カネハラ言ノ葉研究所

日夜、英語と日本語のあいだで格闘するスーパー翻訳家・カネハラ教授の「言ノ葉研究レポート」。言葉のもつ力、不思議、面白さが見えてきます!

第22回 奈良のおふれ

 この頃、なぜか塚本邦雄を読み返している。寺山修司、岡井隆とともに1950年後半以降の短歌の世界を大きく広げた歌人だ。
 穂村弘は塚本邦雄が好きなんだろうかなどと考えながら、塚本の歌を読むのがまた楽しい。ちなみに岩崎書店から出ている穂村弘編の「めくってびっくり短歌絵本」のなかに「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」という有名な歌が入っていて、これにはこんな説明がついている。

 「皇帝ペンギン」がそんなことを考えているなんて「飼育係り」は知りません。
 「飼育係り」がそんなことを考えているなんて「皇帝ペンギン」は知りません。

 しかしこの歌が塚本邦雄だと思って、歌集を注文したりするとえらいことになる。どちらかというと、これは例外的にユーモラスでかわいい歌。本領はこっち。

 

・皮膚つめたく病みゐる朝を惨然と砲響(な)りアメリカ兵の祝日
・まづ死者とその妹を誘ひて飛行機が橢圓形の戸ひらく
・愛戀にもとより遠き昏れて華燭の鐘の盗まるる唄
・われは繭を夕日に透かす騎兵らのうつくしきイギリスは見えねど    (『驟雨修辞學』より) 

 

 旧仮名と旧字を使いまくった硬質な歌が多い。そして塚本はなにより韻文を擁護した。

 

 韻文との拮抗を放棄した散文、口語の中へ崩れ去らうとする文語、古文と全く斷絶した現代文、それらの曖昧な妥協による日本語の猥雑な寄せあつめの中にわれわれは生き、次第に鈍感無知になり、より努力を、より叡智を必要とせぬ言葉への奉仕をやむなくされてゐる現状ではあるまいか。(『序破急急』〈1972年〉より)

 

 まあ、いってみれば「昔の人」なのだ。いってみれば、ドン・キホーテなのだ。が、その凛とした姿勢、凛とした短歌、凛とした評論は、読んでいてじつに快い。滑稽を承知で大見得を切った古い型の名歌舞伎役者のようなオーラがある。
 塚本邦雄はいろんなことに腹を立てているのだが、最近の地名にも腹を立てている。『新歌枕東西百景』という本があって、これがまた塚本らしい意匠を凝らした歌集。地図や地名総覧をながめては「美しい地名」をさがしだし、それにちなんだ歌を作っていく。たとえば、こんな感じ。

 

・岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里(かみへいぐん・おおつちちょう・きりきり)
  愛と死を思ひつつあり海の上に寒の昴はきりきり白し
・新潟県南魚沼郡六日町君帰(みなみうおぬまぐん・むいかまち・きみがえり)
  あかつきに干潟もうすき茜さす飽かぬ別れの君帰りこぬ
・岡山県後月郡芳井町花瀧(しつきぐん・よしいちょう・はなだき)
  後の月照る水の上に花合歓は咲きしだれつつ薄紅の霧

 

 というぐあいに、塚本が密室紀行をやって歌を作る。そして吉村正治という写真家が、現地にいってその歌にそえる写真を撮る。こうしてできた「美しい地名」と「歌」と「写真」からできたのがこの本なのだ。どこを開いても見事なのだ。
 この本のあとがきで、塚本は「傳承(でんしょう)の間に種種の偶發的な転訛(てんか)や當字(あてじ)が加はり、かういふところに落ちついたものが多からう。地名そのものが一つの詩歌であり物語である」といい、「ゆかしい傳来の地名を捨て、ただ単に簡単平易であることだけを至上命令と錯覺し、わが町、わが市の名を符牒同様の記号に変へて得々とこれを言上する」風潮に怒っている。
 この本が出版されたのが1978年。おそらく、1962年に施行された住居表示法で次々に古い地名が変わっていく様をみての嘆きと怒りだったのだと思う。たとえば、1970年には「西新宿」なる地名が誕生。これは「角筈、淀橋、柏木、百人町」と呼ばれていた地域をまとめてしまった例。
 記憶に新しいところでは、2001年に「浦和、大宮、与野」が合併して「さいたま市」になったし、「田無と保谷」の2市が合併して「西東京市」になった。
 塚本邦雄、たしかに、こまったおじいちゃんのような人でもあるのだが、まことに愛すべきおじいちゃんでもある。「地名そのものが一つの詩歌であり物語である」とか、昭和の名言として遺さなくちゃと思ってしまうのだ。
 こういう風潮を遺憾に思っている人はほかにも多くいて、「味気ない地名」と入力してネットサーフィンしてみると、いろんな声がきこえてくる。
 「川中島」が「長野南」になった、「豊島区日出町」が「豊島区東池袋」になったといって嘆く人。「八雲、柿の木坂、大岡山、中根、平町」といった地名が目黒区からなくなったことを惜しむ人。「鰻谷、八幡町、周防町、炭屋町」といった地名がなくなってしまったことに対し、「大阪市はバカか!」と憤る人。
 また、「毎日新聞 2008年10月28日 地方版」の記事に見出しはこうだ。「行政訴訟:苫小牧地名変更、取り消し請求却下――札幌地裁」。これは、沼ノ端地区の一部を東開(とうかい)町とすることを決めたことに対する住民の訴訟事件らしい。

 

 しかし、じつは地名が簡単平易に標準化されたのは現代だけではない。奈良時代からこういう傾向はあった。今回はそのことについてちょっと書いてみよう。
 さて、日本の都道府県のなかで「北海道、神奈川、和歌山、鹿児島」の4県に共通しているのはなんだろう。答えは見ての通り、3文字。なんだそれだけかといわれそうだが、話はこれからで、ほかの都道府県はすべて2文字なのだ。なんで? そもそも最初にあげた4つも「北海・道、神奈・川、和歌・山、鹿児・島」と考えれば2文字地名+「道、川、山、島」だ。
 いや、都道府県名だけでなく、市や郡や町などなど、地名は圧倒的に2文字が多い。なぜなんだろう。ただの偶然? それとも日本語の音韻学的な理由が背景にある?
 この話をきいたのは、予備校に通っていたときだった。日本史の先生から、「奈良時代におふれが出て、日本中のすべての地名を2文字にしろっていったの」と教わった。
 たとえば、上野と書いて「かみつけ」と読ませる。これは元は上毛野で「かみつけの」と読んでいたのだが、おふれのせいでまん中の1文字を抜いてしまった例。下野(しもつけ)も同じ。どうせ抜くなら「毛」ではなくて「野」を抜いてもらえば読みやすかったのに。
 また、上毛野国(かみつけのくに)といえば、群馬。この群馬という地名も、もとは「車」だったらしい。古くは「上毛野国車評(かみつけぬのくにくるまのこおり)」(「評」は「郡」と同じ)と書かれていて、「車」というのは、昔の豪族「車持君(くるまもちのきみ)」からきているらしい。この「車」をおふれのせいで2文字にしなくてはならなくなって、音の似た「群馬」をあてたとのこと。まあ、馬もたくさんいたんだろう。このへんのことは東京書籍のサイトに紹介されている。http://kids.tokyo-shoseki.co.jp/kidsap/downloadfr1/htm/jsd38770.htm

 

 ついでに群馬県の公式サイトも紹介しておこう。

 

県名「群馬(ぐんま)」の由来
「ぐんま」の源は奈良時代の「車」、豊かさの象徴「馬」の字をあてる
 さかのぼることおよそ1300年、藤原京(694~710年)の時代の文書によると、現在の群馬県の中に「車(くるま)評」(「評」は大宝律令によって「郡」となる)と呼ばれていた地域があったとされています。
 奈良時代に入るとすぐ、和銅6年(713年)の諸国の風土記編集の勅令により国・郡・郷名はその土地にあった漢字二文字で表すこととされ、この時「上毛野国」は「上野国」に、「車郡」は「群馬(くるま)郡」に改められました。
 「群馬」の漢字を当てた理由としては、この地方で多くの牧馬が飼育されていたこと、古代の人々にとって馬は権威を示す家畜として豊かさの象徴であったことが考えられます。
  (中略)
 なお、その後も「群馬」は長い間「くるま」と読まれ、江戸時代に入っても「くるま」と「ぐんま」が併用されていましたが、明治の廃藩置県の際県名に「群馬」が採用され、以後主に「ぐんま」と読まれるようになりました。
http://www.pref.gunma.jp/cts/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=31996

 

 また、地名を「縁起の良い漢字二文字(好字・二字)」で表わすことにしたのは、帳簿などを簡便にして合理化し、中央集権を強化するという目的もあったと同時に、当時の文化大国、中国にならうという理由もあったのだと思う。つまり、地名を2文字で表すというのは中国が先にやっていて、それを日本が真似した。8世紀の新羅も真似したらしい。中国は2文字の地名が圧倒的に多く、3文字、4文字の地名は例外。
 そうそう、予備校でこの話をきいたときにやっと、なんで「和泉」と書いて「いずみ」と読むのか、その理由がわかった。もとは「泉」だったのに、2文字にしなくちゃいけなくなったから、「和」をくっつけただけだったのだ。奈良時代のお役人は、足したり引いたりで大変だったと思う。
 
 

プロフィール

金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。

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