ウィンターソング

――一九七四年

 〈ピースメーカー〉
 平和をもたらす者。
 アメリカ西部開拓時代によく使われていたらしい、有名な拳銃の名前なんだ。西部劇の映画に出てくる拳銃で、小さい頃、駄菓子屋のくじで当たった銀玉鉄砲にも同じ形のがあった。
 拳銃は人を殺す武器なのに〈平和を作るもの〉なんて名前はどこかおかしいけど、でも殺し合うかどうかは別にして、平和は戦って勝ち取るものっていうのは、なんとなくだけどわかるような気がする。
 そしてその名前は、僕の六歳上の姉であるみーちゃん、林田みさきがこの赤星中学校で果たした役割に与えられた名前でもあったんだ。

 伝統と歴史のある中高一貫教育の〈赤星学園〉が僕らの学校。
 今は〈赤星中学校〉と〈赤星高校〉という名前になってる。敷地は別々で、中学は町の外れの山の裾で高校は山の上。高校は中学を上から見下ろすって形だけど、実際はなんで年上がこんなキツい坂を登らなきゃならないんだってイヤになるらしい。
 実はこの山がまるごと赤星学園創始者の観郭義滋郎(みくるわ よしじろう)って人の持ちもので、なんでも明治時代に大金持ちになって、学校を始めたらしいんだ。今の学園長もその人の子孫だって入学時には教えられる。
 学生帽とセーラー服に入れられた黄色い三本線は赤星学園の象徴で、その学帽と制服を身につけていれば、市内どこに行っても〈赤学の生徒〉として認識される。
 でも〈赤星〉なのになんで線は黄色なんだろうっていう疑問は、校史をひもといてみてもどこにも載ってなくて、学校の七不思議のひとつ。ちなみに後の六つの不思議は、〈笑うシューベルト、階段下の地下倉庫、鼠大将、踊る制服、廊下の赤線、雨漏りトイレ〉。どれもこれもおもしろい話なので、僕とケンちゃんはひそかにそれを調べている。
 赤い星っていうのは火星のことで、戦いの神様らしい。そのせいじゃないだろうけど、この赤星学園では何故か伝統的に文化部と運動部の戦いが続いているんだ。
 〈文武精勤〉っていう誰が書いたかわからない書が校長室に貼ってある。それぞれの部に入った者たちは誇りを持って部活動に勤しみ互いに競い合え、ということらしい。それぞれに素晴らしい記録や作品を残すために頑張るのはいいことなんだけど、そもそもがまるで違うんだから、どっちが素晴らしいなんて決められるはずもない。
 ないけど、文化部は運動部の連中を『脳みそまで筋肉』とか言うし、運動部は文化部を『青っちょろいもやし』って陰口をたたく。
 きっと大昔から、この学校の実権を握るのはどっちかということで争ってきたのに違いないんだ。旧校舎に残っている部室の壁の落書きには、いかにもそういうことがたくさん書いてある。その戦いが変な形で急加速したのは、みーちゃんが中学に入る二、三年前からだったらしい。
 現在の赤星中学で〈二大将軍〉とウワサされる古株の二人の先生。
 文化部総合顧問の菅野(かんの)先生と、運動部総合顧問の玉置(たまき)先生。
 その二人の間にある確執が、通称〈カンタマの戦い〉。
 この名前を聞いて、クラスに必ず一人は、〈カ〉を〈キ〉に言い換える奴がいるのはお約束みたいなものだ。
 文化部と運動部の代理戦争みたいになってしまった二人の確執の原因は、同僚の美人先生を取り合ったとか、大学の同級生で昔からライバルだったとか、いや実は二人は腹違いの兄弟らしいとかそりゃもういろいろ噂はあるけど本当のところはわからないし、誰も確認できない。とにかく二人はもう長い間赤星中学校にいて、職員室では新任の教頭先生以上に権力を持っていて、かつ犬猿の仲なんだ。たくさん居る先生方も、その二大将軍のどちらかに与していかないと居づらい雰囲気に職員室はなってるらしい。
 部費の配分、行事のスケジュール、教育方針から生徒指導までとにかく何から何まで二人は対立していて、唯一意見の一致を見るのは職員室で飲むお茶は静岡産、ということだけらしい。
 その中で、どっちにも属さない唯一の先生が、僕ら放送部顧問の中山先生だ。
 通称、コウモリ。
 自分ではあまり気に入ってないらしくて、「せめてバットマンでどうだ」って言ってるけどそれもどうかと思う。でも、いい先生なんだ。飄々としてて、文化部と運動部そして両派閥の先生方、どっちにも公平に接している。それに女子には、ショーケンに似てるってことでかなり人気がある。
 まだ三十代で若いのにそうやって派閥に属さないでやっていられるのは、実はかつて玉置先生の生徒だった時代があって、その頃に相当派手にやりあって玉置先生も敵わなかったぐらい腕も口も立つって噂があるけど、本当かどうかはわからない。
 実はコウモリは、うちの近所のおじさん、いや、お兄さんだったんだ。
 みーちゃんのことも、もちろん僕のことも生まれたときから知っていて、おしめまで替えたことがあるぞって言う。父さんとも仲が良くて、ときどきうちに来て一緒にお酒を飲んだりしたこともある。今は僕が生徒だから、不公平にならないようにって自粛しているけどね。
 飄々としてはいるけど、学校がそうやって二つに分かれているのはよろしくないって思っていたコウモリは、みーちゃんが赤星中学に入学して、どこの部にも入らずに帰宅部になったとき、頼んだんだ。
 放送部に入って、その美しい容姿と声と、とんでもない行動力で、赤星中学校の〈ピースメーカー〉になってほしいって。
 そう、文化部と運動部を唯一繋げる部活動が放送部だったんだ。
 「放送部が唯一、運動部と文化部を結びつけられる平和の使者〈ピースメーカー〉になれると思ってる。部の活動を把握して、取材から現場の仕切りから放送まで、すべてにおいて彼らを結べるのが、放送だ」
 その話を聞いて、みーちゃんはにやりと笑ったそうだ。
 僕の姉であるみーちゃんは、本当にどれだけ神様に愛されて生まれたんだろうっていうぐらい、すごい人だ。頭も良くて美人でスタイルが良くて運動神経も良い。弟である僕のことも可愛がってくれて、はっきり言って僕は自分のことをシスコンだと思ってる。
 それだけ揃ってしまったら同じ女性には嫌われるんじゃないかって思われるけど、そうじゃない。本当にみーちゃんは、誰に対しても優しいし、良い子なんだ。母さんなんか自分で産んでおきながら、ひょっとしたら私の子じゃないかもしれないって言ってるぐらいだ。
 唯一の欠点は、尋常ではない発想と行動力。
 小学校のころに夏休みの自由研究で〈入れ墨の研究〉をするためにヤクザの組長の家に行ってすっかり気に入られて帰ってきたり、いかだで海まで下れるかって一人で作ったいかだを川に浮かべて五十キロ下ったり、高校生のときにはエベレストに登りたいと言って日本中の高い山を冬山登山で制覇しようとしたり。
 父さんと母さんはもうみーちゃんの心配をすることを、完全に諦めてしまっている。
 そんなみーちゃんが、コウモリに頼まれて本気で赤星中学校の〈カンタマの戦い〉を鎮めようとしたんだ。
 三年間、文化部運動部全ての部の間を走り回って、インタビューをしていろんな番組を作って双方の交流の場を作り、お互いに競い合うっていうのは決して勝ち負けなんかじゃなくて、認め合い高め合っていくことなんだとわからせていった。
 その活躍ぶりとお昼の校内放送の人気はものすごくて、お昼時の学校はみーちゃんの声を聞くためにまるで無人のように静まり返ったっていう。そして、なんと地元のテレビ局まで取材に来たほど。
 だから、みーちゃんは、この学校の先生方の間で伝説になっている。
 〈ピースメーカー〉の名前と一緒に。

 でも、みーちゃんが卒業してもう三年が経った。
 時は流れて、みーちゃんの名前が学校から消えていくのと入れ替わりに、文化部対運動部の対立、通称〈カンタマの戦い〉も復活した。
 神様からたくさんの贈り物をもらっているみーちゃんと違って、弟である僕は全然普通だ。何かスポーツをやろうとは思っていたけど、入学前に足の病気で激しい運動ができなくなってしまった。
 それで、みーちゃんに頼まれたんだ。
 できれば、放送部に入ってほしい。
 〈ピースメーカー〉になってほしいって。
 天が二物も三物も与えたみーちゃんの、全然冴えない弟である僕は、放送部の最大の武器である数々の放送機器と〈お昼の校内放送〉を使ってやってみることにしたんだ。
 〈ピースメーカー〉の名を継ぐ者として、再び、運動部と文化部の架け橋になって、この学校に平和をもたらす戦いを。
 小学校からずっと一緒に放送部だった、相棒のケンちゃんと一緒に。



1

 ケンちゃんがオープンリールのスイッチを入れて〈お昼の校内放送〉のエンディングテーマ、ビートルズの〈Hello, Good-bye〉が流れだした。大きな窓ガラスの向こうで、インカムをつけて調整卓の前に座るケンちゃんが右手を上げた。丸っこい手をグーパーグーパー繰り返した後に、ヒュッ! ってその手が振られてキューが出た。
 そのタイミングで、僕はマイクの音量を調節するカフを上げて喋りだす。
 「〈お昼の校内放送〉、終わりの時間が来ました。それではここで全校連絡です」
 ここで、僕の正面に座っていた三浦さんに眼で合図する。三浦さんが頷いて、原稿を見ながら喋りだす。
 「正面玄関に新しく雪落としのためのマットが敷かれました。登校してきたときや、外に出て入るときには必ずそこで靴の雪をしっかり落としてから、下駄箱に入れるようにしてください。各クラスの委員長副委員長は、本日は〈冬休み安全活動委員会〉の会議があります。忘れずに参加してください。委員長副委員長が欠席のクラスは、安全委員が代理で出席してください。風邪が流行っています。それぞれに充分気をつけて、冬休みまでの毎日を過ごしてください。咳が出る人はマスクをするように心がけてください」
 ここで、交代。僕が喋る。
 「さて、楽しい冬休みまであと十日を切りました。今日以降に受け付けた音楽リクエストは冬休み明けの放送になりますのでご了承ください。それでは、十二月十三日、お昼の校内放送を終わります。午後の授業は眠くなりますが、頑張りましょう」
 カフを下げる。ケンちゃんと眼で合図し合う。十秒ぐらい曲を流して、ケンちゃんが調整卓のレバーをゆっくりと下げて、ビートルズの〈Hello, Goodbye〉をフェイドアウトさせる。
 パチン! と手を打ったケンちゃんが叫ぶ。
 「しゅーりょー!」
 「お疲れさまでしたー」
 インカムを通さなくても聞こえてくるケンちゃんの大声に三浦さんが応える。パチンパチンパチン、とケンちゃんは調整卓のあちこちのスイッチをオフにして、勢い良く立ち上がった。真っ直ぐにこっちに来ようとして、慌てて思い出したように放送室の扉の鍵を開けた。コウモリがすぐにお茶を持ってくるからね。
 「あったまってるかーい」
 ドアを開けてスタジオに入ってくると、石炭ストーブのすぐ脇のところに置いてあった大きなお弁当箱を取り上げた。
 「よし。ほい良平(りょうへい)のも」
 「サンキュ」
 そして、蒸発皿の中に入れておいた牛乳瓶も取りだす。
 「熱っ!」
 「気をつけてよ」
 温めた牛乳瓶を落としちゃう連中はたくさんいるし、温めて過ぎて牛乳瓶の底が割れて、蒸発皿の中の水が真っ白になっちゃうこともよくある。濡れた靴や靴下も乾かすし、冬の間の教室のストーブは大活躍だ。
 もっとも、男子の汚い靴下が干されていると、女子から抗議の声が上がることも多いんだけど。
 「どうしてミウちゃんは牛乳あっためないんだ?」
 「あったかい部屋で冷たい牛乳飲む方が好きなんです」
 なるほど。その意見には賛成だけど、僕はお腹が弱いから温めた方がいい。
 「じゃ、いただきます」
 三浦さんは必ずお箸を持っていただきますを言う。最初はびっくりしたけど、今はケンちゃんも僕もそれを見習ってお箸を両手に持っていただきますを言ってから食べるんだ。そこでちょうど放送室の扉が開く音がして、やかんを持ってコウモリが、中山先生が入ってきた。
 「お疲れさま」
 「おつかれさまでーす」
 コウモリはまずヤカンを置いて、それから雑巾で蒸発皿を持って下に降ろして、ヤカンをストーブの上に載せた。こうしておけば、お弁当を食べ終わった後に僕らは熱いお茶を飲めるというわけだ。
 「よっと」
 自分用の湯飲みにお茶を入れて、コウモリがパイプ椅子に座った。
 「大分、三浦も馴染んできたな」
 「はい」
 転校してきて、つい一ヶ月ぐらい前に放送部に入った三浦さん。天使の声とまで言われたみーちゃんの声にそっくりで、最初はすごく驚いたけど、今はもう慣れたし、みーちゃんの声との違いもわかるようになった。三浦さんの方が、これは年齢によるものかもしれないけど、細いんだ。
 でも、僕もみーちゃんの中学時代の放送を直接聞いたわけじゃないから、案外みーちゃんも中学のときはこれぐらいだったのかもしれない。その辺はコウモリの方がわかると思うんだけど。
 僕たち姉弟を生まれたときから知ってる近所のおじさんでもあるコウモリ、中山先生。すっかりこの学校でも古株になったってこの間言ってたっけ。
 「そういやさ、まだ肝心なことを訊いてなかった」
 ケンちゃんが三浦さんに言った。
 「なんですか?」
 三浦さんは同級生の僕たちにも丁寧な言葉遣いをする。それが普通なんだって。
 「ミウちゃんは、なんで今頃引っ越してきたの? こんな中途半端な時期に」
 そういえばそうだった。東京から引っ越してきたっていうのは最初の日に聞いたけど、その理由までは聞いていなかった。まぁお父さんの転勤かなんかだろうとは思っていたけれど。
 一瞬、コウモリの右の眉毛がピクリと上がったような気がした。
 「実は」
 「うん」
 三浦さんが、ほんの少し困ったように笑った。
 「お母さんが、再婚したんです。それで、こっちに」
 「再婚」
 僕が繰り返しちゃって、ケンちゃんがふーん、と言った。
 「じゃあ、俺と一緒か」
 「あ、高峰さんもそうなんですか?」
 「いや、俺の場合は親父が初婚じゃなくて再婚っていうだけな」
 ケンちゃんは今のお父さんお母さんが実の両親だけど、年の離れたお兄さんはお父さんと前の奥さんの間に出来た子供だ。だから、ケンちゃんとお兄さんは異母兄弟ってことになる。
 お兄さんのマサさんは、ロックバンド〈パープルウェザー〉のベーシストだ。若者なら大抵の人は知ってるそこそこ売れてるバンドだけど、顔と名前が一致するのはボーカルのハリーさんだけだと思う。ハリーさんの個性が強過ぎてバックバンドみたいになっちゃってるからね。
 「ってことは、新しいお父さんがこっちで仕事してたってことなのね」
 「そうなんです」
 ケンちゃんは無神経じゃない。どっちかっていうとあっけらかんとしているんだ。三浦さんとコウモリの様子から、きっと三浦さんにはいろいろ事情があるんだろうって僕は思ったから何も訊こうとしなかった。でも、ケンちゃんは続けた。
 「ま、大人の事情ってのは、子供にとっちゃやっかいなだけだよな」
 めんどくさいからあんまり考えない方がいいよなってケンちゃんは笑った。三浦さんも笑って頷いていたし、コウモリも表情はあんまり変えなかったけど、ちょっとホッとしているのがわかった。
 「そういえば、先生」
 ケンちゃんがコウモリに言った。
 「なんだ」
 「アニキ、家に帰って来るっていってました。新婚の奥さん連れて」
 「お、そうなのか」
 コウモリがニコッと笑った。前にケンちゃんの家の事情を何も知らないでいろいろ訊いちゃって、コウモリ慌てていたから。
 「こないだ初めて知ったんスけど、奥さんってめちゃ若いンスよ。まだ十九歳」
 「十九歳?」
 そうなんだって言っていた。ケンちゃんのお兄さんのマサさんとは十一歳の差がある。コウモリは苦笑いして言った。
 「お前と六歳しか違わないじゃないか」
 「あー、そうっスね」
 ミーちゃんと変らない年なので僕もびっくりしていた。
 「羨ましい限りだな」
 「先生は結婚しないんですか?」
 三浦さんが訊いて、コウモリは頭を掻いていた。ショーケンに似てるってことでけっこう人気のあるコウモリだけど、まだ独身。確か今年で三十五歳ぐらいになるはずだけど。けっこうモテるのになんでだろうねって女子が話しているのを聞いたこともある。女の子ってやっぱりそういうのを話題にするんだなぁって思ったことがあったっけ。
 「そういや、コンサートがあるんだよな? この町でも」
 「そうッス。それもあって、めちゃくちゃ久しぶりに帰ってきて、なんか『感動の家族の対面をしようぜ!』って電話で騒いでました」
 そりゃ良かったってコウモリも頷く。〈パープルウェザー〉は人気があるから、きっとうちの学校の生徒でも観に行く人がいると思う。でも、一応中学生だけでコンサートに行くのは禁止なんだけどね。
 「さて、じゃ、あとよろしくな。ヤカン後で持ってきてくれ」
 「あれ、もう行くんですか?」
 立ち上がったコウモリにケンちゃんが言った。いつもなら昼休みが終わるまで僕らとなんだかんだ喋っていくのに。
 「今日は忙しいんだ。そうだ、冬休みの活動計画ちゃんと作っておけよ」
 「はーい」
 冬でも夏でも関係なく学校に来て部活をする運動部と違って、文化部の冬休みの間の活動は大人しくなる。なんでかというと、活動する部室のストーブに火を入れなきゃならないから。火の後始末をきちんとしなきゃならないからめんどくさくて、自然と文化部の冬休みの活動は減っていくんだ。教室が暖まるのにも時間が掛かるし、ようやく暖まったときにはもう帰る時間っていうのは問題あるしね。
 放送部の主な活動は〈お昼の校内放送〉で、当然冬休みの間はそれがないんだから、極端な話何もしなくてもいい。でも、もちろん僕らは違う。冬休みの間に特集番組のためのインタビューをたくさんこなして、番組を作っておけば三学期が始まったときにすごく楽になるんだ。
 だから、冬休みの間は年末年始を除いて、ほとんどインタビューと番組録音とで活動する。放送室の暖房は職員室に近いから用務員の岩下さんが毎日やってくれるので安心。
 「三浦さんもやりたいことがあったらどんどん案を出してね。今日の放課後から始めるから」
 「はい」
 十二月中の番組はもうほとんど出来上がっている。あとはしっかり会議をやって、どんどん内容を固めていかないと。



 放送室でお弁当を食べ終わると、もう昼休みは終わる時間。三人で後片づけをして、用務員室にインターホンで「終わりましたー」と連絡する。岩下さんの「はいよー」という声が聞こえたところで、ヤカンを持って放送室を出た。
 放課後まで、緊急の校内放送以外は、誰も入ってこない放送室。ストーブの火の管理を岩下さんにお願いしておくんだ。
 放送室のある旧校舎の廊下は隙間風も入ってきて本当に寒い。ひどいところは窓の隙間から雪が吹きこんでくることもある。吐いた息が普通に白くなるぐらい寒いんだ。夏の間は涼しくて良いんだけどね。
 「ヤカン、返しておくから。先行っていいよ」
 「オッケー」
 「それじゃー」
 僕は職員室に「失礼しまーす」って言って入って行って、ケンちゃんと三浦さんはそのまま教室に向かって歩いていった。
 ヤカンをお茶のセットがあるところに置いて、コウモリの席の方を見たら、いなかった。別に気にしないで扉のところで一礼して職員室を出た。ここから一年生の教室が並ぶところまでは一直線。
 赤星中学の旧校舎は木造の本当にボロボロで、そこには職員室と放送室、旧音楽室に旧理科室。そして一年生の教室。真ん中の正面玄関からまっすぐ進むと渡り廊下になっていて、そこから先はコンクリートの新校舎。二年生と三年生の教室や体育館に視聴覚教室、保健室と新音楽室に新理科室に家庭科室に技術室。
 一年生の間はボロボロの旧校舎で我慢をするってことなんだ。いい加減にここを取り壊して新しい校舎にするって話も出ているらしいけど、伝統ある赤星学園の象徴みたいになっちゃっているんで、このまま保存したいっていう意見が優勢らしい。
 ま、僕らはあと少し我慢したら二年生だからどっちでもいいんだけど。でも、きっと卒業して何年も経ったら、このおんぼろの校舎が懐かしいなんて思うんだろうな。
 教室に向かって歩いていたら、向こうから部長の沢本さんが歩いてくるのが見えた。僕ら放送部のスーパーな部長。
 とても家柄の良いところのお嬢さんで、放課後は毎日お稽古事で忙しいからほとんど放送部の日常業務には参加していない。ピアノにお琴に英語塾、華道に日本舞踊にバイオリンに習字にフランス語。もうどれだけやれば気が済むんだって感じらしい。それだけこなしているだけでもすごいのに、勉強も常に学年のトップクラス。
 クラスでは〈女王〉というあだ名で孤高の存在らしい。
 お稽古事ばっかりやってるから、授業が終わったらすぐに帰る。休み時間、暇なときにはずっと本を読んでる。それでいて、誰かが勉強を教えてほしいと言うと、懇切丁寧にしかもわかりやすく教えてくれるから人気が高い。
 そしてそういう立場にいることを自分で楽しんでいるからすごいと思う。コウモリは、ある意味ではみーちゃんと同じくすごい女性で、そしてみーちゃんとは対極の女生徒だって言ってた。だから、コウモリは何もしなくてもいいからってことで、部長を頼んでいるんだ。いざというときには、運動部文化部の関係なく動くことができるから。
 おかっぱ頭の前髪が揺れて、形の良いおでこがちらちら見える。沢本さんの歩き方って、いつも前のめりで急いでいる感じがする。
 「林田くん!」
 「はい」
 もう校内放送は終わったから放送室に用があるはずないし、職員室に行くんだろうなって思っていたら、僕を呼んで少し早足になって近づいてきた。
 「ちょっといい?」
 僕の学生服の袖の端っこを抓んでぐいぐいと放送室の方に引っ張っていく。鍵は掛けちゃったけど、僕と沢本さんはスペアの鍵をいつも持っている。緊急放送も含めていつどんな放送をするかわからないからだ。
 なんですか? って聞いても、何も言わないで沢本さんは僕を引っ張って、そして放送室の鍵を開けて中に入って、いきなり〈録音中〉のライトのスイッチを入れた。廊下に付けられた赤い文字のライトが光って、これでここには校長先生といえども簡単には近づけないようになった。赤星中学校の中で唯一先生たちの眼が届かない場所、それが放送室だ。
 「昼休みあと十分ですよ」
 「いいから、座って」
 言われるままに僕は調整卓の椅子に座った。沢本さんも隣りの椅子にストンと腰掛けて、くるっと回って真っ直ぐに僕を見た。なんだか思わず背筋が伸びてしまった。
 「林田くん」
 「はい」
 きれいな形をした沢本さんの眼。
 「あなたのお姉さん、林田みさきさん」
 「はい」
 みーちゃんがどうしたんだろう。
 「コウモリと付き合っているって本当?」
 「え?」
 沢本さんは、やっぱり、と呟いた。
 「その様子じゃまったく知らなかったみたいね」
 「いや」
 知らないっていうか、付き合ってるって?
 「あの、それって、みーちゃん、いや姉と中山先生が恋人同士だっていう意味でしょうか」
 「そうよ。それ以外に何があるのよ」
 頭の中にポン! って二人が並んでいる姿が浮かんできた。
 「驚いてないわね」
 「いや」
 びっくりはしたんだけど、なんか、納得してしまった。だって、今までそんな様子を想像したこともなかったけど、そう言われて二人が並んでいるのを想像したら、あんまりにも似合い過ぎていたから。
 「でも、すごい年は離れてますよ」
 みーちゃんは今十九歳だ。コウモリは三十五歳ぐらい。
 「恋に年の差なんて関係ないわよ」
 それはまぁよく聞く話だけれど。
 「別にあなたのお姉さんとコウモリが付き合っていたからってそれは良いのよ。お互いに大人なんだから。問題はね」
 「はい」
 沢本さんが、眉間に皺を寄せた。
 「コウモリが放送部の顧問で、みさきさんが、ここの、赤星中学で放送部〈ピースメーカー〉だったってことよ」
 真剣な顔をして沢本さんは言ったけれど、よくわからない。〈ピースメーカー〉と呼ばれたのは確かにみーちゃんなんだけど、それがどうして問題なのか。沢本さんは、スゥと息を吸ってから、続けた。
 「下手したら、放送部は廃部ってことになりそうよ」
 え?
 廃部?

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