書店員のネコ日和:田口久美子

第17回 ソトのノラコ15

画像
 秋になった。ある朝、母の声が下から聞こえる。
 「ノラコが庭にいるよ」
 おかあさん、本格的にボケたんじゃないの、ノラコは二階でしょう。
母が繰り返して叫ぶので外に出ると、おっかさん(ノラコの母親、よく似ているのだ)がちょこんと座っている。いままでも何度か現れていたのだが、いつもノラコに撃退されていた。仲良しクロ一家とは大違いなのだ。
ノラコのごはんをあげる。
この日以後、おっかさんは毎朝現れるようになった。
たちまち、我が家を縄張りと主張するチビギャングども(クロが我が家で生んだ二匹、生後六ヶ月ぐらい)との軋轢が始まる。ノラコがウチに入ってから、家の庭はチビたちの完璧な遊び場と化していたのだ。私の顔を見かけると、どういうふうに反応するかまずじっと見つめる、私が手を上げそうにすると脱兎のごとく逃げる。
時々二階のベランダに上がり日向ぼっこなぞしている。ベランダで網戸越しに部屋の中のノラコを見かけると、挑発するように悠然と歩み寄る。鼻を突き合わせ、ウーウーといううなり声が両者から発せられる。ノラコがんばれ、という私の声をうしろに、尻尾を見せるのはいつもノラコである。
 
チビたちの論理(?)からすればおっかさんのごはんも本来は彼らのもの、当然、狙う。仕方がない、私はルールを作る。おっかさんの食べ残しは食べてよし、なぜならチビたちはG家という食事拠点を持っているから。大きな深皿に頭を突っ込んで、夢中になって食べている姿をよく見かけた。母親のクロはコドモたちが食べ終わるまで辛抱強く待っている、とG家の奥さんが教えてくれた。えらいわねえ、ネコのお母さんは、と。自分の子だけにはやさしいの、と私は心の中でつぶやく。
おっかさんはそのがっつきようから察するに、食事拠点は不定なのだろう。チビどもに待ち伏せされても必ず来る。ノラコに追い払われたときはおとなしく引っ込んでいたのに。
 
朝、玄関のドアを開ける、振り向くと隣家との境石の上にチビがいる。二匹はサイズに大小はある(仮に小さい方をチビチビ、大きい方をチビデカと呼ぶ)が、キジトラ模様が全く同じで、別々にいると見分けがつかない。ちなみに母親のクロも同じ、区別がつかない。
先鋒はいつもチビチビ、私がキッとにらむと必ず目をそらす。玄関前の石段を降りたところ、ギャングどもから見えないところにえさ皿を置く。おっかさんが下の路地の家と家の間から現れる、皿の手前で必ず止まり、あたりを確認、何度も何度も確認。早くしろ、とわたしは声にならない叫びを上げる。なぜならチビチビはすでに庭を匍匐前進し植え込みの中、目はえさ皿の方向をきっと見据えている、私の視線を感じると、目を落とす。チビデカはその後ろをうろついている。チビデカも目をそらす。
今のうちに早くお食べ、ほらそんなふうにキョロキョロオドオドしているあいだに二匹組の挟み撃ちにあうでしょう! そうそう、急いで、ここで私が見張ってる間にね。
あら、あら、やっぱり、盗られちゃったじゃないの。
おっかさんはおおよそ半分ぐらいの確率で食事を全うできない。私がいくらガードを張ってもネコのすばやさには勝てない、スルスルとチビチビが近寄る、電光石火でおっかさんを追い払い、その間にチビデカが食べ始める。
しかしかれらの執念にも強弱があって、私ごときのガードを突破できないときもある。この強弱の境が私には分からない。無理して奪取しない日でも、彼らは必ず出てくる。毎朝振り向くと、いつも境石の上にちょこんとチビチビがいる。えさ皿に向かって粛々と前進する。降ってわいたようにチビデカも出てくる。二匹は絶妙に連携を取りながら(と私には見える)食事中のおっかさんを追いつめてゆく。
しかしおっかさんの執念もたいしたものだ、途中で奪われ、食べつくされてもじーっと物陰で待っている。私が自分の朝食を終え、時間を見計らって玄関を出ると、おっかさんがするすると出てくるときもある。
ある日、一念発起したのかおっかさんがチビデカを追いかけた。二匹は家と家の間の通路に飛び込み、ぐるっとまわって出てきたときにはチビデカがおっかさんを追いかけていた。
 
そんな追いかけっこの日々が続くうち、私はクロの存在を気にかけなくなった。クロはG家での朝夕のごはん時以外、コドモたちと一緒に行動しなくなっていた。しかも我が家には一歩も足を踏み入れない。我が家という縄張りをコドモたちに譲った、と私は解釈した。
十月に入ったある日、上の路地で久しぶりにクロを見かける。あれっ、お腹が、うーん、これはまた? 
 クロが我が家の隣家(J家)のガレージでコドモを産んだ、とひと月ほど後にG家の奥さんから聞いた。二匹が育っているらしい。このままではクロファミリーは増殖する一方、どうしようか。やっぱり私が避妊させるべきなんだろうな。年が明けたら考えなくちゃ。
 十一月の終わり頃、チビどもが母親と同居を始めたようだ、K家の庭から姿を消した。一家はまとまってJ家の庭に棲んでいる。
けれどもかれらのおっかさんのごはんへのあくなき挑戦はやまない。まったく、ちゃんとJ家でごはんをもらっているのに。これはネコの習性なんだろうな。
それにしても「ノラコvsクロ」、「おっかさんvsチビども」なんという因縁だろうか。
 
十二月も押し迫ったころ、J家の奥さんが訪ねてきた。
 「母親と子ネコたち、三匹とも避妊させようと思います。」
私がしなくちゃならない、と日ごろ思っていたのに、申し訳ない。
 「いえ、こちらでなんとかします。家に入れて飼ってあげられればいいんですが、ウチのネコが大病して、やっと治ったばかりで・・・・・・。」
と奥さんはけなげにも言う。区のボランティアが助けてくれる、と続ける。結構な出費では? とたずねる私に、一匹五千円で引き受けてくれるお医者さんがある、とほっとする答えが返ってきた。そこはちょっと遠いようだ、タクシー代がかさむだろう、本当にご苦労様。
 「産まれたばかりの仔ネコのほうはどうなりましたか?」
二匹のうち一匹は引き取ってくれる里親が見つかったという。もう一匹、どこもかしこも真っ黒い仔の引き取り手を募集中だそうだ。
 「今、動物病院に預かってもらっています。どなたか里親になってもらえないでしょうか。できれば家にいれて飼っていただける方がー」 
 真っ黒仔ネコの「里親」になってくださる方がいらしたら、どうかこのホームページにアクセスしてください。予防注射などはすべてすんでいます。クロネコは気がやさしい、と俗に言います、逆にシロネコは気が強いそうです。でも、三毛は賢い、という説もある、ノラコをみるとそんなことはなさそうなので、あくまでも俗説ということで。
 
J家の奥さんと話した数日後、チビギャングどもの毎朝の来訪が途絶えた、さらに数日後、上の路地で遊んでいるチビどもを発見、「おや、おかえり」と声をかけたのだが、パッと二手に分かれて逃げた。避妊したんだから、そろそろおっかさんとは別にごはんをあげなくちゃ。私も、クロの過去=ノラコや茶々への仕打ち、を引きずるのをいいかげんに止めなければ、たかがネコではないか、ネコに人格を期待してどうする・・・。 
 
年が明けた。静かな年越しであった。帰ってきたチビギャングが現れない。路地で見かけた日から、ぷっつりと姿が途絶えている。いやいや、その翌日チビデカが夕方現れて、おっかさんの食べ残しを食べていた、あれが最後だ。クロも一緒に消えてしまったのだろうか。まさに「忽然」という言葉がぴったり。
 おっかさんの行動がのんびりしてきた。キョロキョロもオドオドもおさまり、悠然とお食事、とあいなった。私の朝もちょっと余裕ができてきた。
なんだかとてもあっけない、けれどほっとした、実のところ。だけどクロ一家になにが起きたの?
 
何日か後にJ家の奥さんと話す機会があった。三匹は避妊手術から帰ってきた翌々日に姿を消した、という。やっぱり、いなくなってたんだ。奥さんはがっかりした様子で嘆く。ネコたちにもよかれと思って手術をしたのにー、と口惜しさがにじみ出ている。
 「避妊した次の日、ウチの庭に、シロクロのぶちネコ、こんなふうに額のところで八の字に分かれている、そのネコが現れて、小さい方の子ネコを組み伏せて、お腹の上にのっかって、それを二匹が見ていたんです。もしかするとそれが原因かもしれない」
お腹という場所は生死に関わる、ネコにはかなりのショックだったろう。チビチビも哀れなこと。シロクロのぶちネコは多分クロのコドモだ、ノラコよりちょっとだけ年下。クロと仲良く立ち話、なんていうシーンを見かけたこともあったのに(そしてこのあと、一月の終わりごろ、上の路地で発情期の声を発しながらうろついていた)。ネコの親子関係は一体どうなっているの。ネコの世界は非情だ。
奥さんはこのあたりをいつも注意して歩いている、と付け加えた。
 
一月の半ば過ぎ、駅の近くの、公園に降りる石段で、三匹のキジトラ親子(多分、大きさから推測すると、親・子・子)がそろって私のほうを向いて座っているのを見かけた。もう一匹真っ黒ネコまで一緒。まさか、でもキジトラが三匹一緒なんていうことはそんなにないよね、と思いつつ、そうだ、そうだ、耳、耳、V字カット(避妊の印)していない? 私の目は泳ぐ。うーん、直線距離は三、四メートルなんだけれどよく見えない。手すりがあってこれ以上近づけない。クロファミリーかね、キミたちは? キジトラは三毛と違って識別がしにくい。でも私の記憶にあるクロはもうちょっとこわもてだったような、だから、違うかも、けれども、このタイミングで三匹のキジトラが家から七分ぐらいのところにー。とはいえ、見知らぬクロネコが一緒、やっぱり違うかも、でもー。
このあと何度も何度も、駅までちょっと遠回りになるこの道を歩いたのだが、一度も会えない。私は彼らが別れに来た、と勝手に思うことにした。さようなら、クロたち、キミたちのおかげで、いろんな経験ができたよ、地団駄ふんだこともたくさんあったけどね。元気でいるんだよ。
ネコ

プロフィール

田口久美子
1973年キディランド八重洲店で書店員としてのキャリアをスタート。76年、西武百貨店書籍販売部門(のちリブロ)入社、船橋、渋 谷各店を経て池袋店店長。現在はジュンク堂池袋本店副店長。書店の現場で起こるさまざまな出来事を、皆さんにそっとお教えします。

最新記事

バックナンバーページはこちら

ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。
皆さまのおたよりお待ちしております。
感想を送る
WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る