【Story】
16歳のアレックスは、はじめたばかりのスケボーに夢中だ。その日もスケボー少年の聖地「パラノイドパーク」へ向かった。しかし、ふとした偶然から誤ってひとりの男性を死なせてしまう……。


【スタッフ&キャスト】
監督・脚本・編集:ガス・ヴァン・サント
出演:ゲイブ・ネヴァンス/
テイラー・モンセン/ジェイク・ミラー/
ローレン・マッキニーほか
絶賛公開中
16歳のアレックスは、はじめたばかりのスケボーに夢中だ。その日もスケボー少年の聖地「パラノイドパーク」へ向かった。しかし、ふとした偶然から誤ってひとりの男性を死なせてしまう……。

16歳のスケートボード好きの男の子が、ある偶然により誤って人を殺してしまう。「パラノイドパーク」はいきなり背負わされたその罪に悩む男の子を描くことによって話が進むが、別になにも「罪と罰」といったテーマを監督のガス・ヴァン・サントが描きたいわけではなく、「突如背負わされた人殺しの設定」は、漠然とした不安を抱えたどこにでもいる少年の内面を分かりやすく具現化しただけに過ぎない。その設定があるからこそ物語が動き始めるのだし、サスペンス要素が加わり深刻さは否応なく増してくるのだから重要には違いないけれど、さらに重要なのは設定に捕らわれてテーマに引っ張られることにより見失うものがあるということで、「パラノイドパーク」はその見失われるものをこそ中心に描いている。
若者の淡々とした日々を描くとするならば、こんなにお手本になる作品もないのかもしれない。ショッキングな事件を題材としつつ、そこにはこだわらない。この作品は別に「人殺しをしてしまった少年」の設定でなくともよかったわけで、設定は作品を作品たらしめるための要素とでもいうのか、ようするに、身も蓋もなく言ってしまうと「面白い」要素であるということに過ぎないのではないか。人殺しという事実を抱えてしまった主人公は本当はその罪に悩んでいるわけではなく、この映画はある種の説明不能な若者特有の不安な「気分」をこそ浮き彫りにしたいのだし、「エレファント」や「ラストデイズ」など最近のガス・ヴァン・サント作品に特徴的なあまり動かない長回しの多用と、内面を吐露するようなセリフを使わず、淡々と登場人物を撮るその手法はそのために機能している。
ガス・ヴァン・サントがやりたかったのは「かっこよくて興味深い」映像を作りあげたかっただけなのかもしれない。こんな風に書くと浅はかというか軽薄に思えるかもしれないが、「気分」を描くためにはその「かっこよさ」は不可欠だ。というよりも、目的そのものといってもいい。思想性やテーマをことさら深刻に彫り進めていくなんていうのは、ガス・ヴァン・サントにとってはもっと容易なものなのかもしれない。日常をどのように描くのかは各々の作家の視点によって異なるが、日本の文学やマンガによくあるような、ただの日常をただ本当に淡々と描く作品ほど退屈なものもない。
主人公が自分の身に起こった出来事をノートに記していく順序で映画が進んでいくので、実際の時間軸とは順番が逆になったり同じ映像が何度も反復したりするような方法も、主人公の内面が生々しく描かれていてとても効果的でよかったと思うが、ガス・ヴァン・サントが一番やりたかったのはただスケーターを撮りたかっただけなんじゃないか。とにかくスケーターはかっこいい。逆にスケーターをかっこいいと思わない人はあまり好まない作品かもしれない。スケーターという存在は、公共の場を我が物顔で滑るからこそ意義があって、その行為自体が反抗的と見做される。しかし、憧憬はその反抗的な姿勢そのものに向けられている。警察に注意されながら尚もやり続ける姿勢にこそ反骨精神が現れているのであって、それはロックやパンクやヒップホップというのとまるで変わらない。
ロックスター(「ラストデイズ」はニルバーナのカート・コバーンが自殺する一日を描いている)の日常にはステージ上では語られない物語があるように、街を滑っているスケーターにも日常がある。彼らの青々しさや痛々しさは「かっこいい」。けれど、彼らだってなにもそうしたいわけではなく、そうせざるを得ないなにかを抱えているからこその行動なのだ。だから、ガス・ヴァン・サントにとっては「かっこいい」=「漠然とした不安」と見えているだろう。逆に「内面」を描くためには「かっこよく」なければならず、その「かっこよさ」とは映像によるもので、淡泊でありつつも殺伐さと不穏さを漂わせるガス・ヴァン・サントの映像そのものが若者の心象風景としてなり得ている。それはとてもすごいことだし、物語ることでは伝えられない切実さが滲み出ていた。
