【Story】
ジョン・レノン暗殺の数時間前の伝説の写真を撮った、世界一有名な女流写真家、アニー・リーボヴィッツ。彼女の人生を描いた、現代のすべての女性に捧げるドキュメンタリー。


Photographs (C) 2007 by Annie Leibovitz
【スタッフ&キャスト】
監督・脚本・製作:バーバラ・リーボヴィッツ
出演:オノ・ヨーコ、デミ・ムーア、
キース・リチャーズ、アナ・ウィンター、
ヒラリー・クリントン、ミック・ジャガー、
アーノルド・シュワルツェネッガー、
ウーピー・ゴールドバーグ、
パティ・スミスほか
絶賛公開中
ジョン・レノン暗殺の数時間前の伝説の写真を撮った、世界一有名な女流写真家、アニー・リーボヴィッツ。彼女の人生を描いた、現代のすべての女性に捧げるドキュメンタリー。

雑誌の表紙を飾るようないわゆるセレブリティと呼ばれる有名人の完全な虚構の世界を構築した商業写真から、きわめてプライベートな写真まで、縦横無尽に撮影するアニー・リーボヴィッツの方法論はもちろん一つというわけにはいかない。でも、特に印象に残った言葉は「良い写真を撮るには被写体と生活を共にすること」と「人物を捉えるなんて所詮無理」という、半ば相反するような二つの言葉だった。そして、それはそのまま彼女の人生観なのだと思う。
アニーは幼少の頃、父親が空軍大佐のため、自家用車が我が家だったと言うほど基地と基地を飛び回る生活を送っており、いつも窓の外ばかりを見ていたという。僕はすぐに、あっ、この人はジプシー(移動生活者)みたいだと思った。ジプシーと違うのは迫害の人生ではなく、土地に定住する前にまた新しい土地へと移動してしまうところだ。「カメラを持っていれば旅の目的になる」という理由でカメラマンを志すあたりはまさに彼女の自由奔放な精神の源を垣間見るようだ。
被写体となる者はカメラを持っているアニーの存在が気にならなくなるという。だからこそアニーはローリングストーンズなどのスーパースターの意外な一面を撮影できたのだが、重要なのは例えばそのためにローリングストーンズのツアーに同行するといった方法論なのではなく、そうしたいと望む彼女の精神のほうだし、それを実行して成功を収めてしまう彼女の行動力のほうだ。方法論が先にあるのではなく、彼女の場合、行動が先にある。もちろん、方法論などは往々にしてそんなものに過ぎない。
アニーに撮られるセレブリティたちは、口ぐちに今まで自分でも気付かなかった自分を写真の中に発見できると言う。それは彼女によって自分の知らない自分を引きだされるということだが、なにもそれはアニーに特有のものではなくて、巷に溢れる商業的宣伝写真以外の優れた写真とはそういうものだと思う。アニーのすごいのはすでに虚構にまみれたセレブレティらが被写体で、かつ虚構を全面に押し出した商業写真の中ででもそれが可能だということだ。そう考えると写真という表現は、写真家のフレームの中の虚構と、その中に写っている被写体の、表面ではなく内面を垣間見せるその隙を捕えるというそのせめぎ合いから生まれるものだとしたら、またしても虚構とリアルという一見相反する二つがせめぎ合っている。けれど、その二つは「瞬間」という言葉で重なり合うとするならば、あまりに当たり前の結論に至ってしまうが、写真は瞬間の芸術なのだった。
しかし、アニーはどうしてポートレートにこだわるのか。移動生活の毎日を送る幼少時代と、カメラを持つことで旅をする目的を見失わずにすむという思いの先にあるものは、限定された考えかもしれないが、被写体という個に限定されたものではなく、大きな事件(たしかにパートナーだったスーザン・ソンタグに誘われ戦時下のサラエボに行ったりもしているが)や雄大な自然のほうにテーマが向かうのが普通だと思う。ある一人の人間の虚構とリアルという両極端の端っこを同時に捕まえられるアニーにはそんな疑問は意味を成さないのかもしれないが、でもそこにこそ彼女のすごさがあるように思えてならない。ようするに被写体との「生活を共に」しながらも「所詮人生を捉えるのは無理」という結論にいたっても尚、信じられるなにかを彼女は被写体に感じている。二つの言葉のせめぎ合いの中で見出されるものが決して悲観的でないのは、現場でいつも明るいアニーを見れば分かることだ。
話は突然変わるが、野田秀樹の「ライトアイ」という劇の中で、報道カメラマンが今まさに銃口を向けられ殺されようとしている少年にも、お前はカメラを向けるのかと問われるシーンがあるのだが、アニーはおそらくカメラを向けないのだと思う。アニーが撮りたいのは極限に追い込まれた状態の少年ではなく、戦時下という状況でもふとした瞬間に笑顔になる少年の顔のような気がするからだ。
