『ミルコのひかり』



【スタッフ&キャスト】
監督・脚本:クリスティアーノ・ボルトーレ
出演:ルカ・カプリオッティ、
パオロ・サッサネッリほか

9月8日(土)より、渋谷シネ・アミューズ、
川崎チネチッタ
ほか全国順次公開


 今、私はパソコンの画面を見つめている。無機質な画面。そっと目をつぶってみる。よく耳を澄ませる。無機質じゃないさまざまな音が響いてくる。裏の遊歩道の虫の鳴き声、車の通り過ぎる音、扇風機がゆっくりと首をふっている音。静まり返っているはずの深夜でも必ずどこかに音というものはある。私は無音の世界を知らない。

 『ミルコのひかり』は実話に基づいた物語である。10歳の少年のミルコが不慮の事故で視力を失ってしまう。この映画を見て初めて知ったことだが、イタリアでは1976年まで盲目の子ども達は通常の教育が受けられなかったために全寮制の盲学校に行かなければならなかった。映画の中で校長がミルコの両親に言った台詞が、その当時の厳しさを全て表していた。「何をしたいかではなく、何ができるかです」少年という夢や希望が溢れる輝かしい時代に、その先の人生を決められてしまう。ひかりを失った子ども達には、人生のひかりさえも閉ざされてしまっていたのである。ミルコはそんな大人達が勝手に作った決まりに反発し、人生のひかりを取り戻していく。

 全盲の役を演じるというのは、非常に難しい。大概において似通った芝居になってしまう。役者は役作りのためにさまざまな努力をする。そして性格や癖などを作り上げていくが、どんなことをしようが目には全てのものが映っているのだ。この映画では実際に全盲の子ども達が半分ほどの割合でキャスティングされている。やはり映画を見ていても、その差は明らかだった。明らかなだけに胸に響いた。少年達があまりにも無邪気だったので、忘れてしまうのだが、ふと我に返るととても不思議な感覚になる。私が今、スクリーンに映し出されている物が彼らには見えていないのだと。しかし映画に参加することで、彼らは目に見えるもの以上に大きなものを得たのだろうと思った。

 目が見えなくなったミルコの閉ざされた世界を変えたもの、それはテープレコーダーだった。人間は耳を澄ます時、音に浸りたい時、目をつぶる。すると、たちまち聴覚が研ぎ澄まされる。音が広がりを見せるのだ。ミルコは、生活の中に潜んでいる様々な音をテープレコーダーに納めていく。机をこつこつと叩く音も目で見ていればそのままでしかないが、目をつぶれば、それは廊下を歩く足音にも聞こえる。聴覚だけで感じることで、音に無限の可能性が広がる。その可能性が彼ら盲目の子ども達の人生の可能性と重なった。

 ミルコに触発された他の子ども達も次々と音作りに夢中になっていく。私が1番好きなシーンは子ども達が寮を抜け出して映画館へと行くシーンだった。映画は「観る」という動詞が当たり前についてくる。しかし、彼らは映画を「聴く」ことで愛らしい笑顔を見せる。それを見て思い出したことがある。盲目の人のための映画ボランティアというものだ。それは、場面の転換といったト書きの部分を説明してあげるものなのだが、盲目の人のコメントでこんなものを読んだ。「雨が降り始めたのは、説明されなくても音でわかるのに、慣れない人は全てを説明しようとするので楽しさが半減してしまう」目が見えていようといまいと、人間には素晴らしい能力、想像力というものがある。想像力を働かせることは、人生の色彩を増やすことだと私は思う。もしかしたらミルコ達は、目の見えている人間よりも心が色で溢れているのかもしれない。目にはうつらないひかりを、心に差し込むひかりで補っているのだろう。

 冒頭でもこの物語が実話だと書いたが、ミルコは現在、イタリア映画界の第一線で活躍するサウンド・デザイナーになっている。彼は自分だけでなく世界中にひかりを与えているのだ。映画のエンドロールでそっと目を閉じると、小鳥のさえずりが聞こえた。目を閉じているのに鮮やかな小鳥が青い空を羽ばたくのが見えた。この映画は、私に音の無限に広がる可能性、そして大きな勇気とひかりを与えてくれた。



西山繭子(にしやままゆこ)
1978年、東京都生まれ。1995年、フジテレビ系ドラマ『じんべえ』で女優デビュー。以後、映画、ドラマ、CM等で活躍中。昨年公開された『千の風になって』(金秀吉監督)で映画初主演を果たした。
4月16日(土)21:00〜
日本テレビ系連続ドラマ『瑠璃の島』にレギュラー出演。
公式サイト:
http://www.flamme.co.jp/MayukoNishiyama/flm_profmn.html
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『童貞。をプロデュース』



【スタッフ&キャスト】
監督:松江哲明

8月25日(土)より、
池袋シネマ・ロサにてレイトショー

【Story】
 自転車メッセンジャーのバイトをしている加賀賢三、23歳。半引きこもり状態だった彼は、異性とのセックスどころかキスの経験さえない。「純愛を経ないとセックスはできない」などとうそぶきながら、アダルトビデオを「汚い職業」と見下す高慢さとイケメンへのルサンチマンに満ちあふれたどうしようもないヘタレ男である。そんな彼に、片思いのまさみさん(仮名)に告白する根性はない。言い訳しか能のない加賀に業を煮やした松江は、自分の職場であるAVの撮影現場に彼を連行、スパルタ式に女性恐怖症を叩き直そうとするが……。



 この映画を元・現童貞の男子だけでなく女性にも、いや老若男女全ての人に見て欲しい傑作だと思うのは、童貞である二人の主人公のような、アキバ系という分かりやすいカテゴリーにも当てはまらない、かといってなにをやっているのかよく分からないサブカルオタクとでも呼ぶ彼らのことを知ってもらいたいからで、確かに二人はぱっとしないし、異性とのコミュニケーションも上手くできないのだが、彼らの日常を垣間見ることで、例えば一面マンガとビデオに囲まれた部屋でアイドルの写真を切ってスクラップするという行為は、確かにどこからどう見てもかっこ悪く、それがひたむきであればあるほど失笑を飛び越え大爆笑してしまうのだが、しかしその赤裸々な姿こそ、笑いの要素を含みながらアイロニカルに世間に蔓延するあらゆるきれい事をふっ飛ばし、それが妙に清々しく、しかし鬱屈し悶々としながら晴れることのない性という男子の大問題に苦悩する姿がテーマとして描かれることによって、この映画が差別や同情からも突き抜けてしまっているからだ。これこそが現代のリアルな風景だ、と断言してしまいたい。どんなもっともらしい言説よりも、このドキュメンタリー映画こそ一番の説得力を持つ。豊富な笑える要素と全面的に彼らを肯定する眼差しは、批評しようとする眼差しでは到底辿り着くことのできない極地だ。
 彼らの立ち位置は現在のどこに存在するのかというと、ある程度の想像はできる。そのために宮沢章夫の著書「東京大学八〇年代地下文化論講義」を参照したいのだが、まずこの本は大塚英志の著書「『おたく』の精神史―一九八〇年代論」を反語的に読みながら東京大学でされた講義がまとめられたもので、ようするに過去を振り返り「80年代はスカだった」という言葉を否定する時に、その80年代を「おたく」というキーワードで語るのではなく、桑原茂一という人が日本に初めて作ったピテカントロプスエレクトスというクラブを中心に、「かっこいい」という言葉をキーワードに語られたものだ。通称ピテカンにはYMOに代表される当時の最先端の音楽とスネークマンショーと言われるコント、それは地上波テレビにある「笑い」とは一線を画す、かっこよくて斬新な形の笑いの表現があった。そして80年代のサブカルをピテカンとおたくに分類すると、「童貞。をプロデュースに」登場する二人の原点はその狭間にあったカルチャーに位置すると想像する。童貞の二人の内の一人、梅澤さんが敬愛する根本敬というマンガ家は「ガロ」というマンガ雑誌に代表されるような、いわばアンダーグラウンドな作家だ。「ガロ」はピテカン的な人にも読まれただろうが、しかし、その華やかさはどこにもない。ピテカン的な場所へ行かず、かといって現在のアキバ系に代表されるようなおたくにも行かない。どちらかというと、ガロ系の人達はアキバ系を批判的に見ていただろうし、ピテカン的な人からも見逃せないものとして興味を持たれつつ、向こうから近づかれながらも決して迎合することもされることもせず、独自の道を突き進んでいる。どこにも所属しないからこそ彼らは分かりにくい。
 しかし、二人を擁護するつもりではないが、彼らのことを「ぱっとしない」と便宜上、表現してしまったが、実はそんなことはなくて、彼らは自分の着ている洋服にちゃんとおしゃれを意識している(髪は洗面所で自分で切っていたけれど)。もちろん、ブランドの服を着るようなことはしないが、古着っぽい感じに着こなしている。アキバ系といえば差別的に誰もが思い浮かぶ、あの格好では全然ない。短絡的に思われるかもしれないが、松尾スズキも「ダサいかわいい子よりもおしゃれなブスのほうがもてる」とどこかで言っていたように、洋服に気を使うか全く使わないかで、その人が世間とどのぐらい関わりを持とうとしているかが分かろうというもので、その点、二人は外見が原因で童貞という理由にはならない。僕はこれは結構大事なことだと思っていて、初デートの時の格好なんて、帽子を被ったりして結構気合が入っている。二人はネルシャツをズボンに入れないし、髪の毛を伸ばして後ろ髪をゴムで縛ってもいないし、蛭子さんのようにお腹の上でベルトを締めてもいない。洋服に気を使わない人を否定しているわけではなく、洋服に気をかけない人はなにかを諦めたか、すでに自己を確立しているということだ。しかし、二人は服にお洒落を意識している。それは別に女性に対してだけではない。彼らはすでに女性の視線がなくとも、自分に似合った服ぐらいはすでに知っているのだ。
 何が言いたいのかというと、そこまで気をつけている彼らにどうして彼女ができないのだろうかという、その一番重要な疑問だけに注目すると、逆に暗い部分が浮き彫りになってくるのだ。外見だけであれば、彼らよりも酷い男子なんていっぱいいる。それなのに、なぜ彼らだけに彼女ができなかったのだろうか。もっというなら、どうして二人はアイドルを異常なまでに虚構として愛さなければならなかったのか! 加賀さんは、「思い出ねつ造ノート」なるものを作り、アイドルの写真を貼り付けてそこに自分の言ってほしい台詞を書いていた。梅澤さんは、ゴミを漁ってアイドル雑誌を発掘し、スクラップブックを作成する。彼らはアキバ系のように青年マンガ、ようはエロ本の萌え系のキャラクターには見向きもしない。平面ではなく、ちゃんと立体的な性にしかこだわらない。それなのに、どうしてそこに手を出してしまったのか。なぜ二十歳を超えて童貞でなければならなかったのか! その屈折した精神性が浮き彫りになるにつれ、笑いつつも、見ていて辛かった! なぜならば、自分を見ているようだったからだ! というか、これはもう自分だ! 俺だって、一歩踏み間違えれば二人のような童貞という迷路にはまっていたかもしれないのだ! それを思うと恐くて恐くてしょうがない。ああ、俺は運が良かったなあ! なにしろちゃんと生きている! 定職にはついてないけど! うわあ、よかった! そう、この映画を観ると、この二人のように、俺は生きててよかったとすら思えるのだ!
 二人の屈折した精神性を生き抜くことこそ、現在をリアルに生きていることになるのだと思う。アキバ系やかっこいいからも遠く離れ、安易に世間からドロップアウトすることすらなく、生き難い日常を果敢に一人で生き抜いている二人を見ると勇気がわいてくる。正直、二人が「良い奴」とは言えない。言い訳で自分を塗り固め、家族にだけ強気な態度を取るシーンは、なんてどうしようもない奴だと思った。しかし、そのどうしようのなさも含めて、彼らを当然のようにけなし、かといって突き放すことはなく、時には監督自身が憤る時すらあるその感情豊かな視線こそが、この映画を至極まともな作品にしているし、健全な笑える作品にしている。AVドキュメンタリーを撮っている監督だからこそ性に対しての難しい距離感を絶妙に捉えている。童貞というテーマを、これだけまともに撮れる人って他にいるのだろうか。繰り返すけれど、老若男女に見てもらいたい。なぜならば、これは誰が見ても面白いと思える稀少な映画だからだ。

※本編は2部構成になっており、上記は1部の物語紹介です。



佐藤 弘(さとう ひろし)
作家。1980年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。
2004年『真空が流れる』で第36回新潮新人賞を受賞。


『水になった村』



【スタッフ&キャスト】
監督・撮影:大西暢夫
企画・製作:本橋成一

ポレポレ東中野にて絶賛上映中
公式サイト

【Story】
 1957年、岐阜県徳山村にダム建設の話が広まった。総貯水量6億6千万立方メートル、日本最大のダムだ。当時徳山村の住民は、約1600人。みな次々に近隣の街につくられた移転地へと引っ越していった。
 それでも、何家族かの老人たちが、村が沈んでしまうまでできる限り暮らし続けたい、と、街から戻って来た。
 2006年秋、いよいよ工事が終わり、水がたまり始めた。もう誰も、村に帰ることはできない。
 ジジババたちの変わりゆく暮らしに寄り添った15年間の記録。



 観ているあいだに何度も何度も涙が出た。
声高なメッセージがあるわけでもなく、観客をどこかに導こうという意図もない。淡々とした記録があり、時間の経過がある。時おり入る撮影者である大西さん自身の声に最初は少々戸惑ったが、すぐにそれは払拭された。逆にその声がじわじわとぼくの内部へと効き始め、なんだか彼に連れられて二人で村の行く末を追っている気分になった。
 『水になった村』には確かに世界の一部が写されている。現実の端的な模写である記録映像が文字通り縦横に紡がれていき、ついにはそこに世界のすべてがあらわれる。言い過ぎだろうか。いや、そんなことはない。素晴らしい作品だった。

 村が水底に沈む前、ぼくは2回ほど徳山村を訪ねている。この村で生まれ育ったアマチュア写真家、増山たづ子さんの写真集を手にしたことがきっかけで、どうしても自分の目で村の姿を見たくなってしまったのだ。といっても、それはダムに水が入れられる少し前のことで、あの場所に往時の生活の影はほとんど見てとれなかった。ぼくのなかの徳山村は、草が茫々と茂る日射しの強い谷であり、からっぽの学校であり、古びた石の橋であり、きらきらと光る美しい川面である。そこに村があったという確信を得られるのは、電柱に残された地名のプレートがあったからで、あの日あのときの村の跡地は、夢のあとさきといった感があった。

 映画を見ながら、頭のなかで思い描いていただけの村の風景が、実感をともなってゆらゆらと立ち上がっていった。おばあさんが橋の上を歩いていく。藪こぎをしながら山へ向かっていく。畑から野菜を収穫する。五右衛門風呂に入る。山盛りの米を食べる。木の皮から漢方薬を作る。かまどに火を灯す。尻尾を振った犬がほえる。小豆を選り分ける。山菜を漬け物にする・・・。
 何気ない日常が、どうしてこんなにもぼくの目を惹きつけるのだろう。そこに派手な演出も仕掛けもない。かといって客観に徹しているわけでもない。冒頭にも書いたが、撮影者である大西さんは、その気配を無理に消そうとはしない。会話し、一緒に動きながら、とつとつと目の前の世界を映像におさめていく。その過程に、なんだか欲張ったところや、背伸びした感じや、何かを隠したり、かっこつけたりする部分がまったく感じられないのだ。そうした柔らかな姿勢が村のお年寄りの心を開いていくのだろうし、村が消えるというせつない話でありながら、一方でのびやかな部分が失われていないことと関係があるのかもしれない。ここにあるのは大西さん自身の、世界を肯定する強い眼差しであり、もしかしたらそれは徳山村のおじいやおばあから学んだ姿勢そのものなのかもしれない。

 映画のなかで、おばあたちが「ご先祖様」という言葉を何度か口にする。最初はぼくも聞き流していたのだが、今はそれがどうしても頭から離れない。東京で生まれ、典型的な核家族のなかで育った自分は、祖父や祖母よりもずっとずっと前の人々、すなわちご先祖様というものを本当に自分と繋がりのある者として意識したことがない。普段、原稿や論文上では、「人類がどうの」などといった大仰な言葉を使っているくせに、それは文章上の修辞としてしか機能していない。淡々と語る村のおばあちゃんの顔をじっと見ながら、そうしたことがぼくにはなんだかとてつもなく恥ずかしいことに感じられた。

 この土地はご先祖様から預かったもので、村を出るということはそうやって受け継いできたものを全てなくしてしまうことである、とあるおばあちゃんが言う。お金がないわけでもない。食料も日用品も電気も水道もすべて備えた街の新しい家に住みながら、しかし「ここには何もないよ」と彼女は言うのだ。
 豊かさとはいったい何か。自然保護とは何なのか。エコロジーを唱え、その姿勢を他者にほんの少しアピールするだけで満足してしまう都市の住人は、こうした人々の身に染みこんだ価値観や思考とまともに向きあうことができるだろうか。自然への敬意、山や川への感謝、大地への慕情、そして今はいないご先祖様への想いを常に抱きながら徳山村で暮らしてきたお年寄りたちは、自分たちではどうすることもできない大きな“計画”によって人生を翻弄されながら、でもそこにある世界と最後までまっすぐに向き合い続けている。
 じょばあさんは、たとえ村がダムに沈まんという矢先でさえも、沢で小さなわさびを採ってしまったら、そっと土のなかに戻して小石を置いていた。世界とは、元々そういう風にできていたのだ。
 徳山村は水底に沈んでしまったが、『水になった村』という作品が残された。そのなかで、いつでもあのおばあちゃんやおじいちゃんたちに会える。ぼくにとって、それは他ならぬ小さな救いであり、偽りのない希望である。



石川直樹(いしかわ なおき)
1977年東京生まれ。2000年、Pole to Poleプロジェクトに参加して北極から南極を人力踏破、2001年、7大陸最高峰登頂達成。人類学、民俗学などの領域に関心をもち、行為の経験としての移動、旅などをテーマに作品を発表し続けている。著書に、『いま生きているという冒険』(理論社)、『全ての装備を知恵に置き換えること』(晶文社)など。写真集&個展『THE VOID』により、さがみはら写真新人賞、三木淳賞受賞。今年9月中旬に新刊『NEW DIMENSION』(赤々舎)刊行予定。東京芸術大学大学院美術研究科博士課程在学中。
公式HP(http://www.straightree.com/


 



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