カネハラ言ノ葉研究所

日夜、英語と日本語のあいだで格闘するスーパー翻訳家・カネハラ教授の「言ノ葉研究レポート」。言葉のもつ力、不思議、面白さが見えてきます!

第23回 羊羹はポトフだった?

 冬である。ちり鍋がおいしい。ただ、岡山出身の金原にとって関東の鱈ちりや鮟鱇鍋はいまひとつぴんとこない。瀬戸内のちり鍋は、黒鯛、コチ、カワハギなどの白身魚をぶつ切りにして放りこんで作る。こちらのほうがずっとおいしい……というか、まあ、なじんだ味かな。
 ちり鍋の語源は、魚の切り身を熱いだし汁にいれると「ちりちり」となるからというのが通説になっている。ということは、ぶつ切りを入れたりしてはいけないのだ……けど、やっぱり内海の白身魚を骨付きのままぶつ切りにして入れたほうがおいしい。というか、いまはちり鍋って、鮟鱇にしても河豚にしても骨付きだ。

 

 それはいいとして、翻訳をしていて気になるのは、ちり鍋って、スープ? それともシチュー? そもそも、スープとシチューってどうちがうんだろう。
 たとえば英語で、“You can't ruin a stew”という言葉がある。訳せば、「シチューに失敗なし」、つまり、シチューはだれでも簡単に作れるよ、という意味……でいいのか? だって、シチューって、たとえば、ホワイトシチューにしてもブラウンシチューにしても、ビーフシチューにしても、インスタントのルーを使わずに本格的に作るのは難しくないか?
 勘のいいひとはもう気づいたと思うけど、“You can't ruin a stew”、「煮込みに失敗なし」が正解。肉や野菜を放りこんでぐつぐつ煮て、塩とコショウで味をととのえる料理は無難だよ、ということ。つまり、シチューって「煮込み」なのだ。英語では。
 ところが日本人のイメージするシチューというのはどろっとした、あるいはとろみのついたものが多い。これはイギリス料理やアメリカ料理ではあまりお目にかからない。クラムチャウダーくらいかな。ちなみに、「ホワイトシチュー」とか「ブラウンシチュー」は和製英語であって、英語にこういう言い方はない……と思ったので、法政大学の同僚のカレン・滝沢先生にきいてみたら、「アメリカ人は使わないし、手元の料理本にも載っていない。シチューに関しては、主要な食材の名前をつけて、ビーフシチューとかオイスターシチューといったり、地名をつけてアイリッシュ・シチューとかカリブ風小豆シチューといったりする」とのことだった。ほう、「カリブ風小豆シチュー」? それから、「クリームシチュー」も和製英語かな。
 ところで、フランス料理では、小麦粉をバターで炒めたものをルーと呼ぶ。日本ではよくカレーのルーとかシチューのルーとかいうけど、「ルー」というのは、もともとは「これからいろんなものに変化していくソースの素」という意味のフランス語。小麦粉+バターなのだ。ルーには基本的に、焦がさないように作る白いルー、軽く焦がすクリーム色のルー、しっかり焦がす褐色のルーと3種類ある。これを牛乳やブイヨンでのばしたものをソースという。たとえば、白いルーを牛乳でのばすと、ソース・ベシャメル(いわゆるベシャメルソース)。これで肉や野菜を煮込むと、ホワイトシチュー(なぜか、いきなり和製英語)。
 とまあ、このルーとソースについての蘊蓄は、浪人時代、つまり35年ほど前に古本屋で買った江上トミの『私の料理』(柴田書店、初版昭和31年、合本第1刷昭和37年)を参考にして書いてみた。この本、和洋中の料理が詳細に、全800頁以上にわたって紹介されている。ただ、古いのが難点。そのうえ本格的。だから、書かれているとおりに作ろうとすると、けっこう手間がかかるのだ。
 たとえばさっきの「クリーム色のルー」をブイヨンでのばしておいて、バターで軽く炒めた牡蠣を煮汁ごと放りこんで温めると、「ソース・オー・ジュイトル」(牡蠣の入ったソース)ができあがる……冬にはもってこい……とはいうものの、ルーを作って、魚のあらでブイヨンをとって……なんてやってられない。それにバターで小麦粉を炒めるときにも焦がしすぎないかとか、ブイヨンでのばすときにダマができないかとか気を遣うことおびただしい。
 そんなわけで、金原家ではじつに簡便に作ることにしている。タマネギのスライスをバターで炒めて、適当なところで小麦粉を振りこんでまた炒めて、これに牛乳を注いで(こうするとダマができない)、沸騰したら牡蠣を放りこむ。火が通ったらできあがり。母親の友達(元・岡山大学の家政科の先生)から教わった牡蠣のシチューである。
 とまあ、ごちゃごちゃ書いたけど、ソースで煮込んだり、ソースをかけたりして供するフランス料理がいわゆるわれわれの頭にある一般的な、どろっとしたシチューなんだと思う。
 さて、フランス語にはスープ(soupe)という言葉と、ポタージュ(potage)という言葉がある。これについても江上さんの説明が楽しい。

 

 スープは食事の始めに出すもので多く夕食に飲みます。フランスでは昼食時にはほとんど飲みません。第二次世界大戦後のパリで、夕食の献立のなかにさえスープの名前が出ていないレストランがあって、しかもそれが相当の店であっただけに私を驚かせました。

 

 じつは白水社の『クラウン仏和辞典』の“soupe”にも、こんな例文が載っている。“En France, on prend de la soupe au diner”(フランスでは夕食のときにスープを飲む)。
『私の料理』を参考に簡単にまとめてしまうと、フランス料理ではスープやポタージュは前菜で、これは飲むもの。そしてソースで肉や魚や野菜を煮込んだものは主菜で、食べるもの。例外は多いけど、まあ、これでいいや。

 

 ところで気になるのは、日本人って、小麦粉でとろみをつけた料理が好きだなあということだ。前にも書いたが、欧米ではそれほどお目にかからない。けど、日本ではホワイトやブラウンのシチュー、ビーフシチューなど、あちこちでお目にかかる。あと、カレーにしたって、本場のインドやタイではとろみはつけない。それからハッシュトビーフやハヤシライスのご飯の上にかけるやつもとろっとしてる。なんで日本人はこんなに、とろみが好きなんだろう。
 日本は明治時代以降、西洋の文物を取りこんだときに、ついでに小麦粉のとろみをうまいこと取りこんでしまったのではないか。その核にあるのはご飯だ。たとえば、ホワイトシチュー、ブラウンシチュー、ビーフシチュー、カレー、ハヤシ、どれもご飯にかけておいしい。
 金原家ではホワイトシチューを作って残ると、次の日はそれにカレー粉を混ぜこんで、ご飯にかけて食べた。いや、ご飯にホワイトシチューをかけて、醤油をたらして食べるのも悪くない。
 また、中華料理の片栗粉を使うあんかけ料理もうまく日本にとけこんで、中華丼、天津丼などという和製中華料理になっていった。日本人って、やっぱりご飯が好きなんだと思う。
 ここからちょっと想像をたくましくすれば、とろみから、ぬるぬるへ進むのはとても簡単だ。
 つまり、納豆、オクラのみじん切り、モロヘイヤのみじん切り、山芋や自然薯のすりおろし、などなど。なぜか日本人はこのぬるぬるが好きなのだ。その原因はやっぱりご飯だろう。
 ご飯にかける!
 欧米をながめても、アジアをながめても、この手のぬるぬる料理は類を見ないような気がする(あったら、ごめんなさい)。だいたいナイフとフォークじゃ食べられないし、かといってあれをスプーンですくって食べてもおいしくなさそうだし、やっぱりご飯にかけなきゃでしょう。
 店によっては、納豆とオクラと山芋を混ぜてご飯にかけるスタミナ丼などもあったりする。
 さて、最後にもうひとつ、じつは江上さんの料理本、フランス料理のところで、スープを「澄んだスープ」と「濃いスープ」に大別しているんだけど、それぞれ漢字があててある。「清羮」と「濃羮」。読み方は不明だが、「羮」の音読みは「かん」、訓読みは「あつもの」。
 「羮」は『漢字源』によれば、文字の上半分は「まる煮した子羊」で下半分が「美(おいしい)」で、「あつもの。肉と野菜をいれて煮た吸い物」という意味。まあ、フランス料理でいえばポトフかな。
 「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざもあって、これは「羮の熱いのにこりて、冷たい膾をも吹いて食う。一度失敗したのにこりて無益な用心をする」(『広辞苑』)という意味。「膾」はおせち料理でもおなじみのやつ。大根人参などを千切りにして酢であえた料理。わが家のおせちでは、干し柿の刻んだものも入れる。
 ここでまた気になるのが、なんで、ポトフが羊羹になるんだよ、ということ。『日本国語大辞典』(小学館)の「羊羹」の説明がずばりそれに答えてくれる。

 

棹物(さおもの)の一種。中国の羊肉の羮(あつもの)を原形とするもの。古くは禅宗文化とともに渡来したが、日本では小豆を主原料として羊の肝の形につくって蒸し、汁に入れて供された。後、蒸し物のまま茶菓子として供されるようになったのが蒸し羊羹の始まりで、今日ふつうに見られる、砂糖を加えた餡(あん)に寒天を混ぜて煮つめた練り羊羹は、江戸時代につくられた。

 

 ほう、「羊の肝」ねえ。どんな形だったんだろう。できれば、ここに図がほしかった!

 

〔おまけ〕
 ところで、「ソース・ベシャメル」の「ベシャメル」ってなんなのかが気になって、フランス語にくわしい文溪堂の編集者長島さんに聞いてみた。
「“bechamel”はフランス17世紀、ルイ14世のときの経済家・理財家の“Marquis de bechameil”すなわち『ベシャメイユ侯爵』の創作だとされています。真偽はまだ不明みたい。“bechameil”、つまり『ベシャメイユ』だったのが、いつのまにか“bechamel”、『ベシャメル』になったんですね」
 なるほど。
 それからもうひとつ。
「フランスでは煮込み料理全般を“pot-au-feu” (火にかけた鍋)すなわちポトフと呼びます。シチューもこの範疇に入れて大丈夫かな。また“ragout”という香草をきかせた、(主に)牛肉の煮込み料理を指す言葉もあって、こちらのほうがお肉いっぱいで、がっつり!という気がします。ちなみに“ragout de beuf”はビーフシチュー」
 なのだそう。

 

プロフィール

金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。

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