9月18日――それがポプラ新書の創刊日と決まった。
通常、新書は刊行順に番号をふられる。何号まで出るかわからないため、「1」「2」「3」と表記されるのが通例だ。だが、ポプラ新書は「001」「002」「003」というように3桁で表記されている。それは最低でも999冊まで出すという意気込みに他ならない。
創刊ラインアップが決定したことで、販売、宣伝など各部署が本格的に動きだした。社長補佐の奥村傅(63歳)は宣伝の分野から創刊を支える。
「広告は全国の各紙に全5段広告でうち、10月の初めには追い広告もうつ予定です。最近の新書は出版社ごとの特色がなくなりつつありますが、うちはポプラ新書としてファンがつくようなものにしていくつもりです」
販売局副局長の近藤隆史(49歳)も次のように語る。
「7作品あるということで、7種類のポップをつくって並べることにしました。一冊ずつポップのデザインを変えるのは費用対効果が低いのですが、創刊だからということで社長から許可が下りました。
この7点を並べてもらい、全国にいる販売担当者がケアします。うちには100名の担当者が各地域におり、書店と信頼関係を築いています。児童書や一般書籍で培ったそれらで創刊を盛り上げていきます」
時はすでに8月に入っていた。本は完成し、ポスターやカラーチラシなどが続々と刷り上がっていた。あとは、全社員が一致団結して、いかに創刊を盛り上げていくかという段階に差しかかっていた。
だが、最後の最後に、これまでの進行をすべてひっくり返すような出来事が起こる。
きっかけは8月19日から社長の坂井と新編集長の千美朝が全国の書店や取次を回ったことだった。創刊のラインナップを説明し、チラシやポスターを配り、今後の協力を頼んだのである。二人は行く先々で販売の最前線にいる人たちから新書のヒアリングする中で、次のような指摘を受けた。
・新書の読者は高齢者が多いため、若者に絞る戦略は失敗に終わる可能性が高い。
・書店で専用の棚を確保したければ、カバーデザインは統一した方がいい。
こうした意見は、これまでポプラ新書の方針としていた「若者のための新書」「他社の新書との差別化するために個別にカバーデザインを変える」ということと反する。
坂井は悩んだ。この時点で方針を変えるべきなのか。だが、すでにカバーデザインからチラシまですべてを用意してしまっており、変更をすれば膨大な損失を出す。
多くの場合、人はこういう状況に陥った時、損失を避ける選択をするだろう。しかし、坂井は違った。何としても新書を成功させたい。そのためには、今からでも新書のあり方を根本から変えるべきではないか。そう考えたのである。
坂井は出張から東京にもどると、千と木村をつれてその足で装幀家の鈴木成一の事務所へ直行した。そして、頭を下げて次のように頼んだ。
「方針を根本から変更することにしました。大変申し訳ないのですが、これまでつくっていただいたカバーデザインはすべて中止にし、新たに統一したデザインをつくっていたただきたいのです。時間はありません。どうかお願いいたします」
鈴木からすれば、多忙な中で原稿を読んで個別につくったデザインがすべて取りやめになるということは屈辱的な話だったはずだ。だが、彼はプロフェッショナルとして事情をくみ取ったのだろう、不平も漏らさずに答えた。
「わかりました。やってみます。週明けに何らかの形をお見せします」