家族物語-林望

『もう一つの学習』

 英語は、主に息子だけの勉強で、娘は折々英語の絵本など読んでいたけれど、それもいつしか沙汰止みとなって、自然に英語は意識の表面からは消えていった。それが当たり前で、無理して英語などを教える必要もないと私は思っていた。
 娘にとっては、イギリスの学校が、初めての小学校体験で、そこでは例のジョナサン退治の武勇伝などもあって、けっこう学校生活をエンジョイしていたらしくおもわれた。
 では、日本の公立小学校はどうだったのかというと、娘はいつも、男の子が乱暴で嫌いだ、と不愉快そうに言った。言葉使いが乱暴で、行動が乱暴で、どうも居心地が悪かったらしい。もっとも、これは娘のほうも相当に気まぐれのお天気屋だから、そのまま全部を信じるわけにもいかないのである。そんなに乱暴な男の子ばかりだったはずもなく、事実、少しは優しい男の子もいたらしくはあった。ただ、そういうのが少数派で、私自身も覚えがあるけれど、公立小学校の男の子は良く言えば奔放、悪く言えばお行儀が悪いのが常であった。
 私自身も、公立の小学校にいて、いつもいじめっ子のような存在に悩まされてきたし、娘の愚痴は、一定の範囲内で理解することができた。
 さて、ところで、この新しく始まった帰国後の学校生活の中で、私たちは、二人の子供に等しく一つの学習をさせることにした。
 それはコンピュータのキーボードの練習である。
 当時、まだまだパーソナル・コンピュータは黎明期で、(西暦でいうと1987年ころだから)例えば文章をコンピュータで書くなどという人は寥々たる少数に過ぎなかったし、とりわけ文科系の人ともなると、コンピュータなんかには無縁な生活を送っている人が大多数だった。
 むろんまだ携帯なんか影も形もなかった、そんな時代である。
 私はあのファミコンという名のテレビゲームには頗る批判的で、今でも子供がああいうものに夢中になっているのは、精神の発達上に非常な害があると思っているのだが、といって、これからの時代を生きていく子供たちがコンピュータというツールと無縁でいられるはずはないという見通しも持っていた。
 自分自身も文科系の人間で、コンピュータなどの原理には一向に疎いのだけれど、それでも、ケンブリッジ大学での目録著述の仕事のなかで、コンピュータは必須のツールとして接して、一通り扱えるようになっていた。
 そのとき、どうしてもいわゆる「タッチタイピング」という技能を身に付けることが、これからの時代の必須の教養だと私は思った。これを私のように大人になってからやるのではなくて、子供の頃に習得してしまえば、あたかもそれはピアノの練習と同じように、自然な手指の運動として脳が認知するに違いない。
 私は二人のこどもに、キーボードタイピングの練習ソフトを与え、毎日競うように練習させた。
 とはいえ、そのことで私の仕事用のコンピュータを占領されたり壊されたりしても困るので、奮発して子供用にNECのPC8801というパソコンを買って与えることにした。
 こうして、二人の子供たちは、たちまちキーボードに習熟して、一年も経たぬうちに、自然とコンピュータを扱うようになっていった。
 同時並行的に、もともと理科系の頭脳を持った息子には、コンピュータのプログラミングの勉強もさせることにした。そしてそれも夏休みの自主研究となった。


 
林 望(はやしのぞむ)
1949年東京都生まれ。作家・書誌学者。慶応義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。『イギリスはおいしい』で日本エッセイストクラブ賞、『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』で国際交流奨励賞、『林望のイギリス観察辞典』で講談社エッセイ賞を受賞。エッセイ、小説の他、歌曲等の詩作、能楽、自動車評論等、著書多数。


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