志事人

志に会いに、行く。
仕事に誇りをもって、生き生きと輝いている人をみると、なんだかうれしい。メッセージを伝えたくて、仕事をしている人。好きなことをやっているうちに、それが仕事になった人。仕事をするのが楽しくて仕方ない人。その人たちの心の奥には、どんな思いがあるのだろう。これは、志をもって仕事をする人たちを紹介する企画です。

ますます世代交代が進む言論界に登場し、異色の活動とその若々しい感覚で目をひく若手、荻上チキ氏。評論家として、ブロガーとして、著作家としての活動を充実させる一方、巷で話題のメールマガジン『α‐SYNODOS』の編集長もつとめるなど、ますます活躍の幅を広げておられます。この未来型OS搭載の頭脳の裏側に迫ります!

荻上チキ
#20
荻上チキ(おぎうえちき)

1981年生まれ。SYNODOS企画・編集長。テクスト・メディア批評家、ブロガー。
テクスト論、メディア論を主な専門とする批評家であり、「トラカレ!」や「荻上式ブログ」などの大人気のブログを運営する。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書 2007年)、『12歳からのインターネット』(ミシマ社 2008年)、共著に『バックラッシュ!』(上野千鶴子、宮台真司ほか、双風舎 2006年)など。

「現実/バーチャル」の対立ではネットを捉えられない

――荻上さんが、この度刊行なさった2冊目の単著『12歳からのインターネット』(ミシマ社)、本当におもしろく拝読しました。インターネットの持つ楽しみや危険性をひとつひとつ丁寧にとりあげて、やさしく解説しながら、ネットの世界へ子どもたちを導く本ですね。大人が読んでも、そうか、こんなにシンプルなことだったのか、と思いました。

『12歳のインターネット』
荻上チキ 
ミシマ社 2008年6月

『12歳のインターネット』
荻上チキ 
ミシマ社 2008年6月

荻上:ありがとうございます。子どもむけにケータイやウェブの本を書く、ということは、いろいろな意味で冒険的なことでした。まず、そもそも何歳からネットやケータイを持たせればいいのかという、論争的な問題がありますね。それから、ネットやケータイが一般化して10年もたたない現状で、リテラシー教育のためのノウハウがまだそれほど蓄積されていないという現状があります。また、教育をする側として期待されている大人でも、ネットやケータイは「子どものほうが詳しいもの」という距離感を持っている人も、少なくありません。
そういった現状ですので、この本は子どもたちだけではなく、これからウェブの世界に入る大人たちや、教師の方々などにも読んでもらいたいと思っています。ウェブ上ですでに「当たり前」と思われているような事柄や言葉でも、大人にもまだまだ共有されていないことが多くある。だから、ネット世界のいち住民が、いち「先輩」として「後輩」にいくつかの基本的なことを伝える、というつもりで書きました。ケータイやパソコンを買い与えたときに、一緒にプレゼントできるような一冊にしようと思っていたんです。もちろん、親にとっても「説教のアンチョコ」としても使えるようになっています(笑)。

――ネットについてはそれだけご自身で冒険も失敗もなさったからこそいえることだとは思いますが、それぞれのポイントを読みながらよく考えてみれば、ネットの外の、現実の世界でも変わりない、ごく当たり前のことをおっしゃっているわけですね。

荻上:そうですね。基本的に、本書ではネットやケータイを「新しいモノ」として扱うのではなく、日常的な道具として扱っています。なぜなら子どもたちにとってネットやケータイは「新しいモノ」ではなくて、もはや「生まれたときからあるモノ」だからです。そういう子どもたちに対して、「社会はこう変わった」と言っても意味がないし、そういう説明は数年後には通用しなくなると思いました。彼らは「ウェブ以前」の社会を生きていないのですから、日常のなかにある道具をいかに使いこなすかといった話をしています。
僕自身、ネットやケータイを「ニューメディア」として扱う時期はそろそろ終わりにしたほうがいい、と思っています。「ニューメディア」として扱っている状態では、どうしても不安や流言、バッシングなどが先行してしまい、実効的な議論ができません。また、オフラインのことを「現実」と呼ぶのも、そろそろやめたほうがいい。「バーチャル/現実」といった対立ではネットを捉えられないこと、実際には地続きであることなどは、すでに多くの人が体感しているはずなのですが、「ある種の議論のモード」のときだけ、ついそういう語り方をトレースしてしまう。対応が遅れている政治や教育の分野では特にそうです。
ネットやケータイはすでに日常的な道具です。だからこそ考えなくてはならない問題がある。そのことができる限り平易に伝わるよう、何度も何度も書き直しました。手にとりやすいデザインになるようにも、何度も打ち合わせをしました。読むための敷居を下げたかったからです。

――最初の印象は、デザインもとてもかわいらしく、楽しく、内容も子どもむけのとてもやさしい本だな、というものでしたが、よく考えると、かなり挑戦的なものを含んでいますね。たとえば、「ただ単に『新しいメディアと若い世代はこんなにあぶない』と主張するだけで、結局何も若い世代に用意しないのは、『大人』として恥ずかしい」、あるいは、ケータイやパソコンをとりあげるだけでは「いつまでたっても子どもが、未来が、育ちません」といった保護者にむけての強い言葉が、こんなにもお若い著者から突きつけられるのを読んで、赤面する大人は少なくない気がします。

荻上:最後の「保護者の方へ」というコラムですね。現在では、ウェブについて子どもたちにどのような教育をすべきかといった議論よりも、そもそも子どもにケータイを持たせるべきではない、ネットをやらせるべきではないといった「べき論」を多く見聞きします。その「べき論」は、好むと好まざるに限らず多くの子どもがネットやケータイをすでに使っているという現実に対して、具体的で即時的な対応策を検討するものではありませんし、かといってあまりに「いま・ここ」の問題にばかり目をむけすぎているため、長期的なビジョンを共有するためにもあまり役立たないと感じています。
また、今回本を書くに当たっていくつもパンフや書籍を手にとって見ましたが、その多くは子どもが直接読むように使われていなかった。また、平易なパンフの多くは、「こういう危険があります」という点を列挙するものでしめられていて、「こう使うといいんじゃない?」と提案するものは少なかった。脅迫ではなく提案を、不安ではなく寛容を。そういう視点に立つように努めました。

――また、大人に対してだけでなく、子どもにも、インターネットの楽しさやシンプルさを教えながらも、実はかなり厳しい自己判断と責任を要求しておられる気はしました。たとえば、「ウソをウソと見抜く」力を身につけることや、「学校サイト」の管理をきちんとすることなど、子どもに要求するのは厳しいと感じるかたもおられるかと思いますが……。

『12歳のインターネット』より

『12歳のインターネット』より

荻上:僕が要求しているわけではないのですが(笑)、でも本書で求めているのは実は、「遊んだ後は片付けをしよう」とか「いじめちゃだめだ」とか「あやしい人には近づかないようにしましょう」とか、そういう基本的なことの延長線上にあるものなんですよね。とりたててウェブに対してのみ特権的なリソースを割くことを求めることはむしろ現実的ではないので、中学生や高校生と話しながら、彼らが使いこなす際に前提にしているような観察が可能になるように、「レベル1」の状態から読めるように工夫しました。「自己責任」「半年ROMってろ」というムードを押しつけるのではなく、適切な階段を自生的に準備すること。そのために、この本をはじめ、多くの試みが行われていくといいですね。

「ウェブ出身」者が見るネット叩き

――ケータイやパソコンのおかげで、自分自身豊かな出会いをたくさん味わってきたから、後輩たちに自分たちが得てきたものを伝えたいのだ、とこの本でもおっしゃっていますね。やはり荻上さんのなかにそれだけネットに対する愛があるのでしょうか?

荻上:いや、愛とか幻想みたいなものは僕のなかにはあまりないですね。もちろんネットをはじめたての頃のワクワク感というものはいまでも覚えていますし、ネットならでは可能な楽しいことというのもたくさん知っていますが、思い入れベースではなく、かなりプラグマティックな態度で執筆したように思います。

――ネットに対する過度の期待と、他方で特に最近よく叫ばれているようなネットの危険性に対する過度の不安と、その両方を冷静に捉えかえしつつ、ツールとしてネットをいかにうまく生かせるか、ということをいまもっとも魅力的に論じておられるのが荻上さんですね。ご自身はどうやってそういうわざを身につけられたのでしょうか?

荻上:たぶん僕の世代が、いちばんメディアに触れて育った最初の層だと思うんです。つまり物心がついたらすでにファミコンがあるしビデオもあるし、それがプレステやHDレコーダーへと発展していくプロセスと付き合っていて。小学校、中学校時代はプリクラやたまごっちがあり、ポケベル、ピッチ、ケータイがあり。一年にひとつは新しいメディアが生まれてくるような時代に青春期を送ってきたし、それらに触れるたびにワクワクしてきましたね。
学校にいるときに触れたメディアには特に、そのメディアを使えばどんなコミュニケーションが可能になるかという思考を、子どもたちは必死でめぐらすわけです。カードダスは、自分が好きだから集めるというだけでなく、交換したり、見せびらかしたり、それを使ったゲームを考えたりといった、社交ツールとしての文脈での使い方がいろいろとある。こうした新しいメディアの応用のシーンについて思いをめぐらせるのは、僕前後の世代以降の人は特に、学校のなかでそれを反復してきたので、板についているふしがあるんじゃないかなぁ。

――なるほど。荻上さんは最近は特に、「学校裏サイト」叩きについて、かなり積極的に発言なさり、近々さらにもう1冊本も刊行されるとうかがっています。

荻上:はい。学校裏サイトについては、メディアが流しているイメージがあまりに偏っているため、間違った前提で語った極端な結論しか出てこない。そこから出てきがちな結論としては、例えばフィルタリングすべきとか、あるいは極端な例ではケータイの使用禁止とかね。自分たちには解決できないから、結局は使わせないようにしましょうという話になってきている。また、その議論に便乗して、より理想化された、つまりはいびつな形での「教育」を徹底しようという人もいる。そういった議論の方向を徹底的に論破しつつ、学校文化とネットの遭遇について整理する本を書いています。

――その世代だからこそできる批判ですね。

荻上:そうかもしれません。ひとつには、世代的な強みがあるんでしょうね。自分ではそれほどネットをやりもせずに、メディアの流す情報を鵜呑みにしておきながら、他方で子どものほうをネットに悪影響を受けるはずだとして騒いでしまっているようなある種の言説モードに対して、「若者」で「ウェブ出身」であるためにできる「たしなめ」というのは、確かにある。
僕も学生時代から「学校裏サイト」的な使い方をしていたクチですが、そもそも僕が触れてきたメディアはどれも、常に叩かれ続けてきて、憂い続けられてきたわけです。「たまごっちを使うと、命をリセットできると思い込む若者が増える」とか「鉛筆に比べてシャーペンは覚えにくい」的な。仮にこれまでの「有害メディア論」がすべて正しければ、もうこの世は地獄ですね(笑)。でも、テレビや新聞などが、自分たちがかつて叩かれていたことを棚にあげてニューメディアを叩くといった現象さえも、すでに「見慣れた風景」になっていますね。
たまたま自分が大学院時代にメディア論を研究していたのも、その歴史的な反復の根源にあるものに対して分析的な言葉をつむぐ支えになっています。メディア論の主流には、実は歴史研究的な態度が常にあるんです。メディア的特性といったものを考える際に、コミュニケーションに対して影響を行使するのであれば、もともとあった文化の歴史などとの関係を追っていかなくてはならないわけですから、当然といえばそう。「学校裏サイト」のケースのように、実は昔からあったいじめや陰口、あるいは下校時の情報交換のようなものが、媒体がネットに代わることによってどのように変わったか、あるいは変わらないのかといったことを示すこと。そういう作業は現在、強いニーズがあるように思っています。

――過去との連続性を示すことによって、いまのネットバッシングにすこし落ち着いた見方を提示しようということですね。

荻上:そうですね。それは別に、ネットという「新しい技術」を擁護したり肯定するといった話ではないんです。むしろ逆に、ある意味で非常に保守的な態度ですらある。メディアによってもたらされたとする文化のほとんどは、実際には僕たちの社会に突然外部からやってきたものではなく、もともとあったものが形を変えたにすぎないということを、歴史を参照しながら確認すること。そのことによって、この生活世界の自明性を再確保していくという作業です。同時に、見慣れぬものの登場によって生じる不安流言を沈めるための作業でもあるわけですし。
さきほど「ネットに対する愛」が動機になっているかという質問がありましたが、そういう意味では「言いだしっぺ」だからであり、ある種の発案者責任ということなのかもしれません。僕がネットの世界を日常にしているということは、僕より下の世代はますますそれを日常にしていくし、バッシング言説もどんどんおさまっていくのだろうと思います。だったら大人の役目としては、自分たち世代のために「ニューメディア」を叩くんじゃなくて、あるいは自分たち世代のために「ニューメディア叩き」を「既得権益」として批判するのでもなくて、次世代のために用意してやらなきゃいけないだろうと。そう思ったなら、じゃあやらないとな、というノリですね。

「言葉」を手に入れるために他人を観察

――いま言論界には若手が次々に登場していますが、荻上さんはそのなかでももっともお若い層ですね。そのお年に似合わない教養に驚かされますが、大学時代はかなりガリベンだったんですか?

荻上:いえ、全然そんなことはありません。テスト勉強とかも短期集中型だったし、好きな本しか読まなかったから。基本は恋愛とか音楽とかバイトばっかりやってましたし。

――そもそも こういった知的活動に関わるようになられたきかっけなどはあるんですか?

荻上:ものを考えはじめたきかっけとしては、自分自身に対するコントローラビリティーを確保するため、といえばいいのでしょうか。高校時代、僕はわりと純粋なほうで、人の話をなんでも簡単に信じては、こっぴどい目にあったりしたこともしばしばあった。そうやって人にふりまわされるのはなんだか疲れるなと決定的に思った際、よし、言葉を手に入れよう、この世界を分節化して把握していこうと思って本を読み出すんですよね。
といっても最初はベタに古本屋で手に入れた小説とか心理学とかから入っていくわけです。高校2~3年生の頃、小さな手帳を何冊も買って、今日はあいつにしようと適当にひとり選んで、その人のことを一日観察してみたり。これは、江川達也
〔※1〕の『GOLDEN BOY』というマンガの真似ですね。主人公の大江錦太郎の口癖が「勉強!勉強!勉強!」で、彼はどんなに不幸な目にあったり、ぼこぼこにされたりしても、いやぁ、痛さってこういうことなんだなぁ、傷つくってこういうことなんだなぁ、あの人は一見人がよさそうだけれど実際は自分のエゴで動いているんだなぁ、とかメモったりする。相手の性格の悪さも全部分析できるんだけど、それでもその人を受け入れるといった描き方がされていて、なんかハマってましたね(笑)。

――すごいフィールドワークですね(笑)。そういう実践から、学問の世界にはどうやって入られたんですか?

荻上:漠然と「言葉がほしい」と思っていたところに、大学で石原千秋〔※2〕という教授と出会って、体系的に考えるということについての楽しみをインストールされたからだと思います。仲間と読書会をしたり、ものを考えることが、場を盛りあげるための作法として共有されていたんですね。

――大学時代にブログをはじめられたわけですよね。

荻上:大学4年のときですね。動機の半分は単純に、卒論からの現実逃避だったんです(笑)。面倒くせぇな、なんか楽しいものないかなと思ったときに、こういうサイトがあったら意義あるのではないかと前々から思っていたものを作ってみた。

――それでブロガーとして人気が出て、『バックラッシュ!』(双風舎 2006)の刊行にいたるわけですね。それからネットの専門家のようになられたのはどういう流れだったんですか?

『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』
上野千鶴子、宮台真司、
荻上チキほか
双風舎 2006年6月

『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』
上野千鶴子、宮台真司、
荻上チキほか
双風舎 2006年6月

荻上:僕はネットの専門家ではないですけれど、たぶんプレイヤーがいなかったからですね。「言いだしっぺの法則」を僕は自分に課していて、思いついたアイディアを、誰もやらなそうだったら、自分がやらなきゃだめだろうと。だから、ジェンダーの問題についてまとめる人がいないなら、このデマについて調べる人がいないなら、ネットを子どもが使えるようになるための言説を準備する人がいないなら、自分がやるしかない、と思って発言しているところはありますね。

知の選択肢を広げるメディア『α‐シノドス』

――荻上さんは、前回この連載にご登場いただいた芹沢一也さんと一緒にシノドスという研究機関を運営し、最近は司会としてセミナーを仕切っておられますね。あれだけのビッグなゲストと、一般の聴衆との間をつなぐのは大変ではないですか? しかも執筆活動や他の仕事もしながら……。

荻上:セミナーには、書くのとはまったく違う楽しみがあります。本を書くときは、考えれば考えるほど、締め切りが近づけば近づくほど(笑)、頭が冴えてきて思いがけないアイディアが出てくるのを体験しながら、コンテンツを作っているという快楽がもちろんあります。すんごく気合の入ったブログのエントリーを書いている感じで、ある領域研究を極めるといった網羅感は、いかにも、「ザ・男の子」という気がしていてあまり好きではないんです。カード全部集めたぜ、といった感じのノリに写る(笑)。理論的なところは越境的になんでも吸収できればなと思うんですが、語りの対象は固着したくないんですよね。それよりは皆で話し、フィードバックも見ながら、対話をしていくことでしか得られないものを得る楽しみがいい。

――荻上さんはまた、メールマガジン「α‐シノドス」では編集長をなさってますね。すごいメルマガですね。これだけ読んでおけば、現代の知の座標軸がすべてわかるというような内容の。

荻上:最近、多くの方から「あんな量のメルマガ、ひとりでやってて大変ですね」といわれます。確かに作業量はヤバイ(笑)。でも、自分にとってもすごくいい刺激をいただいてます。「勉強!勉強!勉強!」じゃないですが(笑)。
「α‐シノドス」というのは、間違いなくいまおさえておくべき人みたいなのをすべておさえていて、はずれはないですね。よくこんなにはずさないなって、もっぱらの評判ですから(笑)。いや、まだはじまったばかりなので、「あの人いかなきゃだめだろ」という人はたくさんいるから、どんどんアタックしにいきます。
 「座標軸」についてですが、やはりそれをとりあえず提供することは重要だと考えてやっていますね。まずは、これだけ見ておけばそれなりにおもしろいものが入ってくるんだっていう安心感。メディアへの信頼。それがないとなかなか「勉強」ははじめられないと思うんです。まったく何も知らない状態でゼロから入って読みあさるというのは非効率だし、不安を埋めるために知識を得るのに、知識を得る態度をめぐって不安な段階ではどうしようもないわけで。だから、このチャンネル、この雑誌さえおさえておけばいい、というようなメディアはやはりあったほうがいいだろうと。
 権威主義と思われるかもしれないけど、むしろ効率の問題ですね。そういう意味で文字数が多いように見えるかもしれないけど、これですべてなんですよ。新書を毎月何冊も買うよりは、まずこのメルマガを読み、それでも足りなかったらここであげられているものを読んでいけばいい。そういう意味では便利な入り口だと思います。

――メルマガを特にこんな人に届けたいといったイメージなどはあるんですか?

荻上:ファーストターゲットの具体的イメージはありますが、啓蒙というのは思考する軸を作るための手法だから、誰にでも読んでほしい、全員に届けたい、とは常に思っています。たまたま手にとった人たちがこのメルマガに触れることによって変わっていくさまを見ることができれば嬉しいと思います。
日常のなかで思考することは、全体ですでに共有されてるような思考をトレースしてしまうことがありますよね。「自然に思うまま」発言するといった行為が、実際はその時代状況で漠然と浸透している考えを無抵抗のままに反復しているに過ぎないという。基本的には、そういう可能性への懸念について、問い直しの作業をやめないために利用するメディアとして機能すればいいかな、と思っています。だから、メルマガも暇なときに構えずに見てもらっていい。逆に、それが構えていない自分に気づきを与えるものであったら嬉しいですよね。

――若い学生さんなどに働きかけたいといったお気持ちもあるのでしょうか?

荻上:批評については、「若い人」とか「上の人」にむけて書くという感じはないですね。メルマガもそうです。ただ、自分がそうだったように、学生時代、物事を考え出したてのような人たちが、ワクワクするような媒体にはしなくちゃいけないとは思っています。ただ、実際は守られた立場にある学生よりは、むしろ働いているけど、知識がほしくてもリスクを冒してまで大学院には行けない、「日常が忙しいんじゃボケ」、というような人たちに、マルチチャンネル化した状況を用意をしてあげられたらいいな、と思います。
 僕はウェブサイトで、翻訳、動画、ポッドキャストなどをどんどん載せていきたいなと思っているのですが、ウェブ上に、いつでも聞ける授業が1000個あったら、それだけで知の選択肢が全然違うじゃないですか。海外だと、たとえばフーコーの動画が見れたり、過去の講義なども続々とアップされているのに、日本では一部の大学を除いて全然されてないんです。僕の通っていた大学院では、サテライト授業が受けられたので、家にいながら単位がもらえたけれど、それなら他大と連携して、「あの先生の授業は優秀だから、その動画を見たなら単位を1くらいあげる」とかでも全然いいのに、とか思ってました。
 このように、潜在的なニーズを顕在化する作業をどんどんやっていきたい。媒体やターゲットはその都度で違っていると思いますが、根本にはそういう発想があります。ウェブにこだわるつもりもあまりないですしね。

――それにしても、たった3人のメンバーでよくこれだけの活動ができますね。

荻上:雑誌だって、編集部は意外と少人数ですよね。その程度の人数で雑誌ができるなら、2、3人いればイベントや6万字程度のメルマガができないわけがない。特に、芹沢一也さんと、互いの得意分野をいかしながらメディアを作ることで、そのケミストリーによって生まれる効果は何倍にもなりますし。

――確かにネットだからできる活動はいろいろありそうですね。

荻上:ネットと紙の話でいえば、発想の仕方に大きな違いがありますね。端的に、IT業界の仕事と、出版業界の仕事では、契約概念、コンテンツに対する考え方、支払いモデルなどが結構ちがう。「α‐シノドス」は基本的には、前者のモデルでやっていきたいと考えています。コンテンツは二次利用、三次利用を含めて企画する。著者への謝礼は依頼段階で明確にする。「α‐シノドス」に掲載した文章は、すぐさま自分のブログにまるまる転載していただいても構わない。できる限りブランド価値を高めて、知的交流をオープンに促す。そういう発想をベースにしています。
今後は特に、各地域でワークショップやセミナーを開催したい。メルマガの読者には地方の方も多いので、そういう方々と具体的に繋がりながら、いろいろな議論を重ねていきたいと思っている。そのためのパイプ役に、ネットは適していますね。

――ますますお忙しそうですが、ご執筆の予定もたくさんあるんでしたね? ご執筆のほうではいまはどのようなお仕事をなさっているんですか?

『ウェブ炎上』
荻上チキ ちくま新書
2007年10月

『ウェブ炎上』
荻上チキ ちくま新書
2007年10月

荻上:はい。いまは7月に発売する「学校裏サイト」とネットいじめをテーマした本の仕上げのため、データの再確認などをしています。『ウェブ炎上』(ちくま新書 2007)『12歳からのインターネット』とその本を合わせて、ウェブ3部作ととりあえず呼んでいます(笑)。

――ウェブ3部作のあとは、どんなテーマを扱われるのでしょうか?

荻上:今年から来年の頭にかけては、ジェンダーに関する本やメディア論の本などの発表を予定しています。その後は、インタビュー本や特集書籍、自分なりの評論本など、いくつか個別の企画を進めていきます。書籍以外にももちろん、いくつかやりたいことがあるので、平行して進めていきたいと思います。そのなかには、ひとりではできないことも多々あるので、その都度いろんな人と協力しながら実現していきたいですね。

――今後のご活躍がますます楽しみです。お忙しいところ、ありがとうございました。

最新記事

バックナンバーはこちら

ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。
皆さまのおたよりお待ちしております。
感想を送る
WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る