番外篇・えいが道
映画はどんな道をたどり、私たちのもとへやってくるのだろう? 1人では歩けない映画を陰で支え、スクリーンまで、そして観客までの道を作る人たち。そんな活動を行っている映画館、団体、ボランティアグループ等々の活動をリポートする映画見聞録番外篇「えいが道」。
 第四回
「無声映画の現在と未来:マツダ映画社を訪ねて」

今回のえいが道で取り上げるのは無声映画の殿堂「マツダ映画社」です。日本の無声映画に欠かせないのが、活動弁士(弁士)の存在です。弁士とは簡単に言うと映画解説者。弁士はナレーターをしながら、登場人物のすべてを語り分けるということを一人で行います。その全盛時にはスタアよりも高給をとっていたという弁士もいたほどでした。人気弁士はアイドル状態で、熱狂的な女性ファンも多かったそうです。そんな日本独自の文化である「弁士付無声映画上映」を守り続けるマツダ映画社の松田豊さんにお話を伺いました。

マツダ映画社
http://www.matsudafilm.com/

INTERVIEW…


――まず、「マツダ映画社」設立の経緯をお願いします。

 私の父である松田春翠は元々弁士をしていました。トーキーが制作されるようになって弁士を廃業せざるを得なくなってからは、他の仕事をしたり、戦争にも行きました。昭和22年に戦争から戻って、さて何をしようかという時に、浪曲で一座を組んで九州を巡演されていた戦友の方に九州で弁士をして欲しいというお誘いを受けたんです。九州は炭鉱のおかげで景気が良かったそうです。占領軍の時代だったため、チャンバラ映画が撮れなかったので、無声映画が娯楽としてリバイバルされていたようなんです。
 ある日公演先で映画を観て、1日目にあったシーンが2日目にはなかった。いいシーンなのに何で消えたのか? と映写技師に聞いたところ、上映している途中にフィルムの傷んだ箇所がリールにひっかかって、映写が中断してしまうので切ってしまった、という答えが返ってきたそうです。その時に、果たしてこのフィルムはもう1本あるのかな? と気にかかったようなのです。本人も映画ファンでしたから。このことがきっかけで、興行が終わったフィルムを買い取ったりして、フィルムを集めるようになったそうです。ですから、うちにある日本映画のフィルムは、殆どが父松田春翠の集めたものです。
 九州から戻ってきてからは紙芝居の編集をしていた時もありました。そうこうしているうちに、珍しいフィルムを持っているなら是非見せてほしいという人たちが集まってきました。それが無声映画鑑賞会の始まりです。そこで、せっかくだからこれを残していこうということで、マツダ映画社を始めました。

――上映会の開催、フィルムの貸出が主なお仕事なんですか?

 フィルムと弁士、伴奏音楽演奏者などを派遣して上映会を提供するというものもあります。自治体や財団法人、公共団体が主催する上映会が多いですね。地域振興、住民サービスのイベントです。教育委員会や公民館も昔から多くご利用いただいています。他にはテレビなどへの映像の貸し出し、DVDの製作販売、チラシやポスターなどの資料提供があります。

――さまざまな分野で活用されているんですね。

 最近は映像を手軽に扱えるようになったということで、大変な部分もありますね。昔だったらフィルムしかありませんでしたが、今はDVDがありますから。レンタルする場合の値段の違いをわかってもらうのも大変です。同じ作品なのにフィルムだとこんなに値段が高いのは何故? ということになります。フィルムは、貸し出すまでの手間や映写技師さんの人件費もかかりますからね。
 逆に低コストになったおかげで、小規模の上映会もできるようになりました。基本はフィルム上映を提案します。無声映画鑑賞会も特別な事情を除いてフィルム上映です。

――弁士の方からはフィルムのほうがいい、という意見はあるんですか?

 手間とコストを考えると、そこまで贅沢を言っていられません(笑)。逆に今は、DVDを自宅で観ながら練習できるので、作り込みがしやすいと思います。ビデオがなかった時代は試写を2回くらい観るのみでした。映画が製作された当時はヒット作でもせいぜい3週間ぐらいで、通常は1週間ごとに作品が変わっていたから、長篇になると1人の弁士では回りきらず3人位で交代して語っていたようです。仮に金曜か土曜に公開が始まるとしても、水曜ぐらいにフィルムと台本が届いて、1回か2回観て、舞台に立つ。それを年間通してやっていたというのはすごいなと思います。

――休む暇もなさそうですね! フィルムの収集は現在もしていらっしゃるんですか?

 はい、交流のある海外のフィルムライブラリーから、フィルムを譲ってもらったりしています。量としてはそんなにないですが。

――フィルムはどちらで管理されてるんでしょうか?

 社内と専門の倉庫です。昔のフィルムのままですと、時間が経つほど傷んでしまいます。それを上映できる状態に新しくプリントをおこしたり、最近はDVDに変換したりという方法もあります。そうして、観られる状態にしています。

――それは技術者の方にお願いするのでしょうか?

 新しくプリントするのは専門の現像所に頼みます。今は白黒のフィルムの需要がごく少ないので、大手を含めて白黒をきれいに出せる現像所が段々なくなってきていますね。そうなると、カラーベースで白黒にするので、黒じゃなくて紺のような青みがかかった色になってしまうんです。

――他に将来的に不安なところは……?

 16mmフィルムは、映写機が今は生産されていないんですよ。昔は何社かあったんですけれどね。いまはかろうじてEIKI(エイキ)というメーカーが売ってはいます。それも在庫分だけです。各地のホールからも16mmの映写機がなくなってきているので、何年かすると今あるフィルムは上映できなくなってしまいますよね。そうすると、35mmフィルムにするのは経費が大変なので、デジタル化するしかないのかなと思っています。

――最近DVDを製作されていますが、その一環なんですね。

 はい。どうやって残していこうか、という課題がありまして。保存方法の一つにデジタル化があると思います。テレシネと言ってフィルムからデジタル化を行うんです。最近はその機械の性能がすごくよくなっているんですよ。先日、新しい機械を見せていただいたんですが、35mmから8mmまで、様々種類のフィルムをハイビジョンにできるんです。そして、パソコンを使って傷消しもします。これがデジタルリマスターです。小さな傷を一つ一つ手作業で消していくので、大変な作業ですね。
 日本の無声映画の殆どの作品はオリジナルのネガが残っていないのです。そのことで弊社の存在価値があるという側面もあります。関東大震災や、戦争、昔のフィルムの材質の問題もあり、無声映画時代のフィルムの現存率は1割くらいではないでしょうか。完全な形で残っている作品ということですと、1割もないと思います。現在も収集はしてはいますが、もう世の中には残っていない作品もたくさんあるでしょうね。

――残念なことですよね。

 現存する日本の無声映画には、地方で上映されていたフィルムが残っていて見つかったということがよくあります。弁士が地方へ巡業隊を組んで行った際に、お金がなくなって質屋に入れたものが質屋から出てきたり、上映済みのフィルムをお金持ちの人が買い取ってコレクションしていたものが蔵から出てきたりということもありますよ。あと、9mm半フィルムという劇映画の縮刷版が一般の人向けに売られていた時期もあります。規格が違うので一昔前までは9mm半フィルムを上映できる状態に複製するのが大変でしたが、今は9mm半のフィルムもテレシネの機械に掛けられるので、デジタル化して復元しています。

――昔は保存するという発想がなかったんですね。

 上映がおわったら、フィルムのベースを溶かして、そこに新しいフィルムを焼付けるということもしていたみたいです。NHKにしても第1回の紅白歌合戦野の映像は残ってないのではないかな? テレビ局でも開局当時の番組は保存していないと思いますよ。映像を保存すると言う発想があまりなかったということですよね。

――地方で新たなフィルムが発見された場合、権利問題はどうなるのでしょうか?

 無声映画は大体が昭和12年以前のものになりますので、基本的には著作権は切れてると考えられます。現在、映画の著作権の保護期間は公開後70年間となっていますが、1970年以前の旧法時代は38年間でした。また、現在の著作権法には「映画の著作権は制作会社に帰属する」と明記されています。映画は一人では作れないし、制作会社が制作費を出しています。昔はスタッフも俳優も映画会社の社員だったわけですから、少なくとも戦前の映画は団体著作物と考えられるのが妥当だと思いますけどね。旧法の場合は団体名義の著作物は公開後38年間、個人名義はその人の死後38年間が保護期間となっていました。
 しかし、最近になってチャップリンの作品を管理している会社が、チャップリンの作品はチャップリン個人の著作物である、ということを主張し始めたんです。そうすると、チャップリンの死後38年間は著作権が残っている、ということになります。そうした主張を受けて、廉価版のDVD会社が訴えられたんですね。第一審ではその主張が認められたので、チャップリンが会社を始めた後の作品、1918年の『犬の生活』以降の作品はまだ著作権があるということになりました。続いて、黒澤明も同様の訴えを行ったので黒澤作品も個人の著作物と言う判決が出たようですね。
 ただ、元をただせば、無声映画のフィルムは上映権付きで売買されていました。正規なのかどうかはわからないですが、事実としてはそうだったんです。映画会社が映画を作ると、まずは直営館で封切られます。そこでの上映が終わると、そのフィルムはどんどん地方に流れて行くんですよ。ある程度地方に行くと巡業隊の弁士が上映権付きで買い取ります。興行が終わると、質屋に入れる、コレクターに売る、もしくは自分で所有していました。フィルムはそういった形で散逸しているというのが現状なんです。そうすると、もし仮に著作権が残っていたとしても、上映権はあるんではないかということにもなります。映画の著作権の問題は難しいですね。戦前の日本映画でしたら、一般的には著作権は切れていると考えられているので、あとは所有している方との交渉になりますよね。

――最近も地方で発見されることはあるんでしょうか?

 そんなに沢山はないですね。最近はネットオークションに9mm半のフィルムが出ていることがたまにありますよ。珍しいものもごくまれにですがあります。

(後編へ続く)


石島杏理(いしじまあんり)
1978年生まれ 東京都在住 成城大学文芸学部卒業。
2001年から2003年にかけて阿佐ヶ谷にある映画館にて勤務。
日本映画の企画上映に携わる。

 



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