番外篇・えいが道
映画はどんな道をたどり、私たちのもとへやってくるのだろう? 1人では歩けない映画を陰で支え、スクリーンまで、そして観客までの道を作る人たち。そんな活動を行っている映画館、団体、ボランティアグループ等々の活動をリポートする映画見聞録番外篇「えいが道」。
 第五回
「無声映画の現在と未来:再び、マツダ映画社を訪ねて」

今回のえいが道で取り上げるのは前回に続いて無声映画の殿堂「マツダ映画社」です。日本の無声映画には欠かせないのが、活動弁士(弁士)の存在です。弁士とは簡単に言うと映画解説者。弁士はナレーターをしながら、登場人物のすべてを語り分けるということを一人で行います。その全盛時にはスタアよりも高給をとっていたという弁士もいたほどでした。人気弁士はアイドル状態で、熱狂的な女性ファンも多かったそうです。今回は、そんな日本独自の文化である「弁士付無声映画上映」を守り続けるマツダ映画社の松田豊さんに、海外における活弁事情を伺いました。

マツダ映画社
http://www.matsudafilm.com/

INTERVIEW…


――活弁は日本だけのものといってよいのでしょうか?

 話芸として発達したのは日本だけらしいですね。映画が作られ始めたごく初期の頃には海外にも場面説明をする解説者がわずかにいたという記録は残っているようです。ただ、日本の場合は単なる解説にとどまらず、一つの芸能として発達しました。それが残っている国は韓国とタイです。韓国の場合は日本の植民地になっていた時期に映画の興行が始まったということ、タイも初めて興行をした人が日本人だったらしく、当然の事として弁士をつけたんですね。ですから、比較的最近まで芸能として残っていたのはこの三国なんです。

――いずれにしても日本から持ち込まれたのですね。韓国とタイには今も活弁が残っているんでしょうか?

 韓国は少し前まで、その当時に弁士をしていたという方がご存命でした。タイには当時のの方がいるかどうかはわからないですが、弁士が語るような映画を新たに作っている新進気鋭の映像作家の方はいますね。

――無声映画の新作とは珍しいですね。それはタイ語の活弁なんですよね。

 はい。お金がなくて自主制作の8mm映画に、語りをつけていたそうです。人から聞いた話なんですが、それは弁士的な語りだったそうですよ。

――面白いですね。日本は活弁が隆盛しましたが、語芸の歴史というものが下地にあったということなんでしょうか?

 私の父は、活弁は文楽の流れだろうと言っていました。日本語と言うのは比較的平坦な言語で、逆にそれに節をつけたり、強弱をつけたりすることで、芸として成り立ったと言うこともあります。落語や浪花節という土壌もありますよね。また、無声映画の音楽の特徴として和洋合奏、和楽器と洋楽器のコラボレーションというのが独特ですよね。どちらにしても日本独自に発展したものと言えますね。

――言語の特徴も関係しているんですね。ところで、今活躍している弁士の方はどのように勉強されるんですか?

 基本的には手取り足取りということはないです(笑) 映画を観て自分なりに研究したり、先輩や昔の弁士の音声を聞いたり、といったところでしょうか。今やっている若手弁士は2001年に鶯谷に出来た東京キネマ倶楽部が出演者募集をした際に応募してきた人たちです。キネマ倶楽部自体は一年で無声映画をやめてしまったのですが、その時の人たちがぜひ続けたいということでやっているんですよ。
 素人の方向けには月に一回勉強会を開いて、批評しあうといった会もありますが、先生がいるというわけではないです。又、澤登翠さんは活弁講座を開いていますね。

――ではみなさん、台本もつくられるんですね。

 はい、うちが提供するのは字幕の分の台本だけですね。あとはビデオを渡して、練習してきて、と。活弁は字幕を読み上げるだけでなく、それ以外の部分も語らなくてはならないものですから、自分で仕上げていかなくてはいけないんです。

――個人のセンスが問われそうですね。海外での公演もあるそうですが、こちらはいかがでしょうか。

 年に1回くらいですがありますね。

――その際は弁士の方は外国語で活弁をするのでしょうか?

 基本的には日本語です。余興的に5分くらいの短いものをその国の言葉でやることはありますね。

――字幕で観てもらうということでしょうか?

 英語の字幕が入った作品が3作品あるのでそれを使ったり、翻訳した字幕を映し出すという方法もあります。短い作品ですと、話自体が難しくないので、前もってあらすじを配っておけば、大概の物語は理解して貰えます。

――日本語の活弁でも理解してもらえるんですか?

 それはわかるらしいです! 去年はインドの映画祭に行きましたが大盛り上がりで、最後はスタンディングオベーションでした。

――インドでの初活弁だったんですね。

 はい、私が知る限りでは初めてでした。

――英語の活弁というのは想像がつかないです。

 来月(2月)、ニューヨークのジャパンソサエティで公演があるんですよ。一番最後の日には向こうの方が英語で弁士をするということになっています。どんなふうになるか楽しみです。

――お仕事にしている人ではなくて、好きが高じて、という方なんですか?

 そうですね。阪妻(阪東妻三郎)の『雄呂血』をやるんですよ。

――チャンバラなんですね。どんなふうに翻訳されるんでしょうね?

 こちらから、字幕を翻訳したものを送っているので、それを元にして語るんでしょうね。

――活弁を愛している方なんですね。欧米の方で弁士と言うのはいらっしゃらないんですね?

 そうみたいですね。以前に研究者の方で日本の文化が好きな人が、ニューヨークで5分くらいの作品を自分なりにやってみるというのを観たことがあります。英語なんですが、日本的に語っていましたね。面白かったです。

――観客にも伝わっていたのでしょうか?

 ひじょうに喜んでいましたよ。音楽もMDでしたが付けました。

――今後も活弁というスタイルを守り続けて行くのでしょうか?

 ただ、ものを残すと言うのはできると思うんですが、弁士つきの上映スタイルをどうやって続けていくかということですよね。どこでもいいんですが、無声映画の博物館を作りたいと思っています。博物館があれば、事業としての上映活動や、弁士の養成講座、フィルムや資料の収集・公開ができますよね。何か発見された時には受け皿にもなるし、これから勉強したいと言う人の情報提供の場所にもなります。地域の人にも楽しんでもらえると思うのですが。

――人気作品は何かありますか?

 ありますね〜。無声映画といっても玉石混交ですので、初めて上映会をされるところには喜んでもらえる名作をおすすめしていますね。客層を聞いておすすめしたりもします。最近は女性客も増えてきたので、女性を意識した作品選びも行うようになりました。お子さんや若者は喜劇を好まれます。やはりチャップリンは人気がありますね。権利問題で、『街の灯』などは上映できないのですが。
 無声映画って何? という時代ですから、地域にあった企画を考えて、市の出身者や、ゆかりの人をリストアップして提案することもあります。多少は興味が違いますね。あとは映画の歴史を学びましょう、という学校教育も多いですね。こちらはエジソン・アルバムという歴史的映像と、無声映画の喜劇を上映するという組み合わせが主流です。

――日本映画はいかがですか?

 最近DVDで販売しはじめた『滝の白糸』や『雄呂血』、それに『生れてはみたけれど』なんかは人気がありますね。外国映画ではルビッチがいいですね。『ウィンダミア夫人の扇』や『結婚哲学』などが定番でしょうか。
 DVDはデジタルミームという関連会社で作っています。16mmにかかる経費やこれから上映できるところも限られてくるということを考えて、デジタル化することにしたんです。
 トーキングサイレントといって、サイレントですが、喋るんです。弁士付きなんですよ。弁士も澤登翠さんと昔の弁士のダブルチャンネルになっています。
 現在は2本入りで4タイトル出ています。今後も出版を続け、最終的には100タイトル出す予定です。字幕は英語、中国語、韓国語がついています。
 映画評論家の佐藤忠雄さんが解説を語ってくださっていて、初心者や海外の人にも時代背景がわかるようになってるんです。

――それはたくさんの方に観てもらいたいですね。

 はい。百聞は一見にしかず、なので体験してもらいたいですね。色んな作品があり、弁士がいますので、何回か観ていただいて、自分の好みに合うものを見つけてもらいたいなと思います。無声映画や活弁の楽しさがわかっていただけたら嬉しいですね。

――そうですね。歴史的資料としての重要性もさることながら、娯楽・芸術作品としての無声映画とその楽しみを広げる活弁をぜひ体験していただければと思います
 貴重なお話をどうもありがとうございました!


石島杏理(いしじまあんり)
1978年生まれ 東京都在住 成城大学文芸学部卒業。
2001年から2003年にかけて阿佐ヶ谷にある映画館にて勤務。
日本映画の企画上映に携わる。

 



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