志事人

志に会いに、行く。
仕事に誇りをもって、生き生きと輝いている人をみると、なんだかうれしい。メッセージを伝えたくて、仕事をしている人。好きなことをやっているうちに、それが仕事になった人。仕事をするのが楽しくて仕方ない人。その人たちの心の奥には、どんな思いがあるのだろう。これは、志をもって仕事をする人たちを紹介する企画です。

型染の作品発表、型染を用いた本の装丁と挿画、オペラ衣裳デザイン、絵本の執筆と挿絵、教会等建築の内装デザイン、ブロンズ製作・・・・・・幅広い技術と表現方法で個性溢れる活躍を続ける望月通陽さん。本の挿絵に染物を用いるという奇抜な発想が生まれてきた背景は? また、その独特の作風と表現方法による作品が、今日のような人気を博するまでの苦労とは? お話をうかがってきました。

美術家 望月通陽
#20
美術家 望月通陽(もちづき・みちあき)

染色、陶芸、ガラス絵、紙版画、リトグラフ、木彫、ブロンズなどの多様な手法で作品を発表。'80年のデビュー以来、日本各地で数々の個展を開催。特に染物を用いて本の装画、挿絵などを手がけた作品の数々が特徴的。『宮本輝全集』で'95年講談社出版文化賞ブックデザイン賞、画文集『道に降りた散歩家』で '01年ボローニア国際児童図書展賞次席を受賞。オペラの衣裳のデザインや、広島ルーテル教会をはじめとする建築デザイン等、その作風と表現方法は多岐に渡る。

伝統的な染物の世界では異端児でした

――望月さんは本の装画や挿絵、オペラ衣裳のデザインから、ブロンズや木彫や陶芸、版画など多岐に渡るお仕事を手がけておられます。本のお仕事では、最近はサン=テグジュペリの『ちいさな王子』やドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』 (光文社刊)などの古典を新訳で出すシリーズ、光文社古典新訳文庫の表紙の装画で望月さんの作品を身近に目にすることができますね。もともとのご専門は染物なわけですが、染色家というふうにお呼びしてよろしいのでしょうか?

自分としては染物屋とは言いきれないんです。

――本当に活動内容が広いですからね。

そういうことよりも、染物屋というには僕はあまりにも職人的な技術が足りないんですよ。染色のあらゆる技法の中、僕が学んで使っているのはほんの狭い部分なんです。だから、染物屋とは言えず、肩書きをどうしても書かなければならない時は困りに困って、「美術家」と名乗っています。アーティストというのもどうも面映いので。

――最初に染物を始められたのは高校を出て、染物屋さんのところに弟子入りなさった時だということですが。

はい。私の父が彫刻の職人だったので、跡を継ごうかと思っていたのですが、これからの時代はそれではやっていけないだろうと言われ、高校の昼休みに工芸指導所に行って、何か僕でできる仕事はありませんか、と聞いてみたんです。たまたま空きがあると紹介してもらえた染物屋さんをその日のうちに訪ねていって、今に至る、というところです。だから染物を始めたのは全くの偶然のようなものですね。

――それでは最初は職人さんとしての訓練を始められたわけですか?

そうですね。弟子入りしたのは正確に言うと染物屋というよりも、紺屋(こうや)といって、和服の反物や帯やのれんの布を染めるような伝統的な職人の家でしたから。

――最初からアーティストを目指していた、というわけではなく?

全くそうではありません。絵は好きでしたが、それでは食べていけないと思っていましたし、絵で身を立てるという発想はありませんでした。

――それじゃあ4年間、染色家の方のところで修行なさって、その間にそういう発想が生まれてきたのでしょうか?

4 年間の修行が終わった直後ですね。僕は伝統的な染めの職人の世界にはおさまりきらない異端児で、4年間自分勝手な勉強をしたのちにそこを出るわけですが、親方の意に反して辞めてしまったので、最後には、君はもう弟子でも何でもないと言われました。それから僕が自分で好きに仕事をやってみようとしているところに、京都で湯川書房という小さな出版社を運営している湯川成一という人が訪ねてきて、加藤周一さんの詩集の箱を染めてくれないかって言われたんです。 25歳の時でした。本は本当に好きでしたし、当時はとても貧乏で、いただける仕事は何でもしたいと思っていましたので、喜んで引き受けました。

「月のタンブリン」
望月通陽著『方舟に積むものは』(筑摩書房刊)に収録された型染作品。

――望月さんの作品の特徴となっているような人物や動物の像は、その頃からすでに描きはじめていらしたんですか?

いえ、その頃はああいった人物や動物の絵を染めるという発想は全くありませんでした。伝統的な染物の世界で用いられるのは絵ではなくて、図案なんです。いわゆる唐草などのパターン化された模様ですね。ところが本を作るとなるとそうではなくて、絵を描かなければならない。そこから初めて必死で絵の勉強を始めました。

――それでは染色の世界では、絵を染める、ということ自体が全く新しいことだったんですか?

そうです。人間国宝の芹沢けい介さんもその頃はまだ絵は染めていませんでした。工芸の世界では当時は絵を染めるのは軟弱なことだと考えられていたんです。その頃は民芸が全盛の時代でしたし、「用の美」という表現があるように、使われてこそ美しい、とされる時代でしたから、そこに絵や詩のような文学的な要素を入れることは受け容れられず、見向きもされませんでした。用途を持たないものは求められない世界だったんです。

――それはまた意外ですね。

意外と言っていただけると、それだけ時間が経ったんだなと実感します。初めて染物の展覧会をやった時に、額に入れた染めの作品を買ってくださったお客さんが、「これはどうやって洗濯したらいいんですか」っておっしゃったんです(笑)。水彩画や油絵を買って、どうやって洗濯をしたらいいかなんて誰も考えないですけどね。だからちょっと道が遠いな、と思ったものでした。

当時の画廊の志には驚きます

――そんなに新しい試みだったのであれば、アーティストとしてやっていくのに困難な時期などあったのでしょうか?

ええ、ありました。「ギャラリー椿」といって、僕が最初に個展を開き、今でもお付き合いをさせていただいている画廊が京橋にあるのですが、そこでお金を借りたこともありました。当時3年がかりである本を作っていて、必死で製作しているうちにお金が全くなくなってしまったんです。妻の目の前で100万円貸してください、と頼んで、本当は恥ずかしかったのですが、妻が帰り道に、ああいうお願い事をできたんだからあなたはもう大丈夫、この道でちゃんとやっていけます、って言ったのには驚きました(笑)。貧乏な作家の女房というのは強いものなのですね。

――でもそれは、作品を生み出すのに是非ともそのお金が必要だし、またそれがあれば必ず確かなものを生み出せるという信頼があったからこそですよね。

まあそうだと思います。それに応えることができる、という自信がないとやはり僕にもそういうお願い事はできませんしね。若くて無鉄砲でもあったのでしょうけど。でも若い作家のそんなお願いを受け容れてくれた画廊の志というものには、思い返すと驚きますし、今でも本当に感謝しています。

――若い芸術家を育てるそういう土壌がその時代はあったのでしょうね。

すでにある程度認知され、評価を得た人の作品を扱うというのが今の堅実な骨董屋や画廊のやり方なわけですが、無名の作家の作品を自分の目で見極めて、発掘し、育てていくというのが本来の画廊のあり方だという気がします。私が芸術活動を始めた80年代は、時代そのものがみんなで芸術や文学といったものに夢を託せた幸せな時代だったのでしょう。それと、現代はアーティストや表現者といわれる人があまりにも多く、ある種の飽和状態だと言えると思います。いくら見極める目を持っていたとしても、その混乱の中で選び出すのは極めて難しい。でもかつては選択肢が少ない中、選ぶ画廊と選ばれる作家の関係はずっと緊密だった。その間の緊張関係というのは、多分今の比ではなかったと思いますよ。若い作家志望者も発表するのが今ほど容易ではないから、本当に熱い志と目的意識をもって製作に向かっていたのでしょうね。

人間を観察するのに文学を読みました

――作家も熱い志と目的意識をもっていた、とおっしゃいましたが、そういったものが望月さんの中に芽生えたのはやはり湯川成一さんとお会いになってからですか?

そうですね。湯川さんが、初めて会ってたった30分後に、本を作らないか、と言ってくれたその一言が僕をここまで変えてくれました。もっとうぬぼれて言うと ――これは本当に大きなうぬぼれなのですが――その一言が染色というものを変えたんじゃないかと思います。湯川さんは、染物がのれんとか風呂敷といった実用のためのもの、という考えに縛られず、僕の染めたのれんを見て、それを一つの表現と考え、可能性を認めてくれたんですね。本を作らないか、と言われて、その発想のとてつもなさにはこちらが面食らいました。でも本の仕事は是非やりたかったので、先ほどもお話したようにそこから必死で絵の勉強を始めました。それまでは、道端の植物や動物園の動物をスケッチして、図案化する勉強ばかりしていましたから。

――図案化の指導は、染物の師匠がなさるものなんですか?

いえ、そういう指導は特にありませんでした。伝統的な染物の世界では、昔から日本に伝わる模様を使って布を作ってきたわけで、作者が自分でスケッチしたり、培ってきた思想を込めたりして自分の模様を作るという考えはなかったんです。その点、日本は本当に伝統を重んじる国なんですよね。でも新しい染めを作りたい、自分の模様を生み出したい。僕は当時そう思っていたので、自分で観察し、スケッチをして勉強するしかなかったんです。陶芸家の富本憲吉さんという方の「模様より模様を作るべからず」という言葉を20歳の頃に読んだのですが、それが僕にとって、伝統的な工芸としての染物から一歩抜け出る第一の転機でした。既存の模様を使うのではなくて、新しく生み出したいと必死でしたから、染物屋での修行時代はスケッチの対象となる植物を探して、毎日毎日たんぼを歩き回りました。

――先ほど、弟子入りしながら好き勝手な勉強をやっていた、とおっしゃったのはそういうわけですか。

そうです。その時は、唐草のような図案に代わる新しい模様を使って、着物などを作りたいという一心でしたので、必死で自分で勉強しましたし、まがりなりにも成果は得たと思いました。ところがそうやって伝統的な染めの世界において、独自の作品を創ろうと頑張っていた人間の前に湯川成一が現れて、それまでの努力がすっかりひっくり返るわけです。というのも、本となると、主役は人間でなければならない。でもそれまでは模様を作ろうと、田んぼで花ばかり、動物園でフラミンゴばかり見ていたわけですから。

――そうなんですか。望月さんの絵で最も印象的で、特徴的なのは人間の姿だと思いますが、それではそれから人間のスケッチを始められたわけですか?

いえ、人間のスケッチの練習を始めたわけではないんです。人間を知るために、一番助けになるのは文学作品だ、そう思ってとにかく本を読みました。しかも人間について最も豊富な知を与えてくれるのは聖書だったんです。創世記から始まり、いろいろな個性をもつ人間が生まれてきて、それらのいい面も悪い面もすべて描かれている。聖書というのは、エピソードの宝庫で、今の時代の文学の原型は全て聖書にあると思っています。それでまず湯川さんのもとで作ったのが『出エジプト記』。塚本邦雄さんが、一つの絵に二首ずつ短歌をつけてくれたんです。

「舟を送る人」
イタリアのチェルタルドに13世紀から残る領主の館・プレトリオ館で展示された型染作品。

――確かに望月さんは聖書の物語や、それを連想させるシーンをよく描いておられますが、キリスト教徒でいらっしゃるんですか?

いえ、そうではないんです。むしろキリスト文学者に近いかな。

――望月さんがよく描かれる人物にはふたつのタイプがあるかな、と思います。よりたくさん描いておられるのは、頭が小さく、手足の先も細くなっていて、体の真ん中辺りのみふんわりとふくらみをもつ、顔のない人物たち。あの姿が生まれてきたのはいつ頃なんですか?

湯川さんから本の依頼をいただいた時です。

――その時に早くもあの像が生み出されたんですね。

ええ。美術大学などに行ったのであれば当然石膏デッサンなどをして、人間の形を観察していたのでしょうけれども、僕はそうではなかったので、たどたどしく自分の体の記憶をたどって描いたんです。その時に出てきたのがあの姿ですね。

――文学作品の中に人間像を求める、ということは目で見た人間を描いているわけではないということなんでしょうか。

むしろ全く逆ですね。手とか足とか、腰のくびれとか、そういったものがどういう形をしていただろう、とは考えずに、人間の息とか、想いとか、そういうものはどういう形をしているのだろう。いつもそれを思い浮かべます。そして、自分にとって一番気持ちのいいラインをひく。それがああいうかたちになって現れてくるんです。

――望月さんのああいった人物たちには顔の表情がなく、動作もどちらかといえば静的です。何かを表現しようとしているというよりは、むしろ抑え、隠している、そして、それよってなぜか強くひきつけられる、という感じがします。

ありがとうございます。そう、発信するよりは、外からの力を受け止めたい。何かを投げる姿よりは、受け止める姿を、自ら声を発する姿よりは、鳥の声を聴く姿を描きたい。そういうふうに思っています。

――そうは言ってもやはり望月さんが描かれるあの人物たちが実はどういう表情をしているのかな、今この人はどういう気持ちなのかなって、どうしても気になる時はあるんですよね(笑)。


それは見てくださる方の解釈だと思っています。

――望月さんにはそれとは全く別のタイプの人物像がもう一つありますね。例えば光文社古典新訳文庫などで描かれたペン画の人物や動物たち。対照的に、こちらにはかわいらしい顔があって、非常に表情豊かなんですよね。

『ちいさな王子』
サン=テグジュペリ 著・野崎歓 訳
光文社刊

自分としては、こちらのペン画には一つか二つの表情しかなく、先ほどの顔のない人物たちの方にむしろいろんな表情を込めている気がします。だからそっちの方がむしろ、見てくださる方の数だけのたくさんの表情をもっているんじゃないかと思います。

――しかも見る時によって表情が違う。同じ人物が、幸せで満ち足りているから静かなのだと思えたり、動きもとれないような深い悲しみの中にいるように見えたりします。

ありがとうございます。自分で描いていながら、それはとても恐ろしいんです。最初に型染めの下絵を描いて、それを型紙にあてて彫るんですけど、その時点でいろんな表情が生まれて、できるだけ優しくしたくても、そうはならない時がある。そして染めあがるとまた更に違う表情が出てきたりする。もうお前には付き合いきれない、勝手にしろ、と絵に向かって言いたくなります(笑)。

――製作の過程においても受身なんですね。

そうですね。絵を創り出しているというよりは、僕が絵に引きずりまわされています。でもそれは幸せなことです。自分が絵に参加できる、ということなので。

日本の古典を作ることが未来につながるかもしれません

――まだ望月さんの作品を存じ上げなかった頃、ケニアの現代アートで、形のはっきりしない、顔のない人物が3人手をつないで輪になっている置物を気に入って買ったのですが、後に望月さんの「円」という作品を知り、その共通性に驚いたことがありました。

そうですか。それは嬉しいな。実際、僕も古代の作品や、アフリカのアートなどを見ると、自分の作品を見ているような気がすることがあるんです。

「日時計」
ブロンズ作品。

――文明以前の、あるいは現代のアジア・アフリカの土の匂いが漂ってくるようなものが望月さんの作品には多いように思います。にもかかわらず、テーマとされているのは、キリスト教文化やギリシア文化、あるいは中世ヨーロッパ辺りが中心ですね。

そうですね。若い頃は日本の文化を踏み台にはしましたが、あまりに身近すぎるように感じていて、やはり遠いヨーロッパが新鮮に思えていたんでしょうね。でも、どの時代、どこの世界も、つくづく同じだな、ということが分かってきました。だったらそんなに翻訳の必要のない日本の古典というものに近づきたい、またそうすることによってむしろ未来につながって行くんじゃないか。そう思い始めました。

――では、今からはもっと日本のものを作られる予定なんですか?

もちろんです。日本の古い工芸なども手がけはじめていますし、いまは『御伽噺』や『雨月物語』など、非常に興味をもって読んでいます。

――それはまた楽しみです。4月には望月さんが衣裳をデザインなさった古典オペラ『オルフェーオ』の公演がありましたが、また同じ作品の衣裳を11月に手がけられますね。衣裳デザインはこれ以外にも時折なさっているんですか?

笠井賢一さんが演出なさるオペラではだいたい衣裳を担当しています。狭い範囲ですが。かなりむきになってデザインしていますよ。演出まで、俺にやらせろ、などと思いながら(笑)。

――他には教会建築など、建築デザインにもいくつか携わっておられますね。

「フランドル」
岐阜県不破郡垂井にあるカフェフランドルのドアノブとして創られたブロンズ作品。

広島にあるルーテル教会なんですが、僕が彫刻について何も知らない頃に依頼があり、初めてブロンズも作りました。だからずっと冷や汗でした。今度はその隣にあるマンションにも同じような彫刻を欲しいと言ってくださって、木彫で2メートルの作品を作りました。それに、まだ構想段階ですが、もう一つ教会建築の依頼をいただいていて、やらせていただきたいと思っています。

――彫刻や版画などは、染物と全く違う技術を必要とされるんじゃないかと思いますが、それは改めて勉強なさったんですか?

勉強というよりも、その仕事場にいくとみんな教えてくれるんです。どんな仕事も精神的な面では全く変わらないですし。ただ、新しく技術を覚えるというのはこの上ない喜びです。分からないことばかりで途方にくれたり、つい高いお金でいい材料を買っちゃったりして、これでちゃんとやっていけるのかなと悩んだり、毎日そういう心配ばかりで大変ですけど。

――また近々個展をなさるとのことですが、これはどういった展覧会ですか?


伊賀上野でブロンズと染と版画の個展をやり、東京では6月に京橋の「ギャラリー椿」で個展を開きます。

――今後の作品が楽しみです。最後になりますが、望月さんにとって「染め」って何ですか?

いろんな人と結ばれることを可能にしてくれる自分の言葉かな。「染め」をやるから皆とつながり合える。とても幸せなことだと思っています。

――今日は本当にありがとうございました。

個展案内
望月通陽 展
2007年4月28日(土)~5月20日(日)
開館時間:11:00~17:30
会期中休館日:火曜日
場所:gallery yamahon/cafe noka
   〒518-1325 三重県伊賀市丸林1650
TEL:0595-44-1911
※詳しくはgallery yamahonのサイトをご覧ください。

望月通陽 展
2007年5月16日(土)~6月29日(金)
開館時間:11:00~18:30
会期中休館日:日曜日 
場所:ギャラリー椿
〒104-0031 東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F 
TEL:03-3281-7808
※詳しくはギャラリー椿のサイトをご覧ください。
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