落語こてんパン

第九十二回 粗忽の釘

 おぉ何たる事っちゃ、連載も九十二回目だというのにまだ取り上げてませんでしたか粗忽の釘。二ツ目も真打も演る、寄席じゃしょっちゅう聴かれる噺なのにね粗忽の釘。意外なネタが盲点でした粗忽の釘。

 そんな訳で今回は粗忽の釘。粗忽の釘粗忽の釘。

 

*   *   *

 

 粗忽者の亭主にしっかり者の女房の引っ越し。亭主は粗忽なだけあって、運ぶ荷物を後ろの柱と一緒にくくってしまったり、それに気付かず担ごうとしたり、旧宅を出るまでに一騒動。やっとの事で、

「おぅ、じゃあ先に行ってるからな」

 と出て行ったが、女房が新宅にきちんと引っ越して、知り合いを頼んですっかり片付けても、亭主野郎はやって来ない。

 道に迷うわ行き先は分からなくなるわ、やっとの事で辿り着いた亭主に、呆れながらも女房は

「お前さん、ほうきを掛けたいから柱に釘を打っとくれよ」

 おぅ俺は大工だ任しとけ……と、亭主はいい気になって釘を打ったが、調子に乗ってすっかり釘を打ち込んでしまう。それも柱ではなく壁に。おまけに八寸の瓦ッ釘。

「しょうがないねぇお前さん、長屋の壁なんざ薄いんだよ。お隣に釘の先が出て、家財道具に傷でもつけてたらいけない。行って謝っといでよ」

 よっしゃってんで出掛けて行くが、間違ってお向かいに行ってしまう。うちじゃありませんよと指摘されて、こいつぁいけねえと飛び込んで、謝った先が自分の家。粗忽の面目躍如である。

「お前さん落ち着きなよ。落ち着きゃ一人前なんだから」

 そうだよな俺ぁ落ち着きゃ一人前だと、隣の家へ。

「ごめんください」

「はい……どなたです?」

「いえいえ、もう……落ち着かせて頂きます」

 知らない人に落ち着かれて、のんびり煙草なんぞ喫まれて、隣の人も困惑気味。あげくの果てに粗忽亭主、カミさんとの馴れ初めをさんざ喋って、

「さようなら」

「何しに来たんだいあの人……!?」

 帰宅して女房に様子を話すと、ますます女房は呆れて

「お前さん釘はどうしたの!?」

 うわ、いけねぇってんで再び隣家へ。

 打ち込んだ釘の先は、なんと隣家の仏壇の中に飛び出ていた。それを見た粗忽亭主、

「こりゃ面倒な事になった」

「何を言ってんです困るのはうちですよ!」

「だって毎日あそこまで、ほうきを掛けに来なけりゃならねぇ」

 

*   *   *

 

 元は上方落語の『宿替え』で、落げも違います。本来の上方バージョンでは、

「あかん、前の家に親父忘れてきた」

「困った人やなぁ」

「親父忘れるくらい、なんでもおまへん。酒を呑んだら我を忘れます」

 素人時代、たしかまだ僕が学生だった頃、亡くなった桂枝雀師匠の高座で聴きました。記憶違いでなければ、橘家圓蔵師匠の独演会の、ゲストではなかったかと思います。

 いや、面白かったのなんの。もう、爆笑の波状攻撃とでもいうか、腹がよじれて破れるかと思うくらい笑いました。

 東京では、古今亭圓菊師匠。独特の圓菊節で繰り広げられるその高座に、いつも客席は爆笑の渦です。

 

 現在、東京で演る人は多いです。

 真打はもちろん、軽くもできるから二ツ目さんで演る人も多い。うちの師匠も、昔はよく演っていたそうです。

 

 今更ながら我に返って考えてみるに、俺どうしてこの噺演ってなかったんだろ。二ツ目の頃に教わって、持ちネタにしててもおかしくなかった噺なのに。

 粗忽物の噺で僕が最初に手掛けたのは『粗忽の使者』で、今の柳亭市馬師匠に教わりました。苦労して演り始めたその頃に、そういえば、とある先輩に言われた事がありました。

「粗忽演るんなら普通『粗忽の釘』あたりから始めるだろうよ。わざわざ難しい噺から始めるのも珍しいなぁ」

 あー……そーなんだー……ってのが、その時の率直な感想。なーんにも考えてなかったんであります。何も考えずに『粗忽の使者』から入ったんであります。武家の言葉も使わなきゃならない『粗忽の使者』や、シュールに価値観が倒錯する『粗忽長屋』はちょこちょこ演るのに、分かり易くて笑いも多い『粗忽の釘』を、なぜ僕は演らなかったのか。

 ヤイ喬太郎! こういう噺をキチンと稽古しろ!……と、自分に釘を刺しておきましょ。

 そんな訳で、また次回!

 

*   *   *

 

じゃあないよ違うよ違う、また次回じゃないんだよ。

 えー、落語こてんパン、今回が最終回であります。長い間の御愛読、ありがとうございました。

 そんな訳で、また来月!

 ……ちがーう! 来月はないの!

 本当にもう俺ってば、最後まで粗忽なんだから……。

プロフィール

柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう)
1963年東京生まれ、落語家。平成元年に柳家さん喬へ入門、平成12年に真打に昇進。古典、新作、両方で発揮される独創性と工夫に評価が高い。現在「週刊文春」はじめ、連載も多数持っている。

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