志事人

志に会いに、行く。
仕事に誇りをもって、生き生きと輝いている人をみると、なんだかうれしい。メッセージを伝えたくて、仕事をしている人。好きなことをやっているうちに、それが仕事になった人。仕事をするのが楽しくて仕方ない人。その人たちの心の奥には、どんな思いがあるのだろう。これは、志をもって仕事をする人たちを紹介する企画です。

透明な音色と、魅力溢れる人格で全国各地にファンクラブをもつピアニスト舘野泉。ウィットと味わいに富むエッセイや、フィンランドの自然を写した写真など、音楽以外にも数々の表現方法をもつ舘野さんを、脳溢血で右手の自由を失ってなお音楽へと駆り立てるものは何なのか。お話をうかがいました。

ピアニスト 舘野泉
#17
ピアニスト 舘野泉(たての・いずみ)

1936年東京生まれ。60年東京芸術大学首席卒業。64年よりフィンランド在住。81年以降はフィンランド政府の終身芸術家給与を得て演奏活動に専念。世界各地で3000回以上の演奏会をこなし、リリースされたCDは100枚にのぼる。人間味溢れ、豊かな叙情性をたたえる演奏は、世界の幅広い層の聴衆から熱い支持を得ている。またエッセイ集や、フィンランドの自然を収めた写真など、多彩な表現方法でファンを魅了する。2002年に演奏会で脳溢血により倒れ、右半身不随となりながらも、2004年に左手のみによる演奏で復帰を果たして大きな感動を呼び、その後、氏のために多くの作品が作曲され、同時にCD化・楽譜出版(音楽之友社)されている。著書には、エッセイ集「ひまわりの海」(求龍堂刊)がある。

左手だけでも音楽に不足はない

―――舘野さんは、フィンランドの音楽を日本に紹介なさったり、クラシックの音楽家としては日本で初めての大きなファンクラブが作られたりと、昔からとても注目されてきたピアニストでしたが、2002年に脳溢血で倒れられて2年後に復帰なさってからは、左手で演奏するピアニストとしてまた新たに多くの感動を与えてこられました。さらに今回出されたCD『アイノラ抒情曲集』では、復帰後はじめて演奏に右手をお使いになったそうですね。何か今までと違った感慨はありましたか?

それは特にないんです。病気で倒れてから5年半近く経つわけですが、ずっと右手は動かないし、コントロールが利かず自分の意志と関係ないところに行ってしまうので、ピアノを弾くうえでは全然使い物にならなかった。だから右手を使うつもりはなかったんですね。倒れても、必ず復帰したいと思っていたし、復帰するのならば両手で演奏するというのを当たり前のように考えていました。もちろん左手だけで演奏する曲がいくつかあるということは以前から知っていたし、レパートリーにも入れて演奏会で弾いていましたが、でも左手だけで演奏活動を続けるという考えは頭に浮かびもしませんでした。右手が動かないならラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲があるからあれを弾けばいいんだよ、とみんなが慰め顔に言ってくれるのがむしろ癪にさわって、左手だけの曲なんて死んでも弾くものか、と思っていました。

―――それでも演奏活動をやめるという選択肢はお考えにならなかったんですね。

脳溢血という病気のことをあまり知らなかったというのもありますが、でも引退するという発想がまったくなかったし、事態が呑み込めてきた頃も、絶対に音楽をやめる気はありませんでした。2年間ずっと左手だけで演奏するということも拒否してきたわけですが、そんな時アメリカに留学していた息子がお土産にブリッジという人の左手のための作品『三つのインプロヴィゼーション』をもってきてくれたんです。それを弾いたとたんに、それまで2年近く音楽ができなかったのが、あっ、これでできるんだ、と思いました。実際に左手だけでも、両手で演奏するのと音楽には全然変わりない。一般には、両方の手で演奏していたのが一つになるんだったら、半分のことしかできないんじゃないかと思われたりしていたわけです。僕自身は左手のための曲を前から弾いたこともあったから、そんなに不自由なものだとは思っていなかったものの、曲の数は少ないだろうと思っていたんですね。それでも息子が持ってきた楽譜を弾いたとたんにそれが変わった。

―――ブリッジのその曲に、何か特別のものがあったんですか?

そういうわけではないんです。結局左手1本で演奏しようが、2本で弾こうが、あるいは3本で弾こうが、音楽をやることには変わりないんだということに突然はっと気がついたんです。音楽でメッセージを伝えることは左手だけでも実際に可能なんだと。もちろん可能だということは前から知っていたけれども、やっぱり片腕が動かなくなった時に、どうしても両手に戻りたいという気持ちがあったから、それにこだわっていたというか、それ以外の考えがなかった。だから、左手で音楽を伝える世界というのには全然そっぽをむいていたんです。実際にやってみて、音楽をやっているじゃないか、自分はこれで不足ない。そう思えるようになるためには2年の時間というものが必要だったんだと思います。

『アイノラ抒情曲集――吉松隆の風景』
ピアノ:館野泉、平原あゆみ
作曲・編曲:吉松隆
発売・販売元:エイベックス・マーケティング株式会社

―――実際、そうと知らされなければ、左手だけで演奏されているとは全然分らないんですよね。本当に1本の手でこういうことが可能なのだろうかと思ってしまいます。

ピアノは2本の手で弾くものだというのが200年ぐらいの間に固定観念になってしまっていますからね。でも考えてみたら手が3本あれば3本で弾くんでしょうしね(笑)。確かに両手と片手とでは、同じ音楽を表すといっても、通り道はちょっと違います。例えば離れた域の音というのは、鍵盤も大きく離れるので、体をねじるような運動も必要だし、両手であれば同時に弾く音を、片手だと分けて弾くということがどうしても必要になってくる。難しさという意味では、左手だけだと単純になるかのように素人は考えたりするけれども、そうじゃなくて、逆に難しくなりますね。両腕で弾いていたことを、左手だけでやらなきゃいけないわけですから。体のひねりは大きくなるし、絶えず片手だけで動いているから、休みをとるところがない。でもそれも解決できない問題ではないし、実際に弾いてみれば、音楽的な面では同じなんです。

―――左手だけで弾くと聴くと、一瞬旋律が一つなのかなと思ってしまうんですけれども、でもそうではなくて片手で旋律と伴奏を弾くわけなんですよね。ただ、音がにごらないまま一つの旋律が響いている状態で、そこに別の旋律が入ってくるのは、当然ペダルは使っていても、指をその最初の旋律の鍵盤に乗せたままだからこそできることなのではないかと、素人感覚では思ってしまうのですが、そこが不思議な気がします。

口で説明するのは難しいのですが、それにはやはり技術があるんです。ピアノの真ん中のペダルは一般にはあまり知られてはいないかもしれないけれど、それを使うと一つの音がずっと鳴っていても、他の音が混ざらないんです。それと右のペダルを組み合わせると、まるで右手と左手でそれぞれ旋律を弾いているかのような和音も可能になるんですよ(笑)。

――その真ん中のペダルはそれ以前から普通に使っておられたんですか?

はい。使う頻度は高くなりましたし、切り替えるタイミングなども少し違いますねけどね。でもペダルは頭で考えて操作するのではなく、鳴っている音を聴きながら本能的に使っているんですけどね。そうやって2つの旋律も弾くわけですが、左手っていうのは伴奏部分を弾くんでしょ、どうして伴奏だけで音楽ができるんですか、っていうような奇妙な質問をする人も時々いるらしいです。僕に直接はそういう質問はしないけれどもね(笑)。

―――でも今回のコンサートやCDでまた右手も使われたら、やはり昔に戻ってきたな、というような感覚はありますか?

そうですね。音楽的なことで不足があるから、右手を使うとかいうことではないのですが、でも自分の失われた機能が少しでも戻ってくるということはやはり嬉しいことです。去年4年半ぶりに初めて右手を使ってみると、ちょっとはぐらぐらするけれども、簡単なメロディーが弾けたんです。左手のみで演奏するほうがきれいな部分もあるんですが、でも使えるようなら少しでも使っていって、だんだん回復させたいという気持ちは当然あります。とはいえ右手を使うことを熱望するとかいうことはなく、やってみてできたから、もう少しためしてみようかな、という程度です。一度壊れてしまった神経というのはやっぱり元のようには戻らないと思います。でもいざ音楽を始めると、手が何本だろうと関係ない。それでちゃんと前と同じように音楽は弾けるわけだし、不足はないですね。

いい音楽家は生まれた時から自分の音をもつ

―――舘野さんは音楽一家でお育ちになったとのことですが、本当に小さい頃から気づけば自然に弾いていた、という感じなんでしょうか?

そうですね。父がチェリストで、母がピアニスト、僕の下の兄弟3人もみんな音楽家になりました。そのほかに週に100人ぐらいの生徒が来ていたので、朝から晩まで音楽が鳴っている家でした。とはいえずっとアプライトピアノしかなくて、中古で初めてグランドピアノを買ってもらったのは高校2年の頃でしたけどね。狭い家で、今から30年前に2階が増築されるまでは平屋で3部屋しかなかったんです。そこにアプライトピアノが2台。4人兄弟みんなが音楽家に進む道を選んだけれども、そのうえ生徒が週に100人という状況で、どうやって練習したんだろうと、とても不思議ですよね。冷房がなくても締め切って練習するというぐらいの気は周りに対して遣いましたけど、その時代は文句を言う人たちはいませんでした。今から考えれば一つの奇跡じゃないかという気がします。
兄弟4人とも最初はピアノを教えられて、僕はもともとピアノが好きだったのか、どんどんうまくなったらしいのですが、ヴァイオリニストの妹や、チェリストの弟は、子どもの頃は2~3年ピアノをやっても全然進歩しなかったので、楽器を持ち替えさせたんだそうです。上にいるのがどんどん弾けるようになったら、やはりプレッシャーはあったでしょうね。毎年1回、父の生徒の発表会があったのですが、弟なんか3年間続けて同じ曲を弾いて、あれ、英司ちゃんまたシューマンの『楽しき農夫』を弾いてるよ、って言われたそうです(笑)。でも楽器をかえて、プレッシャーから解放されたらどんどんうまくなって、それぞれの楽器でプロになりました。


―――そんな中、舘野さんのピアノの腕はどんどんあがっていったわけですね。

僕自身はピアノを弾けるのは当然のことだという感覚でした。1日に何時間練習しなさいとか強制された記憶もありませんし、みんなが段階を踏んでやる厳しい練習曲のようなものもせず、曲を弾くことから入りました。

―――技術的な面でも自然とすくすく育っていったという感じだったんですね。技巧的な面で、いまこの点を磨かなければ、というので苦労なさったことも特になく?

それはありましたね、やっぱり。芸大を出てからもかなり長い間、スケール〔音階練習〕を弾くのにはずっとコンプレックスを持っていたんです。それでもうんと弾いてスケールに熟達しようという気持ちもなかったんだけどね(笑)。ピアノを弾いていれば他に面白いことがたくさんあるので、そんなことはまた忘れちゃうんですよ。

―――そういうふうに、まるで字を覚えるごとくにピアノが弾けるようになったのでしたら、ある時、音楽に目覚めた、というような瞬間は逆に言えばなかったわけですか?

いわゆる目覚めたというような体験はなかったかもしれない。でもやっぱり好きなことだから、いつでも何か見つけるものがあり、新しいことがどんどんできてくるので、そういう意味では、発見したり、目覚めたりすることは一瞬一瞬あるんじゃないかな。ただ、よく記憶しているのは、慶応高校の2年ぐらいの頃から、かなり辛い思いをした時期がありました。

―――音楽に関係してですか?

そう。小学5年の時からその頃までずっと豊増昇さん〔数々の日本を代表するピアニストを育てた名教師〕に師事していたのですが、その先生のところでやっていることに自分で疑問を感じることも多く、もうちょっといろいろな面で技術を発展させられないかと思ったりしましたし、高校の音楽以外の勉強と両立させるのに苦しんだ時期もありました。やっぱり一日最低でも4時間はピアノを弾いていたいしね。でも親はそれを分ってくれないし、だんだん行き詰ってしまって、手ががちがちで動かなくなっちゃったんですよね。それで、これは大変だと思ったけど、でも救いは何もない。豊増先生のところでは、もう先に進めないという気持ちでした。その頃、豊増先生がドイツにあるバッハコンクールに審査員として招待されて、一年間ドイツで生活することになり、レオニード・コハンスキー〔豊増氏と並び、多くの名ピアニストを指導した教育者〕という人のところに僕は預けられたんです。そこで、それまでとは全然違う世界がある、今まで接していた音楽に比べて、こんなに豊かに色というか、訴えるものがある音楽があったんだというのが分ったんです。力を入れずに体を楽にして弾くというのは、一番基本のことなんですけど、それをきちんと教えられたし、僕のほうも本当に藁にもすがる思いで、食いつくように習いました。自分の命が甦ってきた、という感覚で、それが嬉しくて嬉しくて。だからそれを目覚めと言うことはできますね。この体験は大きな節目になりました。自分が音楽を続けているうえでの本当の恩人はいまだにコハンスキー先生だと思っています。

―――舘野さんの音楽の特徴は、一言でいうなら透明感、澄んだ音だといわれますが、ではそれはその時代に磨かれたものなんでしょうか?

いや、いい演奏家というのは生まれた時から自分の音を持っているんだと思います。たくさんの人が、僕が北欧に行ったから、北欧で長く生活したから、そういう音になったんだと言うけれど、自分では関係ないと思っています。フィンランドとか北欧とか、そこの静けさや透明感といったイメージが自分にはいつもついてまわるようなんだけれども、本当はそんなこともないんです。ハチャトリアンのピアノ協奏曲と言って、40分ぐらいかかる、すごく脂ぎった豪快な重量感のある曲があるのですが、それが一番好きな協奏曲で、当たり芸なんです(笑)。ハチャトリアンの故郷のアルメニアに呼ばれてアルメニア・フィルとも演奏しましたし、日本を含め、いろんなところで好んで何十回も弾きました。また、それに対する賞賛も多くいただきました。それは本当に力の溢れた、豪壮な曲なんだけれども、でもそういうものも自分の持ち味だと思っています。

―――確かに舘野さんがお書きになるエッセイも、いわゆる澄んだ音とかいうイメージとは違う部分も多く、ものすごくユーモア溢れる内容で、改めていろんな面をお持ちだなと感じさせられます。

『ひまわりの海』
館野泉 著 求龍堂

音楽をしない生活は自分の気持ちになじまない

―――舘野さんはもう40年以上もフィンランドにお住まいで、フィンランドの音楽を日本に数多く紹介なさったことでも有名なわけですが、どうして北欧を選ばれたんですか?

うんと若いころに北欧に憧れていたんです。ラーゲルレーヴ〔1858~1940年。『ニルスの不思議な旅』で有名なフィンランドの作家〕、デンマークのブリクセン〔1885~1962年。『愛と悲しみの果て』の原作で有名なデンマークの作家〕や、ヤコブセン〔1847~1885年。デンマークの作家〕だとか、それからフィンランドのシッランパー〔1888~1964年。フィンランドのノーベル賞作家〕とかカレワラ〔フィンランドの民族抒情詩〕などを中学、高校ぐらいからずっと読んで、北欧にどっぷりと入り込んでいました。でもその当時、留学先に北欧を選ぶ人などいなかったので、みんなに不思議がられましたし、反対もされました。あんなところに行っても何もないぞ、と言われ、何もないからこそ行くんだよと答えて、ちょっとおかしいんじゃないかと首を傾げられたものです。その頃はそんな漠然とした憧れでしたが、北欧で発見した自分というものもありますし、いろいろなことをできるのは面白いですね。

―――脳溢血で倒れられた時に、執筆や教えることに専念すればいいと言われて不愉快な思いをなさったとのことでした。実際、舘野さんは文学にも造詣が深く、執筆や写真といういろいろな表現手段をお持ちです。あれだけの文章力があれば、ひょっとすればそちらでも満たされるのかもしれない、と思ってしまう周りの人の気持ちもよく分りますが、でもやはり言葉でも映像でもなく、音楽は特別なんですね。

それは比べ物にならないですよ。音楽をする喜びは他の表現手段には代えがたい。それ以外にはないですね。もちろん言葉も面白いし、文学は大好きです。たとえば「音楽と物語の世界」といって、僕のピアノと岸田今日子さんの朗読を合わせたステージなど、岸田今日子さんとは長く一緒に仕事をしましたしね。
病気で倒れた時に家内が、これであなたは私のところにいてくれるのね、って言ったんです。何でもしてあげるからと言われ、暖かい気持ちに支えられて、仕事もしないで悠々と生活できる身分になったわけだけれども、でもそれはやっぱり自分の気持ちになじまないことでした。それで、復帰したらまた出歩くようになっちゃった(笑)。

―――きっと演奏をなさっているのが本来のお姿なんですね。2004年5月に復帰コンサートをなさり、その時のパンフレットに「新たな旅へ」という言葉を入れてもらったとのことですが、それから3年の時が経ちました。まだ振り返って語る時期ではないのだと思いますが、現時点から見て、どういう旅だったとお思いですか?

自分では何か計画があって、それに沿って動いていくというようなことをあまり考えたことはないんです。こういうことをしたいな、と思ってやっていると、それがまた自然と次のやりたいことを生んでくれる。この演奏家とか、作曲家と一緒に仕事をしたいとか。そうやってどんどん世界が広がる一方です。そういう自然な発展のなかで、復帰してからも結局それ以前と同じようなことをしています。ただ、倒れたあと、左手のための作品を充実させることを目的とした「館野泉左手の文庫(募金)」という活動を始めました。これはやはり以前にはなかった活動ですね。それから、今年の末には吉松隆さんが作曲される左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」をドレスデン歌劇場室内管弦楽団と世界初演します。これは、日本初の左手のためのピアノ協奏曲になるんですよ。また、来年は「舘野泉 左手の文庫」で委嘱した独奏曲もいくつかまとめて演奏会をしたいと思っています。

―――まだまだお忙しい旅の途中で、振り返っているどころではないですね。

そうなんです。ずっと止まるつもりはありません。

―――楽しみにしています。ありがとうございました。

コンサート情報
舘野泉ピアノリサイタル「吉松隆の風景」
9月14日 19:00開演 紀尾井ホール
*10/2札幌・10/19福岡・11/4霧島

ドレスデン歌劇場室内管弦楽団日本公演
12月10日 14:00開演 東京オペラシティコンサートホール
*11/28周南市・11/30京都・12/2岐阜・12/8福島(原ノ町)
*チケット、コンサート情報、その他詳細につきましては下記にお問い合わせください。
ジャパン・アーツぴあ(http://www.japanarts.co.jp/)
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