映画見聞録

映画をこよなく愛する人々が各界より集い、巷で話題の作品から通好みの渋い作品まで、独自の視点で書き綴る「偏愛的新作映画紹介」コーナー。日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパにはじめて紹介したマルコ・ポーロのように、新作映画のまばゆい輝きをみなさんにお届けします!

【Story】

 インド北西部を走るダージリン急行に、長男フランシスの呼びかけで、次男ピーターと三男ジャックがやって来る。父の死をきっかけに絶交していた彼らだが、フランシスはインドの旅を通じて、再び兄弟の結束を高めようとしていた。しかし兄弟たちはそれぞれに個人の問題を抱えており、ケンカが絶えない。しかしそれでも、3人は人生を変える旅を必要としていた。そんな中、あるトラブルから3人は列車を放り出されてしまう。

 

Review

桜井鈴茂

 担当編集者の異動に伴い、このコーナーにぼくが寄稿させてもらうのは本稿で(少なくとも差し当たり)最終となるのだが、このタイミングで、ウェス・アンダーソンの最新作を紹介できることを心から嬉しく思う。というのも、ぼくが現在、その名前だけで、なんの留保もなく、他の情報も必要とせずに、映画館に足を運ぶ、数少ない監督の一人がウェス・アンダーソンなのだから。いや、それどころか、スタッフ・リストや宣伝文句の中に「ウェス・アンダーソン」という文字を見つけるだけで、恋する乙女よろしく胸が高鳴り、映画館へと足が向いてしまう。アンダーソンが製作を務めたノア・バームバック監督の『イカとクジラ』の時は言うに及ばず、昨日もこの『ダージリン急行』を観に行った恵比寿ガーデンシネマのロビーで、たまたま手に取った『ジェリーフィッシュ』というぼくの知らなかった映画のフライヤーに、「ウェス・アンダーソンにも通じる感覚」という惹句を見つけ、本稿を書き上げ次第、さっそく観に行こうと思っている、という有様だ。
 なぜ、ぼくはそんなにもアンダーソン作品に惹かれているのか――その魅力を列挙しはじめると、それだけで紙幅を埋めてしまいそうなので控えるけど、ここでとりわけ言及しておきたいのは、彼の全作品に通底する、周到さ、オプティミズム、そして、ユーモアについてである。
 まずは周到さ。あるいは緻密さ。プロットは登場人物の名前や造形を含めて「これは映画(=フィクション)なんだからそのへんはまあ……」というエクスキューズを微塵も感じさせないし、セットや衣装や小道具に至っては、それらを堪能するためだけにチケット代を払ってもいい、と思わせるほどに凝っている。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』における、それぞれに一癖も二癖もある多人数の登場人物を絡ませながら一家のドラマを紡いでいく手さばき、そして『ライフ・アクアティック』における、“チーム・ズィスー”のユニホームやベラフォンテ号の断面セットなどを思い出していただければ、これ以上の説明は必要ないだろう。
 それから、オプティミズム。アンダーソンの映画は、どんなにシリアスな状況に陥ろうと物悲しいエンディングを迎えようと、観る者を決して憂鬱な気分にさせない。汲めども汲めども枯れない泉のようなオプティミズム、言い換えるなら、“気楽さ”が、スクリーンに、ドラマに、暖かみとおかしみを与えているからだ。もちろん、この泉はウェス・アンダーソンという人間の深層を経て湧き出るものだろうが、彼についてはパンフレットに載っている経歴以上のことは知らないし、芸能記者でもない限りそれで十分だと思う。ともあれ、エンドロールが上がってゆく時、ぼくは映画を観る前よりも人生と世界に慈しみを感じていることに気付かないではいられないのだ。
 最後に、ユーモア。これら周到さを独り善がりなものに、オプティミズムを白々しいものに、陥らせないのは、上質の、しかしスノッブではない絶妙のユーモアが至るところにまぶされているから。臭みを和らげる香辛料のように、あるいは甘ったるさを抑えるリキュールのように、それはバランスを保つために不可欠なものなのだ。そしてバランス感覚というものは、現在のアンバランスな世界にあっては、ぼくらが普段意識している以上に希有であり重要なものだと思う。

 最新作の『ダージリン急行』でも、それらの魅力は遺憾なく発揮されている。メイン・キャラクターである個性の異なる三兄弟はもちろんのこと、端役であるはずの客室乗務員や他の乗客のパーソナリティをもストーリーに織り込み、ひいてはそれぞれのバックグラウンドまでも匂い立たせてしまう手腕はお見事というほかないし、“ダージリン急行”のツートーンの外装とそのレトロな内装、父親の形見であるルイ・ヴィトン風の旅行鞄セット、等々、いつものヴィジュアル面も、観る者を楽しませてやまない。また、全編に貫かれたオプティミズムとユーモアの絶妙なコンビネーションは、時にシリアスな場面にコミカルさを加味し、“希望と再生”や“家族の絆”といった、得てして過剰なセンチメンタリズムに染められやすいテーマに、胸のすくような乾きと軽やかさをもたらしている。
 だが、この最新作には過去のアンダーソン作品には見られなかった要素が闖入してきていることも言い添えておかなければならない。一言で言うならば、それは“インド”である。これまでの作品で、アンダーソンはスクリーンに映るすべてを「周到」に構築し、コントロールしていた。しかし、今回ばかりは、物語の設定上、制御しようにも制御できない摩訶不思議にしてリアルな“インド”という要素と対峙しなければならなかった。例えば、列車を強制的に下車させられた後に、三兄弟が立ち寄ることになる村の住人は、過去の作品でキャスティングされてきたハリウッドないしアメリカの位相にいる俳優たちではないだろうし、またその村で執り行われる儀式や背後に茫漠と広がる風景はアンダーソン映画の中では極めて異質だ。この映画が成功しているのは、そんな異質な“インド”という要素を排除するでもなく無理に制御するでもなく、鷹揚に、あるいは果敢に、取り入れているからだと思う。ここにぼくは、ある種のハプニングをも懐に収めてしまう、さらに一回り大きくなったアンダーソンのオプティミズムを見た気がする。
 三兄弟が父の形見である旅行鞄を放擲しながら再び“ダージリン急行”に飛び乗るシーンがたまらなく好きだ。ぼくらの実人生もこんなんだったらいいのに、と願わずにはいられない。しかし、実際のところ、ぼくらの人生は鈍重で愚鈍でしみったれていて……ぶつぶつぶつ。そこで、はっと思い当たる。いや、待て。そうじゃないな。ぼくらの人生がいささか冴えないままに進んでいるからこそ、こんな素晴らしい映画のこんな素晴らしいシーンに狂喜するのだ。ラッキー?アンラッキー? それはわからない。

プロフィール

桜井鈴茂(さくらいすずも)
小説家。1968年生まれ。
下北沢を拠点にバンド活動後、様々な職業を経て、2002年『アレルヤ』(朝日新聞社)で朝日新人文学賞受賞。
その他の著書に『終わりまであとどれくらいだろう』(双葉社)。
現在、FOIL WEBにて「女たち」を連載中。
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