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デビュー二十周年の節目に

藤井 『ピエタ』が刊行されたのは、2011年2月でしたね。3月にあの大震災があって、しばらくフィクションに手が伸びなかったのですが、そんな中で、初めて読んだ小説が『ピエタ』でした。不意に暗闇に差し込む光のように、思いがけず深く、抗いがたく強く、登場人物たちの想いに寄り添って、ともに生きる時間を得たような心持ちになりました。凡庸な物言いになりますが、物語の真価を再確認させてくれる作品でした。

大島 実は、震災後、初めて読んだのが『ピエタ』だったというお声は何人かからいただいたんです。『ピエタ』を執筆していたのは一昨年の猛暑の頃で、なぜ今、18世紀のヴェネツィアの冬の話を必死に書いているんだろう? と思っていたんですけれど、「震災後に自分の身に近い話だとなかなか読めなかったのだけど、国も時代も遠い話だから、かえって手に取ることができた」「ひととき違う世界に旅をすることができた」という感想を伺い、ああ、だからあのタイミングにこのお話を書いていたのかもしれない、という気持ちになりました。

藤井 大島さんは今年、デビュー二十周年だそうですね。そんな節目の年に『ピエタ』が本屋大賞第三位に選ばれるとは、おめでとうございます!

大島 そのタイミングで『ピエタ』をオーディオドラマにしていただいて、ありがとうございます。まず伺ってみたかったのは、私の作品の中でもよりラジオ向きのものはありそうなのに、ピンポイントで難しいものを選んでらっしゃるように感じるのですが。特に『ピエタ』は時間軸が長く、登場人物も多い長編なので、さぞ大変だったのではないかと……。

藤井 たしかに難しいです(笑)。『ピエタ』は作曲家ヴィヴァルディが登場しますが、音楽ものが即音声ドラマにぴったりかというと、そうでもないんです。たとえば絶世の美女とか天才的な画家の絵というのは、聴いた方がイメージを増幅して、それぞれの像を思い浮かべていただけるんですが、天才音楽家の演奏って、仮に世界最高峰の演奏家を連れてきて録音したとしても、すべての方に納得していただけないと思うんですよ。人の想像力には適わない。

大島 なるほど、そうかもしれませんね。

藤井 ただ、『ピエタ』自体は、ヴィヴァルディの教え子のアンナ・マリーアという傑出したヴァイオリニストは出てくるけれども、その音楽が流れただけで世界が引っくり返るという仕掛けではないですよね。堅実に、生真面目に、生きている人たちのお話なので、それは台詞や演技で表現していけますから、そういう意味ではあながち難しくない。大島さんの作品で大変なのは、文章の密度……非常にいろいろなものが織り込まれているんですよね。ふたを開けてみると、小さい歯車みたいなものがいっぱい入っていて、ああ、これは一個外したら収拾つかないなと思って一回閉めて、また開けてみての繰り返しになってしまう。

大島 それはよくわかります。私、一回書いちゃうと、直しがすごく苦手で。今おっしゃったみたいに、この歯車を動かしちゃうと、こっちがあわなくなっちゃうみたいに混乱してしまうんです。直しが苦手なのはこういう理由です、というのを、今藤井さんに明確に説明していただきました(笑)

重層的に折り畳まれた文章

藤井 初めて大島さんの作品を読んだとき、「なんだ……なんだこの文章は!」と衝撃を受けました。書かれているモチーフやストーリーは特殊ではないのに、時間と記憶をテーマにした意識の流れが、文章の中に重層的に畳み込まれている。それをとても心地よく感じたんです。あれ、今、ものすごい読書体験をしたぞ、と思いました。そこで神をも恐れぬ所業で、二〇〇四年に『チョコリエッタ』(角川文庫)を五十分の単発ドラマにさせていただいたんですね。やってみたら、脚本をつくるのがものすごく難しかった。そこから学ばなかったので、無謀にも『ピエタ』に挑んでしまった。でも、短い人生、どうせやるなら一番惹かれたものと長く付き合いたいじゃないですか。

大島 (笑)。たしかに。

藤井 僕の感じた物語の素晴らしさを、聴いていただく方にも共有してもらえると信じているからこそ、世界を整えたり、有能な役者さんに出てもらったり、いろいろ努力はするわけですが、出発点はやはり、作中の登場人物たちと時間を過ごしたいという私利私欲ですね(笑)。初読で一番印象的だったのは、ヴィヴァルディの古い知り合いで、高級娼婦のクラウディアだったんですが、脚本の作業を進めているうちに、だんだんヴェロニカもいいなぁと思うようになって。

大島 クラウディアとヴェロニカが好きとおっしゃってくださる方、多いんですよ。

藤井 さらに面白いことに、収録になると、エミーリアがものすごく愛しく思えてきたんです。最後のほうの場面では、ヴェロニカがエミーリアに包み込まれているようで、彼女の存在感を強く感じました。

大島 読者はみんな最初はエミーリアの視点で読んでいるから、地の色というか、あまりエミーリアが立ってこないように思えるかもしれませんね。藤井さんのように何度も読み込んで、物語と長く付き合ってくださると、色々な角度からエミーリアの姿が浮かび上がってくるのかも。でもよくこの物語を十回でまとめられましたね。私、どこかの場面をクローズアップすると思っていたので、脚本を読んだら、全体を見せてくれるものになっていたのに驚きました。

藤井 何かがそうさせたんですね。歌姫アンナ・ジローやその姉パオリーナの話、ヴィヴァルディの妹ザネータの話など、割に細かいディテールが入っているでしょう。結果的に、不在のヴィヴァルディ先生から放たれた光のかけらを拾い集めていくような構成になりました。それに加えて、脚色のプロセスで、「ヴェネツィア魂」って何でしょうね? という話題になって……。

大島 ヴェネツィア魂? 新しい言葉ですね。

藤井 オーディオドラマでは、クラウディアの台詞に顕著なのですが、登場人物全員の軸に共通のスピリットが色濃くあるように感じたんです。ヴェネツィアという都市が本来持っていた、人間の精神の自由を大切にする気風ですね。そこからヴィヴァルディのような才能が生まれてくる。そこに深く感じ入るところがありました。ピエタ慈善院という音楽のある場所があり、修道女のような女性たちがつつましく暮らしている一方で、政府に不満を持つ活動家が登場し、彼らをクラウディアが匿ったりしている。政府のトップである十人委員会ではなく、高級娼婦だったり、心を痛めているひとりの貴族であったり、弱くバラバラな人たちがヴェネツィアの今と将来を憂えている。それが、「よりよく生きよ」という作中のキーワードにすべて収斂していく。その部分は、大人の男性読者にも特に共感してもらえるんじゃないかと思います。

大島 ありがとうございます。

年齢不詳の人たち

藤井 『ピエタ』に登場する人たちって、設定年齢は結構高いんですけど、どこか年齢不肖に感じます。ヴェネツィアという街やピエタ慈善院が、その時代のしばりからある種浮かんでいるような場所なので、生活じみていないせいでしょうか。

大島 まったくその通りなんですよ。ほかの小説家の方のインタビューを読むと、映像が見えるのを書くという人が結構いらっしゃいますが、私は耳が優先なんです。語りというか、耳に聴こえてくるものを書くと絵が見えてくる。『ピエタ』では聴こえてくる声が、史実に基づいた設定年齢があるにも関わらず、ちょっと若いな、という印象があって。でも若く聴こえるからその通りに小説に書いていくんですけど。

藤井 決して現代的に若い口調であるわけではないんですけどね。「~なのです」といった丁寧な口調なのにも関わらず、精神の若さが感じられる。いわば時代劇なんですけれど、精神は自由な感じを受けて。

大島 そうそう、私も書きながら感じていました。無理に設定にあわせることはできなくて、聴こえたままを書いていくんです。藤井さんもおっしゃるように、こういう環境で育ち、一般の生活とは離れたところで暮らしていると、ちょっとずれちゃうところがあるのかな、というところで、ありかな、と。

藤井 どのくらいの歳のどういう役者さんに演じてもらえばいいんだろうって考えていたんですけど、読ませていただいた周りの人が、みんな「若い声が聴こえる」って言うんです。エミーリアにしても、45年前に生まれて、と書いてあるんですが。ヴィヴァルディの没年がわかっているから、妹さんたちは幾つくらい、とわかるんだけど、彼女たちにしても、生活は苦しいにも関わらず、兄の音楽を心に抱いて生きているところなんか、年齢よりも若く感じられました。きっと大島さんの文章の中に折りたたまれて入っている感覚、フリーズドライされたものを我々読者が解凍するように感じ取っているんですね。

大島 そんな風に読んでいただけたらうれしいですね。

藤井 『ピエタ』の舞台であるヴェネツィアは、それ自体が演劇的な虚構性をもつ、ヨーロッパの中でも特殊な都市です。まだ行ったことはありませんが、須賀敦子さんのエッセイや栗本慎一郎さんの都市論で言及されていて興味をもっていました。作中では、ヴィヴァルディや演奏家・歌手であるピエタの娘たち、画家のカナレットといった芸術家たちが魅力的に描かれています。興味があるのは大島さんがなぜヴェネツィアを選ばれたか、なんです。

大島 それはヴィヴァルディを描きたいと思っているうちに、としか言いようがないですね。

藤井 質問を変えましょう。大島さんのそのほかの作品でも、映画や舞台など、ある種の虚構的なことに携わったり、引っかかっている人たちがよく登場しますよね。そういう人物が出てくるのは、なぜなんでしょう?

大島 なぜだろう……。あまり自覚していませんでした。今おっしゃられて、そういえばそうだなと気づきました。設定を考えて書き始めるのではなく、聞こえてきた声を書いていくから(笑)。

藤井 『やがて目覚めない朝がくる』でも、元女優だった蕗さんを中心に、主人公の少女のまわりに一風変わった大人たちが集っていますよね。リアリズムの世界からすると、このご時勢に浮世離れした豪奢な生活を送っているとも見えるのですが……。

大島 そうですね(笑)。

藤井 でもそこに、なにか人間性の大切なものが畳み込まれているように感じるんです。大島マジックともいうべき密度の濃い文章に、一貫して人の生きること、死ぬことを時間や記憶などの中に織り込んで書いていらっしゃるような。時代にあわせてさまざまなテーマやモチーフに触っていくのではなく、まわりがどんな世の中であろうと、ちょっとずつその部分を掘っていくことに関心がおありなのかな、と思うのですが。

大島 ああ……。実は今、ポプラ社のPR誌『asta*』に連載している『ゼラニウムの庭』が、まさに、そういうことが色濃くテーマにある作品なんです。掘って掘って掘っているうちに、あの作品に行き着いたのかもしれない、と今の藤井さんのお話を伺って腑に落ちました。

体感が虚構に騙される

大島 書いていたときは、まさか『ピエタ』の音楽が聴ける日がくると思いませんでしたよ。ロドヴィーゴさんの歌も聴けるのかと思うと、すごく不思議な気がします。

藤井 大島さんには音源の収録を聴きに来ていただきましたが、歌だけ、楽器だけではなく、役者さんの演技はもちろん、音響効果やミキシングなどの演出をしたあとのトータルなものとしての音楽がどうハマるか、というところを楽しみにしていただきたいです。

大島 一つ一つは素材ですものね。

藤井 ヴェネツィアの水の気配や鐘の音、ヴァイオリンの音色などが複合されることで、体感が虚構に騙されるというか、リアルに感じてしまう、聞き手が補完して世界を作ってしまうという感じを味わっていただきたいですね。いい小説を読んで追体験してしまうのと、オーディオドラマを聴いて感じるところには、似たところもあるのではないかなと思います。

大島 それがラジオの醍醐味ですよね。放送が楽しみです。

藤井 大島さんの次回作は……?

大島 さきほどお話にでてきた『ゼラニウムの庭』が、秋に単行本化される予定です。『ピエタ』とは違うタイプの物語なのですが、変わったものを書いてしまったのではないかとドキドキしています。

藤井 それは待ち遠しいですね。今日は色々とお話できて楽しかったです。

大島 こちらこそありがとうございました。

大島真寿美(おおしま・ますみ)
1962年、名古屋市生まれ。著書に『虹色天気雨』
『やがて目覚めない朝が来る』『三人姉妹』『戦友の恋』『ビターシュガー』『ピエタ』『それでも彼女は歩きつづける』など。
藤井靖(ふじい・やすし)
1968年、兵庫県生まれ。NHKドラマ番組部で『青春アドベンチャー』『FMシアター』を担当。大島作品のオーディオドラマ化は、『チョコリエッタ』(角川文庫)に続いて二度目。
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