カネハラ言ノ葉研究所

日夜、英語と日本語のあいだで格闘するスーパー翻訳家・カネハラ教授の「言ノ葉研究レポート」。言葉のもつ力、不思議、面白さが見えてきます!

第24回 食を以って天となす

  前回、スープとシチューの話をかいたものの、羊羹を持ち出すまでもなく、どうしても本家中国の「羮」や「食」が気になってしょうがない。そこで、上海に住んでいる王さんに、メールでこんなやりとりをした。

 

Q:中国語で、シチュー(stew)、スープ(soup)はなんていうんだっけ。
A:スープの中国語は「湯」です。シチューは決まった名詞がなく、野菜や肉を煮込むという意味で「燉菜」となります。
Q:中国でいま「羹」って、どんなものを指す?
A:「羮」はいまでも使っていますが、必ずしも肉の入ったスープを指すわけではありません。肉あるいは野菜の入ったとろっとしたスープをいいます。「豆腐羮」とか「果物羮」とかもあります。昨夜バイキングを食べにいったのですが、「西湖牛肉羮」(牛挽きに椎茸や香菜などが入ったもの)や、トウモロコシの粒に卵やえびの入った羮がおいしかったです。
Q:日本の、中華丼、天津丼って、中国にもあるんだっけ? ご飯のうえに、八宝菜や、カニ玉をかけたやつ。
A:あります。中国語では「蓋澆飯(ガイジャオファン)」と言います。一度食べた福建チャーハンは普通のバサバサしたチャーハンではなくて、上にトロっとした具をかけていました。ただ、中国人はご飯にあんかけをするのがあまり好きではないような気がします。なんだか汚いイメージがあって。だから、日本のカレーうどんとか気持ち悪いと思います。うちの親はご飯の上にカレーをかけるのを嫌がっています。ご飯の隣に置くだけなら許せるけど。でも、おこげの上にあんかけというのはありますね。

 

 なるほどなるほど。このやりとりで面白かったのが、王さんの次の発言。「先生のエッセイ、とても勉強になりました。小麦粉でもとろみが出せるのを初めて知りました。今までずっと片栗粉だけだと思っていました」。そうか、いわれてみると、中華料理で、小麦粉のとろみをつけた料理は珍しいのかもしれない。こういったデンプンによるとろみは、ほかにコーンスターチ、クズ、ワラビなどなど、いろんなものから得られるのに、中国ではやっぱり片栗粉が主流なんだ。
 
 

 そんなやりとりをしていたところ、王さんからまた面白いメールがきた。

 ――偶然といえば偶然なのですが、先生のエッセーを読んで数日して、中国アモイ大学の教授・易中天氏の『閑話中国人』という本を読みました。とても面白いので、ちょっと紹介しますね。先生が書いた「羮」にも関連しています。
 易氏によれば、中国の文化は「食」から始まったもので、西洋の文化は「性愛」から始まったもの。
 西洋では神様は最初イブとアダムの男女二人しか造らなかったから「事件」が起こりました。一方中国では人間を造った「女媧(じょか)」という女の神様はたくさんの人間を造りました。そして食事はもう男の神様である「伏羲(ふくぎ)」に任せたのです。「伏羲」は「庖犠(ほうぎ)」とも呼ばれ、「庖」はコックさんのことで、「犠」は「犠牲」。やはり「コックさん」の地位はとても高く、最終的に伏羲は女媧の夫になります。中国では「民は食を以って天となす」(食がいちばん大切)なのです。
 遊んで浮気をして嫉妬しあうギリシアの神様とくらべて、中国の神様はずっと真面目で大変でした。常に人々の食問題を考えなければならなかったからです。だからこそ、人々に「天」とあがめられたわけです。
 中国文化は食をとても大切にします。「人=口」なのです。そこから「人口」という言葉が生まれます。また、生計を立てることを「糊口」といい、職業のことを「ご飯茶碗」といいます。また、何もせず、ただ貯金に頼ることを「元金を食べる」といい、食べるものがなくなると、「西北風を飲む」しかありません。
 それから、公務員のことを「皇糧(皇帝家の食糧)を食べる」とか「鉄茶碗(保証があるから鉄の茶碗)」といいます。
 また、男が女をナンパすることを「女の豆腐を食べる」といいます。
 とにかく、中国では人々の最も関心のあるのが食。日本の総理大臣にあたる、中国古代の「宰相」職も最初は「コック」と「接待役」の二役でした。民衆の飯を不公平のないように分けられるかどうかが「宰相」の腕の見せ所です。その後、次第に職が細分化され、「宰相」の職務は変わっていきますが、人を処刑する前に必ず満腹させるという風習は後々まで残ります。空腹のまま死なせると、亡者は餓鬼になるわけで、人を餓鬼にするのは処刑よりも非人道的なことと思われているからです。

 

 やっぱり中国はすごい。食に対するこの情熱は日本人の想像をはるかに超えている。いや、情熱というより、強迫観念みたいなものかもしれない。ここまでこだわるか、という感じ。「武士は食わねど高楊枝」という美学とはまったく違う。食ってなんぼの世界なのだ。
 そこで思い出すのが邸永漢。いまでは、お金儲けの神様みたいにいわれて、香港や上海にマンションをいくつも持っていて、その最上階が自宅になっているとか、数年前から北京の再開発に注目して、古い家具を買い集め、廃校になった小学校の体育館に山のように積み上げているとか、いろいろ噂はたえない。また、彼が初めて株に手を出したときのエピソードや武勇伝は数知れない。
 しかし自分にとっての邸永漢は、まずなにより中央公論から出た『西遊記』! 中高時代の愛読書だった。小学校のころ、あまり本を読まない少年だったけど、好きな本はあった。たとえば、『宝島』『ジャングル・ブック』『アーサー王物語』、『十五少年漂流記』などなど。なかでも好きだったのが『西遊記』だった。何種類もの『西遊記』を読むうちに巡り会ったのが、邸永漢の『西遊記』。何度も読み返した。それほどおもしろかった。原典の日本語訳ではなく、かなり自由にアレンジしたパロディなんだけど、これがじつにうまい。とくに三蔵法師の生い立ちのところなんかは、原作を超えて素晴らしい。
 知らない人も多いと思うから、少しだけ紹介しておこう。三蔵法師は出家するまえ、じつは人を殺している。そのいきさつというのが、まことに因果な話なのだ。話せば長いので、興味のある方は、http://www.1101.com/saiyuki/index.htmlへ、どうぞ。
 このサイト、なにかというと、糸井重里がやっている「ほぼ日刊イトイ新聞」。糸井重里もこの小説が好きだったらしく、邸永漢から、この作品を丸ごともらってしまったらしい。それも藤城清治のイラストまで。これにはこんな前書きがついている。

 

 WEB上で、連載小説を掲載してみます。
 邱永漢さんが、ドンと過去の傑作を寄付してくれましたので、藤城清治さんの影絵とともに、毎日連載します。

 

 邸永漢て、すごいなあ。こんな作品を「ドンと」ネットに寄付しちゃうなんて。興味のある方はぜひ、このサイトにアクセスを!

 

 とまあ、中高時代の頃の自分にとって、邸永漢は『香港』とか『西遊記』といった作品を書いた作家だった。ところが、大学時代、この人のもうひとつの魅力を発見することになる。『食は広州にあり』『象牙の箸』といった料理本の作者としての魅力だ。この2冊は、檀一雄の『檀流クッキング』とともに何度も読み返した料理本。檀一雄のほうは実用本だけど、邸永漢のほうはエッセイ……なんだけど、両者に共通しているのは、文句抜きに面白い、ということだろう。
 邸永漢は「食」と「文学」と「教養」に異常に秀でた人で、これら3つを独特の回路で結びつけるところが不思議とおもしろい。そのあたりを確かめたい人は、ぜひぜひ『食は広州にあり』『象牙の箸』を読んでみてほしい。
 いまでもよく覚えているのは、『食は広州にあり』のなかの宮廷料理。まず、豚の挽肉に塩と香料を混ぜて練っておく。それから太い立派なモヤシの芽と根を取ったものに縦にカミソリを入れる。そのモヤシの切れ目にさっきの豚挽きを詰めて油でざっと炒める。一人前、少なくとも50本くらいかなあ。素材はどれもスーパーで手に入るものばかり。ただ、手間だけが異様にかかるという料理。人件費が異常に安かった頃のレシピ、あるいは、権力者や大金持ちのいた時代のレシピといってもいいかもしれないが、なにより、この料理にはいかにも大陸的なエスプリを感じてしまう。そしてこれを紹介する邸永漢という作家のエスプリも感じてしまうのだ。
 ただ残念なことに、あちこちでこの話をしているにもかかわらず、これを食べさせてやろうという人にはまだ一度もお目にかかっていない。また、さすがに自分でも作る気にはなれない……というほど、エスプリのきいた料理なのである……というところまでくると、これはもうエスプリではなく、アイロニーなのかもしれない。
 それはさておき、邸永漢は檀一雄とも交際があって、『檀流クッキング』にも邸永漢から教わった料理がひとつ紹介されている。これがまたシンプルそのものという料理。豚肉の塊と長ネギとゆで卵をひたすらコトコト煮るというだけのもの。
 檀一雄も邸永漢の料理の腕とセンスには一目置いていたということだろう。たとえば、1980年に出た、『邸家の中国家庭料理』(中央公論社)というムックがあって、この前書きに、こんなくだりがある。

 

 二十六年前、香港から東京へ出て来て作家志望の無名青年であった頃、世田谷区九品仏の借家に私たちが最先にご招待したのは佐藤春夫先生ご夫妻と檀一雄さんであった。檀一雄さんとの最初の出会いは……

 

 というふうに続いて、「檀さんが最初に宣伝してくれたおかげで、私の家の料理は忽ち文壇中の評判になった」し、「安岡章太郎さんが我が家の常連になったことは彼の『良友悪友』のなかに出てくる通りである」とのこと。
 ところがおもしろいのは、「うちの女房が料理の名手であることは、池島信平さんや安岡章太郎さんたちに云われるまで、私自身、気がつかなかった」というところだ。
 つまり、ごく普通に、ごく普通の料理を食べているつもりだったものが、じつは、とてもおいしい料理だったということだ。しかし、この前書きの驚きはここではないのだ。
 じつは、邸永漢の奥さんはお嬢さん育ちで、炊事係もふくめて「女中さんが六人」いて、「飯の炊き方も知らなかった」。ところが、「お嫁に来るとそうは行かなくなる」というわけで、邸永漢は「女中さんの料理では変化に乏しいので」、奥さんに「新しい料理を考えて」と迫ったらしい。そのうえ、「食卓の上の料理が気に入らないと、全然箸をつけず、ハンガー・ストライキで抵抗した」という。

 

……今なら「あんた、外へ食べに行きなさい」と追出されてしまうところだが、当時はまだ新婚ホヤホヤだったので、女房は真剣に心配して実家に帰っては、あれこれ手ほどきを受けて自分で台所に立った。

 

 こうして邸家では佐藤春夫や檀一雄や安岡章太郎らがこぞって称賛する料理が出るようになり、やがては「邸飯店」と呼びならわされるまでになったという。
 この前書き、じつは邸永漢の奥さん自慢ではない……いや、奥さん自慢でもあるのだが、本当にいいたいのは、料理は「腕で覚える」より「舌で覚える」もの、ということ。つまりおいしいものを知れば、いざ作る段になっても、おいしいものが作れるということなのだ。
 おいしいものが食べたければ、娘なり妻なり女の子なり(いや、男の子でもいいんだろう)に、うまいものを食べさせろ、うまいものを食べに連れていけ、ということなのだと思う。

 

 さて、邸永漢、檀一雄ときたところで、もうひとつ話題を。
 ちょうど先月、JIVEというポプラ関連の出版社から「金原瑞人YAコレクション①真夜中に読みたい10の話」が出たところ。日本の作家の短編を10編集めたもので、どれも一押し。いしいしんじ、魚住直子、江國香織、恩田陸、角田光代、鷺沢萠、寺山修司、梨屋アリエ、楡井亜木子、有島武郎といった作家のものが並んでいる。そして、巻末には、森絵都さんとの対談(ちなみに、対談相手の方には、古典からYAむけにひとつ推薦していただくことになっていて、森さんの推薦は有島武郎の「小さき者へ」だった)。
 そしてこの「金原瑞人YAコレクション②」の巻末の対談相手が三浦しをんさん。三浦さんのお薦めの古典YAはというと、なんとこれが、檀一雄の初期の短編集に収められている「花筺(はなかたみ)」だった。
 なんとなく、邸永漢と檀一雄がうまくからんできたところで、この話はおしまい。

 

 さて、そろそろ年末、そして新年。ふたたび、上海の王さんに登場してもらおう。

 

 ――それから中国人にとっての家畜は、牛、豚、羊、犬、鶏などたくさんあるのですが、牛と羊が最も重要だったようです。ただ牛は大きくて貴重だったので、羊がよく犠牲として使われていました。だから羊は縁起のいいものとして祭られていたのです。羊と言が一緒になれば「善」となり、羊と人は「美」となり、羊と我は「義」となり、羊と示は「祥」となります。
 そして羊は「鬲」という食器に入れて煮込むと、「羹」になります。羊だけではなく、他の肉(鶏や魚も含む)の濃いスープなら全部「羹」といいますし、ほかに、果物や野菜や豆類の濃いスープなど、いずれも「羹」です。

 

 というあんばいで、めでたく、「善・美・義・祥・羹」が並んだところで、今回はおしまい……というか、この「カネハラ言ノ葉研究所」、ひとまず、最後となります。いままでおつきあいくださった方々には心からの感謝を!
 また、どこかでお会いできますように。

 

【編集部より】
金原瑞人さんの言葉をめぐるエッセイ「カネハラ言ノ葉研究所」は、今回で連載を終了いたします。長い間、ご愛読ありがとうございました。なお、この連載をまとめたエッセイ集『翻訳のさじかげん(仮題)』が、2009年3月にポプラ社より刊行される予定です。どうぞお楽しみに!

 

 

プロフィール

金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。

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