【Story】
ELLE誌編集長として人生を謳歌していたジャン=ドミニク・ボビーは突然倒れ、身体の自由を失う。そして唯一動く左目の20万回以上の瞬きで、自伝を書き上げる。たとえ身体は“潜水服”を着たように動かなくても、“蝶”のように自由に羽ばたく記憶と想像力で――。


【スタッフ&キャスト】
監督:ジュリアン・シュナーベル
原作:ジャン=ドミニク・ボビー
脚本:ロナルド・ハーウッド
出演:マチュー・アマルリック、
エマニュエル・セニエ、マリー=ジョゼ・クローズ、
マックス・フォン・シドー、イザック・ド・バンコレ、
エマ・ド・コーヌ
2007年フランス=アメリカ/
パテ提供/配給:アスミック・エース
公開情報:2月9日(土)シネマライズほか
ELLE誌編集長として人生を謳歌していたジャン=ドミニク・ボビーは突然倒れ、身体の自由を失う。そして唯一動く左目の20万回以上の瞬きで、自伝を書き上げる。たとえ身体は“潜水服”を着たように動かなくても、“蝶”のように自由に羽ばたく記憶と想像力で――。

ぼくは普段テレビをほとんど見ないし、雑誌もめったに読まないので、そもそも世事、とくにエンターテインメント系のトピックには疎いのですが、このひと月余りは猫の手も借りてしまったほど多忙、さらに、ぼくにとっての主要な情報源である妻が長期海外出張に出ていたため、喩えるなら、チベット密教の僧侶か、はたまた初めて地球に降り立ったバルタン星人さながらに世離れしていました。しかし、曲がりなりにも映画のレヴューを書くわけですから、これではいくらなんでもまずいと、帰国してまもない妻や世事にそこそこ通じている友人たちに聞き込み調査をしたところ、この『潜水服は蝶の夢を見る』は、各方面で大絶賛の嵐、相当の話題になっているそうじゃありませんか! そんな(しかも公開中の)映画をぼくごときが今さら皆さんにお薦めする必要があるのでしょうか……(一応断わっておきますが、このレビューは誰かに書くように強いられているわけじゃありません。ぼくが自ら試写会に足を運び、鑑賞後すぐに携帯から編集者に連絡を入れ、これ書くよーと言ったのです。こうしてアップが遅くなったのは、ひとえにぼくのスケジュール上の都合です、ごめんなさい)。そう考え、少なからず気後れしていたのですが、ふと思い至りました。いるんですよねぇ、世の中には、絶賛されればされるほど、評判になればなるほど、それを避けようとするひねくれ者が。かくいうぼくもどっちかというとそのくちなんですけどね。類は友を呼ぶ、というのであまり偉そうには言えませんが、ぼくの実感では、このタイプって案外多いし、彼(彼女)らは昨今いっそう頑になっているような気がします。まあ、なんといいますか、商業主義が跋扈しているといいますか、あるいは文化的画一性への見えざる圧力が強まっているといいますか、そんなご時世にあってはこういう流儀も独立心を保つための防御策の一つなのかもしれません。この際だから率直に言ってしまいましょう、ぼくは現代日本社会においてメジャーなものは十中八九クソだと思っております。ははは。言ってしまったよ。やばい? まあいいや。とまれ、であるからにして、少なくとも最近の映画広告における安易かつ大仰なキャッチコピーや著名人の絶賛コメントの類には食傷しております。配給会社の宣伝担当の皆さんに、あの手の宣伝方法が時として逆効果になっているということを頭の片隅に入れておいていただけるようこの場を借りてお願い申し上げます。
あ、話が逸れましたね。えっと、そうだ、ひねくれ者の皆さんだ。そこのきみだよ、きみ。今度ばかりは、騙されたと思って、観に行ってもらえませんかね? なぜって、監督が誰であるとか、俳優の演技がどうとか、カメラ・アングルがどうとか、スクリプトがどうとか、そういう映画の位相を抜きにして、この映画にはぼくらが生きている以上避けて通ることのできないとても重要なことが描かれているからです。
ストーリーは実話をベースにしていることもあってか、しごくシンプルです。パリのELLE誌編集長であるジャン=ドミニク・ボビーは病室で長い昏睡状態から目覚めます。自分が脳梗塞で倒れたことを、そして、精神は正常に働くが肉体は左目を除いてまったく動かない、すなわち〈ロックト・インシンドローム=閉じ込め症候群〉の状態にあることを知ります。絶望に打ちひしがれるジャン=ドミニク。そんな彼のために言語療法士は新しいコミュニケーション方法を発明します。使用頻度に基づいて並べ替えられたアルファベットを相手に読み上げてもらい、左目の瞬きによる合図によって文字を選び、文を組み立ててゆくという方法です。やがて生きる意志を取り戻したジャン=ドミニクは忍耐強い(そしておそらく優秀でもある)編集者を相手に、気の遠くなるような作業を重ねつつ半生のメモワールを綴ってゆきます。肉体は重い潜水服に閉じ込められたように動きませんが、想像力や記憶は蝶のように軽やかに飛翔するのです。こうして書き上げられ、フランスをはじめとする各国でベストセラーになった(水を差すようですが日本ではあまり注目されなかったようでしばらく絶版状態になっていました)メモワールを映画化したのがこの作品です。
じつはジャン=ドミニクの不自由な視線がそのままカメラ・アングルになっていたり、彼の内なる想像の世界が鮮やかに映像化されていたり、現在のシーンと記憶のシーンが巧妙に切り替えられたりと、さすがはカンヌ国際映画祭の監督賞および高等技術賞受賞作品、映画技巧的にも斬新かつジャストな手法が駆使されているのですが、この映画、観ている間はそのようなテクニカルな側面に注意が奪われません。というか、いくらドライな距離を保ってクリティカルに鑑賞しようとしても、ジャン=ドミニクの心情に接近してしまうのです。いや、それこそが冒頭からしばらくのあいだ彼の視線をそのままカメラ・アングルに据えた監督の思惑なのでしょうが、ぼくらはいつのまにか、彼自身になってしまっている、のです。それはまた、ぼくらの誰一人として彼の陥った境遇を他人事として切り離せないからでもあると思います。だって、私(俺)は絶対に脳梗塞にならない、なんて誰が言えるんです? もし自分が彼の身だったら、と仮定せずにはいられないのです。
しかし、ここで、日本で生きるぼくらにとって、いっそう逼迫してくる問題は、もし仮にぼくらがジャン=ドミニクと同様の精神的強靭さと文学的才能があったとして、彼が新たな希望を見出すことにおいて大きく貢献しているはずのハードの部分、つまり、インフラを得られるか、ということだと思います。日本には彼が受けたような高度な医療介護システムが確立されているのだろうか、あるいは、確立されているとするなら、それは法外な費用のかかる、換言すれば、一部の裕福な人々のためのものではなく、万人に開かれたものなのだろうか、ということです。
アメリカ人であるジュリアン・ジュナーベル監督はインタヴューで次のように語っています。「私はこの映画をフランスの病院で、フランス語で撮らなければならないと思った。(中略)この物語がたとえどんなに普遍的だとしても、やはりフランス人の男によって語られたものだ」と。
彼の言わんとしていることはぼくのそれと必ずしも同じではないでしょうが、ぼくもやはり、この物語は社会保障制度の発達した欧州の先進国でなければ、成り立たなかったものだと思います。え?そうなの? と思った皆さん、例えばフランスの社会保障事情を調べてみてください。日本人でいることが空しくなりますよ。
ぼくが、この映画にはぼくらが避けて通ることのできないとても重要なことが描かれていると言ったのは、そういうことでもあるのです。これは人間の生と死を見つめた美しく感動的な映画であると同時に、一つの重く実際的なテーマを内包した非常に社会的な映画でもあると思うのです。
やや蛇足になりますが、この映画を観てからのぼくの口癖は以下のごとくで、友人をつかまえてはあたかも箴言のように繰り返しています。「社会において大切なのは、何をおいても手厚い社会保障と、親切な美女なんだよ。」あ、失礼、文脈上、触れられませんでしたが、身動きできないジャン=ドミニクの前に現れて力を尽くす言語療法士も理学療法士も編集者もすごく美人なのです。女優なんだから当たり前じゃないかって? いいえ、実際の彼女たちも美しかったんだよ、と、もちろん会ったことはないけれどもぼくは断言します。なぜって彼女たちの美しさは内面の深いところから湧き出てくるものにちがいないから。なんだかここまで書いたことがおじゃんになってしまうくらい低俗な物言いかもしれませんが、彼女たちの美しさもまた、彼の大いなる励みになっているのは間違いありません。
最後に繰り返しますが、本作品はすでに公開中です。ひねくれ者もここはどうか一歩譲って、映画館に足を運んでください。
