落語こてんパン

第九十回 擬宝珠

 御慶! 辰年でありますね。
 正月だから、なんかおめでたい噺をと思ったんだけど、その手の噺はけっこうもう紹介しちゃってるんですよね。
 で、持ちネタのリストをぼんやり眺めて、選んだのが『擬宝珠』。なんかホラ、めでたそうじゃない? 字ヅラが。字ヅラだけだけど。めでたい噺でもなんでもないんだけどさ。
 
*   *   * 
 
 さるお店(たな)の若旦那、気鬱の病いでふさぎこんでいる。食べる物も喉を通らない。医者の見立てでは、このままだと命が危ない。ところが若旦那、ふさぎこんでいる原因を親にも店の者にも医者にも話さない。
 こういうときは身内より、仲の良い友達がよかろうと呼ばれた、幼な馴染みの熊さん。大方恋患いかなんかだろう……と、だんだん話を聞いてみると、
 「実は……擬宝珠が舐めたい」
 「はぁ? 擬宝珠ィ?」
 若旦那、昔から金物を舐めるのが大好きで、近頃では橋の擬宝珠を舐めているという。で、今舐めたくて仕方ないのが、
 「浅草の観音様……浅草寺の境内の五重塔、あのてっぺんの擬宝珠が舐めたい……」
 しかしまさかあの擬宝珠が舐められる訳がない。どうせ夢は叶わない……それで患いついているという。
 「わ、分かりました。なんとかしますから」
 と熊さん、これを大旦那に報告する。
 「な、なんだい!? 伜は擬宝珠舐めが好きなのかい?……はぁ……親子だなぁ……」
 「へ? 大旦那も!?」
 息子には打ち明けてなかったが、両親も金物舐めの癖(へき)があるという。
 「そういう事なら伜の気持ちもよく分かるし何より命にかかわる事だ、なんとかしましょう」
 浅草寺様に話を通して足場を組む、引きずるように伜を連れてくると、
 「さぁ伜や、五重塔の擬宝珠……いや、あそこのは本当は宝珠だが……まぁそんな事ぁどうでもいい。さ、舐められるようになってるぞ」
 弱っている体のどこにこんな力が残っていたか、若旦那、猿(ましら)の如く足場を登っていく。五重塔のてっぺんに上がると、宝珠にしがみついてベーロベロベロ……と舐め始めた。
 「大旦那ご覧なさい、みるみるうちに血の気が戻ってきましたぜ……へぇ大したもんだ」
 すっかり元気になって下りてきた若旦那に、
 「伜や、どんな味がした?」
 と問う大旦那。若旦那は嬉しそうに、
 「沢庵の味が致しました」
 「塩の加減は三升かい、五升ばかりかい?」
 「いえ、緑青の味が致しました」
 
*   *   *
 
 古典落語として取り上げてしまったが、明治の頃の新作である。ステテコ踊りという珍芸で一躍人気者となり、新作を創り、当時の古典の改作も手がけた、初代三遊亭圓遊師匠の作品である。その後手がけた演者は、そう多くはないようで、現在は完全に埋もれてしまっていた噺である。
僕はこの『擬宝珠』を持ちネタにしているが、そういう噺だから、もちろん誰かに教われる訳もなく、速記から掘り起こしたのである。
 だから「連綿と伝えられて多くの演者によって練られた噺が古典落語」とするならば、『擬宝珠』を古典というカテゴリーに括っていいのかどうかは分からない。まぁしかしこれだけ古ければ、古典と言ってしまって良いだろう。そもそもどこからが古典でどこまでが新作か、落語には確たる定義がないのである。
 ただ、僕が今演じる『擬宝珠』には、だいぶ僕の手が入っている。
 圓遊師の速記では、若旦那から気鬱の原因を聞き出すのは、出入りの幇間(たいこもち)であった。ネタ下ろしして何度かは、幇間で演ってみたのだが、どうもうまくいかない。親にも医者にも打ち明けない気鬱の原因を、出入りの芸人には吐露するというのが、演じていてしっくりこないのだ。大家(たいけ)の若旦那と職人という立場は違えど、精神的にはつながっている幼な馴染みという設定に変えて、何とか演じられるようになった。
 
 弟弟子の喬四郎が、確か彼がまだ前座の頃、師匠の家で、カレーライスを箸で食べていた事があった。おいスプーンでお食べよと言ったら、箸の方が良いと言う。食べにくいだろうよと呆れたら、
 「僕、箸の方がいいんですよ。金物の味が嫌いなんです」
 このエピソードが、『擬宝珠』を演じる上での参考になっている。金物を嫌がる舌があるのなら、金物を喜ぶ舌もあるだろう。そう考えて、若旦那の嗜好(しこう)を、自分の腑に落とさせている。
 
 いっときはよく高座にかけていて、なんとかウケるようになってくると、
 「面白いですね、フェチの噺ですね」
 という感想を、チラチラうかがうようになった。しかも、若いお客様からである。
 長らく埋もれていた理由の一つには、バカバカしいから、というのもあるだろう。かと言ってそのバカバカしさも、『首提灯』や『あたま山』ほど突き抜けておらず、中途半端といえなくもない。
 フェチという概念が浸透した近年だからこそ、受け入れられやすかったのかもしれない。なるほど、掘り起こしにもタイミングがあるのか……と感じたのも、貴重な体験であった。
 
 とはいえ、僕がこの噺を演ってみようと思ったきっかけは、自分のアンテナが鋭かったからではない。
 亡くなった推理作家の都筑道夫先生が僕は大好きで……と言っても、ほんの数冊しか拝読してはいないのだが……その都筑先生の御作に、なめくじ長屋シリーズという捕物帖がある。その中の一冊『きまぐれ砂絵』に収められてる短編群は、全て古典落語をモチーフとした作品だが、その中の一篇に『擬宝珠』があった。
 早世された新作落語家、鶯春亭梅橋師匠が兄上であった都筑先生は、落語にも造詣が深く、『擬宝珠』は速記で読まれたそうだ。しかし演じられたのをお聞きになった事はなかったらしい。
 僕はそれを素人時代に知り、ずっとこの噺が気にかかっていた。
やがて噺家になり、前座の修行を終え、二ツ目の数年を過ごし、そろそろ手がけてみようか……と、『擬宝珠』を演り始めた。
 もちろん都筑先生との接点はなかったが、真打になってしばらくした頃、国立劇場の企画公演で、都筑先生書き下ろしの落語作品を、口演させて頂く機会に恵まれた。お目にかかれはしなかったが、一度だけお電話を頂いて、嬉しくて緊張して興奮した。
 残念なのは、都筑先生に『擬宝珠』をお聞き頂けなかったことである。もし聞いて下さったら、どんな感想を頂けただろうか。

  おかげさまで『落語こてんパン』が一冊の本になりました!

  ぜひお手元でお目にかかれますように。

  ポプラビーチでの連載も続きます。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

                                       ~編集部より~

 

プロフィール

柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう)
1963年東京生まれ、落語家。平成元年に柳家さん喬へ入門、平成12年に真打に昇進。古典、新作、両方で発揮される独創性と工夫に評価が高い。現在「週刊文春」はじめ、連載も多数持っている。

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