その1 友だちがいない五月

 いまから二十四時間前の、お昼休みの出来事です。場所は、南に開く形でコの字に建った学び舎の北側、つまり裏庭にある用具置き場の屋根の下。わたしはコンクリートでできたアプローチのへりに腰をおろして、タッパーにつめた、お手製のサンドイッチを食べていました。
 なるべく人目につかないように、可能なかぎり、ひっそりと。
 万一、だれかがなにかの用事でたまさか通りかかっても、わたしにかまわず、とっとと消えてくれますように、と願いつつ。
 が、個人の希望が天に通ずる機会はめったにありません。そしてこの世は、いつなんどきも思い通りになりません。傘を持たずに出た日にかぎって、どしゃぶりの雨が降ってくる。見られたくない場面にかぎって、あらぬ人物に目撃される。その男子生徒が視界のすみにひょっこり姿を現したのは、わたしが最後のサンドイッチを手にした刹那のことでした。
 中肉中背。髪色は黒で、ふちなしメガネをかけています。
 制服のシャツの第一ボタンをぴっちりとめているあたり、いまどき貴重な優等生キャラといったらよいのでしょうか。脇に抱えた模造紙は、たぶん学校からの支給品。一年生のクラス章をブレザーの胸に光らせながら、前傾姿勢で足早に行く姿は若き学者風。そのまま視界を水平に横切るものと思いきや、中ほどでふと立ち止まり、周囲をぐるりと見まわしました。
 そんな動作を選択されては、もう逃げようがありません。
 存在感を消すために、息を殺してじっとしていたわたしの努力が、その行いによって無効化されたというわけです。
 「こんにちは」
 メガネの彼はわたしの姿を認めると、屈託のない笑みを浮かべて、軽く頭を下げました。とつぜんのことにへどもどしながら会釈を返したわたしの顔に警戒の色を見てとったのか、つづけてこうもいいました。
 「ごめん。びっくりさせちゃった? いや、ナンパとかっていうんじゃなくて、ただのあいさつ。ぼく、掲示物のロケハンに来ただけだから。用が済んだらすぐに消えるし、遠慮しないで食事して。――あ、参考までにいっとくと、それ、踏まないほうがいいと思うよ」
 「え」
 「右のかかとのそばに生えてる、濃い緑色の植物のこと。雑草みたいに見えるけど、それ、いちおう野生のランなんだ。ここいらへんだと、六月なかばにピンクの地味な花が咲く。地味は地味でも、花の展開のしかたがちょっと変わってるんで、興味があったら〈ネジバナ〉でネット検索かけてみて」
 さすが優等生キャラだけあって、気配りにたけているようです。しかも、自分が通う学校の植生を把握しているあたり、高校生とは思えない博識ぶりがうかがえます。まぁネジバナなんていわれたところで、なんのことやらさっぱりですが。指摘されれば気にはなるので、かかとのまわりをじろじろと観察したら、それらしきものがたしかにありました。先のとがった、濃い緑色の葉っぱが全部で五、六枚。花屋さんで見るランとちがって、サイズもずいぶん小ぶりです。周囲に広がる草むらとほとんど同化しかけているので、いわれなければかかとでムギュッとやっていたかもしれません。
 草花にとんと疎くても、殺生するのは気がとがめます。
 わたしはようやく咀嚼し終えたパンのかたまりを飲みこむと、膝にのせたバッグごと大きく左に移動しました。キノちゃんに借りた冊子の束が足もとにこぼれ落ちたのは、バッグの口があいていたのをすっかり忘れていたせいです。
 「げ」
 地面が濡れていなかったのが不幸中の幸いでした。あわてて拾い集めたものの汚れをはたいているうちに、遠くに転げた一冊をメガネの彼が救助しました。
 お礼の言葉をいうより先にぎょっとしたのは、ほかでもない。
 それらの冊子は、キノちゃんが最近がつがつ買っている、男と男が愛し合う系のエロ同人誌なのでした。ちなみに、わたしはボーイズラブにまったく興味がありません。興味があるのは男と女の、いわゆるフツーの恋愛です。
 「うん。倉沢の趣味じゃないのは、いわれなくてもわかってる。でも、ほんっと、まじめにお薦めだから。ハードなやつがダメそうだったら、ほのぼのタッチの作品だけでも、だまされたと思って読んでみて」
 そんな暑苦しい売り文句とともに、セットで押しつけられました。こういうことって、女子の世界では割合によくあるんです。
 メガネの彼は、手にした冊子の表紙をじっとみつめると、へーえ、といった表情でわたしにそれを差し出しました。
 「きみ、面白いもの持ってるね」
 「ちがっ。持ってない。それは友だちの」
 「むきになることないじゃない。顔、微妙に赤くなってるよ。いいから、いいから。校内でこれを読むのはどうかと思うけど、どんな趣味でも、自分が好きなものには誇りを持たないと。なにを隠そうぼくも偏狭な趣味の世界の住人なんで、きみの気持ちはよくわかる。絶望感とか孤独とか。話の合わないクラスメートと無理につるんで疲れたり。コミケに行って散財したり。大変なんでしょ、腐女子って」
 いらない誤解をされたあげくに、仲間扱いされました。困惑しきりのわたしを無視して、さらにメガネの彼はいいました。
 「名前、きいてもかまわない?」
 「一年C組。倉沢チナツ」
 「部活はなにを」
 「……帰宅部」
 「だよね。そうじゃないかと思ってた。ぼく、A組のマスノです。いまは非公認サークルの一人部長をつとめてて、そこを正式な部にするためにメンバー絶賛募集中。ついでに、自分と似たような悩みを抱える人たちと、支援団体的な組織を作って活動してもいる。といっても、できたばっかりで、まだ名無しの組織なんだけど。晴れて名称が決まったら、これでポスター作ってみようかなって」
 マスノくんは脇に抱えた模造紙をさしていいました。一人部長とは、この学校に存在しないサークルを自分で勝手に立ち上げて、そこの部長になった、という意味でしょう。偏狭な趣味がどうとかいうのと、なにか関係がありそうです。その支援団体的な組織の存在も気にかかります。が、たずねてみたいと思っても、キノちゃん以外の高校生と話をするのがひさびさすぎて、言葉がすぐに出てきません。
 口ごもっているわたしの頭上をチャイムの音が通過しました。
 「やば。つぎ、移動教室だった。教科書を取りに行かなくちゃ。これ、お近づきのしるしにどうぞ。もしよかったら、そこに書いてある部室に遊びに来てみてよ。参加・不参加はともかくとして。合わなかったらやめればいいし、部を新たに設立してもいい。やりたいことが特になければ、暇つぶしをしに来るとかね。日中は外部の人でも自由に出入りできるから、ぼくやその他のメンバーといっしょに、お昼も食べられる」
 じゃあ、といって、マスノくんはひらりと身体の向きを変え、旧校舎の昇降口へと小走りにかけていきました。去り際に手渡されたのは、両面コピーのフライヤー。おもて面に白黒でプリントされた画像には、謎の組織のメンバーらしき男子生徒が三人写っていました。
 うちの一人はマスノくん。
 あとの二人は未知の人物ですが、いずれもすらりと背が高く、パッと見、かなりのイケメンです。イメージ的に似合いそうなのは文化部ではなく運動部。バレー部もしくはバスケ部で十分活躍できそうなのに、カポエイラじゃなきゃやりたくないとか、そんなぜいたくをいっているんでしょうか。
 「………」
 たいして行く気のなかった場所へ、がぜん行く気になりました。
 部室の所在を確認すべく、裏面に目をやると、はたして、そこにはこのような文字列が記載されていました。
 
 ていりそらも いからなみしい すきすらなみし    ご参加お待ちしています★ 
 
 素直に地図を載せればいいのに、クイズ形式ですか。そうですか。
 
 
 そんなわけで、その日のうちに部室へ行くのはあきらめました。マスノくんは博識なうえに、お茶目さんでもあるようです。帰る道々、ケータイで〈ネジバナ〉と検索したところ、いわれた通り、変わった形の花の画像がみつかりました。ひょろりと伸びた花穂のまわりを、ピンク色の小さな花が下から上へ、螺旋階段みたいにびっしりついています。地味は地味でも個性があって、野の草らしく風情があって、可憐な感じがいいなぁ、なんてしみじみ感じ入りました。ちなみに自宅と高校は電車で二駅離れています。この三月まで通っていたのは地元の公立中学校で、四月におなじく公立の普通科高校に進学しました。
 私立にくらべて学費も安く、家族は歓迎ムードです。
 わたしにとっても、はじめての受験だったりしたもので、合格通知をもらった時は、ひどく感激したのを覚えています。と同時に、高校生になったらあれもやりたい、これもやりたい……みたいなことをわくわくしながら夢想したのも事実です。
 あれから二か月。
 スクールライフがちっとも楽しくありません。
 あろうことか、新入生の最優先課題といえる、初顔合わせのクラスメートとの関係作りでつまずきました。入学式があった日の夜、祝い膳をつまみ食いした直後に気分が悪くなり、寝こんだのがおもな原因です。その日のメニューは仕出し弁当、自作のケーキに茶碗蒸しにセリのおひたし、という、わが家にしてはかなり豪華なものでした。家族が口にする前にあわてて処分したせいで、食材のなにが悪かったのか、真相はやぶの中ですが。
 下痢とおう吐と高熱に見舞われること三日間。
 悪心がなかなかおさまらず、さらに養生すること二日間。
 ようやく具合がよくなって、ふたたび通学しはじめた時、クラス内のグループ分けはすでに完了していました。グループ分けの最中だったら、まだどうにかなったと思います。でも、でき上がっているグループに「入れて」とはどうもいいづらい。拒否られるのもかっこ悪いし、と手をこまねいているうちに「一人でいるのが好きな人」みたいになってしまいました。
 そうした立場に立たされたことは、いままで一度もありません。
 自己評価すると、わたしはごく平凡な女子高生です。見た目もふつう。中身もふつう。趣味や特技はちょっとだけ。人気者やリーダーとしての素質はまるでないにせよ、小学校でも中学校でも友だちはちゃんとできました。あまりに自然にできたので、そのことについて真剣に考えようとしなかったのが、まずかったのかもしれません。
 「やったね。うちらオナコウじゃん。もしかクラスがちがっても仲良くしようね。はじめのうちは、やっぱりなにかと不安だし。てか、倉沢は彼氏ほしくない? 中学にはろくなのがいなかったから、あたしは高校生活に勝負かけてみる」
 地元中学出身で、おなじ高校に通うキノちゃんは、たしか合格発表の日にそんなことをいっていました。が、春休みにたまたま読んだBL本に魅せられて、リアル彼氏がほしいとは思わなくなったみたいです。同志はネットとアニコミ研で調達したということで、クラスちがいのわたしと絡む時間は短くなりました。
 「高校、べつになっちゃったけど、これからもずっとよろしくね。電話もするし、メールも送るし、たまには会って話しよ」
 卒業式の日、そういい合って別れた友だち数人も、メールをくれる回数が最近めっきりへりました。
 みなさん、楽しい新生活をお過ごしのようで、なによりです。
 おかげで、わたしは全方位型の一人ぼっちになりました。休み時間は、当然ながら一人でトイレに行っています。一人で食事しているところを見られたくないばっかりに、教室の外でこっそり食べる習慣が身につきました。入学当初は部活動にも参加する気でいたものが、どこへ入るか迷っているまに気持ちがすーっと萎えました。
 人間、自信をなくすのも、卑屈になるのも早いです。
 また、ものの見かたや考えかたがマイナーコードに転調すると、なにひとつとして楽しいことを思いつかなくなるようです。
 最悪、友だちゼロのまま卒業するんじゃないかとか。
 友だちなんて、もとから一人もいなかったんじゃないかとか。
 そんなうしろ向きな考えに脳が侵されはじめた矢先、そよ風のごとく舞いこんだマスノくんからのお誘いでした。しかも、孤独なお昼休みを過ごさなくていい環境と、出会いの要素がぎゅっとつまったシチュエーションまで引き連れて。ひょっとすると、これは最初で最後の大きなチャンスかも。暗い穴ぐらの中で偶然みつけたダイヤモンドの輝きに、わたしの心が沸きたったのも無理はないと思うのです。
 「ただいま」
 自宅アパートのドアを開いて中に入ると、わたしはすぐさま自室へ向かい、ホームウェアを身につけました。友だちがいない女子高生に、遊びの予定はありません。アルバイトもしていないので、帰宅後はただの暇人です。担当している家事と炊事をいつも通りにこなしたあとは、おじいちゃんとおしゃべりしたり、趣味のお菓子作りに励んだり。
 暇にあかして、例のクイズも一晩のうちに解きました。
 といっても、メンバー募集のために配られているものですから、たいていの人に解けるレベルの問題なんだと思います。中学の時、友だち同士で秘密のメッセを交換するのに用いた手法で出した答えは「WELCOME TO UNDERGROUND」。ひらがなでできた、字余りの俳句のような文字列を、JIS配列のキーボード上で対応している英字にそれぞれ置きかえてみると、こうなります。
 直訳すると「ようこそ地下へ」。
 わたしが通う高校で地下といったら、新校舎にあるそれしか思いつきません。たぶんそこだ、と当たりをつけて、自分の教室がある旧校舎から新校舎へと赴いたのが、今日のお昼の話です。三階建ての新校舎には、音楽室やら美術室やら、実技系の科目で使う教室が多く入っています。春のオリエンで、一度だけ地下室を見に行ったのですが、倉庫と予備の空き教室に使われているということで、個人的に出向く用もなく、その存在を忘れかけていました。
 不案内な場所へ一人で行くのは、けっこう緊張するものです。ましてや最近、人見知りが激しくなっているもので。ドキドキしながら新校舎の地下に通じる階段をおり、倉庫の前を通りすぎると、わたしは足を止めました。狭い廊下のつきあたり。そこに空き教室のドアがあります。窓から明かりがもれていたので、だれかが中にいることを想定しつつ、わたしはドアの取っ手を手前に引きました。
 内部は、一般教室とおなじ作りになっています。
 にもかかわらず、よそにくらべて広々として見えるのは、机とイスがうしろにごちゃっと寄せられているせいでしょう。



※今回で、『家元探偵マスノくん――県立桜花高校★ぼっち部』の連載は終了いたします。
第二章以降、気になる結末は、単行本でお楽しみください。
↓↓↓詳しくはこちら↓↓↓

TEENS'ENTERTAINMENT(12) 『家元探偵マスノくん――県立桜花高校★ぼっち部』



笹生陽子(さそう・ようこ) 東京都生まれ。『ぼくらのサイテーの夏』でデビュー。
おもな作品に『楽園のつくりかた』『バラ色の怪物』『世界がぼくを笑っても』『今夜も宇宙の片隅で』(以上講談社)、『ぼくは悪党になりたい』(角川書店)、『サンネンイチゴ』(理論社)などがある。

バックナンバー
 その2 友だちがいない五月
 その1 友だちがいない五月


ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。
皆さまのおたよりお待ちしております。
感想を送る

WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る