車に乗ることがつらくなる方もたくさんいるので、朝のラッシュの電車に乗って、オフィスの前まで行く。行けたら合格で、家に帰ってくる。というトレーニングの方法もあります。

千明さん:
1日目は、お昼前にカフェに着いてから、
ぼーっと外を眺めたり雑誌を読んだりして、
夕方までいることができました。
でも、2日目に蕁麻疹が出てきてしまって、
3日目の朝ついにベッドから動けなくなりました。
4日目の朝もやっぱり動けず、母の前で泣いてしまいました。
「職場どころかカフェにすらいくことができない」と完全に自信を喪失しました。

千明さん:
そのときに、復職の話が出てから通うようになった、
会社と契約しているカウンセラーさんからアドバイスをいただいた
「だんだんよくなる曲線」を思い出しました。
「1ヶ月前より確実によくなっている自分に自信を持つ」
という考え方で、昨日の自分と比べて一喜一憂してはだめ、ということ。
「1ヶ月前、ベッドから出られなかった自分」と比べれば
確実によくなっているということを思い返して、
昨日今日行けなかったと短期間での調子を気にするのではなくて、
ちょっとずつですけど、外に出られるようになっているというほうに
気持ちを切り替えようということです。

4ヶ月経ったところで、会社に戻りました。
月曜日から行くと連続5日の勤務はきついので、
木曜日から復帰しました。
2日行った後はお休みですから。

 このように、復職のタイミングを見計らうのもポイントです。千明さんの場合は2日勤務のあとに土日があるので、そこで休息しましょうというプランですね。
 ぼくはうつ病から回復しかけで転職するとき、12月の半ばに初出社するスケジュールにしました。2週間弱がんばれば、年末年始のお休みがあるので、そこで休息しつつ、仕事に合う体力をつけていこうというのが目的です。
 そこまで考えなくても、業界にもよりますが、あまり忙しくない時期に復職するのがいいんでしょうね。

うつ病前からの恋人

東藤:
当時、おつきあいされていた方はいましたか?
千明さん:
はい。就職前からつきあっていた人です。
元々体調が優れないことは話していて心配してくれていましたし、
休職に入ることを告げた時も、
「そうなんだ、気にしないでゆっくり休めよ」
といった感じで、背中を押してくれました。
体調が優れず、毎週会えるとは限りませんでした。
デートの時間はいつも日曜日のお昼過ぎから晩ごはんを食べ終わるまで。
私にとってはそれが限界でしたし、
彼も仕事が忙しく体力的にきつかったのもあり、
お互いに負担や不満はありませんでした。
家が遠かったのですが、彼が私に合わせてくれることが多く、
車で家まで来てくれたこともありました。
東藤:
うつ病に対して理解してくれたうえで、
どう接したら千明さんに負担にならないか考えていてくれていたんですね。
きっと彼もうつ病の本を読んだり、勉強してくれていたんだと思いますよ。
いい人だ……。
千明さん:
落ち込む私に元気をくれる人でした。
でも彼は平日終電まで働く営業マンで。
彼の明るさに救われつつもがんばる彼の姿に負い目を感じるというか……
自分と比較してしまうんです。
「なんで私はがんばれないのだろう」
「仕事をがんばる彼にとって病気の私って負担ではないだろうか、一緒にいて楽しいのだろうか」
と思っていました。
東藤:
ああ、うつ病になるとそう考えがちですね。
引け目も感じるし、
「自分はだめだから、別れた方が相手は幸せなんじゃないか」って。
千明さん:
復職が決まった時は喜んでくれて
「無理するなよ」と声をかけてくれました。
彼の底抜けの明るさに何度救われたか分かりません。
でも、復職がなかなかうまくいかずだんだん不安が強くなるにつれ、
彼に対する悩みが大きくなりました。
「彼との関係はどうなってしまうんだろう」
「私のこと、本当に好きなのだろうか」
「笑って励ましてくれるけど、病気のこと何もわかってないからなのかな」
と頭がぐちゃぐちゃになり、突き放すように私から別れてほしいと言いました。
彼は「なぜ?」という感じでしたが、
その時の私はもう何も考えたくない思いでした。

 恋人がいる状況でうつ病になると、「自分はきっともうダメだから別れたい」と考えてしまう方が多いように感じます。そこで相手が真剣な話し合いをしようとしても、うつ病のときは熱が39度あるような状態なので、「難しい話をすればするほど頭がいたくてつらい。とにかく話を終わらせて、なにもかもなくしてしまいたい」と考えがちです。すると相手の方は「拒絶されてしまった」と傷ついてしまう。
 彼のがんばりは千明さんのお話からでも充分にわかるし、千明さんがそう決断されたのも症状の一部としてよくあることです。
 お互い惹かれているのに、病気のせいで別れてしまう。ただただ悲しいことです。

 ぼくはうつ病になる以前から付き合っていた彼女と、昨年の暮れに結婚しました。病気のせいで思うように会えなかったり、落ち込みが激しいときには彼女にもいろいろと苦労をかけましたし、ぼく自身もつらい時期があったように思います。
 そういえばぼくはなぜ「自分はもうだめだ」とは思っていたのに「だから別れたい」と言わなかったんだろう……思い出せません。




(後編に続きます。次の更新は2週間後!
 まだまだ紆余曲折ありますが、回復に向かうにつれ新たな目標を見つけます。お楽しみに!)

プロフィール

東藤泰宏(とうどう・やすひろ)
1981年生まれ。
IT業界で働くうち、過労のためにうつ病となる。
1年半のうつ病ニート時代を経て「ゆううつ部」(ブログ)を開設。
2011年にスカイライト社主催の「起業チャレンジ2011」で最優秀賞を獲得。
その賞金300万円で起業。仲間を集め、2012年1月にU2plusを公開。
新たな資金調達にも成功したが、まだ絶賛うつ病中。

「みんなでうつの予防&回復をする認知行動療法サイト」U2plus
ゆううつブログ
うつペディア - みんなで作るうつ情報wiki辞典
・ とうどうTwitterアカウント @toudou_U2plus
・ イラストレーター:ヨシムラマリ Twitter @coromegane
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