落語こてんパン

第八十九回 片棒

 

 我が落語協会の色物の重鎮、ニューマリオネットの伊原寛先生が亡くなった。七十六歳だった。奥様で相方の千寿子先生が退かれてからは、一人で高座を勤めておられた。
 安来節、花笠音頭、闘牛、獅子舞等、物言わぬ人形達が、先生の糸操りによって魂が吹き込まれ、生き生きとコミカルに躍動するさまは、観ていて実に楽しく面白く、ウキウキと嬉しくさせてくれる芸だった。
 今回取り上げるネタ『片棒』と伊原先生の話題とは、直接は何の関わりもない。演目を『片棒』と決めて原稿を書き始めようとしたら、伊原先生の訃報が飛び込んできた……それだけである。
 ただ、無理矢理にこじつけることが、できなくもない。
 噺の中で、演者が仕掛けの人形を真似て、ぎこちなく動く仕草があるからだ。
 
*   *   *
 
 とあるお店(たな)の旦那はたいそうな倹約家、いや吝嗇(けち)な人物だが、三人いる倅のうち、誰に跡を継がせようかと頭を悩ませている。番頭に相談したところ、事あるときにどのように対処するかを確かめてみたらいかがでしょう、とアドバイスをくれた。そこで倅達を順に呼び、自分が死んだらどんな弔いを出してくれるか、それを訊いてみることにした。
 まずは長男。長男らしくしっかりしてはいるのだが……。
 うちもこれだけの身代ですし、お付き合いも多ございます。何よりお父っつぁんほどの方が亡くなった折、恥ずかしい真似はできません。盛大に致しませんと……と、やれ棺桶をどうするの料理をお土産を車代をと、豪勢なプランを並べ立てる。予算を訊いてみると莫大な額。旦那は呆れ果てて、
「も、もういい、あっちへ……あっちへ行っとくれ。そんなに金を使われちゃあたまらない、あたしゃ動悸が早くなってきたよ」
 続いて次男。
 こいつがお調子者で江戸ッ子気質、しかしやっぱり若旦那という奴で。
「派手で陽気にしたいねぇ、古今東西にかつてない、未曾有な弔いにしようじゃねえか」
 祭り囃子に乗せられて、お父っつぁんのお骨が入った御輿を担ごう、芸者の手古舞も頼もう、そうだ仕掛けで動くお父っつぁんの人形を拵えて、そいつを乗せた山車を出そう……と大はしゃぎ。挙句の果てに、大きな花火を打ち上げようと言う始末。
「ドーンと打ち上げてパーッと花が開くとね、落下傘を付けたお父っつぁんの位牌がヒラヒラヒラ~……。で親類代表の弔辞の朗読があって……バンザーイ!」
「何がバンザイだ馬鹿、もういいから向こうへ行けッ! 全くどいつもこいつも……」
 そして三男。
 お前ならどうしてくれる? と問うと、
「お弔い出しますか?」
 おいおい弔いくらい出しとくれよ……とだんだん話を聞いてみると、どうもこいつが親父の血を一番色濃く継いでいるのか、親に輪をかけた倹約家……いや、しみったれ。
「早桶は菜漬けの樽でご辛抱願います。ご会葬の皆さんにお知らせしたよりもずいぶん早く出棺も済ませます。そうすればお酒も料理も出さずに済みます」
 偉い! お前は見所があるなと親父も大感心。
「早桶を担ぐのに人足を頼むのも無駄ですから、あたくしが担ぎます。とは言え差し担いですから二人要る。どうしても一人は人足を雇わなきゃなりませんが……」
 それを聞いたお父っつぁん、
「いや倅、心酔するな。片棒はお父っつぁんが担いでやるから」
 
*   *   *
 
我が師匠、柳家さん喬の得意ネタの一つであるが、現在、得意としておられる方は少なくない。落語協会に限っても、春風亭一朝師匠、入船亭扇遊師匠、柳亭市馬師匠、入船亭扇辰師匠、古今亭菊之丞師匠、三遊亭歌奴師匠。他にも、若手に至るまでまだまだいる。
 故人では、九代目桂文治師匠が演られていたらしい。不勉強でうかがってないのだが、音が市販されている。
 僕がこの噺を初めて聴いたのは、ラジオで先代雷門助六師匠の一席だった。大好きだった助六師匠の『片棒』は面白かったが、特に落げの言い方が印象に残っている。
 現在は殆どの演者が、
「片棒はお父っつぁんが担いでやるから」
 という台詞まわしで落げているが、助六師匠は、
「その片棒は(ここで一瞬の間を置いて)俺が担ぐ」
 と、落げていた。『後生鰻』の回で先代圓遊師匠についても同じように触れたが、僕はこういう、ちょっと古い匂いのする柔らかい落げの言い方が好きである。
 
 この噺のテーマとは違うかもしれないが、演芸としての聞かせどころのひとつが、次男の件り。祭りに模した弔いの風景を語る場面で、ウキウキ夢中に嬉しそうに、テンポよくリズミカルに、祭り囃子と御輿の掛け声を舌先三寸で奏でてゆく。耳に楽しく、聴いていて心が弾んでくるシーンである。このあたりの演出は『祗園会』(『祗園祭』)にも通ずる。僕はこの噺を演らないが、滑舌が悪く舌の回らない喬太郎さんには難しいだろう。
 そして見せるクスグリとして、前述の人形がある。冒頭、伊原先生の話題に無理矢理絡めたが、ニューマリオネットは糸操りだから、この噺の人形仕草とはちょっと違う。『片棒』の方はからくり仕掛けだから、動きがロボット的である。
 囃子、動きと、次男の件りは賑やかで、だからだろうか、弔いがどうこうと言っている割に、この噺の印象は華やかである。
 
 最後に一つ、それを言っちゃあ元も子もない疑問を。
 この噺の落げ、落語らしくて僕はとても好きなのだが、矛盾がある。
「早桶の差し担い、あたくしが担ぎますがもう一人は人足を頼みませんと……」
 ……えー? 兄貴が二人いるじゃーん……。
 僕はついそう思ってしまうのだが、あえてそこをスルーするのが……へへっ、落語のいいところ。
 
 最後に、伊原寛先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。

  おかげさまで『落語こてんパン』が一冊の本になりました!

  ぜひお手元でお目にかかれますように。

  ポプラビーチでの連載も続きます。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

                                       ~編集部より~

 

プロフィール

柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう)
1963年東京生まれ、落語家。平成元年に柳家さん喬へ入門、平成12年に真打に昇進。古典、新作、両方で発揮される独創性と工夫に評価が高い。現在「週刊文春」はじめ、連載も多数持っている。

最新記事

バックナンバーはこちら

ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。
皆さまのおたよりお待ちしております。
感想を送る
WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る