映画見聞録

映画をこよなく愛する人々が各界より集い、巷で話題の作品から通好みの渋い作品まで、独自の視点で書き綴る「偏愛的新作映画紹介」コーナー。日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパにはじめて紹介したマルコ・ポーロのように、新作映画のまばゆい輝きをみなさんにお届けします!

【Story】

ウェスリー(ジェームズ・マカヴォイ)は、自分の人生にウンザリしていた。上司には怒鳴られ、ガールフレンドは親友と浮気している。そんな負け犬人生に大きな転機が訪れる。謎の美女フォックス(アンジェリーナ・ジョリー)が現われ、ギリシャ神話の時代から神に代わって『運命の意志』を実践してきた秘密の暗殺組織“フラタニティ”の王位継承者がなんと自分だという…。

Review

佐藤弘

 まず笑わせてくれるのが冒頭に「今から1000年前・・・暗殺組織が結成された・・・」などという大味のイントロダクションからかますことで、観ているこちら側としてはもしかしたらこれは頭のおかしい人が作った映画なのかもしれないという期待が否応にも高まる。もちろん、これは褒め言葉なのだが、つまり、ストーリーを映画内で語るのを極力避けたいという狙いが伝わるために、大量のアクションシーンを魅せてくれるのだなという想像も出来、これは好みによるのかもしれないが、ハリウッド映画的にも関わらずストーリーの緻密さをできるだけ説明しようという美学に乗っ取った映画というのは退屈でしょうがない時がある。アクション映画はそれほど複雑なストーリーはかえって邪魔な時がある。それによって盛り上がった状態が停止してしまうからだ。それに比べると「ウォンテッド」は退屈なシーンが全然なかった。ハリウッド映画に特徴的なあの退屈極まりないラブシーンもほぼ皆無、あっても10秒程度だったし、さらにそこには恋愛感情がないというドライなものだった。
 「ウォンテッド」は相当面白いアクション映画だった。でも、これは間違いないと思うけれど、この映画は一般的なハリウッド映画が嫌いな人によって作られた映画だ。というよりも、おそらく裏テーマとして、ハリウッド映画に代表されるような正義をふりかざした偽善的なアメリカというものを潰してやろうという悪意のようなものがいたるところに満ちていて、お前らの正義なんてくそ喰らえ、みたいな非常に気持ちの良い清々しさが感じられる。それで家に帰ってホームページを見たら、監督はロシア人だということが分かり、失礼かもしれないが納得がいった。全体的な手触りが普通のハリウッド映画とはなんとなく違う。イントロダクションが終わった後すぐに、誕生パーティーのシーンになるのだが、非常に和やかな中一人だけつまらなそうに、悪態をついている者が主人公のウェスリーだ。大体、そういった性格の者が主人公になる場合、物語の途中になにかのきっかけで意中の異性が振り向いたり、曲がった性格が真っ直ぐに直り、大衆のほうへと迎合していったりするのが多いが、この映画の主人公は逆にモラルから外れていく。暗殺者仲間はヒロインであるフォックス役のアンジェリーナ・ジョリー以外は全員男で、それもほぼ小汚い(ヒップホップ界の超有名人であるコモンがその中にいるのがあまりに理解不能で笑った)。負け犬人生からの転機のきっかけとなるのも、別に情に訴えるような出来事や人助けのために奮起するなどではなく、お金持ちになったから、という身も蓋もなさだ。
 「ウォンテッド」はR‐15なわけだが、そのように規制をかける法律自体に異議があるのは置いとくにしても、まあ、これはしょうがないな、と思わせるのは、アクションシーン以外にも細部のいたるところで、なぜ? と思わせるシーンがたくさんあり、その趣向の多様さがいちいち飽きさせなくて面白い。ウェスリーを暗殺者に鍛え上げるために様々な訓練をするが、銃の標的には本物の死体を釣り上げて行われ、毎回、ウェスリーは気絶するまでぼこぼこに殴られ、刃物で傷つけられる。訓練によってひん死の状態になっても「白血球を活発にさせる謎の液体」に浸かると傷口が全て治るという設定なのだからこれまた笑わせる。だから、冒頭と同様に、この映画はなんでもありの映画であって、つまるところ、ハリウッド映画における利点の一つはその過剰さによる面白さなのだから、暴力を正当化するために正義だのなんだのを付与しなくてもいいんじゃないだろうかという思惑が見え隠れする。それは、ようするにこのロシア人監督は、アメリカという大国に対して、その象徴でもあるハリウッドという内側から疑問を呈していると取ってもいいのだと思う。
 暗殺者たちは暗殺を実行に移す時に標的以外の市民がどうなろうと知ったこっちゃないといった行動に出る。そして、往々にしてハリウッド映画はそういったシーンの時は、悪の犠牲になった市民は露わにしても正義の犠牲となっただろう周囲の市民のことは隠すが、「ウォンテッド」はそれを隠さなかった。なぜなら、それは後々分かることなのだが、正義だと信じられていた行為のどこにも正義がないことが分かるからだ。暴力は暴力でしかない。けれど、それはフィクション内においては肯定されてもおかしくないわけで、隠す必要は全くない。
 暗殺の標的となる人物は「1を倒して1000を救う」ために必要なわけだが、その大義名分が崩れ去った時でさえもウェスリーは大衆側へと帰らない。ウェスリーは何度かまっとうな人生へ戻るきっかけが与えられる。けれど、その全てをはねのける。この映画は一度だって正義のためにはなにもしない不良映画だ。そのアウトローな反骨精神がとてもかっこよかった。

プロフィール

佐藤弘(さとうひろし)

作家。1980年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。
2004年『真空が流れる』で第36回新潮新人賞を受賞。
著作に『オブラディ・オブラダ』(光文社)、『陽気で哀しい音楽に』(ポプラ社)がある。
 

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