ゆううつ部部長のOB訪問 東藤泰宏 イラスト:ヨシムラマリ

第1回前編 33歳男性コンサルタント

 “コンサルティング業界”と聞くと、なんだか「お給料が高いけど、とにかく忙しい」というイメージがあります。お客さんであるいろいろな企業に行って、そこの社員と一緒に働く。そのあと猛烈に残業もして、タクシーで帰るという感じ。
 
 今回はコンサルタントをされていてうつ病になってしまった、昌弘さんにお話をうかがいます。昌弘さんは身長180cm以上、しっかりした顔立ちにあごひげを生やしていて、見るからに「できるビジネスパーソン」という印象。うつ病にはならなそうなちょい悪タフガイです(失礼)。過労が原因でうつ病になるパターンなのかと予想していましたが、それだけではなかったようです。

昌弘さん
昌弘さん
・年齢:33歳
・職業:コンサルタント
・うつ歴:約3年半
・身長:180cmちょっと
・「できるビジネスパーソン」風
・ちょい悪タフガイ
・新婚さん

※本連載ではプライバシーを守るため、名前はすべて仮名とさせていただいております。

どうやってうつ病になったか?

東藤:
昌弘さんはコンサルタントとして働かれていますよね。どういう風にうつ病になっていったんですか?
昌弘さん:
んー……もともと前職はシステムエンジニアで、企業向けのシステムを開発する仕事をしていました。それからコンサルティング会社に転職して、2年弱くらいは、それまで経験したこととあんまり変わらない仕事内容だったんです。
東藤:
企業の経営判断に関わるというよりも、システム開発をマネジメントするようなコンサルタントだったんですね。
昌弘さん:
はい。どっちかというとシステム寄りなコンサルティングです。当時結婚することを決めて色々とその準備をしているタイミングで、次の新しいプロジェクトに入りました。

 コンサルタント会社は、お客さんである企業からなにか依頼をうけると、何人かのコンサルタントでチームをつくってプロジェクト単位で仕事をします。1つのプロジェクトが終了すると、チームは解散。また新しいプロジェクトがはじまると、別のチームに入るのです。

東藤:
新しいプロジェクトでは、仕事の内容が大きく変わったんですか?
昌弘さん:
はい。お客さんの社内コミュニケーションの状況を調査して、対応策を導き出すというプロジェクトに入りました。それが今までやってた仕事とまったく毛色の違う仕事だったので、初めて「本当に違う業種に転職したんだ」という状況が生まれました。やることがめちゃくちゃ盛りだくさんだったので、当初の想定よりも、スケジュール的にもとってもキツくなりました。徹夜も当たり前、という感じです。
東藤:
そのプロジェクトでは、チームワークはどうでしたか?
昌弘さん:
はい。一応、マネージャーはついていて、2人というチーム構成でした。とはいえマネージャーはほとんど顔を出さないので、基本的に自分で何から何までやる状況でした。かつ初めての仕事なので、何をすればよいのか、どうすればよいのかわからない状況で……。

 昌弘さんは、一般的な企業でいう「今までとまったく関係のない部署に異動」か、もしくは「経験のない業界に転職」したのと同じような状況になったようです。だれでもストレスを抱えやすくなる環境ですね。かつ仕事の内容も今までよりずっと忙しそう……。さらに、孤独感も強くなっていくみたいです。

東藤:
コンサルタントの仕事でよくあるように、クライアントの会社に常駐して仕事をする感じだったんですか?
昌弘さん:
週2~3回のミーティングに行くぐらいで、基本的には自分の会社で色々やっていたんですけど、ほとんど1人での作業ですし、スケジュールがものすごく厳しかったので、社内でも孤独でした。2ヶ月の間は終電を逃して会社に泊まり込んだりとか、会社でも寝ないで朝まで仕事したりとか。夕飯も12時すぎにカップラーメンとかでした。
東藤:
それは精神的にも肉体的にもかなり厳しいですね。
昌弘さん:
そうした状況が、ずっと続いていました。月間400時間オーバーとか、それくらいの労働時間はいってましたね。まあそれだけだったら平気なんですけど。
東藤:
400時間オーバーで平気って!(苦笑)

 基本的には、労働基準法的には1週間で40時間を超える業務は認められていません。会社と約束すると「残業してもいい」となりますが、それでも月間で80時間以上の残業は、健康面でかなり危険があります。もし何かあったら、過労死と認められる可能性が高い水準です。昌弘さんが月間400時間働いていたとすると、残業は月に200時間以上という計算に……あわわ。これで平気と言えるのがすごいですが……さすがタフガイ。

昌弘さん:
労働時間だけみるとまだなんとかなるレベルなんですが、その状況で且つ上司から怒られる状況がありました。
東藤:
上司から「どうなってんだ!」「なぜできないんだ!」とか? プロジェクトの内容的にも厳しいシチュエーションの中で、人間関係にも問題があったんですね。
昌弘さん:
「全然できてないじゃないか!」と。ダメだしされ続け、どうすればいいのかわからず、一人で悶々としながら、朝を迎え……という日々を送っていました。

それで、ある日会社でカップラーメンを食べようとしたんですが、なぜかカップラーメンの作り方がわからないんです(笑)。そして気づいたら涙が出てきていました。「自分はどうなってしまったのだろう」と不安になりました。

 涙が自然とでてくる、というのはうつ病の症状のひとつです。環境の変化、忙しさ、つらいコミュニケーションが重なって、うつの兆候ができてたようです。ぼくも一時期はよく泣いていました。うつになったあとは、「職場で泣いてしまうんじゃないか」というのが怖くて、会社に行きたくないと思ったこともあります。

昌弘さん:
でもなんとか頑張らなきゃ、と思って、そのまま働きつづけていたら、ようやく上司にもフォローしてもらうような状況になりました。そしてプロジェクトのピークは越えました。もっと自分より下のメンバーがサポートでついてくれるようにもなりました。それで一段落するかな、というところで、結婚に向けた両家の顔合わせがありました。
東藤:
仕事以外のイベントが発生するんですね。
昌弘さん:
その食事会が終わったらまた仕事しようと思っていたんです。お昼に会食をして、顔合わせは滞りなく終わりました。一度家に帰って、徹夜明けだったので「仮眠しよう」と思って横になったんです。でも、いつもと違って眠れないんです。ぼくは「よく食べ、すぐ寝る」ことで有名だったんですが。体は疲れきっているのに、なぜかまったく寝ることができない。そうしているうちに、冷や汗がだらだらでてきました。

だんだん思考力も落ちてきて、ふとカップラーメンの作り方がわからなくなった時のことを思い出しました。そしたらまた涙がでてきたんです。すると様子をみていた母親が「明日は休むと会社に連絡して、すぐ病院に行きなさい」と。
東藤:
なるほど。もしかするとお母さんは、以前から昌弘さんの体調が悪そうだ、と見当をつけていたのかもしれないですね。
昌弘さん:
そして医師に、「睡眠障害と、うつ病です」という診断を受けました。医師に「とにかくまずは休まなきゃいけない」と言われたので、会社に「もう行けません、休職させて下さい」と連絡しました。

 プロジェクト自体のピークは超えたあとで、ずっと溜め込んできた疲れやストレスが、少し遅れたタイミングで現れたのかも知れません。この昌弘さんの体調に異常が出たときに、お母さんが病院に行くようにと後押しされたのはとてもよいことだったと思います。
「体がおかしいけど、まだ働けるから……」と無理をすると、
  うつの症状が悪化して
  →少しだけ休んでみて
  →またがんばって働いて
  →ますます悪化してようやく受診
というつらい経緯をたどったかもしれません。早めに受診することで休養をスタートできますし、症状が軽いうちにケアをはじめた方が回復しやすいのではないでしょうか。お母さん、素敵です。

東藤:
そこからは、どのくらい休職されたんですか?
昌弘さん:
2008年の3月に休職して、復職したのが9月なので約半年です。

うつがひどかったときはどうだったか

東藤:
うつ病がひどかった時というのは、どういった症状が現われていましたか?
昌弘さん:
うーん……何もできない。
東藤:
何もできない。ベットからも起き上がれない?
昌弘さん:
起き上がれないですね。常に38度の高熱にかかっている感じです。頭は動かないし、体もすごく重い。お風呂も入れなくて、なんとかトイレに行くだけですね。

昌弘さん:
あの頃は……あまり記憶がない。とにかく寝てたから、ただただ時間だけが過ぎていきました。当然、休みの間に友達とも会ってなかったし。何か気になるから情報を入れようと思いつつも、全然頭には入ってなかったです。だって新聞の文字が読めないんですよ(笑)。
東藤:
わかります! 文字を読むのに、とても苦労しました。テレビをみようとしても、大音量のノイズを聞いているようで耐えられない。家族の方とは、お話はしてたんでしょうか。日常の会話とかはしてました?
昌弘さん:
いや、寝てたからほとんどしてないです(笑)。日中は家族もみんな仕事で出かけちゃってたからひたすら寝てました。
東藤:
そのとき、考えたことはありましたか? 働けないことで、将来への不安が大きくなることはなかったでしょうか。
昌弘さん:
将来への不安というのは少なかったですね。幸いなことにうちの会社は復職プログラムというのがありました。休職が明けたあとも短い時間だけ出社して、社内の簡単な仕事をするというものです。「会社のプロジェクトが原因で病気になったんだから、ここは思いっきり甘えちゃおう」と思いました。そういう環境があったから、すぐに仕事が無くなるという心配がなかったっていうのは、ひとつ大きいかもしれないですね。
東藤:
それはいいですね。会社に復職プログラムがある、それを社員が知っているというのは大きいですね。うらやましいです。
昌弘さん:
社員をケアしようという気持ちのある会社なんだと思います。

 会社によってはうつ病で社員が働けなくなったとき、少しずつ職場復帰できるように「復職プログラム」を整備しているところもあります。とはいえ、そうでない企業の方が多いかもしれません。
 ぼくはうつ病になったときはIT系の会社で働いていました。労働時間がとても長くてプレッシャーもきつく、何人もの同僚がうつ病になりましたが、復職制度などは一切なかったですね!
 うつ病からの回復に関する本では、職場に復職プログラムがあるという前提で書かれていることが多いのですが、そんな体制が整っているのは、大企業や公務員だけじゃないのかなあと感じることが多いです。うつ病になっても残業してたなあ。(遠い目)

東藤:
ぼくの上司は「そもそも、うつ病というのは存在しないんだよ」と言っていました(笑)。
昌弘さん:
うーん。そういう会社もありますね。それでも、復職プログラム中も時間限定だったから、当然手取りは下がっちゃうし。そういう状況だったので給料は少ないし、大変は大変でしたけど。


    (回復に向かう後編に続きます。次回もお楽しみに!)

プロフィール

東藤泰宏(とうどう・やすひろ)
1981年生まれ。
IT業界で働くうち、過労のためにうつ病となる。
1年半のうつ病ニート時代を経て「ゆううつ部」(ブログ)を開設。
2011年にスカイライト社主催の「起業チャレンジ2011」で最優秀賞を獲得。
その賞金300万円で起業。仲間を集め、2012年1月にU2plusを公開。
新たな資金調達にも成功したが、まだ絶賛うつ病中。

「みんなでうつの予防&回復をする認知行動療法サイト」U2plus
ゆううつブログ
うつペディア - みんなで作るうつ情報wiki辞典
・ とうどうTwitterアカウント @toudou_U2plus
・ イラストレーター:ヨシムラマリ Twitter @coromegane
この連載を読んだ感想をぜひお寄せください。
OBにこんなことが訊きたい 自分の体験を話したい
などのご意見も募集中!
感想を送る
WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る