映画見聞録

映画をこよなく愛する人々が各界より集い、巷で話題の作品から通好みの渋い作品まで、独自の視点で書き綴る「偏愛的新作映画紹介」コーナー。日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパにはじめて紹介したマルコ・ポーロのように、新作映画のまばゆい輝きをみなさんにお届けします!

【Story】

小さな村で祖父のジヴォインと2人暮らしの少年ツァーネは、ある日、祖父から3つの約束を果たしに町へ行くように言われ、牛のツヴェトカを連れて旅立つ。その約束とは、ツヴェトカを売った金で聖ニコラスのイコンとお土産を買い、そして花嫁を連れ帰ることだった……。

Review

佐藤弘

 僕はエミール・クストリッツァ監督の大ファンだが、ファンとは盲目であるからこそファンなのだし、ここで一歩引いてみて感想を述べようなんて思いもさらさらなく、極めて一方的な感想だからこそ伝わるものがあると断言できるのは、そこまで興奮状態にさせるなにかがその作品にあるからだが、しかし「面白かった」という感想以外になにも思い浮かばないのが正直なところだ。それほどまでに最新作は期待を裏切らないもので、全編に渡りエミール・クストリッツァ節というものに埋め尽くされていた。どう書けばこの映画の面白さが伝えられるだろう。監督の輝かしい受賞歴はウィキペディアでも参考にしていただきたい。この映画のいたるところにアメリカ主導のグローバル資本主義への批判が描かれており、見事なユーモアに富んだそれら一つひとつを挙げてもみたいが、それではこの映画、というよりエミール・クストリッツァの映画の面白さを少しも説明できるはずもないし、したくもない。戦時下においても明るい性格でたくましく生きる人々を描くのはいつものことだし、管楽器をブンチキブンチキいわせた陽気な音楽(ちなみに音楽担当は監督の息子であるストロボル・クストリッツァ)が始終鳴っており、その音楽に合わせて物語は悲喜こもごもの感情全てを平等に受け入れながらも、停滞せずに時に荒唐無稽に進んでいくのも他の作品と同じだ。登場人物は大声を上げ感情を露わにし、悩むよりも早く行動に移してしまう。これでもかというほど監督のアイデアがスクリーンに詰め込まれ、それらのほとんどは面白いからやってみた、という奔放さによって映画を物語ることへの堅苦しさから解放していく。悪党は大勢出てくるが、嫌な奴、偽善者などは一切出てこない。つまり一言でいってしまうと「なんだか常にワーワー」言っている映画だ。けれど、それがやかましくも不快にも感じないのは、その音楽の全てが突き抜けた明るさを持っているからで、悲惨にも思える人生を登場人物たちが翻弄されながらも謳歌しているからだ。素人も多く使われている出演者の多くは、きれいでもなくかっこよくもない。太った者や背の小さい者や大きい者、老若男女それぞれが個性的で味というよりクセのある出演者の大勢出るエミール・クストリッツァの映画は、端正な俳優のみで演じられる通常の映画のフィクション性を気付かせてくれる。フェリーニの映画に小人や娼婦がたくさん登場するように、人とはそもそもきれいな面ばかりではないのだという当たり前の真実、そして完璧さを求めれば求めるほど真実から離れていくものであることを教えてくれる。悪人は大勢出てくるが、善人は一人も出てこない。なぜならば、善人なんていう「きれい事」の人間なんてエミール・クストリッツァの映画には必要ないからだ。
 つまりエミール・クストリッツァの映画は、ああ、人間を描くにはこうすれば良かったのか、といつも気付かせてくれるのだった。いや、「人間を描く」という言葉自体がすでになにかの思想に裏付けされているものだとするならば、そんなものとは無縁の開放感を得るにはどうしたらいいだろう。例えば一人の主人公が苦悩する姿を追うわけでもなく、くっついたり離れたりするラブストーリーを考えなくてもいい。細部にこだわった緻密な計算による脚本も必要としない。それらはもしかすると、物語ることの自己満足という迷路に迷い込んでいるだけなのかもしれない。今回の作品「ウエディングベルを鳴らせ」は日本の昔話からヒントを得たと監督自身が言うように、構成はシンプルであればあるほどいいわけで、本質はもっと別のところにあるのだろう。
 エミール・クストリッツァの作る映画を見ていると、その誇張された大騒ぎの中、なぜだかふと懐かしいような感覚に襲われる時が幾度となく訪れる。それはセルビアの農村の風景にではなく、無様に人が走る姿や、屈託なく感情を露にする姿に感動を覚える。そして、その懐かしさは過去のものではなく、現在進行形で自分の中にある色褪せないものだ。エミール・クストリッツァの場合、それは手法なのではなく、手法は映画という媒体においてに過ぎず、描いているものは物語からも手法からも届かないなにかだ。その「懐かしく、常に新しい」ものに僕は惹きつけられるのだし、憧れるのだとすると、それらを手掛かりとしながら、僕らは自分で自らに特有のものを発見しなければならない。なぜならば、それは場所や時代に関係なく、生きること自体に共通するものだからだ。
 それには物語や手法の助けを借りなければいけないが、そこに沈没すれば根源的なものから離れていくのだということを、エミール・クストリッツァの映画はいつも教えてくれる。 

プロフィール

佐藤弘(さとうひろし)

作家。1980年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。
2004年『真空が流れる』で第36回新潮新人賞を受賞。
著作に『オブラディ・オブラダ』(光文社)、『陽気で哀しい音楽に』(ポプラ社)がある。
 

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