映画見聞録

映画をこよなく愛する人々が各界より集い、巷で話題の作品から通好みの渋い作品まで、独自の視点で書き綴る「偏愛的新作映画紹介」コーナー。日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパにはじめて紹介したマルコ・ポーロのように、新作映画のまばゆい輝きをみなさんにお届けします!

【Story】

 ニューヨーク。ラジオ番組「ストリート・ウォーク」のパーソナリティを務めるエリカ・ベインは、婚約者のデイビッドと公園を散歩中、暴漢に襲われる。病院で意識を取り戻した彼女はデイビッドが死んだことを告げられ、悲しみに打ちひしがれる。自らの心にも傷を負い、満足に外出することもできなくなってしまった。そこでエリカが手にしたのは一挺の拳銃。そしてある日、偶然立ち寄ったコンビニで、強盗にその弾丸を発射するのだった……。

Review

佐藤弘

 「愛する人が殺されたらあなたはその犯人を殺せますか?」という問題が最初に突きつけられる。殺すよそりゃ、やっちまえ、という気持ちで観にいったのですが、「ブレイブワン」という映画は大間違いだった。何が間違っているのかというと、根本的に間違っていた。
 いきなり閑話休題な話になると、以前テレビを見ている時に憲法九条が話題に上がり、要は武力の行使を認めるか否かの問題になっていたわけだが、「あなたは自分の大切な人が殺されても何もできなくていいんですか」ととんでもないことを言った、あれは誰だったのだろうか、憲法九条を考える会みたいなところに所属している人だったと思うが、僕は驚いてしまった。個人と共同体は全く別の問題だ。
 エリカ(ジョディ・フォスター)は結婚を決めた恋人と夜の公園を散歩中に暴漢にあう。エリカは一命をとりとめたが、恋人は死んでしまう。外を歩くことにすら恐怖を覚え、護身用に銃を非合法に手に入れる。すると、偶然殺害現場に出くわしてしまい、自分も狙われたために、相手を殺害してしまう。
 ここですでに間違っている。そんな偶然あるかよ、ニューヨークって恐えなあ、ではない。この場合、エリカは正当防衛だ。復讐とは全く違う問題で殺害してしまう。
 もちろん、最初のテーマだけに縛られたままでなければいけないのか、という批判はあるだろう。エリカはその後、また偶然にも生命の危険に出くわし、正当防衛で人を殺していくうちに、「善と悪」の境界線に悩みながらもニューヨークの「処刑人」になり「悪人」を殺害する者として存在していくからテーマは変わっていくのだが、でも、これは変わっていくのではなく、別の問題であって、問題が広義になったわけでも発展したわけでもない。要するに、ただ単純にエリカはとんでもない勘違いをしている。物語の中での大きな間違いは、「処刑人」を選ぶエリカのきっかけが二つの正当防衛だということだ。人が人を殺すという生理的な嫌悪感の伴う問題(まさにそれこそが境界線なわけだが)がいとも簡単に越されてしまう。彼女は自分の中だけで決断することを許されなかった。大きな方向転換になる過ちを、二つの偶然というからくりによってなし崩し的に進んで行くことになる。だから、エリカが「愛する人が殺され」ていなくてもよくなってしまう。
 エリカと恋人を暴行した男達、もしくは「処刑人」としてエリカに悪のレッテルを貼られ殺された者は、殺害に対して何も思想性を持っていない。通り魔や強盗などと同じだとするならば、それは個の問題ではなく、社会の問題だ。なぜならば、通り魔や強盗などを生み出しているのは個人ではなく、社会だからだ。ここには大きな断絶がある。エリカの憎しみが個から離れてしまった場合、殺害の正当化の問題から遠く離れていき、全く別の問題となってしまう。個人的な感情と社会は結びつかない。それはまた別の種類の異なる悲劇として物語性を帯びていくが、それならば個から出発したこと自体がそもそも無効になってしまう。
エリカの苦悩は思想ではなく感情にあったはずだ。道徳や法は、対立項が感情である場合、用を成さなくなってしまうだろう。そんなものは、簡単に乗り越えられるべきものだからだ。
 だからエリカの苦悩は全く別のところにある。それはキリストだ。監督はある小道具を使って象徴的に描いている。
殺害の正当性を宗教に求める時、個人と社会は完全に切り離されるだろう。その二つをエリカによって繋げられてしまった。それは大きな間違いだ。復讐には「善と悪」の境界線を踏み越える理由が愛情として存在しているが、社会への憎しみには、その境界線を踏み越える時、そこにあるのはエリカの恣意性だけだからだ。
 終盤、エリカがキリストと決別するシーンはとても緊張感があった。あの瞬間こそスリルがある。なぜならば、事件以前の自分には戻れないと何度も自問している決定的な瞬間があそこにあったからだ。キリストを忘れ、愛情に導かれて行動するエリカのことを誰も否定することはできない。

プロフィール

佐藤弘(さとう・ひろし)
作家。1980年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。
2004年『真空が流れる』で第36回新潮新人賞を受賞。
著作に『オブラディ・オブラダ』(光文社)、『陽気で哀しい音楽に』(ポプラ社)がある。
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