志事人

志に会いに、行く。
仕事に誇りをもって、生き生きと輝いている人をみると、なんだかうれしい。メッセージを伝えたくて、仕事をしている人。好きなことをやっているうちに、それが仕事になった人。仕事をするのが楽しくて仕方ない人。その人たちの心の奥には、どんな思いがあるのだろう。これは、志をもって仕事をする人たちを紹介する企画です。

「狂気」や「犯罪」、「監視社会」などの問題を、するどい視線と緻密な理論で分析し、常に現代社会の新たな見方を呈示する気鋭の若手社会学者・芹沢一也氏。昨年より「SYNODOS」を自ら主宰。セミナーの開催やメルマガの配信などの多彩な活動により、現在ますます言論界の注目を集めている。この新感覚の言論人が生まれてきた背景は? そして、芹沢一也氏がこれらの活動にかける想いとは? お話をうかがってきました。!

芹沢一也
#19
芹沢一也(せりざわかずや)

1968生まれ。社会学者。SYNODOSを主宰する傍ら、慶応義塾大学非常勤講師などをつとめる。専門は日本近代思想史。狂気や犯罪をめぐる歴史と現代社会とのかかわりを、フーコー的な理論フレームと、日本近代思想を絡めながら読み解くという斬新な手法で描いた『狂気と犯罪』や『ホラーハウス社会』などで脚光を浴びる。著書にはほかに『〈法〉から解放される権力』(新曜社)、共著には『犯罪不安社会』(光文社新書)、『時代がつくる「狂気」』(朝日選書)、『フーコーの後で』(慶応義塾大学出版会)がある。

SYNODOS(シノドス)
芹沢一也氏が立ち上げ、荻上チキ氏とのコラボで運営する「知の交流スペース」。2007年春より月2回のペースで、現代を代表する論客たちを招いてセミナーを開催。2008年4月よりメールマガジン「α-SYNODOS」の配信をはじめ、その充実したラインナップと現代社会を多角的に論じた内容で、思想の世界でも巷でも話題を呼んでいる。

ジャーナリズムとアカデミズムの間をいきたい

――芹沢さんは約1年前に「シノドス」という機関を立ち上げて数々のセミナーを主催してこられ、この度メールマガジン「αシノドス」の配信をはじめられました。このシノドスには現代を代表する論客の方々を招いておられるということもあって、いまかなりの関心が寄せられています。芹沢さんと言えば『狂気と犯罪』(講談社+α新書 2005)などで大変注目された書き手でいらっしゃるわけですが、執筆活動に専念せずに、あえてこういう活動にまで取り組まれるのはなぜなのでしょうか?

芹沢:そうですね。いろいろな動機はあるけれども、人生をおもしろくするためというのも大きいですね。ものを書いているときの快楽と、人を集めてネットワークをつくったり、コミュニケーションをしたりするときのそれとはまったく別なんです。書く作業って、知識や情報をインプットして、それをさまざまに組み合わせて、そしてアウトプットするわけですから、すべてが自分のなかでだけ完結するという、じつはとても地味な作業なんですよ。外から見ると華やかに見えたりするのかもしれないけれど、要するに引きこもりですから(笑) 。もちろん書くことは楽しいけれど、こればかりをやっていると精神衛生上よくないですね。
それに僕は自分が知りたいことを、自分が知りたいと思うレベルまで知ったらそれでいいんです。だからいわゆる学者のように、10年かけてひとつの領域をすみずみまで極めるといったことには興味がないんです。というよりも、ぼくが本を書いているときは、むしろ創作しているという意識が強い。1冊の本によって、ひとつの作品をつくっているという感覚です。


――確かに、研究の質はすごく高いのに、学者っぽくない、新感覚の言論スタイルですね。

芹沢:僕はアカデミックな専門用語を使って、思想誌や学会誌に書くことにほとんど興味ないんです。それはおそらく僕が部外者意識をもっているからだと思いますが、何というか、外から見ているととても小さな「思想村」で、村人にしか通じない方言でもって大言壮語しているというような、そんな滑稽な感じがしてならないんです。だから僕はアカデミズムでも、またジャーナリズムでもない、その間で書こうというのを意識しています。最近は、現在目の前で生じている時事的なことを、明治以来の歴史を踏まえつつ分析していくというかたちが多いですが、それも同じ理由からです。
シノドスという場もそうなんですよ。ジャーナリズムとアカデミズムの間で書く、あるいは話すという実践のひとつの形態なんです。学者同士だと、ひと言ふた言ジャーゴンを投げかければ、ああ、あの話ね、ということで済んでしまう。だけど、こういう一般の方たちが集まる場では、そうした言論スタイルでは通用しません。そういう場で言葉を鍛えたいというか、そこに言葉を投げてみたいというのがありました。
それに思想や言論というと、ホモソーシャルな感じがすごく強くて、そういう場にいくと、男の子ばかりが集って、「フーコーの生権力とは……」とか論じていたりします。ぼくはそのようなホモソーシャルな雰囲気が大嫌いなんです。


バブルがはじけたので大学院にいきました

――研究者というと確かに「ひきこもり」っぽいイメージがありますが、芹沢さんからはむしろその逆の印象を受けます。そういう方がどうやって言論の世界に入られたのですか? 

芹沢:萱野稔人さん〔※1〕や鈴木謙介〔※2〕さんたちも、みな同じですよ。いま言論界がおもしろくなってきているのは、他の世界でもきっと成功しただろうなっていう人がやってるからでしょう。

――それでも他の世界ではなく、言論の世界に入られたきっかけなどはあったんですか?

芹沢:言論の世界に入ったのは、まったく偶然だったけれども、ただそうですね、哲学や文学といったものは自分にとって大切なものだというのはありました。ある時期から自覚的に本を読みはじめたのは、最終的にひとりになったときに退屈しないためです。たとえば小説を読む能力があれば、ひとりになっても心豊かに生きていけるじゃないですか。あるいは、映画をちゃんと観れるリテラシーがあれば、ただお金があるだけの人間よりも、よっぽど人生を豊かなものにできる。自分にとっての究極の支えとは何かと言うと、やはり文化的なものなんですよ。多かれ少なかれ、知識人ってそうだと思います。

――いまフリーでご活躍なさっていますが、もともと大学に属してご研究なさるつもりなどはなかったんですか?

芹沢:そうですね。いまから振り返れば、なかったということになりますね。僕は学会に出席したこともなければ、学会誌に論文を書いたこともないんです。これは大学に職を得ようとするならば、大学院生が当然しなくてはならないことですね。だけど、どうしてもそうした行為に関心がもてませんでした。なんか閉鎖的な村社会みたいな感じがして、そこに入っていく気になれなかったんです。
それにもともとばりばり勉強していて大学院に進学したわけでもなかったんです。学部時代には生活費を稼がなくてはいけなかったので、1年生のときからバーテンダーのバイトをはじめました。週6日、夕方6時から朝の5時までカクテルをつくり続ける生活です。ですので、大学には1週間に1度いけばいいほうでした(笑)。


――そうなんですか? そういう生活から、なぜ大学院に進まれたんですか?

芹沢:バブルが崩壊して不景気になったからですね。バーテンになりたい気持ちはあったのですが、この不景気だと生きていけないなと思って大学院にいったんです。

――大学院ではまずは臨床心理学をご専攻なさったとのことですが、いまはどちらかと言えば社会学者か歴史家的なお仕事をなさっていますよね。どういう流れで移行されたんですか?

芹沢:大学院ではカウンセリングの訓練などを受けていたのですが、当時はまだカウンセラーになるのに資格が要らなかった時代ですから、カウンセラーの立場が非常に弱く、ほとんど精神科医のぱしりみたいな存在でした。それに対して精神科医には比べ物にならない権威があった。どうして精神科医はメンタルな領域でそんなに権力をもっているのかな、と興味をもって、その歴史を調べてみたわけです。その結果を修士論文としてまとめたものが『〈法〉から解放される権力』(新曜社 2001)という本になったんです。

――修士論文として書いたものが出版されるというのは日本では珍しいかと思いますが、この本はどういう経緯で刊行にいたったんですか?

芹沢:最初は修士論文に加筆したものを博士論文にしようと思ってたんです。だけど当時の指導教授に見せたら、僕はフーコー〔※3〕は嫌いなんだ、というひと言で却下されたんですよ。内容に対する評価は一切なしです。しかも、それまでは高く評価してくれていた副指導教授は、それを見てがらりと態度を変えました。そこで僕のアカデミック嫌いというのは確定しましたね(笑)。指導教授の言いなりに書き換えるのは絶対にいやだったので、だったらまあ本にしようと刊行したんです。

――それでフリーでやっていこうと?

芹沢:そのときはそんなに深くは考えてませんでした。処女作の刊行から2005年の『狂気と犯罪』まではブランクが4年ぐらいあるんですよ。その間はとくになにもせずふらふらしていて、いまやってるような生業で生きていこうとは、まったく想像もしてませんでした。

社会から排除される現象が、社会の性格を照らし出す

――では『狂気と犯罪』と『ホラーハウス社会』(講談社+α新書 2006)は随分と華々しいカムバックだったわけですね。先ほどもジャーナリズムとアカデミズムの「間をいきたい」というお話がありましたが、確かにこの2冊は、現代メディアをにぎわしているタイムリーなテーマをとりあげながら、それをフーコーの理論や近代日本政治と絡めながら緻密に読み解く、本当に斬新な本ですよね。

芹沢:その2冊についてはある種の悪意のようなものがあるんですよ。

――悪意とは?

芹沢:先ほども名前が出ましたが、ぼくはフランスの哲学者、ミシェル・フーコーの影響を強く受けています。そのようなフーコー派としては、フーコーの考え方が世に広まることがベストじゃないですか。でもフーコーの名前とか、あるいは「規律・訓練」といった彼の専門用語を出すと、一般の人にはわからないから、そのことがスムーズな流通を妨げてしまう。だけどそういう言葉を使わずに、同じことを言ってあげれば流通するので、それをやったというわけです。だからあれはフーコー派としての「悪意の書」なんですよ(笑)。

――この2冊もそうですが、芹沢さんは、「狂気」や「犯罪」というすごく繊細な問題に踏み込んで研究していらっしゃいましたね。とくに最近は、起こった犯罪の重大さや被害の大きさよりも、再犯可能性を軸に裁くようになった現代の判決などを繰り返し批判なさっています。こういう問題に取り組むようになられたのにはどういう背景があったんですか?

芹沢:社会の見方というのは、大きく言うとふたつあって、社会の中心的な価値――文化でも政治でもいいのですが――を見ていくというスタンスと、社会から排除される現象を見ることによって、その社会の性格を照らし出すというスタンスがあるわけです。僕がとっている方法論というのは後者で、犯罪とか狂気とかいう、いわゆるネガティブなものをどう扱っているかというところに、その社会の性格がすごく出る。だからそういった部分を分析しているというのが理由のひとつです。

――なるほど。最近はまたセキュリティの問題についても積極的に発言なさっていますね。

芹沢:はい。いまあらゆる場面でセキュリティに対する意識が過剰になってきていますよね。もちろんそこには安全に暮らしたいという、それ自体はもっともな感覚がベースにあります。でも、安全への欲求が過剰になってくると、結局きりがないわけです。犯罪もそうですが、賞味期限とか狂牛病とか、あるいは電車での携帯使用のマナーとか、何でもそうで、気にしだすと神経症的に気になるでしょう。子どもが塾にいくときに、改札を通ったらメールが届き、塾に着いたらまたメールが届くといった状況だと、四六時中いまどこにいるのか心配で仕方なくなりますよね。安全や安心を過剰に求めると、結局は社会生活がぎすぎすして、安心どころか不安な社会になっていく。それを問題にしているわけです。

――でも、セコムのCMのイメージなどを見ていても、セキュリティ意識の高い社会というのは現代では無条件にいい社会とされますよね。「子どもを守ろう」という、そういったメッセージに対して、芹沢さんはある意味、異を唱えておられるわけですが、それに対して攻撃を受けることはありませんか?

芹沢:意外にあまり攻撃されていませんね。かわすのがうまいんでしょうか(笑)。そうですね、実際、他の研究者にも聞かれることがあります。芹沢さんは犯罪被害者の問題などで、かなり踏み込んだ発言をしますね、しかもそれを社会学、歴史学、法学、といろんな学問領域の知見を使って論じるから、一歩間違えれば、各方面から集中攻撃を受ける可能性がある、その辺大丈夫なんですか、と。
でも、そもそも「問題」というのは、当たり前のことですが、ひとつの学問領域に収まるかたちで存在するわけじゃない。学問のほうには、たとえば社会学、歴史学、法学などと、それぞれに独立した領域がある。でも、「問題」自体はそれらの領域をまたがって現に存在しているわけです。だからその「問題」を語るためには、こちらもいくつもの学問領域をまたがなければならない。自分の学問領域は何々だからその領域でしか語らない、といったかたちで、「問題」を自分の学問領域に合わせて切り取るやり方にはすごく疑問を感じます。


――そういう学問領域に対するタブーもそうですし、社会常識や日常感覚みたいなものに対するタブーもたぶんかなり犯しておられますよね。たとえば、住民がパトロールなどして、力をあわせて治安管理に取り組み、それによって地域のつながりが生まれるという動向を描写して、でも、それは住民たちの「快楽」なんだと論じておられるわけですが、それって実はものすごくブラックな話ですよね。

芹沢:あれはちょっと顰蹙を買ったらしいですね(笑)。佐木隆三さん〔※4〕なんかは驚愕したそうです。しかもあれを言ったのは、ちょうど栃木とか広島で子どもが犠牲になる事件が起こって、社会の不安がピークに達したときじゃないですか。そのときに「快楽」で防犯活動をしてるんだろう、って言ったわけだから。でも実際にそういう力学で動いているわけだから、仕方ないですよね。

――でもあれは本当に、はっとする視点を提示しておられると思います。

芹沢:たぶん、僕はある意味で無責任なんでしょうね。僕は完全にフリーの人間だし、言論人なんて、やめたければやめてしまえばいい、ぐらいのスタンスなんですよ。だから、しがらみがぜんぜんなく、逆にいえば、自分の責任でこうだと思ったことは言ってしまうんです。

――さきほど社会から排除されるような現象に目を向けているというふうにおっしゃいましたが、そういうところに目を向けたいというお気持ちはもともと芹沢さんのなかにあるものなんでしょうか?

芹沢:心理学という学問に対する興味はもともと強くて、大学生の頃は精神分析のフロイトばかり読んでいました。心理や精神というのは異常と正常とが交錯する場ですし、それゆえ「排除」が起こる限界領域でもあるわけです。だから興味をひかれていったのかもしれませんね。

――最近はそういった「狂気」とか「狂人」だけでなく、正常性とその外との間の微妙なラインにいる「異常者」のようなジャンルが、現代社会でどのように構成されてくるか、といった過程も描いておられますよね。ただ、それを論じることによって、そういう排除の対象になる人を救うといった、「救世主」的な願望のようなものは芹沢さんには見えないように思うのですが、その辺いかがでしょう?

芹沢:社会から排除される人たちに対して共感があるというわけではありません。そうした人たちを救わなければ、といった使命感ももっていません。ぼくが知りたいのは、いまぼくたちがどのような社会に、あるいはどのような歴史的地点にいるのかということです。そのために歴史を縦軸に、そして時事を横軸として、排除という現象を分析しているのです。僕の関心はあくまで社会というマクロな次元にあります。

シノドスのようなメディアは同時多発的に生まれています

――近年、東浩紀さん〔※5〕や北田暁大さん〔※6〕が中心となってNHK出版から4月に創刊された『思想地図』や、鈴木謙介さん率いるラジオ番組『文化系トークラジオ――Life』〔※7〕などのように、人文系・思想系の活動に盛り上がりが見られますね。そのなかで、シノドスはそれとは違う、ここを目指したいといったイメージなどはありますか?

芹沢:まずは特異性よりは連続性のほうを感じています。東浩紀さんがこのあいだ『論座』で、『思想地図』は2~3年前だったらできなかったと書いておられました。ここ数年で自分の世代、ないし下の世代が一気に出てきたから、いまならできると思った、と。それから、鈴木謙介さんはシノドスのインタビューのなかで、この世代には、ストレートに研究者にならず、回り道をした人が多いと言ってます。実際、僕なんかも社会人としてのアイデンティティーはバーテンとして確立してますからね。

――そっちが基本なんですか(笑)?

芹沢:ええ、でもそうした経緯を経ているから、書いたり伝えたりするときのスタイルや、想定する読者層も違ってきてるんですよね。東浩紀さんや鈴木謙介さんも、たぶんそこは共通していて、だからアカデミズムからは距離をとりつつ活動している。シノドスもそうした潮流のなかにあるんです。

――これまでの論者の選択にしても、若い研究者を集めて出しておられるご著書などを拝見しても、芹沢さんには後発世代を育てようというお気持ちが強いのでしょうか?

芹沢:育てるなどという気持ちはないですね。おこがましいです(笑)。それよりも、組み合わせるという感じですね。『フーコーの後で』(慶應義塾大学出版会 2007)も『時代がつくる「狂気」』(朝日新聞社 2007)も、さまざまな場所で書いているいろいろな論者たちを、ひとつに集めて目に見えるようにしたいという気持ちでした。
東さんが、『思想地図』は究極的には目次があればいいんだ、とおもしろいこと言っていますが、僕も同じように考えています。こういう人たちが、いまこういうことを論じているんだというのが、ああいった本だと一目瞭然じゃないですか。シノドスもそうです。シノドスにお呼びしたゲストのラインナップが、何かひとつの意味をもつような、そうした場にしたいと考えています。

大学に代わる双方向的な知のシステムをつくりたい

――1年前にシノドスをはじめたときは、スタッフは芹沢さんを含めておふたりだったそうですね。そんな少人数で、どうしてそんな活動をしようと思われたんですか。

芹沢:新しい言論のシステム、言論の「場」をつくりたいという思いがありました。大学やカルチャーセンターで教えていると、1週間かけて準備して90分話して、それでお終いです。そういう一方向的な授業は、教えているほうは非常にむなしいんです。だから、一方的に知識を与える形態でなく、双方向的な場をつくりたい、という気持ちが強くありました。
将来的には、こういう論者にこういう問題を語ってほしいという提案をもらえれば、それをシノドスで企画するということもしていきたい。まだまだ一方向的ですが、もっと双方向的なメディアにしたいと思っています。鈴木謙介さんなどを見てもわかるように、シノドスにゲストとしてきてくださっている方々は、そういう新しい言論のスタイルが好きな方たちですよ。

――大学に代わるような知のセンターをつくり上げたいとおっしゃっていましたね。

芹沢:大学院にいって博士号までとったけど、大学に就職できないという人がたくさん出ています。高学歴ワーキングプアというやつですね。しかも、もの書きをはじめてから知ったのですが、この業界では言論に対して正当に賃金が支払われるシステムが成立していない。執筆や取材を頼まれたときに、ギャラの提示がないのがほとんどです。振り込まれた金額を見て、ああ、あの仕事はこの値段だったのかと知るという(笑)。それこそ資本主義以前の状況です。だから、大学の外でも言論で生きていくのは厳しい。
もともと1年前にシノドスを企画したときは、オーバードクターや非常勤講師の人たちと何かおもしろいことをできないか、と思ってました。そういうことをしたい人はたくさんいるだろうから、はじめれば人材はいくらでも集まるだろうと考えていたんです。ところが、実際そういう人たちに会い、面接をしてみて驚きました。何か新しいことをしようという起業家的な発想が皆無なんです。あれだけ勉強している人たちだから、普通に考えれば、大学という組織に未来がないということはわかるはずで、だったら自分が身に着けてきた知識やスキル、リソースを使って、ほかの活動をしなくちゃいけないというのは明らかなのに。
だからオーバードクターや非常勤講師の人たちと一緒に活動するというプロジェクトは一旦諦めて、いまのように第一線で活躍している論者たちを招くという計画に切り替えました。そうやってシノドスが社会的に認知されて、お金が回るシステムができたら、またもとの計画に手をつけたいと考えています。


――確かに、これまでだと博士課程までいくと、大学に就職するというのが普通ですよね。

芹沢:僕自身は大学院にいるときから、本しか読まず、大学という世界しか知らない人たちが、なぜ「社会」とか「国家」について語れるのか、ものすごく不思議に感じていました。実際、「権力」とか「資本主義」とかの問題を批判している連中が、現実の世界では身を粉にして非常勤講師をやって、要するに大学に搾取されているわけですよ。「それってなに?」と思ってました(笑)。
学問をするとき、自分の想像力をいかに広げるかというのがすごく大事なことだと思うんだけど、なぜか社会的な想像力が異常に狭い。自分には力があるから、自分の書いたものを読んでくれ、あるいはシノドスに対しても、こんな企画があるから聞いてくれ、といった勢いのある人が、意外なことにほとんどいないんですよね。そういう現状を見ているととても残念です。


筆一本で活動できるシステムづくり

――無名でもポテンシャルのある方を探しておられるわけですか。

芹沢:不遇でいまだ無名だけれども、すばらしい研究をしている人、あるいは力のある書き手というのは必ずいるはずです。シノドスというメディアで書くことが、社会的な認知につながるというかたちになれば、そういう人たちを世に出すことができるわけですよね。まずはそれを目指しています。
ブログなどでものを書くのはいまは誰にでもできるけど、でも公に著者として認められて、論壇誌とか雑誌、新聞に書くためのハードルは依然として高い。シノドスはその間を媒介したいという思いがあります。とても優秀だけど、雑誌などで書くためのクレジットがまだない、そうした方に書いていただいて、ほかのメディアにつなげていく。そして、シノドスを通じて名前を知ってもらうと同時に、ちゃんと言論に対する対価も出す。
たとえば非常勤講師なんて、授業を準備するのにかかる時間は膨大でも、もらえるのは1コマ数千円で、トータルしても月に3~4万円でしょう。でも、たとえばシノドスのメルマガでひとつ書いてもらって、それで5万円くらい支払うようなシステムをつくるのに、必要な読者はせいぜい1500人程度でしょう。読者がもっと増えれば、書き手にもっと支払えるし、そうしたら今度は読者は、さらに良質な言論を読むことができる、そうした循環をぜひとも実現したいと思います。


――知的な活動を営むことによって得られる快感なり快楽なりあると思うのですが、そこにお金などをもちこむのを「汚い」とするような感覚がまだどこかにあるのでしょうか。

芹沢:そういう考えが根強いがために、お金が落ちてこないようなかたちになっているわけです。それはそれでいいんです。言論は社会的な共有物だから、フリーで流すべきだという考え自体はなんら悪いわけではない。ただ、それだとどこかの組織に属していないとできない。つまり、結局は大学人しかそれをできず、筆一本ではやっていけないということでしょう。だから筆一本で活動する人間を、ちゃんとサポートできるようなシステムをつくりたいと思っています。

「場」が中心で機能することを目指しています

――少人数でそれだけのことを仕掛けていくのは大変ではないですか?

芹沢:本当に幸せなことに、スタッフにとても恵まれました。最初にぼくともうひとりのスタッフではじめたのですが、彼女と1年間かけてイメージの確立に取り組みました。彼女がつくったサイトや写真のおかげで、シノドスのイメージは考えていた通りのものになったと思います。
そこで今年は、シノドスを広げていこうということになり、ネットでの展開のためのスタッフを探していたんです。ちょうどそのとき、荻上チキさん〔※8〕が『ウェブ炎上』を出版して、それを読んで、すごくニュートラルで、バランス感覚が優れている人だと思いました。変な幻想がなくて、とてもリアリスティックな方だと感じたんです。そこで、荻上さんにメルマガの編集をお願いしました。荻上さんが加わることで、シノドスは何倍にもパワーアップしたと思います。
いまはさらに数人、シノドスを外からサポートしてくれる方々がいますが、誰ひとり欠けてもシノドスは成り立ちません。そのくらい、人には恵まれていると感謝しています。もちろん、言論の第一線で活躍している方たちが、シノドスにゲストとして来てくださることにも、本当に感謝してもしきれないほどです。


――先ほど起業家的精神とおっしゃいましたが、芹沢さんご自身はそういうバランス感覚をどこで培われたのでしょう?

芹沢:やっぱり生活がかかってますからね(笑)。僕だって大学に就職していたらこういうことはやっていたかどうか。人間ハングリーじゃないとものを考えませんからね。

――でももしアカデミズムでやっていきたいと思っておられたら、それをするのは簡単だったのではないでしょうか。

芹沢:簡単かどうかはわかりませんが、学会でちゃんと研究発表して、きちんと先行研究に目配せした論文などを書いていれば、ですね。まず査読つきの雑誌に論文を3本書け、と言われたりもしました。だけど、どうしても興味がもてないんですよ、そうした文章を書くことに。細かい作法やディシプリンにしたがって書くことよりも、思うままに書きたいですからね。

――もともとそっちにはならなかったんでしょうか。

芹沢:まあ結果としてはそういうことでしょうね。自分で苦しい方向を選んでしまったということですね(笑)。

――でもシノドスには、芹沢さんのファンだけでもたくさんの人がついてくるのではないですか?

芹沢:いえ、むしろそういうかたちにはしたくないと思っています。スターシステムのようなかたちにすると、中心人物の魅力がなくなれば、そこでおしまいになってしまう。僕のイメージでひっぱっていると、それこそ僕が死んだり、一攫千金でやる気をなくしちゃったりして(笑)、やめてしまうと、その場が終わっちゃうわけでしょう。あくまで「場」としてシステムをつくることによって、人が入れ替わってもちゃんと機能するようにしたいと思ってます。

――なるほど、本当に「場」が中心なのですね。それにしてもすごい「場」ですね。セミナーに参加させていただいたら、講師の高原基彰さん〔※9〕だけでなく芹沢さん、荻上チキさんがいらっしゃり、さらに鈴木謙介さんや白井聡さん〔※10といった、いまもっとも注目の若手が遊びにこられるわけです。ここに日本の知のどれだけが集まってるんだと思うと、本当に驚きます。まるで18世紀のサロンですね。

芹沢:これが18世紀であれば、貴族がパトロンになってくれるわけですけどね(笑)。実際、企業がこういった文化資本に投資することで、社会的な信頼を得るというケースが、少ないけれどもあるので、そういう協力関係もゆくゆくは考えていきたいです。

――大学とは別に、こういう場がきっちりできていったら、日本の言論界は本当に大きく変わるのではないでしょうか。

芹沢:もちろん、シノドスだけでそのような大それたことはできません。でもこういう試みが同時多発的に出てくれば、言論界の景色もだいぶ変わってくるでしょう。そうなるといいですよね。シノドスは去年が第一歩で、今年が次のステップ。で、3年目に本格的に展開できるだろうという見込みで動かしています。いまのところだいたい想像したようなかたちで進んできているので、大丈夫だと思いますよ。

――いまからますますたくさんの人が集まってくるのではないでしょうか。

芹沢:ぜひとも、そうなってほしいですね!


――ぜひがんばってください。本日はどうもありがとうございました。

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