ドリアン助川『あん』発売記念イベント「トーク×人生相談×朗読LIVE」(2013年2月26日 下北沢B&Bにて)

ドリアン助川『あん』発売記念イベント「トーク×人生相談×朗読LIVE」(2013年2月26日 下北沢B&Bにて)

(19時過ぎから約60名のお客様が続々と着席、開始時間の20時となりました)

今日はこんな格好(キャップにエプロン姿)で失礼します。午前1時半にどら焼きが焼き上がり、現場から駆けつけたということにしようと(笑)、こんな格好で来ました。

ボクは1994年に「叫ぶ詩人の会」でポニーキャニオンからデビューしました。翌年からニッポン放送のラジオの深夜番組でパーソナリティーを4年半やりました。スタート当初から、白血病の少女の悩み相談がきたりしてリスナーの反響が大きく、やがて全国放送になりました。ある時、番組のイベントで若い人たちのいろんな声を聞いたのですが、「大人になったら社会で役に立つ人間になりたい」、「人の役に立たなきゃ生きている意味がない」ということをみんなまじめな顔で連呼するんですね。感心する半面、ボクは「人の役に立つことが、生きる意味なんだろうか」と、そのことに何とも説明しがたい違和感を覚えていました。

ちょうどその頃、1996年のことですが、らい(ハンセン病)予防法が廃止されたというニュースが流れてきました。何十年も前に治療法が確立し、もはや隔離の必要などないことが世界の常識になっていたのに、日本では隔離を前提とする昔の法律がそのまま放置されていたのです。隔離された療養所のなかで、人生のほとんどを過ごした人たちがいる。ボクはその人たちの「生きる意味」にも思いを馳せました。

療養所には作家として本を書いていらっしゃる方もおられたので、作品を読もうとしました。でも、読み始めると心がやけどしたような感じになって、あまりに距離がありすぎて、2、3ページ読んでは閉じてしまう。そんなことを繰り返し、「これは自分が入っていける世界ではない」と断念してしまったんです。でも彼らのことを伝えたいという思いは、ずっとありました。

ボクは2000年の3月に深夜放送の番組をやめて、2002年の9月までニューヨークにいました。ですから、9・11のときにも、近くにいたのです。街がどのように変わっていったかを目撃しています。住んでいたのは不法移民が多く、少年がタバコをくれとせがんでくるような地域でしたが、9・11の後は星条旗が窓に貼られ、”GOD BLESS AMERICA”の文字が街にあふれていました。皆、臨戦状態のような感じで、いまこそ「祖国のために」「人のために」という高揚感が溢れていたのですが、ここでもボクは違和感を覚えました。「戦争」も「国のため」、「人のため」。東日本大震災の被害を甚大なものにしてしまった「原発」だって、「人の役に立つ」ものとして作られました。そういうことをひっくるめて、「人の役に立つ」という言葉を、いちど頭の中で、段ボールを分解するように丹念に解きほぐしていくと、本当に「人の役に立つこと」が我々の生まれてきた意味なのかという思いがますます強くなって、根本からの疑問に変わっていったんです。

今回の小説を書くにあたって、多磨全生園で取材させていただきました。ここは愛知県から関東までのハンセン病を発病された方の療養所なのです。ここで元患者さんのリーダー的な存在で歴史の生き字引きのような方にずっと違和感を抱いてきた「社会の役にたつ人間が立派な人」だという、一種の常識に対する割り切れなさをお伝えしました。「だったら療養所で隔離され続けた人たちはどうなるんだ?」「無意識のうちに信じている言葉の裏に本当は見過ごしてはいけないものが眠っているんじゃないか?」――そこを小説にしたいとお伝えしました。もちろん、ハンセン病の過去の隔離政策がもたらしてきたこと、元患者さんたちの無念極まりない苦闘の歴史など、そうした話も含めて、いろいろと伺うことができました。

戦争や原発は極端な例かもしれませんが、では、人の役にたたないトンボや蝶の羽があんなに奇麗なのはなぜなんだということも含めて、「人の役に立つ」とか「立たない」という次元ではないところで、我々は生まれてきたんじゃないか――。生命の根源に迫る、そういうことを深く考えていきたかったのです。

ところで、2007年から1年間やっていた、頑張っている人に応援歌をつくるというNHKの番組で、ピエロ姿になったことがあるんです。そのとき、ピエロに扮した自分を見て急に泣いてしまいました。高校のときに観たフェリーニの『道』という映画を思い出したのです。サーカスのピエロ風の綱渡り芸人が、障害があり自殺しようとする主人公の女性を励ますシーンがあるんですね。小さな石を差し出して、「この石は何のためにここにあるのか私たちはわからない。でも神様はここにある意味を知っているんだよ」という場面。自分がピエロの格好をしてみて、「ああ俺って、あの時の綱渡り芸人になりたかったんだ」とそう思ったのです。

それからライブや舞台ではピエロの格好をすることが多くなったんですけど、所沢の引きこもりの子どもたちを支援する団体から、ライブをやってほしいと依頼がありました。当日は引きこもりの子どもたちだけではなく、色々な障害のある人たちで会場が満杯になりました。そのライブが自分史上、最高のライブでした。「やっと俺のお客さんに会えた!」と思いました。ラブソングを歌っているときに自閉症の子どもが「ウーウーッ」ってステージに上がろうとするのを、親が背中を「ビシッ、ビシッ」と打つんですね。なんとも言えない雰囲気ではありますが、生涯忘れ得ないライブです。その時に多磨全生園からも、3人の快復者の方がいらしていました。その方々も含め、みなさんでCDを40枚ぐらい買ってくださいました。その3人の方とお話しするうちに「やっと巡り会えた」と思って、遊びにいっていいですかとお願いしたのです。そこからおつきあいが始まりました。3年がたち、ようやくこの本ができたのです。

小説の舞台をなぜ、どら焼き屋にしたのかをお話ししたいと思います。
長い間、ハンセン病の療養所は一般の社会から隔絶されていて、警察も消防も入ってこない、貨幣さえも使わせてもらえない場所だったんですね。「怖い病気」というイメージがなかなか拭い去れぬまま、96年に「らい予防法」が廃止されるまで、療養所は外部から遮断され続けてきました。ですから、所内はそこで完結したミニ国家のようなものにならざるを得なかったのです。入所するまえに理髪師だった人が髪を切り、学校の先生だった人は先生となり、芸者さんだった人は長唄と着付けを教えるといった具合に、なんでも自分たちでやらなくてはならなかった。そんな中で、「そういえば園にきたときに同部屋だった人が製菓部で、お菓子をつくっていたよ」というお話をうかがったのです。その瞬間にこの『あん』という物語がばぁーっとできてしまったんです。療養所の中で甘いものをつくり続け、ようやく世間に出てくることが可能になった老人と、人生の半ばでつまずいてしまった甘いもの屋の二人の出会い。ちぐはぐとした出会いですけれども、最後には何かが残るエンディングにしたいと思って書きすすめた物語です。

先程お話ししたNHKの番組をやっていた頃、ボクは急性甲状腺炎になってしまい、ドクターストップでお酒が飲めない時期がありました。飲めなくなると、それまで何のために世の中にあるのかわからない(笑)と思っていた、全く関心のなかった「あんこ」とか「クリーム」とか、甘い物への興味がわき始めたんですね。人間の心と甘いものには関係があるように思います。庶民が冷遇されてきたロシアにもめちゃめちゃ甘いものがあるし、フランスの王侯貴族の間にももちろんあります。甘いものの裏にどんな人間の悲喜こもごもの歴史があるんだろうと調べ始めると、ザッハトルテで裁判があったりと、さまざまな歴史があります。「甘いものについて書く作家もいいな」と思って、日本菓子専門学校の通信教育過程に入学しました。スクーリングがなかなか大変で、1年目はスポンジケーキから和菓子までつくる一般教養、2年目は洋菓子実習から衛生学まで、計180時間をこなし、無事、卒業しました。仲間の半分ぐらいはパティシェになりました。この経験がなければ、『あん』は書けなかったと思います。甘いものと療養所の製菓部のことが、ボクのなかでつながって、この『あん』という作品が生まれました。

ここで会場の皆様にどら焼きをお配りしたいのですが、実は作るのに昨晩5時間半かかってしまいました(笑)。どら焼き屋さんは平鍋という下から均等な火力であぶる鉄板を使うんです。その平鍋はまったくの1枚板の鉄板なので、人形焼きなどの焼き型があるものとは違い、1個、1個、同じサイズの正円で生地をつくるのは実はとっても大変です。ボクが焼いたのは家庭用のホットプレートなので、火が均等にというわけにはいきませんでしたけど(笑)。今回お持ちしたのは、皆さんがご存知の「どら焼き」とはちょっと形が違います。2枚の生地のあいだにあんを挟む今の形は、明治末期からのものなんですね。お配りするのは江戸末期のどら焼きの形です。「助惣(すけそう)焼き」という1枚生地のもので、1枚の生地を2つ折りにしてあんをはさんでいます。皮の合わせ目を少しずらすのが「粋」といわれていたようです。1個、1個にメッセージカードを入れさせていただいています。そんな事やってたんで時間がかかったというのもあるんですが…。どうぞお召し上がりください。

(この後、リアル人生相談で下北沢の夜はふけてゆく…)

この『あん』という小説は3年の間に11回書き直しています。生涯一度のテーマだと思ったからこそ格闘したんですが、その書き直した文章を今日ちょっとだけご披露するという事で「荼毘に付したい」と思います。

(ここでドリアンさんが、『あん』が完成するまでの、いくつかの幻の「ボツ原稿」を朗読し、作品ができるまでのたくさんの試行錯誤を紹介。最後に、完成版の『あん』から、「手紙」の一部を染み渡るような声で朗読)

『あん』は自分の中では、これまでのボクの代表作だと思っていますので、なるべく多くの方に読んでいただきたい本です。本日はお集りいただき誠にありがとうございました。

PROFILE

ドリアン助川(どりあん すけがわ)

1962年、東京都生まれ。詩人・作家・道化師。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。日本菓子専門学校通信教育課程卒。放送作家などを経て、1990年「叫ぶ詩人の会」を結成、詩の朗読とパンクロックを組み合わせたパフォーマンスが話題となる。1995年から2000年まで、全国ネットのラジオ深夜放送のパーソナリティーを務め、中高生を中心に人気を博す。明川哲也の筆名で『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』(文春文庫)、『花鯛』(文藝春秋)、『大幸運食堂』(PHP研究所)、『ゲーテのコトバ』(幻冬舎)など、ドリアン助川で『バカボンのパパと読む「老子」』(角川SSC新書)など著書多数。現在、朗読する道化師(アルルカン)として各地でライブ活動を展開、実践体験をもとに『朗読ダイエット』(左右社)も刊行した。

あん
あん
ドリアン助川/著
生きる気力を失いかけていた千太郎の店に、不思議な老女が「雇ってほしい」と
あらわれて――。このうえなく優しい魂の物語!
装画 木内達朗
装幀 緒方修一
ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。
皆さまのおたよりお待ちしております。
感想を送る
WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る