【Story】
「俺は人を殺すのが好きだ」
全米史上初の劇場型連続殺人事件。奇妙な暗合で世界を挑発した犯人はゾディアックと名乗った。アメリカ犯罪史上、これほどまでに人々を震撼させ、そしてこれほどまでに人をひきつけた犯人はいない。新聞社に送りつけられた犯行声明、新聞の一面に掲載させ、読者の目を釘付けにした暗号文。誰もがゾディアックの発するメッセージに吸い寄せられ、犯行予告に怯え、そして謎解きに熱中した……。


(C)2007 Warner Bros. Ent. And Paramount Pictures. All Rights Reserved.
【スタッフ&キャスト】
監督:デビッド・フィンチャー
出演:ジェイク・ギレンホール/
マーク・ラファロ/ロバート・ダウニー・Jrほか
好評上映中
「俺は人を殺すのが好きだ」
全米史上初の劇場型連続殺人事件。奇妙な暗合で世界を挑発した犯人はゾディアックと名乗った。アメリカ犯罪史上、これほどまでに人々を震撼させ、そしてこれほどまでに人をひきつけた犯人はいない。新聞社に送りつけられた犯行声明、新聞の一面に掲載させ、読者の目を釘付けにした暗号文。誰もがゾディアックの発するメッセージに吸い寄せられ、犯行予告に怯え、そして謎解きに熱中した……。

追えばあなたも必ず嵌る
『ゾディアック』の予告編にはそう書かれていた。この言葉が映画のキャッチコピーであるならば、僕はとても良いお客さんだ。なぜならば、僕はこれを書くために二度も観に行ってしまったからだ。これを、嵌ったと言わずに何と言おうというものである。
本当に面白かった。そもそも、あまりサスペンスや謎解きなどに興味がないのにわくわくしながら観に行ったのは、監督がデビッド・フィンチャーだからで、『セブン』を観てデビッド・フィンチャーのファンになった人は僕だけではないはずだ。僕も中学三年生の時に『セブン』を観て以来のファンだから結構長い。
そして、なぜ二時間半という決して短くない映画を二度も見に行ったかというと、クライマックスになるにつれその謎解きの部分がよく分からなくなってしまったからで、僕がただ単にバカだということを省いても、『ゾディアック』が単純な映画ではないことは確かだ。二度観てやっと謎解き部分も理解できたのだが、僕がここに書きたいのはその謎解きの面白さではない。そもそもデビッド・フィンチャーの作品の魅力は謎解きではないのだ。もし、謎解きがメインであるならば、僕も二回も観に行こうとは思わなかった。もちろん、実際に起こったアメリカ史上初の劇場型殺人事件を基にしたこの映画のサスペンス的要素は非常に面白い。新聞社に暗号を送り、警察を挑発する犯人にはものすごく惹き付けられる。だから謎解きが正確に分からなくても、他のところにこの映画の魅力は十分にあるわけで、別に二度観に行く必要がなかったわけだが、なぜ観に行ったかというと、何度も認めるのも恥ずかしいのだけれど、この映画に嵌ってしまったからであり、もっと細部についても知りたいと、そう思わされたからだ。
『ゾディアック』は事件を追う三人の男達を中心に描かれる。かなり男臭い映画なのにも関わらず、しかしそれをデビット・フィンチャーが撮るとかっこいい映画になってしまう。映画の時代背景は60年代~80年代で、もちろん携帯電話もないしコンピュータも今ほど普及していない。男達は足で情報を仕入れる。しかしその男達の姿からはハードボイルドという古めかしい言葉ではなく、とても現在的で新鮮なイメージを与えられる。デビット・フィンチャーは音楽PVやCMなどを撮っていた人で、「かっこよく」撮ることはお手のものだろうが、日本のPV出身の監督が撮る映画のような浮ついた感じは全くなく、最初の殺人シーンから最後まで落ちることのない緊張感は見事だった。その見せ方を上げるとキリがない。まず冒頭のクレジット。「ZODIAC」というタイトルが左下にほんの小さくふっと浮かび上がる。それだけの演出なのだが、それが絶妙で観客はその文字の不穏さを感じとりぐっと惹き付けられてしまう。あるいは主人公の三人の内の一人である新聞記者のポール・エイプリーがゾディアックにのめり込むにつれ人格が破綻していくのだが、その一人の男が壊れていく様がとてもいい。演技も良いが、なにより壊れていく過程で変わっていくポールの洋服の崩れ具合が素晴らしい。デビッド・フィンチャーはみすぼらしさを逆にかっこよく描くことができる。選曲もとてもよかった。
終始緊張感が持続するのには、照明による功績が大きいように感じられた。明るすぎないよう細心の注意が払われており、例えば警察署や新聞社のフロアの照明の具合がなんともいえない重苦しい雰囲気を醸し出している。しかし、最初の緊張のクライマックスになる二回目の殺人シーンは尋常じゃなかった。それは暗がりなどではなく、白昼の湖で起こる。何もかもが太陽の下に暴かれた中で行われる殺戮シーンは目に焼きつき忘れることができないくらい圧倒的だった。そしてそのあまりのショックに観ている者はその緊張を終わりまでずっと強制させられる。後でHPを観たら、監督はそのシーンを撮影するために高感度HDカメラを使ったらしい。僕には普通のカメラとの違いは分からなかったが、監督が意図しただろうものは確実に撮られていた。特に奇を衒ったショットではない。おそらく映画の中でも最もゆっくりと時間の流れる静かな場面といってもいい。それはまるで他のサスペンス映画やホラー映画のような、驚かすことで恐怖を与える方法に異を唱えているかのようだ。
もう一つの仕掛けとして、シーンにより場所もしくは時間の変化がともなう場合、必ず字幕の説明があった。それは数時間単位、日、年に関係なく事細かに必ず字幕が入る。約20年という歳月を2時間半という映画に凝縮する場合、それはとても効果的であった。なぜならば、観客はゾディアックを追っている男達に没頭するだけでなく、それと同時に時間の経過にも気を配らないといけなくなるからだ。
執拗に追いかける男達はゾディアックを後一歩まで追い詰めるが最後には逃げられてしまう。時間は残酷に流れ、証拠は消え、世間は事件を忘れていく。嵌った者だけが取り残されていく。人生を狂わされ疲労していき、次々と敗北し脱落していく男達がいる。そのなんともいえない焦りが否応なく緊張を盛り上げていく。時間経過を詳細にすることにより観客に休む時間を与えない。2時間半はあっという間に過ぎていく。監督はそのために用意周到に様々なたくらみをしかける。僕はまんまとその罠に引っかかってしまったのだった。
