映画見聞録

映画をこよなく愛する人々が各界より集い、巷で話題の作品から通好みの渋い作品まで、独自の視点で書き綴る「偏愛的新作映画紹介」コーナー。日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパにはじめて紹介したマルコ・ポーロのように、新作映画のまばゆい輝きをみなさんにお届けします!

【Story】

 古代中国、唐王朝が滅び、小国同士が絶え間なく戦を繰り返す混乱の五代十国時代。とある小国で、皇帝の死後その弟リー(=クローディアス)が帝位についた。遠く離れた地で歌と踊りに没頭していた皇太子ウールアン(=ハムレット)の元にも刺客が送られ、危地を脱した皇太子は宮廷に舞い戻る。だがそこでは、亡き父の妃だったワン(=ガートルード)が新皇帝と再婚し、父帝は毒サソリにかまれて死んだことになっていた。新帝が兄を殺したことは誰の目にも明らかなのに――。何も信じられなくなったウールアンは、新帝の宰相イン(=ポローニアス)の娘で婚約者のチンニー(=オフィーリア)の一途な愛にも、心を開くことができない。国を治めるべき者は妃ではなく自分であることを誇示し、自分に対して批判的な者は残虐に処刑したリーは、妃の即位式を盛大に執り行うが、その席でウールアンはリーによる兄殺しを再現した劇を演じさせる。危険を感じたリーはウールアンを隣国へ送ることにし、その途上で再び刺客を差し向けるが、チンニーの兄イン・シュン(=レアティーズ)がワンに脅されてウールアンを助ける。ウールアンが死んだと聞かされたリーは盛大な夜会を計画するが、ワンはその席で夫を殺そうと、サソリの毒を入れた盃を用意するのだった。ワンのたくらみを知ったインとイン・シュン父子は、これを機に自分たちが権力を握ろうと画策する。ウールアン追悼の舞を披露するチンニー、ワンから受け取った盃をチンニーに与えようとするリー、そして剣を懐に歌舞団の中に紛れ込んだウールアン。復讐と野望と愛憎の渦巻くこの宴で、生き残るのは誰か――。

Review

チャン・ツィイーは誰を愛しているのか?

  『女帝 エンペラー』がやっと日本で公開されました。「やっと」というのには訳があります。この映画は「中国の『ハムレット』」として、シェイクスピア関係者、特に映像関係やアジアにおけるシェイクスピア上演に興味を寄せる人たち間では、去年からずいぶん話題になっていたのです(原作との人物の対応は、STORYを見てください)。「これからは中国映画の研究をしなければ、でも、どうやって?」とイギリスの学者が真剣に額にしわを寄せれば、一方でいち早く見終えたシンガポールの研究者は「あのねあのね、チャン・ツィイーがガートルードよ!」ですって。ええっ、チャン・ツィイーがハムレットの恋人オフィーリアじゃなくて、母親役のガートルード? 驚く私に「すっごいわよ」と、いたずらっぽくウインクして見せる。ねえ、何かちょっと、隠してない?
 蓋を開けてみると、壮大なスケールで展開する圧倒的な映像美が、確かにすごい。とはいえ、一人一人の人物が今ひとつ立ち上がってこないところが、正直、ちょっと物足りないのです。どうしてでしょうね。キャストとスタッフはなかなかの顔ぶれです。『初恋の来た道』『グリーン・デスティニー』、そして最近では『SAYURI』の、あのチャン・ツィイー(王妃ワン)が主役、共演が『さらば、わが愛/覇王別姫』のグォ・ヨウ(皇帝リー)、端正なダニエル・ウー(皇太子ウールアン)、初々しいジョウ・シュン(チンニー)。加えてアクション監督にあの『マトリックス』シリーズや『グリーン・デスティニー』で世界をあっといわせたワイヤーワークの魔術師ユエン・ウーピン。監督は中国国内で随一のヒット・メーカーだというフォン・シャオガン。チャン・ツィイーのファンや、ウーピン流アクション大好きという向きには、もう、これ以上何も言う必要はないでしょう。豪華絢爛な衣装、エキゾチックな調度、壮大で意表をついた設定で展開する、残酷で血なまぐさいけれども舞踏のように美しいアクロバティックなアクション、それだけで視覚的には十分堪能できる映画です。でも、原案ウイリアム・シェイクスピアと堂々とうたっているこの映画、中国版『ハムレット』として原作と重ねてみると、物足りなさの謎が解けてきます。
 『ハムレット』を大胆に翻案した映画としては、例えば公団汚職事件を背景に、復讐の相手さえ見えない暗黒悲劇を描ききった黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』や、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督のブラック・コメディ『ハムレット ゴーズ ビジネス』などの傑作がすぐに思い浮かびます。こういった作品からもわかるように、映画と原作がかなり違っているのはよくあることで、『女帝 エンペラー』が舞台をデンマークから古代中国に移したのも驚くにはあたりません。映画の内容を少し明かしてしまうことになるかもしれませんが、先王の亡霊が出てこないし、オフィーリアの気も狂いませんが、それはまあいいでしょう。劇中劇は出てくるし、毒盃も使われていますから、『ハムレット』の要素はちりばめられています。王妃ガートルードを主人公に据えたのは、十分想定内。でも、そのガートルードが、皇太子ハムレットよりも四歳若い義理の母で、しかもハムレットに想いを寄せ続けているという大胆な設定! ここがすべてを変えるポイントです。面白い展開が期待できそう……。
 ところがこの映画、せっかくの大胆な設定が活かしきれていない恨みがあります。母は母でも義理の母なら、原作に見え隠れするハムレットの母親への異常なまでの執着が解明されそうなのに、皇太子が王妃ワンをどう思っているのか今ひとつはっきりしません。父と彼女の結婚後にウールアンが宮廷を離れて隠遁生活に入ったということは、二人は相思相愛だったのかしら。それにしては、愛する人を奪われたなどと恨み言は言わず、ひたすら父に敬愛の念を捧げて叔父を憎み、復讐を果たそうとするのね。ワンはウールアンの婚約者チンニーに残酷なまでの嫉妬心を燃やすのに、ウールアンの叔父に対する憎悪の中には嫉妬は強く感じられないなあ。それじゃあ、ワンの一方的な思い込み? いったい、ウールアンはワンとチンニーのどっちを愛しているの? このあたり正直言って、ウールアンの描き方がはっきりしなくて弱いのです。で、男が弱いと女が弱い。
 いえ、もちろんワンは存在感十分。でも、それが映像的な存在感の強さにとどまってしまっていて、もったいない気がします。たまたま、シェイクスピアの『マクベス』を翻案した小説『三番目の魔女』(レベッカ・ライザート著、ポプラ社)を訳し終えたばかりなので、一層そう思うのかもしれません。この小説も、劇に登場する三人の魔女の一人、つまり女性を主人公に据えなおして、彼女の復讐心を軸に新しい物語を展開しています。また、好きでもない男と無理やり結婚させられたというマクベス夫人の過去が描かれます。ワンも先帝と無理やり結婚させられたような感じ。一見、共通点は多いのに、決定的に違うのは『女帝 エンペラー』が女性の復讐心や野心の存在を是認できないと感じさせるのに対し、『三番目の魔女』はそれを否定していないところでしょう。どちらの作品も復讐や殺人そのものを肯定してはいません。でも、チャン・ツィー演じるワンが殺された先帝を愛していたのか愛していなかったのか、ウールアンとの関係が実際どのようなものだったのか、はっきりしないのはどうしてでしょう。この映画では、手に入れたいのが復讐でも地位でも愛でも、女がそのような欲望に突き動かされるだけで「悪女」になるという前提の上に物語が進められてしまっているように思えてならないのです。
 原作では先王の王妃に対する愛と思いやり、そしてその愛を受け入れて同じく夫を愛していた王妃の姿がハムレットの口を通じて語られるし、また先王の亡霊からは死後でさえ王妃を気遣う愛が感じられます。にもかかわらずガートルードは同じように現在の夫クローディアスも愛しているし、息子のハムレットも深く愛しているのです。一人の成熟した女としての愛と、母としての愛が一人の女性の中に共存するからこそ、ハムレットは苦しむ。だから、ガートルードから母の役割を奪ったこの映画の設定は、諸刃の剣です。ワン=ガートルードは若く魅力的な女性の肢体を惜しげもなくさらして、映像的には美しい場面が展開します。一方で彼女の本心は圧倒的な映像の影にむしろ隠れてしまいます。ワンがウールアンを愛しながらも無理やり皇帝と結婚させられたのなら、彼女は前夫を愛していなかったことになります。先帝を愛していたとすれば、ウールアンへの思慕は亡き夫への裏切りになります。リーを毒殺しようとするのは、亡き夫への復讐なのでしょうか、ウールアンへの愛からでしょうか。それとも彼女自身の野望のためでしょうか。
 『ハムレット』の登場人物は矛盾した感情を抱えています。ハムレットはオフィーリアを「愛していない」と突き放したくせに、彼女の死後「お前を愛していた」と慟哭します。クローディアスは自分の罪を悔いながらも、罪の成果である王位も王妃も手放すことはできないと知っています。そんな彼はガートルードなしには生きられないと言う一方で、毒盃を口にしてしまった王妃が倒れても「血を見たせいだ」と取り繕おうとします。そしてガートルードは、再婚を責めるハムレットに「お前は私の心を二つに引き裂いてしまった」と口走ります。そんな『ハムレット』を利用しながら、人間の心の中の矛盾を追及するのではなく、一見わかりやすい設定の中に、核となる部分を曖昧なまま放り込むことで映像美を成し遂げた『女帝 エンペラー』は、美しいからこそ虚しさも残ります。
 などといろいろ言ってきましたが、実は『ハムレット』を原案として映画を作るのは、シャオガン監督の案ではなかったようです。監督自らが今年四月の来日インタビューで、プロデューサーから持ち込まれた企画だったと語っています。『ハムレット』を使ったことで「西洋の観客にアピールするには有利に働いた」「宣伝効果は大きかった」というコメントは、優良な興行成績を誇る同監督らしい発言で、ちょっと笑えます。しかもガートルードには当初もっと年配の女優を起用する予定だったのが、中国国内の若い女優好み(中国だけではないかもしれないけど)と国際的知名度を考えて、チャン・ツィイーに決定したといううわさもちらほら。どうやら配役が決まってから、若いガートルードに設定するために義理の母案が浮上したらしい。となると、若干辻褄が合わない箇所が出たのも仕方がないかもしれません。古典を深く読み直すことは現在と向かい合うことだし、異文化を取り入れることは自分の文化を問い直すことです。中国映画が、この『女帝 エンペラー』で見せた壮大なスケールと細部へのこだわりを活かしながら、シェイクスピアに正面から取り組むようになってくれば、まだまだこれから新たな発展と可能性が生まれてくるでしょう。同じアジアの、そして非英語圏の観客として、注目していきたいものです

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