シャバはつらいよ

第0回 シャバは、未知なる新世界

 しばらくの間、ご無沙汰しておりました。はじめましてのかた、はじめまして。
 0歳児のベイビー、89歳のおばあちゃん、中小企業の社長さん、女子高生のギャルのかた。誰もかれも、全国津々浦々、今日まで生きのびてくださった。今日、互いに生存している。こうして出会えることに、この上ないうれしさを感じます。

 大変なことが、たくさんありました。

 2011年は、後世の世界史の教科書に必ず載るであろう「激動の年」でした。わたし、難病女子としては、洗濯機に放り込まれたボロイ雑巾が、さらに回転・脱水され、カピカピのボロい布きれになるような1年間でした。
 2011年3月11日。東日本大震災が起こったとき。わたしは「さすがに、もうダメだ」と思いました。正直なところ、「ああ、このまま死ぬんだろうなあ」と思いました。精神的な問題ではなく、物理的に生命の危機に陥ったからです。
 常時ですら「生存崖っぷち」な難病女子は、非常時には「生存はマジ先行き不透明」状態になります。

 しかーし。
 人類は、すごかった。ほぼミラクルとしか言いようのない偶然が、いくつも重なりました。「ほんとに、アメイジング!」なことばかりが起きて、今日、生きのびています。


 わたしは、2008年に突然、日本ではほとんど症例のない「難病」を発症しました。
 病名は、2つついています。【Fasciitis-panniculitis syndrome (筋膜炎脂肪織炎症候群)】と【皮膚筋炎】です。「自己免疫疾患」と呼ばれる、全身の免疫のシステムが暴走して、自分自身を攻撃するという類の病です。
 なんとも、奇怪な病です。本来であれば自分を守ってくれるはずの自分の免疫システムが、頭のてっぺんからつま先まで余すところなく全身を、文字通り「攻撃」してきます。

 ちなみに「難病」というのは、医学的に明確に定義された、なんらかの病をさす言葉ではありません。いわゆる「不治の病」に対して、戦後の日本で、ひろくつかわれてきた言葉です。

 「難病」
 ① 原因不明、治療方法未確立であり、かつ、後遺症を残すおそれが少なくない疾病
 ② 経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護等に著しく人手を要するために家族の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病
 (昭和47年:厚生省「難病対策要綱」)

 つまるところは「原因がわからない」かつ「治療する方法がわからない」病気を、「難病」と呼びます。わたしの場合は、24時間365日、途切れることのない苦痛と痛み、病態とバトルします。免疫の暴走を抑え込むために、対処療法としてステロイドや免疫抑制剤、大量の痛み止め、それらの重篤な副作用を抑え込む薬などを365日投与することで、命をぎりぎりつないでいます。
 わが27歳の身体は、「困難の類」はなんでも扱う、「困難の総合商社」になりつつあります。

 この奇怪な病を発病した時から、実は、ずっと考えていることがあります。わたしがかかったこの「難病」は、何かに、似ている気がするのです。そう、何かに、似ている……。

 出口のない経済不況、いつまでも改善されないどころかむしろ悪化の一途をたどる社会保障、医療や福祉の制度、金融危機、就職危機、家族の崩壊、地域の崩壊、うつの増大、自殺者の増加、孤立死の頻発………………(その他いろいろ)!!!!!
 あっちゃこっちゃで火の手があがり、何から手を付けていいかわからないので、とりあえず「対処療法」で時間を稼ぐ。根本的な問題は、とりあえず先延ばしにする。システムそのものの、全身性の機能不全に、太刀打ちできない。

 ああ日本列島は、まるで「難病列島」哉。

 もともと「難病」にかかっていた日本社会は、東日本大震災で、地震・津波・原発震災という「激烈トリプルパンチ」をくらい、いよいよぶっ倒れています。「立つんだ、ジョー!」といくら励ましたところで、「立てないよ、ジョー!」状態。カンカンカン! とゴングを鳴らしても、タオルを何枚投げ入れても、一生懸命水を飲ませてあげても、いまいち効かない。
 「難病」は、ジョーの内側を、徐々に蝕んでいます。最初から体力ない。もとから疲れている。いつもしんどい。このような状態で「復活!」「再生!」「改革!」「維新!」など、いかにも無理をしすぎている雰囲気の文字体で無理をすると、グッタリした身体がさらにグッタリとしてきます。

 全身性自己免疫疾患系の難病という「クジ」をひいて、自分自身が、もろいガラスみたいになってしまいました。わりと大変ですが、グッタリとしていることにはわりと慣れているので、「立てないよ、ジョー!」と喘ぐ日本列島の気持ちが、ちょっとだけわかるような気もします。

 困難に直面して、苦しいとき。絶望には、いつも人気があります。
 理由は明白で、絶望することはとても「楽」だからです。絶望はパックリと口をあけて、すぐ隣で「おまえ、うまそうだなあ」と待ってくれています。

 何もしなくても、喰ってくれるのです。絶望することは、容易です。

 「かわいそうになあ」
 「わたしなら、生きてないなあ」
 「わたしなら、死んだほうがましだなあ」
 絶望怪獣の誘惑の声は、今日も、轟々と聴こえてきます。

 しかーし。
 わたしは今日、
 「かわいそうじゃないなあ」
 「わたしは、生きてたいなあ」
 「わたしは、死なないほうがましだなあ」
 と絶望怪獣から、全力ダッシュで逃走したいと思っています。

 「困難の総合商社」となってみて、予想だにしない発見がありました。人は、生命の危機に瀕する状況下において「わたしが、大変だ!」ということばかりを言いたくなるわけではない、ということです。
  絶対絶命の状況下では、発病前には思いもよらなかった、驚くべき光景や人の営みに出会うのです。

 発病前、ミャンマーの難民キャンプへ、フィールド調査の旅に出ていたように。
 これから、不可思議な未知の世界へ旅に出たいと思います。「ほぼ前例のない難病」にかかりました。それでも、病院から外の世界へ出ちゃったのです。「ほぼ前例のないシャバ暮らし」をはじめてみました。

 シャバは、未知なる新世界。

 

プロフィール

大野更紗(おおの・さらさ)
1984年、福島県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒。
明治学院大学大学院社会学研究科社会学専攻博士前期課程。
学部在学中にビルマ(ミャンマー)難民に出会い、民主化運動や人権問題に関心を抱き研究、NGOでの活動に没頭。大学院に進学した2008年、自己免疫疾患系の難病を発病する。
1年間の検査期間、9か月間の入院治療を経て退院するまでを綴った『困ってるひと』で作家デビュー。
2012年、第5回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞受賞。
Blog: http://wsary.blogspot.com/
Twitterアカウント: @wsary
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