映画見聞録

映画をこよなく愛する人々が各界より集い、巷で話題の作品から通好みの渋い作品まで、独自の視点で書き綴る「偏愛的新作映画紹介」コーナー。日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパにはじめて紹介したマルコ・ポーロのように、新作映画のまばゆい輝きをみなさんにお届けします!

【Story】

2006年にイラクで起こった米軍兵士による少女レイプ及びその一家惨殺事件を題材にしており、事実に基づくフィクション。2007年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作。

Review

佐藤弘

「やっと立ち歩きを始めたばかりの1歳の男の子が、爆弾を両手に抱えながら向かってきたら、あなたはその子を撃てますか?」
 これは別に映画「リダクテッド」のメッセージでもないし、映画に出てきたシーンでもない。ただ僕が観終わった後に個人的に思ったことで、さらに種明かしをするならば、この大げさで嫌味すぎる挑発的な質問は発せられた時点ですでに破綻している。なぜならば、これは「あなた」が「はい」とか「いいえ」と答えてもまるで意味がない問いだからだ。戦争時には「あなた」に関係なくこういった悲劇は存在する。善悪の問題ではない。戦争はそういう形でまぎれもなく現前するだろう。
 「リダクテッド」は、イラクで実際に起こった二人の米兵による14歳の少女のレイプ事件に基づいている。家族を撃ち殺しレイプした後に少女も焼き殺されている。「リダクテッド」の意味は「編集済み」、つまり都合の悪いものが削除された文章などを意味するらしい。ようは、実際に、現実に、リダクテッドされそうになった事件があったということだ。だから、「リダクテッド」の映画のテーマとは、そのタイトルがすでに物語っている。けれど、映画を観ながら僕は不思議な気分だった。確かに、それと似たような事件が実際にあることは知っている。米兵の捕虜へのリンチなど、日本のニュースでも報道されている。これらの事件はもちろんいけない、悪いことだ。だからリダクテッドはまずい。そんなことは誰もが分かっている。ただ、そういった「いけない事実」が本当にないなんて信じている人なんて一人もいない。実際は、もっと想像もできないほどの悲惨な出来事が実際に行われている。
 登場人物の米兵たちが任務を遂行しているのはイラク内のある検問だ。検問を通る時、テロリストとはまるで関係ない人たちが、暴力と呼んで差支えないほどの検問を受ける。検問所の前には様々な言葉と、色のどきつい文字で検問があることを教える看板がいたるところに立っているらしい。しかし、イラクに住む人のおそよ50%ほど(確かな数字は忘れてしまった)は文盲らしい。そんな中、ある時事件が起きた。検問所をスピードも緩めずに突破しようとする車が入ってきた。静止命令を聞かないために、ある兵士が発砲した。それはテロリストではなく、産気づいた女性を乗せた車だった。妊婦は撃たれて病院で亡くなった。これも実際に起きた事件だろう。二年間で検問所では2000人が米兵に殺され、その内本当にテロリストだったのは60人だけというのも、事実のようだ。僕はこの事実を初めて知った。酷い話だと思う。でも、「本当に知らなかった」なんて僕は自分に言わせない。なぜならば、そんな事件は戦時下では当然起こり得ることだからだ。だから誰もこの妊婦を撃った米兵を責められない。常に命を狙われている状態で、仲間以外の誰も信じられないような場所で、一般市民を装って近寄るテロリストが自分を狙っている中で、このような間違いは防ぎようがない。つまり、これは事故だ。人が死んでいるんだから事故という言葉で片付けるな、という人がもしいるとするならばその人は間違っていると僕は言い切れる。なぜならば、これは戦争の真っ最中に起こった事故だからだ。だから、まだ0歳にもならない赤ちゃんがお腹の中で撃ち殺されるような事故が起こる現実を前にして、14歳の少女がレイプされないとは誰も思わない。いや、思わないなんて言わせない。
 事故と故意を混同するなというのは正しい。けれど、周りが全て敵のように感じられ、いつ殺されてもおかしくない緊迫した状況の中、絶対に平静を保っていられると誓える人なんて誰もいない。もちろんレイプは絶対的に悪い。どんな言い訳も通用しない。敵と誤って撃つのと、自ら過ちを犯したのとは行動としては大きな差はあるが、でも自己をコントロールできない状況だったというのでは全く同じだ。だから、もし非難するならば、この罪を犯した二人の米兵ではなく、戦争を責めるべきだろう。戦争はリダクテッドされない。事件をリダクテッドしたのはアメリカというだけで、戦争は別にリダクテッドされず、現在も続いている。レイプも、罪のない人が殺害されるのも、現在進行形で行われている。優しく言い換えるならば、その危険性を常に孕んでいる。
 映画「リダクテッド」はドキュメンタリータッチで描かれる。一人の米兵がビデオカメラで撮影した映像を中心に、どこかの国のドキュメンタリー映像やニュース映像やYou Tubeっぽい映像を交え、リアルさを醸し出すのに様々な疑似ドキュメンタリー映像を駆使している。つまりそれはリダクテッドされたものをより個人的な視点のドキュメンタリー映像によって暴くことを意味するが、米兵のビデオカメラ映像は良いにしても(けれど米兵だけの手ブレ満載の映像だけでは、リアルさは損なわれないにしても映画としてはあまり面白くないだろう)、どう考えてもこれはドキュメンタリーでは無理だろうという思い切りフィクショナルな映像をあたかもドキュメンタリーのように使用するために、ドキュメンタリー特有の生々しさも希薄なので、じゃあそもそもこの手法自体がすでに意味がないのではと思わせるのだが、問題はそこではなく、レイプをした二人を白日の下に晒してもたいして意味がないということだ。繰り返すが、精神状態の麻痺した戦時下では個人はほとんど問題にならないからだ。暴かれるべきは戦争それ自体であって、リダクテッドしようとする巨大な力によって情報操作された戦争という現実のほうだというのは分かり切ったことで、ならば一つの事件をベースにドキュメンタリータッチに構成することに一体何の意味があるのだろう。カメラを持った米兵が、「今はどんな心境?」と妊婦を誤って殺害した米兵に向かって聞くような場面はおそらく実際には起こらない。そんな無神経な質問をしたら、そう問いかけた者のほうが他の仲間によって袋叩きにあうだろうからだ。映像だけでなく演出もかなりドラマチックに描かれるのならば、最初からドキュメンタリータッチにする必要がなかったのではないか。アメリカという国が一度隠蔽した事実をまた自分たちの手によって映画の中で隠蔽し、それを自ら暴くというのはあまりに回り道しているように思える。また繰り返しになってしまうが、戦争は隠蔽などされていない。隠蔽されたのは個人のある一つのケースで、しかもその個人は、正常時の個人ですらない。だったら戦争というものをフィクショナルに描くことで、すでにそれはリダクテッドから逃れられているのではないか。そして、それこそが映画の力でもあるんじゃないか。二人の米兵は現実に罰せられるだろう。それは罪を犯したのだからしかたないことだし、そうするべきだと思う。しかし、フィクションである映画が現実と同じことをする必要はない。
 例えば、この文章の冒頭に書かれた明らかに誇張された問いですら、戦争への問いになると思うのだ。いや、もっとはっきり言うならば、複雑な仕掛けを駆使しなくとも、戦争反対という断固としたメッセージになる。

プロフィール

佐藤弘(さとうひろし)

作家。1980年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。
2004年『真空が流れる』で第36回新潮新人賞を受賞。
著作に『オブラディ・オブラダ』(光文社)、『陽気で哀しい音楽に』(ポプラ社)がある。
 

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