わが盲想 モハメド・オマル・アブディン

第4回 初めて日本を食べる ─後編─

 風呂から出ると、ぼくはダイニングに入ってお水をいただいた。

 「日本のお水っておいしいね」

 とすごく大ざっぱなステートメントをしたら、

 「お風呂あがりのお水だからおいしいのよ」

 荒木さんは的確な分析をしてくる。それはそうだろう。島根出身の荒木さんからすれば、東京の水なんかおいしいと思えるはずがない。

 「おやすみなさい。明日は何時に起きればいいですか?」

 あたかも何時でも起きる覚悟があるかのように真剣さをつくろった。

 「そうね。8時半までに降りてきてください」

 しまったな。たったの5時間後じゃないかと思ったが、もう遅い。余計なことを聞くんじゃなかった。「知らぬが仏」ってほんとうだね。

 ぼくは急いで二階に上がって、さらに二段ベッドのはしごをよじ登り、ベッドに飛び込んだ。毛布をかぶって、早く寝なくちゃと自分に言い聞かせた。
 しばらくすると、ぼくはとぼとぼと眠りに落ちていった。

 その夜、ぼくはいろいろな夢をみた。
 父が出てきて、すごく怒った顔で「君はぼくの反対を押し切って日本行きを決めたんだから、いまさら日本に帰りたくないといわれても」だとか、場面ががらりと変わって、志願兵として南スーダンの戦場で戦死した高校の同級生が出てきて、「ぼくはまだ死んでいないよ。今は反政府組織の人質になってるから、おやじに伝えてくれる?」とぼくに必死に頼み込んだりした。

 悪夢を見ている途中、木造の建物がきしむ音に何度も起こされた。「怖いな」と思いつつ、また眠りに落ちていく。そろそろ起きる時間かなと思ったころ、ぼくはこれまで体験したことのないような深い眠りに落ちた。

 気づけば、荒木さんがぼくの足元を静かにたたいて、「もう2時だよ」って、すこしとがめるような口調でいうのが聞こえた。ぼくは驚いて上半身を起こした。

 「ほんとうにごめんなさい。起きられませんでした」

 ぼくは罪を大筋で認めた。

 「時差ボケだから仕方がないけど、あと2時間で日が沈むよ。何か食べなくていいの?」

 そうだ、断食だった。食っては寝て、また起きては食ってってこういうことだね、ラッキーと思いつつ、「約束の時間に起きられなくてすまん」という顔をあわててつくってみた。

 「長い夜だったな」

 洗面所で顔を洗いつつ、声にならない声でつぶやく。

 (とうちゃん、まだ怒ってるかな?)

 (同級生はほんとうは戦死なんかしていないのかな)

 昨夜の悪夢を思い出しながら、顔をタオルの上に伏せてしばらくの間ぼーっとした。

 「よし、日本へ来た。ここまできては後戻りできない。ちょっとがんばってみるか」

 ぼくは悪夢の後味を振り払うようにして、鏡の中の自分に向かって話しかけた(見えないのにね)。

                              *

 顔を洗うと、ぼくはダイニングへ向かった。荒木さんはぼくのためにいろいろなものをつくってくれているようだった。

 このころの日没時間は4時台前半だったこともあり、荒木さんはおもしろい方法を思いついてくれた。まず、時間になったらスープなどといった温かいものを出してくれる。そして、6時ごろになったら荒木さんと一緒に夕食を食べるといった具合だ。ちなみに、ぼくが到着した時期はほかの留学生は一人もいなくて、食事はぼくと荒木さんの二人だけだった。寮生活を共に送ることになるほかの目の見えない留学生の話はあとにしよう。

 ダイニングの隣は事務室だったこともあり、理事長と山添さんという職員の声が聞こえてくる。電話も鳴りやまない。その都度、理事長はぼくの話をしているようだ。スーダンという言葉が出てくるたびに、「やっぱりぼくの話をしてるんだ」となんだか有名人になった気分だった。
 しばらくすると、理事長は引き戸を静かに開けて、皮肉っぽくいった。

 「おはようございます」

 ぼくは負けじと、威勢よく返した。

 「おはようございます!」

 「時差ボケ?」

 「時差ボケの意味はなんですか?」

 「Jet lag」

 「Jet lag ってなんの意味ですか?」

 英語で聞いても、ぼくにはわからなかった。
 それはそうだ。外人とはいえ、ぼくの母語は英語ではなく、アラビア語なのだ。しかも、日本と同じく中学校から英語を学ぶのだから、わからない語彙があったってしかたあるまい。まして「時差ボケ」という、特殊で、長旅でもしていないと絶対に使わないような単語に触れる機会なんてないに決まってる。

 その後、理事長は天才的な説明で、ぼくに時差ボケの意味を教えてくれた。ぼくはやっとあいさつができるレベルの日本語力なのに、時差ボケという実用性のない言葉を覚えるはめになった。だが、実はこの言葉を覚えたおかげで、ぼくは寮を出る4月までの間、おはようのあいさつ代わりぐらいに使っていた。

 理事長は、ダイニングテーブルを回ってぼくのところまできた。そして、いきなりぼくの額を指ではじいた。

 「いたいよ!」

 不意打ちに驚くぼくに、これは「でこぴん」だという。またいらん言葉を教えてくる。この理事長め。痛いじゃないか。
 でこぴんの痛みが消えないうち、理事長は本らしきものをぼくの前に置いた。そして、ページをぱらぱらめくって、「ここを読んで」とぼくの指を指示した箇所まで持っていった。

 「ごはんを食べてからでだいじょうぶですか」

 と聞いたら、また無防備なおでこに一発くらった。
 理事長は冷たく厳しくいった。

 「あなたはなんのために日本へ来ましたか。4月の盲学校入学まであと2か月半しかないし、受験まではあと1か月しかないんだぞ」

 「せんせい、“ぞ”の意味はなんですか」

 まじめに聞いたら、先生は大笑いしながらも、またでこぴんするのを忘れなかった。
 ぼくは仕方なく、いわれた通り点字の本を読もうと心がけた。ところが、それがたいへんな難題だった。一行を読むのに、およそ一分以上もかかってしまう。
 三行を読み終えたころ、理事長はいった。

 「このままだとだめだ。留学生はみんな日本語が上手で、点字を読むのが早いよ」

 理事長は続けた。

 「きみはまだ日本語を始めて一か月もたっていないからわからないが、ここまでの経過をみると、がんばれば早くのびるよ」

 そうフォローするのを忘れなかった。

 「日本へ来て、日本語のコミュニケーションの機会が増えるから、これからはすぐに慣れるよ。先輩たちもみんなそうだからね」

 理事長は重たい話を終えると、点字の本を自分の前に置いて、すらすら読み始めた。そのスピードはすごいものだった。そんなに早く点字を読む人は見たことがなかった。
 理事長は最後にこういった。

 「明日から勉強しよう。8時半までに準備をしておくように」

 「わかりました」

 ぼくは明日から始まる地獄のような特訓を予感した。

                                    *

 翌朝、ぼくは約束の8時半に遅れて、およそ9時30分くらいにダイニングに行った。理事長はぼくの足音を聞きつけて、事務室からダイニングに入ってきた。

 「遅い。日本で一番だめなのは遅刻だよ」

 ぼくはすかさず昨夜学んだ言葉を応用した。

 「すみません。時差ボケです」

 理事長はひっくり返りそうになり、

 「そうだそうだ。うまい使い方だね。感心するよ」

 と笑いが止まらないようだった。

 理事長はゆうべの点字本を再び持ってきて、ぼくに読めと指示をした。
 ぼくは読み上げ始めた。

 間違った箇所があれば、理事長はでこぴんしながら訂正した。理事長はテーブルのまわりをうろうろしながら聞いていたので、こちらに近づいてくるとすごく緊張して、「また間違ったのかな」って心配した。ほんとうに間違えていたときには、必ずでこぴんがおまけでつくのだった。ぼくはわからない言葉があればすぐに理事長に聞いた。理事長は、べつに日本語の先生というわけではないのに、説明の仕方がほんとうに上手だった。ぼくは楽しくなって我を忘れてしまい、2時間半ぶっつづけで教材を読み上げながら、理事長のわかりやすい説明を聞いた。読めば読むほど、速度が上がる。気づけば、12時をまわっていた。
 理事長はいった。

 「よし、ここまででいいよ。ぼくたちは食事をするので、君もすこし休んで。また午後から来てね」

 そうだ。ちょうどいい。お昼のお祈りの時間だ。ぼくはムスリムなので、一日五回お祈りをするのだ。
 一時過ぎから、ぼくはまたダイニングルームで、理事長による日本語の特訓を受けた。今度のレッスンは日没まで続いた。

 「もう食べていい時間帯だぞ」

 疲れ切った理事長はいった。

 次の日、理事長は顔を合わせるとこういった。

 「ぼくは仕事があるので、自分でまず本を読んで、わからないことがあったら聞きに来てください」

 その日から、朝の8時半にダイニングに降りては、日没まで日本語教材を読みまくった。ときどき、食事の支度で食堂にやってくる荒木さんにわからない言葉の意味を聞いたり、事務室に飛び込んで、理事長や事務局の山添さんに質問したりしてスタッフ全員を巻き込んだ。
 理事長やほかのスタッフも、朝の遅刻を除き、ぼくのやる気をほめてくれた。ほめられればほめられるほど勉強も楽しくなり、教材に出てくる例文を会話に応用しようとした。

 問題は、当初ぼくが使っていた教材は、日本企業の研修を受けに来日した東南アジアからの研修生向けのものだったことだ。例文のほとんどは研修センターや工場を舞台にしている。
 たとえば、「コマラさんは機械の組み立てが上手です」だとか、「備品の納入先にお礼の手紙を書く」とか、日常会話に持ち込むには無理がありそうな語彙ばかり並べられている。
 なんでやねん。

 それから、日本語の文法でときどき困ってしまうことがあった。まず困ったのが動詞の活用だ。
 なんで「あせる」は「あせります」となり、似たような言葉の「あげる」は「あげります」ではなく、「あげます」になるのか? 

 動詞の活用だけではない。形容詞の活用でも苦しんだ。外国人が形容詞の活用を習うときには、まず二つの形容詞があると教えられる。
 一つ目は「い」形容詞といい、例としては、楽しい、寒い、眠いなどがある。それに対して「な」形容詞たるものがあるそうだ。例としては、きれい、見事、ずさんなどがある。ちなみに日本の小中学校では、前者を「形容詞」、後者を「形容動詞」と教わるそうだ。
 ぼくはある日、理事長に形容詞の説明を受けて、出された事例を応用し始めた。

 「寒い、寒くなりました」

 「眠い、眠くなりました」

 「きれい、きれいになりました」

 ここまでは順調にきた。だが、その時「いっぱい」という言葉が脳裏をよぎった。ぼくはすかさず、

 「いっぱい、いっぱくなりました」

 まるで大発見したかのように得意げにいった。理事長も荒木さんも、そして、事務局の山添さんも大笑いした。

 「なんで笑うのですか」

 聞けば聞くほど三人の笑いは止まらなくなった。しばらくしてから理事長はいった。

 「いっぱいは、いっぱいになりました、といいます」

 ぼくは納得いかなかった。だって、あきらかに「い」で終わる形容詞なのに、なんで「な」形容詞扱いをするのか。ぼくはこの疑問で頭の中がいっぱいだった。

 二、三日、ぼくは「いっぱい」という単語について考え続けた。そして、これはどうやら「な」形容詞でもないと思い至った。だって、「きれいな人」だとか「静かな町」はありだが、「いっぱいなコップ」とはいわないだろう。それを理事長に伝えると、理事長は、「まいったな。いっぱいは別のカテゴリーの形容詞だ」という。そのときに何か専門的な説明をされたが、ぼくにはさっぱりわからなかった。だが、日本人を困らせるような事例に気づいたことが、ぼくにとってささやかな自慢になった。

 何年かたってから、ぼくは日本語学を専門にしている日本人の友人に、「いっぱい」について聞いてみた。そうしたら、相手がらくらくと、

 「これはね、第三形容詞と呼ばれることもあれば、辞書、特に大辞泉には名詞として記されているよ。“できたて”もこの部類にあたるね」

 と答えた。さすが日本語学をやっているだけあって、答えがスラスラ出てくるもんだって感心した。
 日本語のルールとにらめっこしながら、あっという間に二週間が過ぎていった。


プロフィール

モハメド・オマル・アブディン
1978年、スーダンの首都ハルツームに生まれる。
生まれた時から弱視で、12歳の時に視力を失う。19歳の時、視覚障害者を支援する団体の招きで来日、福井の盲学校で点字や鍼灸を学ぶ。その後、ふるさとスーダンの平和を築くための学問を学びたいとの痛切な思いから、日本の財団から奨学金を受け、東京外語大大学院で研究者となる。犠牲者200万人、2005年まで20年に及んだスーダンの内戦の歴史を検証しつつ、2011年の南部独立後のスーダンを見守り、祖国平和のために発言を続ける。ブラインドサッカーの選手としても活躍しており、たまハッサーズのストライカーとして日本選手権で優勝を3回経験している。
Twitterアカウント  @Abdinkun

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