志事人

志に会いに、行く。
仕事に誇りをもって、生き生きと輝いている人をみると、なんだかうれしい。メッセージを伝えたくて、仕事をしている人。好きなことをやっているうちに、それが仕事になった人。仕事をするのが楽しくて仕方ない人。その人たちの心の奥には、どんな思いがあるのだろう。これは、志をもって仕事をする人たちを紹介する企画です。

「体験していないことを書くのは難しい」と笑って話す柴崎さんの作品は、その真摯な姿勢に裏打ちされたリアルさに溢れ、読者の感情と静かに「つながって」いく。ごくあたりまえに繰り返されていく日常のワンシーン、恋人や友人たちとの会話、ある瞬間に出会った風景……ささやかだが、深くて温かいエピソードを丹念に描きだし、性別・世代を超えて確かな共感を得続けている、注目の作家へのインタビューです。

小説家 柴崎友香
#5
小説家 柴崎友香

1973年、大阪府生まれ。デビュー作である『きょうのできごと』(河出書房新社)は、妻夫木聡・田中麗奈主演、行定勲監督で映画化、話題となる。主な作品に『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』『青空感傷ツアー』『ショートカット』(いずれも河出書房新社)、『フルタイムライフ』(マガジンハウス)がある。小社より『いつか、僕らの途中で』が2月に、そして3月に河出書房新社から『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』が文庫化になったばかり。

田雜さんからの手紙を読むことで、
少しずつわかっていった


――2月に、小社から田雜芳一さんとの共著『いつか、僕らの途中で』が刊行されました。「40年前、自分が恋人と文通していた頃を思い出しました」「絵があまりにすばらしくて、書店で見かけて思わず買ってしまいました」「いつも手元においておきたい本です」「遠く離れた誰かに手紙を書いてみたくなりました」等々、たくさんのうれしい声をいただいております。

ありがとうございます。とてもうれしいです。

――『いつか~』は、小池書院さんで出版されている漫画雑誌・『河南文藝』(大阪芸術大学発行)の「漫画篇(現・大学漫画)」で、2004年から2005 年に全4回にわたって連載されたものに、加筆と再構成を加えたものになります。まず、この本が生まれたきっかけを教えてください。

『大阪芸術大学 大学漫画vol.4』

大阪芸術大学/発行・小池書院/発売
好評発売中

『いつか、~』単行本化にあたり、同書収録の柴崎さんによる書き下ろし短編1篇を田雜さんが6ページに漫画化。ちなみに柴崎さんは同誌に対談連載も。今回のお相手は漫画家・荒木飛呂彦さん。

もともと、『河南文藝』の編集をご担当されている小池書院の太田さんと知り合いで、太田さんから「漫画の原作を書いてみませんか?」というお話があったんです。私は漫画が大好きで、絵が描けたら漫画家になりたかったくらいなので、絵を描いてくださる方がいらっしゃるんだったら、ぜひやりたいなと思って。読み切りの形で『京都観光2024』という作品の原作をやらせていただいたんです。そのとき絵を描かれたのが、田雜さんなんですよ。そのお仕事がとてもおもしろかったので、「またなにかやりましょう」ということになって。今度は単純に「原作」と「絵」という分業ではなくて、なにか一緒に作っていくことができれば……ということでいろいろ話していくうちに、「往復書簡形式でやりとりをしながら作品をつくっていく」という企画が持ち上がっておもしろそうだな、と。その結果できたのが『いつか~』なんです。

――へえ、じゃあ『京都観光2024』が田雜さんとの初仕事だったんですね。田雜さんの絵を最初にご覧になったときの印象はどうでしたか。

田雜さんという人はおもしろくて、ずっと絵をやってた方ではないんですね。もともとは映像のほうをやっていて、大学を出てから絵を描き始めたらしいんですよ。

――そうなんですか。信じられないですね。

そう、「それにしては、こんなにうまいのはすごい」と(笑)。最初に2、3枚見せてもらったのが、すごくラフな感じだったんですね。それは「『きょうのできごと』を読んで何枚か描いてみました」というものを見せてもらったんです。その中に、車の中から見た風景のイラストがあって、車の窓外をライトが流れている感じがとてもきれいでよかったんです。「これはおもしろくなるんじゃないかな」と、そのとき思いました。

――田雜さんにとても失礼な言い方をすると、「この絵だったら大丈夫」みたいな感じですか?

そうですね。ふふ、冗談です(笑)。その後、実際に田雜さんと何度かやりとりをさせてもらったんですけど、その度に絵のタッチが違っているんですね。「次はこんな感じで描いてみました」という感じで、いろんなタッチの絵がくるんです。それがすごくおもしろくて。

――本当にタッチが全然違う絵を描かれますよね、田雜さんは。引き出しが多い。

そうですね。引き出しが多いし、どのタッチで描いてもうまいし。『いつか~』も、最終的にはあのタッチに落ち着いたんですけど、『河南文藝』で連載したときは、春篇・夏篇・秋篇・冬篇が全部違うタッチでしたから。私も毎回タッチが変わるとは思わずに書いていたので、イラストができあがって見せてもらうたびに「あ、今回はこんな感じなのか」みたいな感じで(笑)。でも、本当に楽しいお仕事でした。

――柴崎さんからすると、このような形で誰かと共同で執筆をするというのは初めてだったと思うのですが。

そうですね、とても新鮮でした。私は小説だけではなくて、映像とか音楽とかいろんなジャンルに興味があって、学生のときに映画を作ったりバンドを組んでいたりもしていたので(バンドは一回も練習せずでした。笑)、何人かで一緒にモノを作っていくというのも楽しそうでいいなあと、興味はずっとあったんですね。『きょうのできごと』の映画化のときも、何回も撮影を見にいったりして、「こんなに現場に来る原作者は初めてだ」って言われたんですけど(笑)、いろんな人が関わってだんだん作品ができあがっていく、そういうのもいいなあと思っていて。やっぱり、ひとりで書くということとはまた違う感覚でした。そういう点では、自分が想像していなかった方向に進んだりとか、逆に自分の思っている以上のことができたりとか、小説を書いていると「これは文章で表現するよりも、絵とか映像とかビジュアル媒体だったら、こういう表現ができるのにな」と思うことがよくあるので、それができたというのはとても面白かったですね。

――田雜さんとは、実際に手紙のやりとりをしながら作品を作っていかれたんですよね。田雜さんのイラストや手紙を見てから、次の展開や構成を考えたりしていたのですか?

そうですね、最初から次に書くことを決めていたというよりは、田雜さんの反応を見て、という感じでした。主人公の男の子のことも、田雜さんからの手紙を読むことで、少しずつわかっていったという感じなので(笑)。

――田雜さんは、とても勘のいい方だそうですね。

こちらがちょっといえばそれですぐに通じてしまいますね。女の子のほうのストーリーを私が考えて、それを田雜さんに手紙で送るんですけど、「ここのお寺に行ってこんな話をして」というのは、本当に簡単なシナリオ状態のものだったんですね。それでも「そうそう、その場所でそうしてるねん」というドンピシャの絵を描いてくれたりとか。

――とくにスゴいと思ったのが、京都の風景が描かれているシーンを見ると、京都に土地勘のある人はすぐに「ああ、あそこだ」とわかるんですよね。

それほど細かく描き込んでいるわけではないのに、とてもよくわかるんです。京都・三条のスターバックスを描いたシーンがあるじゃないですか、あそこも特に三条のスタバって指定したわけじゃないんですけど、実際にあがってきた絵を見ると、「三条のスターバックスのその席! そこをイメージしててん!」みたいな(笑)。

――へえ! すごいですね。以心伝心。

でも描かれていた飲み物がアイスだったので、「そこはホットにしてください」と言ったんですけど(笑)。

――ハハハハ。でもそれぐらい通じていたんですね。

あと、三条でタクシーに乗るというシーンがあるんですけど、この絵も、全然三条ってわかるものは何も描かれていないんですけど、知ってる人は絶対「あ、三条だ」ってわかるんですよね。「これはもう三条以外ありえない」という(笑)。自分がそこを歩いていた頃の記憶が鮮明に甦ってくるくらいに。

友だちと普通にしゃべっていたり、遊んでいたり、
というのを自然に書きたいなあと。


――普段、柴崎さんが小説を書く場合は、キャラクター設定や造形は自分で考えるわけですよね、男の子にしても女の子にしても。それが『いつか~』の場合は、男の子の人物造形は、すべて田雜さんが担当されたと。「私ならそうは書かないかも」ということはありませんでしたか?

それは正直ありました。でもそれが面白いというか、その部分と自分のやりたいと思っていることをどうすりあわせていくか、ということを考えるのがとても楽しかったですね。田雜さんはとても勘のいい方ですから、私の考えていることをきちんと汲み取っていただいたし、もともと私の性格上、頑固な部分は少ないので(笑)、それよりも他の人の考え方に触れるということを楽しみたいと思うほうが強かったですね。

――『いつか~』に出てくる女の子なんですが、これまで柴崎さんの作品に登場してきた女の子のキャラクターとは、少し違った感じに思えたのですが。

ああ、それは違いますね。やはりそれは田雜さんの思考が入っているからだと思います。私が普段書く女の子よりも女の子らしいというか、“男の子から見た女の子”の部分が強く出ているのだと思います。もちろん女の子の手紙は私が書いているんですが、田雜さんの手紙に「前はこうだったよね」と書いてあると、影響されるというか「ああ、そうなのかな」と(笑)。田雜さんの描く女の子の外見に影響されたというのもあります。こういう(外見の)女の子だったらこう書きそう、みたいな。エピローグで、女の子はジーンズを穿いてるんですけど、それまではずっとスカートを穿いてるんですよね。スカートにちゃんとサンダルみたいなのを履いてて。私が書く女の子は、そういう女の子らしい恰好をしないから(笑)。

――なるほど。田雜さんのイラストにも、女の子のキャラクターは影響されたんですね。

そうですね。自分だったらあんまりそういう女の子は書かないけど、実際、自分の身の回りにもそういう感じの女の子がいて「ああいう子って女の子らしくていいな」と思ってるんですけど、自分が書くとなかなかそうならないから、今回はそういう子が書けて面白かったです。

――今回の作品は「往復書簡」の形式をとっているので、いわゆる地の文がないスタイルですよね。書きづらくはなかったですか?

あまり説明っぽくならないように、という配慮はしました。説明っぽくなってもいけないけど、ある程度読者に状況は伝えなければいけないので、たとえば女の子が大学に通っていて、どういう勉強をしているかという情報は、男の子は当然知っているはずなので、その基本情報を出せないところで、どうやって状況を説明するか、という難しさはありましたね。

――「たらこもらってん」とか、日常会話のリアルさは、やっぱり柴崎さんだなあと思ってしまいます。

ありがとうございます。女の子が手紙を書いている、その前後の状況、友だちと普通にしゃべっていたり、遊んでいたり、というのを、自然に書きたいなあと思っていたので。結構食べ物の話ばっかりしてたりするんですけど(笑)、そういうのが好きなんですね。

――日常のシーンの積み重ね、会話のひとつひとつを丁寧にすくい、織り上げていくことで、かけがえのない物語になっていく。これって実はとても難しいことで、生半可な人が試みたとしても、それは物語として成立しないんですよね。私は柴崎さんの『次の町まで、きみはどんな歌を歌うの?』(河出書房新社)が大好きで、最近文庫化されたので単行本を持っているにもかかわらず、思わず購入してしまったのですが(笑)、あるカップルのドライブに友人の男性2人がむりやり同乗して、大阪から東京まで旅をする。ストーリーとしてはとてもシンプルなんですが、柴崎さんが書くと、そのシンプルなストーリーが、色彩の豊かな作品として成立してしまうんですよね。どうしてなんでしょう(笑)。

やはり普段からそういうことが気になるというか、もともと好きなんでしょうね。大きな出来事が起こる物語じゃなくて、「あれ、今のってどういうことなのかな」とか、そういうちょっとした場面を積み重ねることで、結果としてなにかひとつの物語が作れればいいなと思っているので、そういうふうにおっしゃっていただけるとうれしいです。たとえば友だちとしゃべっていても、いつも肝心なことはなかなか言えないんですよ、私。でも言えないから通じてないかというと、なんとなく通じていたりとか。かと思うと、きちんと言ったのに全然わかってない、という逆もあるんですけど(笑)。そういう通じてるのか通じてないのか、というわからなさ・曖昧さ加減が、すごく面白いなと思うんです。

――日常の中でそういう「なにげない言葉や仕草の中に潜む真理」のようなものを感じたりすることって、おそらくは誰にでもあるのだと思うのですが、その気づきが結実していかないというか、忘れてしまったり、流してしまう。柴崎さんはきちんとそうした気づきをすくい取っている。その気づき自体が本質的にもっている共通項に、読者は共感するのだと思います。

どうでもいいことを、なぜわざわざ作品にするのか、と思われる人もいると思うんですけど、普段でもそういうどうでもいいことって「言わないとなくなってしまう」と思うことがあって。たとえばテレビを見ていてちょっとおもしろいなと思うことがあったとしますよね。それを誰かに話すタイミングがなくて、そのまま時間が経ってしまったとしたら、その「ちょっとおもしろいと思った気持ち」はないことになってしまうのかな、と。私はそれがなかったことになるのはもったいないと思うんです。だからそれを書きたいと思う。『いつか~』の「きょうたらこもらってん」みたいな会話は、その日誰かに言うタイミングを失うと、3日ぐらい経ったら本当にどうでもよくなって忘れてしまうと思うんですよ。すると、「今日たらこもらってうれしかった」という私の気持ちはどこにいってしまうんだろうと。だからこそ、書いて残したいという気持ちがあるんでしょうね。

――小説に書ける・書けないの間にある線引きというのは、「再現できる力」なのではないかと思うのですが。

ひとつは、「ああ、いまの(瞬間)よかったな」と思ったときにその言葉だけではなくて、そのまわり全体の雰囲気が好きになるんですね。季節がいつで天気がこうで、まわりに誰がいて、こんな場所で、というすべてを含めていいなと思う。そういうふうに全体として覚えているから、わりと書けるのかなという気はしますね。

ジャン・コクトーの詩を読んだ瞬間、
世界が変わるくらいの衝撃を受けた


――柴崎さんは、いつぐらいから作家になりたいと思っていたんですか?

小学校のかなり早い段階でそう思っていました。ものごころがついてから、自分の中に一貫してあるのは「言葉が好き」ということなんですね。それがなぜなのかはわからないんですけど。もう何色が好き、走るのが好き、というくらいに「言葉が好き」というのが、私にとっては当たり前のように存在している気持ちなんですね。うちの父親が本がすごく好きな人で、私にたくさん本を買い与えてくれたんです。それでよく灰谷健次郎さんの本を買ってもらったんですけど、そのなかに子どもの書いた詩を載せた詩集があったんです。それがすごく好きだったんですね。当時私も同じくらいの年でしたから、「すごい、いいなあ」という気持ちを作文に書いて先生に出したり、感想文だけではなくて、自分もなにか書いてみたりとか。小学校四年生のときに、ジャン・コクトーの「シャボン玉」という詩が教科書に載っていて、

シャボン玉の中へは 庭は入れません まわりをくるくるまわっています

という、たった3行の詩だったんですけど、それを読んだ瞬間に、世界が変わるくらいの衝撃を受けたんです。私はあまり自由な発想をするタイプの子どもではなくて、わりと型にはまった考え方というか、知識先行型の子どもだったので(笑)、庭という、動くはずのないものが、シャボン玉の周りをくるくる回っているという、そういう世界の常識とか、価値観がひっくり返るようなことが、こんなに簡単な言葉でできるということに、本当に驚いて感動したんです。「これめっちゃすごいわ」と思って、本当にこの詩が好きになりました。なるべく単純な言葉で、カッコいいことがしたい、みんなに通じるようなことがしたいという気持ちは、それからずっと変わってないですね。


――今後はどういったものを書いていきたいですか?

大きな枠でいうと、ずっと思っているのは百年たっても読んで面白い小説を書きたいなということですね。私もけっこう昔の小説をふつうに読んだりしていて、夏目漱石が好きなんですけど、あまり古典という感じで読まないんですね。今面白いというのも大切なんですけど、今だけじゃなくて、時間がたっても、また全然知らない国の人が読んでも、ふつうに面白いのを書くというのが、ずっと大きな目標としてあります。ジャン・コクトーの詩を、フランスから遠く離れた日本の小学生が読んでも面白いと思う、そういうことを目指しているというか、そういうのができたらいいなと思ってるんですけど。『きょうのできごと』も、意外にというか、登場人物と同じ世代の人よりも、30歳をすぎた男の人から、「すごくよかった」って言われるんですよ。「自分が学生の頃を思い出した」とか、そういうふうに感じてもらえるのは、やっぱりうれしいですよね。田雜さんと最初にお仕事した作品『京都観光2024』は、設定が20年後の世界なんです。 20年後という近未来の話なんだけど、ぜんぜん今の時代と変わっていないという話なんですね。それは20年後にこの作品を読んでも楽しめるように、という気持ちがあったんです。『いつか~』も、携帯とか現代的なツールが多少は出てくるんですけど、そういうものがなければ、読む人によっては20年前の話としても、20年後の話としても通じるような物語だと思うんです。この企画を始めるときに、そういう書き方をしたいなと思ったので。手紙を書いたり、そこに季節感や身の回りのことを綴ったりするというのは、20年前も20年後も、それほど変わらないと思うんですよね。20年後に、書店さんでこの本を手にとった人が「これ、いつの本やろ」って思ってもらえるとうれしいですね。

――本当にそう思います。では最後に、柴崎さんにとって、「書く」というのはどういうことでしょうか?

どういうことでしょうね。自分でも、なんでこんなことをしているのかなと思うこともあるんですけど(笑)。「書く」というのは、自分にとってはふつうのことというか、生活していくうえでどうしても必要なこと、でしょうか。呼吸をするとか、ご飯を食べるとか、それと同じ感じだと思います。書きたいと思うことが思うように書けなくて苦労しているときは、「どうしよう」って思うんですけど、やめたいと思ったことはないんですよね。自分はこの先もずっとこれをやっていくしかないと思っているので。子どもの頃からずっと「私は作家になる」と思いこんで、その通りの人生なわけですし。それ以外は考えられないという感じです。

――いろんな時間、国、世代、そういう波長というか、枠を飛び越えて届く小説の書ける人というのが、とても少ないと思うんですよね。本当に限定的にハマるものを書ける人はいると思うんですけど。そうではない、全方位的に「届く」作品を、普遍性を獲得した小説を、これからもずっと書いていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

『いつか、僕らの途中で』

柴崎友香 田雜芳一 著
ポプラ社刊

「こんにちは、お元気ですか? そちらは、桜はどうですか?」 書いた手紙がまだ届いていない、空白の、でも幸せな時間に、相手が普通に暮らしている。京都と山梨、遠く離れて暮らすふたりの「往復書簡」ストーリー

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