封じられた街 スピンオフ短篇 フィルインライト~佐橋刑事の逡巡~

※作中にて、本編の謎の真相に触れている箇所があるため、未読の方はご注意ください。
※フィルインライト fill-in light[写真用語] 補助光線のこと。主光線(メインライト)と組み合わせて、被写体の明暗の調子を自由に調整するための照明。(『写真用語事典』日本カメラ社より)

 この子たちにはなにかある。
 直感だ。だが私は、この直感でメシを食ってきた。
 「よく大変な目にあうんだな、きみたちは」
 私は言った。そして、狭い庭に居並ぶ子どもたちの顔を順々に観察する。
 この家の長男、創くん。十日前、子ども連続誘拐事件が解決したのは彼のおかげだ。彼と、飼い犬のボストンテリアが大活躍した。市長邸に乗り込んで子どもたちを発見したのだ。あそこに子どもが捕らわれているなど、市長の息子が犯人だなど、だれも想像だにしなかったのに。
 いまここにいる小さな女の子、春菜ちゃんも捕らわれていた一人だ。創くんの義理の妹。
 そしてイヌもいま、春菜ちゃんの足もとにいる。これほどの忠犬はなかなかいない。目つきが違うのだ。これほど落ち着いた眼差しを持つイヌを私は知らない。いままで出会ったどんな優秀な警察犬よりも賢そうに見えた。
 春菜ちゃんといっしょに助け出された、小学生にしては落ち着いた女の子もここにいた。織田史恵という名前だが、みんなからおふみちゃん、と呼ばれているらしい。子どもはよくもまあ、ぴったりのあだ名を付けるものだ。感心してしまう。
 こうやって集まっているところを見ると、事件をきっかけにすっかり仲良くなったようだ。コロコロとまるい男の子もいた。たしか、吉住衛くん。彼にはあだ名があるのだろうか。いまはただ、ぼんやりと地面を見つめている。
 そしてここに放火魔もいる。部下が地べたに押さえつけているところだ。
 子どもたちから署に通報が行き、連絡を受けた私はパトカーを飛ばして聞き込み先からここに直行した。
 だが――なぜここに放火魔が現れた?
 これを偶然だと思う刑事がいたら、すぐ辞めて書類仕事でもやればいい。
 「なにか相談したいことがあるんじゃないのか?」
 私は子どもたちを見回しながら言った。
 「俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ」
 織田史恵――おふみちゃんが私を見つめている。
 敵意のある目ではない。迷っているような眼差しだ。
 私のことを信用したい。そう思ってくれているように感じた。
 だが……女の子はやがて目を伏せた。
 説明なんかできっこない。そうあきらめたかのように。
 ほかの子の顔も見たが、同じだった。壁を感じた。この子たちは、私に心を開いてはくれない。
 そこで大音量のサイレンが近づいてきた。消防車だ。どうにか狭い路地を進んでくると、パトカーのうしろに停まった。降りてきた顔見知りの消防隊員たちに近づいて、私は説明した。
 「せっかく来てもらって悪いけど、仕事ないよ」
 部下が、町に火を点け続けてきた犯人を引っぱってくる。
 「こいつも年貢の納め時だ」
 私は笑みを浮かべて犯人の肩に手をかける。部下と一緒になってパトカーに押し込めた。
 そして子どもたちのほうを振り返る。みんな神妙な顔で見守っていた。
 この子たちから、目を離さないようにしよう。
 私は決意した。
 そこへこの家の両親が帰ってきた。パトカーと消防車が並ぶものものしい雰囲気に圧倒されて、顔色を失っている。無理もない。私は手早く説明した。お子さんもお宅も無事です。犯人は捕まえましたので安心してくださいと。
 「ほんとに放火魔が来たの? ここに?」
 母親は安心どころではなかった。何回もそう訊いて、小さな娘を抱きしめた。どれだけ強く抱きしめても安心できないようだった。
 気持ちはよく分かる。誘拐から無事戻ってきたと思ったら、今度は放火魔に出くわす。親としては生きた心地がしないだろう。
 「みんな家に入りなさい。とりあえず暖を取ろう」
 父親が言い、子どもたちを家に入れる。
 それを私は、じっと見ていた。
 この中のだれか一人でも、私に向かってなにか声をかけてくれることを期待しながら。
 だがそうはならなかった。ちらりとこちらを見ながらも、みんな無言で玄関の中へと入ってゆく。私は仕方なく、父親に向かって言った。
 「今後も、くれぐれもご用心ください。なにかあったらいつでもご連絡を」
 父親は感謝の眼差しを向けてきた。深々と頭を下げる。
 この人の名は、金盛(かねもり)優蔵(ゆうぞう)。私と同年代だ。
 前に病院で会ったときから好感を持っている。実に真面目そうな男だった。浮ついたところがまったくない。控えめで、口数も少なそうだ。どこか悲しげな顔をしていて、なぜだかドキュメンタリーフィルムで見た強制収容所の労働者を思い浮かべてしまう。
 だが、子どもたちのことを心底愛しているのは伝わってくる。その表情や口ぶりから。
 私はおとなしくパトカーに戻った。助手席に乗り込んでドアを閉めると、
 「ありがとうございました」
 創くんが私に向かって頭を下げるのが見えた。
 彼もいい少年だ。血のつながっていない妹をあきらめずに捜し続けた。今日も放火魔から妹を守った。見た目はずいぶん優しげで、頼り甲斐があるようには見えないが、芯は強い。
 私は助手席から軽く手を上げると、部下に言って車を出させた。サイレンとともに金盛家を後にする。
 なにも終わってはいない。私には分かっていた。
 放火魔は捕えた。だがこの街から脅威が消えたわけではない。
 署に戻って取り調べを始めても、自分の思いは強くなるばかりだった。
 放火魔・豊田潔はあまりにも小物だった。ただの幼児性格者だ。
 そして――同じだった。
 市長の息子の乾茂之や、
 中西一中の美術教師・安部雅臣と。
 「命令されたからやった。」
 結局はそれだ。
 やはりこの男も走狗に過ぎなかった。操り人形のようなもの。
 糸を引いている者はほかにいる。
 それはいったいだれだ。捜査チームからいくつか仮説は出されていた。新興宗教の教祖。なんらかの、秘密の集団のリーダー。あるいは、平凡な一市民のフリをした、頭の切れる異常者。だがどれも決定打に欠ける。いずれにせよ、カリスマ性のある、あるいは人を畏怖させるような存在であることは間違いない。だが……巧みに身を隠している。どうしても正体が見えてこない。居場所がまったく分からない。
 こんな不可解な事件には出会ったことがない。これほど大規模で、これほどつかみどころのない事態には。
 言葉には出さない。だが、部下たちの顔にはありありと、途方に暮れたような色が浮かんでいた。私とて同じだろう。
 「佐橋さん」
 外回りから戻ってきた若い部下が、私のところへ来て言った。
 「立石秀平が、意識を取り戻しました」
 「お、そうか」
 あの子たちの友達。ゆうべの火事で重体に陥っていた。私も事情聴取で面識がある子だから、心を痛めていた。とは言え、むろんあの子たちの比ではなかろう。心配でたまらないはずだ。だからさっきはあの子たちに、下手に慰めの言葉もかけられなかった。
 だが、病院で目を覚ましたのだとしたら朗報だ。
 「元気なのか? 後遺症はないのか?」
 「はい、いえ、ところが……」
 部下の顔が呆然としていることに気づいた。
 「病院からいなくなってしまったそうです」
 「なに?」
 一瞬、理解できずに部下を睨んでしまう。
 「……抜け出したのか?」
 「おそらく。書き置きがあったそうです。すぐ戻ります、心配しないでと」
 私は腕を組んで考えこむ。
 一酸化炭素中毒から回復したと思ったら、すぐに脱走だと? 常識では考えられない。
 だが……今この街を襲っているのは常識を越えたことばかりだ。
 「若いやつを集めて捜せ。街中の派出所にも連絡を回すんだ」
 はいっ、と答える部下を置いて私は出口に向かう。
 「豊田の取り調べは任せた」
 「あ、佐橋さんはどこへ?」
 「ちょっと出てくる。秀平くんの捜索のほうも、頼んだぞ」
 それだけ言うと、私は一人で署を出た。
 署の駐車場に入る。様々な種類の車が並んでいる。私は、さっきまで乗っていたパトカーではなく地味なクラウンを選んだ。乗り込んでエンジンをかける。
 向かう先は一つ。金盛家だ。
 あの子たちを追うのが、真相へのいちばんの近道ではないか。
 そんな予感が強く、心に根を張っている。
 部下には説明できない。自分にさえうまく説明できないのだ。
 すっかり暗くなった冬の街を駆け抜けてゆく。金盛家が視界に入ったところで、私は車を停めた。狭い路地の片隅で明かりを落として、監視を開始する。
 馬鹿正直に訪ねても、彼らは心を開いてはくれない。警戒させるだけだ。
 私は自分を落ち着かせ、心を張り込みモードに切り替える。岩のような忍耐強さを発揮するのだ。こうやって陰に潜み、私は何人もの悪党のシッポをつかんできた。
 だが……我知らず、胸の底から息を吐き出している自分に気づく。根深い疲れが、身体を重くさせている気がした。
 こんなことをしてなにになる? 彼らはいたいけな被害者じゃないか。
 俺はやけになってるんだ……あまりにも手かがりがないから。すべての元凶がなんなのかさっぱり分からないから、曖昧な勘に頼ってこんなことをやっている。どうせ空振りだ。見張っていても時間のムダだ……どうしようもない徒労感が滲み出してくる。
 かなり前から、私を捕らえて放さない思いがあった。
 俺一人の力ではどうにもならない。街を救えない。
 この街は――とんでもないものに見込まれている。
 いつからだろう。そんな不合理な確信が心に根付いている。どれほど捜査しても雲をつかむようだった。捕まえたと思ったら、全員がただの傀儡(くぐつ)。親玉は厚いベールの向こうにいて手が届かない。
 それは……
 人間なのか?
 決して部下には漏らすことの出来ない思い。
 事態をまるで打開できないまま、状況は日に日に悪くなるばかり。
 このままではなにかが起こる……取り返しのつかないことが。
 この街は致命的な傷を負う。だれもこの街にいたくなくなってしまう。
 立て続けに走る戦慄をやり過ごす。考えれば考えるほど光が遠のく気がする。起きたまま悪夢を見ているようだ。
 だが――自分の仕事をやり通すという決意に揺るぎはなかった。
 この街を見捨てるなんてことはありえない。
 さっき見た、居並ぶ小さな顔。子どもらしさのない、深刻な表情ばかりだった……
 あんな顔を、これ以上増やすことは絶対に許せないのだ。
 私は気を取り直して、道の先の家に目を当てる。集中する。
 塀が邪魔で、玄関が見えない。だが窓の明かりはよく見える。
 中の様子は分からないが、子どもたちはまだいるだろう。
 創くんの友達――織田史恵。吉住衛。いずれ家に帰るだろう。それとも今夜は、泊まっていくのか。
 立石秀平くんが病院からいなくなったことを彼らは知っているのか?
 行って教えてやろうか。だが、あの子たちの顔が曇るのを見るのもつらい。これ以上彼らの心に衝撃を与えたくない。そんな気持ちが私の腰を上げさせなかった。
 失踪。
 私は、ふいに思った。
 立石秀平はどこへ向かうだろう。
 もしや……友達のところか?
 ならば、ここで張っていれば彼が現れるんじゃないか?
 部下に電話しようと携帯電話を取り出した。秀平くんの足取りはつかめたか? まだ保護できていないのか?
 ふいに、玄関のドアが開いた。
 ドアの全体は見えないが、中からの明かりが漏れ出てきて分かった。
 創くんの父親が出てくるのが見えた。塀の上から、顔がはっきり見えた。
 私は携帯電話をしまうと息をひそめて観察する。
 父親は停めてあるミニバンのエンジンをかけたようだ。かすかに音が伝わってくる。
 玄関は開いたまま。ほかにもだれか出てきたようだが、子どもの背丈だと、塀に遮られて見えない。
 創くんの友達を家まで送るのか。それとも、これからどこかに遊びに行くのか……こんな夜中に?
 なにかが始まろうとしている。
 家の窓の明かりが落ち、玄関が閉じた。
 やがて、ゆっくりと……塀の陰からミニバンが出てきた。
 こっちに向かってくる。
 私はあわててシートに身を沈める。
 狭い路地をギリギリで、私の車の横を通り過ぎてゆく。ミニバンには大勢が乗っているのがかすかに見えた。満員だ。
 意外だったのは、一瞬、小さなイヌの影も見えたことだ。
 家に留守番も残さずに、いったいどこへ?
 ミニバンは路地の先まで行って、角を曲がった。見えなくなる。
 私は沈めていた身を起こし、車のエンジンキーを回した。
 逃せない。彼らがどこに行ってなにをするか見届けるのだ。
 ギュルン、とエンジンが鳴った。
 そして沈黙した。
 静寂が車の中を満たす。
 頭が真っ白になった。私は再びキーを回す。だがエンジンはうんともすんとも言わない。なんの手ごたえもない。
 いやな汗が脇から噴き出してくるのを感じた。
 こんなこと……あり得るか? メーターを確かめる。ガソリンは満タンに近い。
 この車は、署の所有車の中でも新しいとは言えないが、整備に怠りはないはず。何度も乗っているが、こんな不具合は一度だって起きたことはない。
 まるで――
 あとを追うな。
 だれかがそう言っているような……
 頭を振る。なにを馬鹿なことを。
 私はフロントグラスの向こうを見て考える。彼らはどんどん先へ行ってしまう。どうする? こんな機会を逃すのか?
 ルームミラーの中をなにかが動いた。
 私はハッとして目の前のミラーを睨む。
 なにもいない。
 だが、たしかになにかが映ったのだ。
 白いもの……
 細い身体。
 女?
 私は後ろを振り返る。
 だれもいない。狭い道が、先のほうで闇に吸い込まれているのが見えるだけ。
 いまや、汗はじっとりと身体中ににじんでいる。すべての筋肉が強ばっている。
 だが私は――腕を動かした。ドアレバーに手を掛ける。
 ドアを開けて、車を降りた。
 ひどい冷え込みがわっと身体を包み込む。だが、汗をかいた身体には爽快なくらいだった。シャキッと身が引き締まる。
 ドアを閉め、私は走り出した。金盛家のミニバンを追って。
 行き先は分からない。もう、直感に頼るだけだ。
 彼らが目指す場所はどこだ?
 走っているうちに、迷いはなくなっていった。

 河の土手にミニバンを見つけたとき、私は自分の経験と勘が誇らしくなった。
 ここは日比野先生が寝泊まりしている場所でもある。日比野さんの姿が見当たらない、と教えてくれたのもまさに創くんだ。ここに来る可能性はあると思っていたが、やはり……息せき切ってミニバンに駆けよる。だがだれの姿もない。
 私は、下の河原を見た。人影を捜した。
 そして――我が目を疑った。
 周囲には街灯もないから河の流れはひたすら暗い。なのに一カ所、光が動いているのだ。なんだ? 私は目を凝らす。
 頼りなげな、一筋の光が伸びている。岸から河のほうに向けて放たれている。
 二人の大人――創くんの父親と母親が、ライトを当てているのだ。河に向かって。
 なんのためにそんなことを?
 答えはすぐ出た。
 光の中に浮かび上がる、いくつもの影。
 ――子どもたちだ。
 河に入っている!
 彼らは歩いて進んでいる――深みを目指している!
 思考停止に陥った。まったく理解不能だった。冬の河に入っていったいなにを? 岸には氷が張っているのに、こんな冷たい流れの中に入るなんて……この家族は狂ってる!
 だが次の瞬間、目の前の光景はさらに狂気の度を増した。
 河の中の小さな頭が、
 次々に消えてゆく。
 最初に水に沈んだのが立石秀平だということに気づいた。病院から逃げた彼がここに――それに倣うように、ほかの子たちの頭も消え出す。たちまちすべての頭が消える!
 もうたまらない。私は駆け出した。河岸へ降りる道に差しかかる。直ちに降りる。
 できなかった。
 ビクリ、と身体が反応した。私はとっさに身体をひねっていた。
 転ぶのはかろうじて免れた、だが瞬時に鼓動が激しくなっている。
 だれかにぶつかりそうになったのだ。
 だがまじまじと見直しても、いま、目の前にはだれもいない。
 そんな馬鹿な……たしかにいた。降りようとした道に立ちはだかるように、白い人影が……私は、視線を動かす。
 自分の背後に。
 そして後悔した。
 白い姿はそこにあった。
 細い身体がぼうっと立っている。
 長い髪が顔を隠している。
 ――女。
 さっき、ミラーに映った奴だ。
 身体が勝手に反応した。遠ざかるんだ一歩でも遠くへ……それは生物の防衛本能だった。私は原始的な本能の塊と化した、こんなものには遭ったことがないこの世のものじゃない――女の身体の向こうに光が見える、夕暮れのような曇ったオレンジ……たちまち私から遠ざかってゆく。
 身体はすでに致命的に傾いていた。落下を始める一秒か二秒の間に私はそれを悟った、立て直せない――天と地がひっくり返り、やがて身体のあちこちが衝撃を感じた。受け身もとれない。ただひたすらに転がった。
 耳だけが冷静に音を拾っていた。身体から出る鈍い音、うぐっという自分の声、そして――

 邪魔しないで。

 呟くような細い声。
 暗闇がやってきた。

 草むらの中で我に返る。
 私は、うつ伏せに倒れていた。
 顔を上げて辺りを見る。目を覚ましても暗闇だ。だだっ広い空間。そして凍てつくような冷気。水が流れる重たい響き――河原だ。
 自分が、土手の下まで転がり落ちたのが分かった。
 ハッ、と河のほうを見る。子どもたちは? 助けなくては。まだ間に合うか?
 気配がない。河の中にはだれもいない。
 みんな流されてしまったのか? 絶望が胸を突き刺す。ついに、この街最大の悲劇が……子どもが集団で入水するという、あってはならない大惨事が…………
 だが、私の目は捕らえたのだった。
 土手を上ってゆく人の姿を。
 ずぶ濡れの子どもたちが、健気に足を動かしていた。
 親に抱えられたり、子ども同士で支え合いながら、一歩一歩上ってゆく。
 私は再び草むらに身を潜めた。
 この暗闇だ、見つかる気遣いはないだろう。だが懸命に気配を殺した。
 土手を上るみんなは激しく震えているが、自分の足で進んでいる。元気なようだ……そしておそらく、人数は減っていない。河に入ったのは、長い時間ではなかったようだ。
 いつのまにか父親までがずぶ濡れになっている。自分も水に入ったのだ。子どもたちを引き上げるためだろうか。だとしたらなぜそもそも、子どもたちが河に入るのを許したのだ? いったいなんのためにこんな……いますぐにでも詰め寄って問い質したい衝動に駆られる。
 だが私は動かなかった。じっと見ていた。
 邪魔しないで。
 声が耳に残っている。
 だが、言われなくても私は邪魔しない。そう思った。
 家族の時間に見えたのだ。どんなに不可解でも、正気の沙汰でなくとも、それは……家族だけのひとときだった。第三者が立ち入ることは、はばかられた。
 土手の上のミニバンのエンジンが唸る。
 全員を乗せると、やがて静かに動き出した。
 土手を走りきり、橋を渡って、見えなくなった。
 私もゆっくり立ち上がり、服についた草や、土ぼこりを払う。そして土手の上を目指した。
 ふいに、目の前にあの白い人影が現れる気がして足を止める。
 あの女……制服を着ていたように見えた。学校のセーラー服……少女だ。
 私はしばし待ち受けた。
 だが、少女が現れる気配はない。
 淋しさを感じた。また現れてほしいぐらいだったのだ。
 なぜならあの声は優しかった。
 そうか、邪魔をしてはいけないのか……そう、素直に思えるほどに。
 私は再び土手を上る。口許をほころばせながら。
 あの少女は目的を果たしたのだろう。もう現れることはない。
 次は俺の番だ、と思った。まだ自分の目的を果たしていない。
 必ず街に平和を取り戻す、という誓い。
 私は自分の仕事を続ける。この街の安全のために、身を粉にして働いてきたという誇りとともに。これからもできる限りのことをする。駆けずり回って悪党を引っ捕らえる。悲劇を防ぐ。この街を、子どもたちが安心して、笑って過ごせる場所にする。
 土手を上りきると、私は思った。
 また会いに行こう。あの家族に。子どもたちに。
 だがそれは今日ではない。 

※ 本編は、9月7日発売の『封じられた街(上・下)』(ポプラ文庫ピュアフル)にてお楽しみください。

『封じられた街』特設ページへ
story
testu sawamura

1970年岩手県生まれ。2000年、『雨の鎮魂歌(レクイエム)』(幻冬舎)を発表しデビュー。主な著書に、『運命の女に気をつけろ 劇団・北多摩モリブデッツ、怒涛の36日間』(ジャイブ)がある。ダークファンタジー『十方暮(じっぽうぐれ)の町』(角川書店、〈カドカワ銀のさじ〉シリーズ)を近日上梓予定。


運命の女に気をつけろ 十方暮の町

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メッセージ
『封じられた街』特設ページ|スピンオフ短篇 フィルインライト~佐橋刑事の逡巡~|ブンゲイピュアフル
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