フランシス・コッポラといえば映画好きじゃない人でもわかるほどの巨匠だ。『ゴッドファーザー』はあまりにも有名な名作である。しかし、実は私は一度も観たことがない。男の人にそう言うと大抵の人が驚くけれど、あんまり女の人って観ていないもんですよ。私のイメージだけで表現するならばNY版『仁義なき戦い』といったところでしょうか。だからやはり女の人は作品を知ってはいても通り過ぎてしまいがちなのです。コッポラにそれほどの敬意を払っていない私が今回の映画を選んだのは、いつもこのコラムではヨーロッパ映画や邦画を紹介することが多くて、たまには派手なTHE・アメリカ的ハリウッド映画を観ようと思ったのです。そんな邪まな動機で試写会へと脚を運んだ私は、コッポラに容赦なくめった打ちにされてしまいました。
非常に難解で2時間の上映中、集中力を保ち続けなければいけない映画でした。決して悪い意味ではありません。何と言うか、観賞中に戦っている気持ちになったのです。作り手の本気度がびしびしと伝わってくるから、こちらも本気で観なくては途中でおいていかれてしまうような映画。娯楽性でいえば、そもそもコッポラ自身がそんなことを求めていないのだからゼロと言っても宣伝の方以外には怒られないでしょう。何でもお偉いさん方にしおらしい態度を取るのが嫌で、ワイン事業で稼いだ自己資本で制作したそう。コッポラほどの巨匠でもそんなことを考えるのかと少し親近感を持ちました。それほどまでの情熱を注ぎ込んで描きたかったこの作品は、ルーマニアの宗教学者であるミルチャ・エリアーデの「若さなき若さ」という原作をもとに作られました。若い、若くない、若くなりたい。「若返り」がこの映画の大きなテーマです。若返りというのは人類において永久不滅の理想ではないでしょうか。今ではさまざまな技術の進歩により、驚くほどの若返りも可能になっています。しかしそれは見た目のみの話であり、体の奥、脳自体が若返ることは不可能。そんなことが出来るまでに技術が進歩したら人が増えすぎて地球からこぼれてしまう。それでも人は若返りを欲するのです。じゃあ若返ってどうするのかと聞かれたらきっと多くの人は答えに窮してしまうでしょう。しかしこの映画の主人公・ドミニクの場合は違った。彼は生涯をかけて完成させたい言語学の研究があったのです。彼は落雷により驚異的な若返りと超常的知能を手に入れる。そんな奇跡が身に起これば人は喜びに狂気乱舞するでしょう。しかし私には映画の中でドミニクがずっと苦悩し続けている姿が鮮明に焼きついているのです。人生をやり直せたからといって必ずしも幸せが待っているわけではない。私は人生はしんどいことの連続だと思います。途中で僅かな光が射すことがあるから、何とか生き続けていられる。同じように苦悩するドミニクにも光が射し込む出来事がおこります。かつて愛した女性・ラウラと瓜二つの女性・ヴェロニカに出会うのです。けれどそれが素晴らしい出会いだと、私には思えませんでした。むしろ心が凍りつくような恐ろしさを感じました。どんなに若返ろうと人生をやり直そうと、定められた運命から逃れられないことを象徴しているように思えたからです。
明日の朝、目を覚ました時、20歳に戻っていたら私はどうするだろう。艶とはりのある肌に指を滑らせ少しだけうっとりした次の瞬間、今日まで踏ん張ってきた10年間を再びやり直すことに怯えてしまうかもしれません。