落語こてんパン

第七十四回 粗忽長屋

 
 あッ! わっ! うそっ! えっえっ、えっ!?
 きゃーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
 ……まいったなぁ、もう……。
 ……いやもうホントにね、まいりましたよ。
 何がってね、今回の原稿、取り上げるネタを決めてね、書き出したわけですよ。
 でまぁ、順調ってんでもないけどね、書き進んでいって、あぁもう、あとわずかだ……ってところまでいったんですわ。
 そこでね、ふと見たのよ、今までここで何を取り上げたか、そのリストを。
 ……そしたらさぁ……そしたらさ、今現在もう少しで書き上がりそうなその原稿で、取り上げた噺をさ……もう既に書いていたのだよ、この連載で。
 ぎゃーーーーーーーっ!!
 て感じですよ。なんだよもう書いちゃったんじゃんよ『あくび指南』!
 だったら言えよ『あくび指南』!
「喬ちゃん喬ちゃん、ボクもう書かれたよ」
 って申告しろよ『あくび指南』!
 つか忘れんなよ俺!
 ……もうさぁ……自分の馬鹿さかげん、粗忽かげんに腹が立つよ。ちゃんと確認しろよ、仕事なんだからさぁ……。
 だからね、一から書き直しよ。冗談じゃねえっつーの、最近で一番のガッカリだよ。でも悪いのは全部自分なのよ。だからどこにもぶつけらんないのよ、この悔しさを。
 あぁ、粗忽にもほどがある……それじゃあいっそ、改めてこのネタでいきましょうと。
 『粗忽長屋』。
 
* * *
 
 そそっかしい男、浅草の観音様にお参りをして、帰ろうとすると黒山の人だかり。なんだろうと興味津々、その真ん中まで行ってみると、行き倒れ。
 身元が分からなくて弱っているという。差配をしている人に促されて見てみると……、
「あッ……! 熊の野郎だ!」
「え、知ってんのかい?」
「知ってるもなにも同じ長屋に住んでんですよ。生まれた時は別々だが、死ぬ時は別々って仲だ」
「当り前だ」
「やい……おーい、熊ァ……!」
 いつまでもここに寝かしとくわけにもいかないんだ、お前さん仲がいいんなら、この人引き取っておくれ……と言われて主人公、うーんそれもなぁ……。
「よし、じゃあこうしましょう、当人連れてきましょう」
「え、誰をだい?」
「ですから行き倒れの当人をね」
「……え? ちょっと分かんない。なに?」
「なにしろこいつは普段からボーッとした野郎ですからね、自分が死んだの知らねえんですよ。ちょいと呼んで来ますから」
「あっ、ねぇ、オイちょいとお前さん」
 さぁこれから熊を呼びに行く。またこの熊なる奴が、輪をかけた粗忽者で……。
 
* * *
 
 名作である。シュールというかナンセンスというか、粗忽を扱った落語の、傑作である。
 粗忽者を扱った噺は、ほかに『粗忽の使者』『堀の内』『松曳き』等があるが、『粗忽長屋』の主人公二人ほど、暴走しっぱなしの粗忽者もないだろう。どの噺の主人公も、ストーリーの中で少なくとも一回は、自分の粗忽な行動に気付いている。『堀の内』の主人公も暴走するといえば暴走するが、一つ一つの行動を、他者に指摘されて、その度に一応我に返る。
 ところが『粗忽長屋』に登場する二人は、第三者の指摘を受けても、自分の粗忽に気付かない。思い込んだら突っ走るのみである。
 だからだろうか、この噺は、他の粗忽の噺とは若干印象が違うように思う。
 聞き手側からすると、『粗忽の釘』『堀の内』のように、主人公が自分の粗忽を自覚することで、その状況を観客席から眺めているような、一種の安心感が得られるのではないか。いやまぁ殆どの落語はそうだけど。『松曳き』だって、最後は主人公が我に返るしね。しかも第三者の指摘を受けずに。
 そこへいくと『粗忽長屋』の主人公達は、物語の最後まで、自分達の行動が粗忽であることを自覚しない。ひょっとするとこの二人は、『粗忽長屋』という物語で描かれたエピソード以外の人生でも、自分の粗忽を自覚していないのではないか。
 演じ手がうまく演れたとき、聞き手は観客席から引き離され、ほんの少しだけれども主人公達に巻き込まれる感覚を、微妙に、スリリングに味わうのではなかろうか。
 『粗忽長屋』とは、そういう噺のような気がする。
 もちろん、どっかで俯瞰してないと、“落語の観客”としてのお客様は、この噺を聞いて笑えないけどね。

 僕の大師匠、五代目柳家小さんの十八番であった。だからだろう、柳家一門でこの噺を演る人は多い。柳家花緑師匠に習って、僕もちょくちょく演っている。我が柳家さん喬一門では、弟弟子の柳亭左龍も演っている。
 昭和の名人と言われた五代目古今亭志ん生師匠もお演りになっていたようで、その直弟子だった先代古今亭志ん馬師匠の『粗忽長屋』も、師の生前、時折寄席でうかがった。
 林家たい平師匠は、学生時代、先代小さんの『粗忽長屋』を聴いて、落語に目覚めたそうである。たい平師匠も『粗忽長屋』は持ちネタにしていらして、落げの後にその続きを創り、ナンセンス度の増した『粗忽長屋』を演じておられる。
 落語芸術協会では桂歌丸師匠が、上方では桂文珍師匠が演っておられる。
 そして立川談志師匠は、独自の鋭い解釈で、『主観長屋』として、お演りになる。

 なにしろ、難しい噺だ。
 うまくハマればよくウケるが、それたらシラけっぱなしである。
 僕もいつかこの噺を、きちんと演りこなせる噺家になりたいものである。

 ……と、えーっと、今回こんな感じでいいのかな?
 オーイ担当のYさん、俺この連載で、前に『粗忽長屋』取り上げてないよねェ?
 おーい返事してくれ、大丈夫だよねぇ……!?
 

  おかげさまで『落語こてんパン』が一冊の本になりました!

  ぜひお手元でお目にかかれますように。

  ポプラビーチでの連載も続きます。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

                                       ~編集部より~

 

プロフィール

柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう)
1963年東京生まれ、落語家。平成元年に柳家さん喬へ入門、平成12年に真打に昇進。古典、新作、両方で発揮される独創性と工夫に評価が高い。現在「週刊文春」はじめ、連載も多数持っている。

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