映画見聞録

映画をこよなく愛する人々が各界より集い、巷で話題の作品から通好みの渋い作品まで、独自の視点で書き綴る「偏愛的新作映画紹介」コーナー。日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパにはじめて紹介したマルコ・ポーロのように、新作映画のまばゆい輝きをみなさんにお届けします!

【Story】

 その日、日本の西の外れにある要村はお祭り騒ぎとなっていた。要村が出生率日本一に認定され、内閣総理大臣から表彰を受けることになったからだ。なぜ名も知れぬこの小さな小さな村が出生率日本一になったのか?その原因は、14年前に起こったある出来事がきっかけだった……。

Review

佐藤弘

 またいつも通りにあまり情報を入れずに観に行ったら、劇場の看板に18禁と書かれてあって驚いた。おぼろげに聞き齧ったかぎりではセックスに関する話だというのはなんとなく分かっていたので、そんなになのかと思いつつ観たのだが、決して青少年には好ましくないなどの、つまりAV的なあれではなく、物語の核となる必然性に沿ってのものだった。性描写はモロに出るので、さすがに小学生にはまずいのかもしれないが、高校生くらいであるならば、この映画のテーマである「セックスで世界は救われる」といったくだらなさを大真面目に取り組む大人たちの情熱を理解できると思う。実際、僕は途中からこの映画のストーリーを追っているのではなくて、映画から醸し出される映画熱のようなものを観ていたのだと思う。
 そう書いてしまうと、ああ、そういう暑苦しいものは嫌だな、と拒絶する人もいると思うが、この映画が妙なのはそれだけでは片付けられない洗練さのようなもので覆われているところだ。この映画の重要な要素として笑いが挙げられるだろうが、その笑いだけを取りあげるならば別に洗練されていないばかりかどちらかというと小演劇的な匂いのするものなのに、けれどそれらに全てが汚染されてしまっている、つまり、よくある素なのか衒っているのか判断のつきにくいチープ臭ささが漂うものとは一線を画すような映像が要所要所で発揮され、それに見入ってしまう。ストーリーとしては荒唐無稽で大雑把なものだし、登場人物のほとんどは風変わりで大味なのだが、それだけで話を持っていかせるような強引さがこの映画にはない。映画は二時間四十分と少し長めだが、最初の一時間半くらいはミステリーみたいな不穏な緊張感もあり、核心に迫ると思いきやいきなりあらゆる意味で度肝を抜かれるような破綻をきたし、そのまま雪崩れていくといった感じだった。
 分析的になってしまうかもしれないが、そうしないとこの映画の面白さを伝えられないので申し訳ないが勘弁してもらいたい。物語の舞台が寂れた漁港の田舎町であり、性的なものと絡めて全てが非常に土着的だ。頭のおかしい浮浪者の老婆や船に住む元犯罪者の世捨て人や縄文時代の遺跡などといったものが散りばめられ、それらの混沌さの醸し出す全体性がこの映画のストーリーの荒唐無稽さをブラつかせない。なぜならば、誇張され、カリカチュアライズされた村および村人がきっちりと(丁寧に、というよりも大雑把に、なのだがこのあたりが説明しづらい)設定されているため、様々なあり得ない出来事も、ああ、こんなのもあるかもしれないな、と納得できるくらいの包容力によって支えられているからだ。話は一人のある女子高校生が十四年前の村を調査して作り上げたレポートの回想という体裁で進んでいく。それはすでに映画自体が一つ客観性を獲得していることに他ならない。よって観客も土着的なるものをある種の冷めた視線で観ることができる。
 回想は、東京から左遷された田口トモロヲ演じる水野という男が、カリカチュアライズされた村人たちの中に入っていくところから始まる。いつも思うけれど真面目なサラリーマン役をする田口トモロヲさんは本当に素晴らしい。狂気を孕んだ、そしてやはりその狂気によって壊れていく様がこれほどはまる人はいないと思う。まだ毒されていない水野が村に対して示す拒否反応が次第に解けて融和していく様は、そのまま観客も追体験できるようになっている。だから重要なのは、この映画にどっぷりと過食気味にはまっていくのではなく、どこか俯瞰して接せられるように計算され描き出されているということだ。
 前述した映画熱は、土着性と根っこの部分で繋がっているに違いなく、それらをアイロニカルな笑いとして描き出そうとする冷めた視線がある。そのバランス性は監督が日頃から意識しているものだ。なぜならば天顔監督が見つめているそれらのものこそ、父、亡くなった今村昌平だからだ、と決めつけてしまうのはあまりにもこじつけがましいだろうか。天顔監督が映画を考える際、今村昌平という巨匠から逃れられないのだとするならば、自分の中に抱えている混沌さ、つまり土着性や映画の情熱といった湿潤さと対峙している真摯な様が、この映画には充ち溢れているように思われる。皮肉と荒唐無稽さと客観性が、父親を飛び越えるための、もしくは受け入れるための方法だなんて言うと、それこそ暑苦しいことになってしまいかねないが、この映画はそれによって一つのエンターテイメント性を獲得していたように思う。
 といっても、父親と比較されるのはとにかく監督にとって嫌に決まっているので、書いといてなんだが申し訳ない気分だ。ごめんなさい。
 最後に、映画の冒頭や終わりなどに随所に出てくるスズキコージの絵によるアニメーションがとてもきれいで良かった。それだけでも見る価値はあると思った。

プロフィール

佐藤弘(さとう・ひろし)
作家。1980年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。
2004年『真空が流れる』で第36回新潮新人賞を受賞。
著作に『オブラディ・オブラダ』(光文社)、『陽気で哀しい音楽に』(ポプラ社)がある。
ポプラビーチを読んだ感想をぜひお寄せください。
皆さまのおたよりお待ちしております。
感想を送る
WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社
ポプラビーチトップへ戻る