映画見聞録

映画をこよなく愛する人々が各界より集い、巷で話題の作品から通好みの渋い作品まで、独自の視点で書き綴る「偏愛的新作映画紹介」コーナー。日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパにはじめて紹介したマルコ・ポーロのように、新作映画のまばゆい輝きをみなさんにお届けします!

【Story】

柳家小三治。その人を惹きつける"噺"はどこから来るのか。鈴本演芸場などでの寄席、全国各地を巡っての独演会や落語会へ同行し、噺家・小三治の姿に迫る。

Review

木村衣有子

 昨年末より、落語に夢中。昨年末、というのは浅草に引越してきたときで、その土地に素早く感化されてしまったのか。夢中だけれど、日は浅いし、二ツ目の噺家ばかり追いかけている。そんなときに観たこの落語映画は、落語の入門書にはほとんど必ず、しかもページをめくりはじめてすぐに登場する、名人といわれるような噺家、柳家小三治が主人公だった。
 落語は生でなければいけない、とりあえずそう信じることにしている私には、映画を観終えて、小三治がどれほどすごい落語家か、それは、正直なところわからなかった。わかったのは、ほんとうにまじめな人なのだ、ということだった。
 監督は3年半に渡り小三治を撮り続けたそうだ。小三治のまわり、行く先々には、他の噺家が入れ替わり立ち替わり、あらわれる。
 弟子である三三(さんざ)の真打披露興行の前だったか、控室にてお弁当を食べ終えた小三治は、その容れものをすっとどけて、手元にあった布巾でテーブルをきゅっきゅっと拭いた。「柳家の伝統だよね、テーブル拭くの。小さんの癖だよね」。少し照れたように、言い訳するように言う。そしてこう続ける。「背中を見て育つってことだよね。教えることなんてなにもないんだよ。見てればいいんだよ」
 三三に言うでもなく、カメラに向かって宣言するわけでもなく、自分自身に言い聞かせているのだろうか、小三治は言う。
 兄弟子である入船亭扇橋が度々登場する。のらりくらりとしたおじいさん、という印象の扇橋と小三治のやりとりは、つくづく愉快だ。ふたりで温泉に行き、ひと風呂浴びたあと、小三治は扇橋に「鰍沢」という噺を演ってみせてくれるように、せがむ。扇橋が得意としていて、けれど小三治はまだ高座にかけたことがない、暗い、恐い噺だ。扇橋はにこにこ、のらりくらりとしていて、演ってあげるのだか演らないのだか、判然としない。
 映画は、小三治が鈴本演芸場にての独演会の最終回、最後の一席で、初めての「鰍沢」を演じた、そこで終わる。
 その少し前の時間、楽屋にて、小三治は山梨県の地図を広げていた。「鰍沢」の舞台は、山梨の山の奥だから。どんなところかわかっていないといけない、と地図を買ってきたという。向かいに座っている扇橋は、小三治の写真が大きく載っているちらしを手に、いい写真だねえ、などと言っている。小三治に、山梨の鰍沢に行ったことがあったかどうか訊ねられて、もちろん、扇橋は嬉しそうに答える。「もう今、あんな風に迷子になるようなことはない、駅もあるしね」と付け加える。本気なんだか冗談なんだか、わからなくなる口ぶりがいい。
 小三治は、自虐的なせりふも吐いてみせる。
「結論は、俺にはこの仕事は向いてないってことだね。自分が楽しくやれないってことはストレスの元です」などと。ぴりぴりした空気を、しばしばまとっている小三治にとっては、それは決して嘘ではないのだろう。扇橋は、全く反対のタイプとみえる。だからこそしんから仲がいいんだろうな、スクリーンを見上げて私は思う。
 まわりにいくら人が居たって、高座に上がるときはひとりだ。
 楽屋に着いた小三治が、シェーバーで髭を剃る場面が2、3度あった。髪を短く刈り込んだ頭を洗面台でばしゃばしゃ洗うところも映される。お守りのようにいつも首に結んでいるロングスカーフを外し、着物をまとい、眼鏡をとって、高座に上がるための姿になる。単純に仕事着に着替える、というよりも、まるで、化けるみたいだった。ふところに手拭いと扇子のみのすっきりした着物姿は、とても格好いいのだけれど、心許ないようにも目に映る。小三治が特別、というわけではなく、直に落語をききに行ったときに私はいつも、そのことに気をとられる。手ぶらで、足元は足袋のみで、なんてことない顔をして、噺家は観客の前にひとりで歩いてくる。無防備ともいえるそのスタイルで勝負する仕事、なんて格好いいんだろう。私が落語を追いかけはじめたわけは、実はそこにあるのかもしれない。

 

プロフィール

木村衣有子(きむらゆうこ)

1975年栃木生まれ。文筆家。現在は東京・浅草観音裏在住。著書に『京都カフェ案内』『東京カフェ案内』『東京骨董スタイル』(平凡社)、『和のノート』『京都のこころAtoZ』(ポプラ社)、『手紙手帖』『もうひとつ別の東京』(祥伝社)、
『或る日の切り抜き』(DHC)、『わたしの文房具』(KKベストセラーズ)など。現在、月刊誌『ミーツ・リージョナル』にて「大阪のぞき」を連載中。
 

ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。
皆さまのおたよりお待ちしております。
感想を送る
WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る