カネハラ言ノ葉研究所

日夜、英語と日本語のあいだで格闘するスーパー翻訳家・カネハラ教授の「言ノ葉研究レポート」。言葉のもつ力、不思議、面白さが見えてきます!

第20回 贋作づくり

 もう15年くらい前のこと、名古屋の栄にある、「古径」という骨董屋に一度だけ寄ったことがある。当時としては珍しく女性のやっている骨董屋で、その女性というのがちょっと有名で、小説のモデルになったりしているということもあり、知り合いに連れていってもらった。
 小さなお店で、その女性というのも、そこそこのお年だった……って、いったい何歳なんだときかれると、よくわからないんだけど、もう仕事は息子さんにゆずってしまったらしい……が、とても感じのいい方だった。
 5客そろいで1千万以上もする中国の磁器を見せてもらったりしながら、お抹茶をごちそうになった。そのときの茶碗が朝鮮唐津のかけ分けの、小振りながらじつに感じのいいもので、ほうとため息をつきながら、「これって、桃山とか古い茶碗なんですか?」とたずねたら、「いいえ、それは唐九郎さんの作品なんですよ」という答えだった。
 唐九郎というのは、加藤唐九郎。朝日新聞社の『朝日人物事典』にも載っている。
「1897.7.19-1985.12.24。陶芸家……桃山時代の茶陶に魅せられ黄瀬戸・織部・志野の制作をてがけ、52年織部の陶技で無形文化財となった」とある。
 明治以降の好きな陶芸家をあげろといわれたら、迷わず、瀬戸の加藤唐九郎、備前の金重陶陽と答える。魯山人は、その次の次くらいかなあ。まあ、世間の評価はともかく、唐九郎と陶陽の作風が好きなのだ。もちろん、どちらの作品も買えない。ぐいのみひとつ、100万を楽に越えてしまう。
 

 それはさておき、「古径」さんがいうには、「この朝鮮唐津の茶碗、唐九郎さんの作品なのは間違いないんですけど、息子の重高さんが箱書きをしてくれませんでね」とのこと。「箱書き」というのは、読んで字のごとく、箱に墨で書かれている文言。多くは、本人が「備前ぐいのみ ××作」とか書いている。しかし、箱なんてものはよくなくなるし、作家がまだ無名だった頃の作品は箱なんかついてない。そういうときには、作家の弟子や、あるいは目利きと呼ばれる人々が、これはだれだれの作品です、わたしが証明します、というふうなことを箱に書くことがある。
 当然、作家本人の箱書きのあるものが高くて、ほかの人が箱書きをしたものはそれより安い。箱書きのないものはもっと安い。箱そのものがないものは、さらに安い。中身と箱はまったく関係ないんだけど、まあ、そういうものらしい。
 ところで、さっきの古径さんの話で、「息子の重高さんが箱書きをしてくれませんでね」といった、その理由というのが、「重高さんも、これが唐九郎さんの焼いた茶碗だというのはすぐに認めてくださったんですけど、薬品を使って表面をかせさせて(劣化させて)、古い物のようにみせようとしたあとがあるから」、箱書きは断るとのこと。現代作家の作品をいろんな手段で古くみせかけて、骨董として売るのはそう珍しいことではない。
「そんなわけで、毎日こうやって使っているんです。使っていれば、そのうちかせもとれて、いい茶碗になると思うので」というのが、古径さんの言葉。
 それをきいて、いい話だなと思い、もし買えるものならと、「おいくらですか?」ときいてみたら、「300万くらいですか」とのこと。「はあ」といって、そのままになった。唐九郎の茶碗、しっかりした箱書きがついていれば、すぐに500万、1000万の値が付くくらいだから、まあ、そのくらいかも……とか書いてたら、渋谷の黒田陶苑から案内がきた。「昭和陶藝逸品作品集」というカタログがあって、唐九郎の志野のぐいのみが350万、唐津の小振りの茶碗が500万となっている。


 それくらい有名な瀬戸焼の加藤唐九郎、じつは贋作問題で非常に大きな汚点をつけている。さっきの『朝日人物事典』の引用は次のように続く。


……だが60年に永仁の年銘を施した壺「瀬戸飴釉永仁銘瓶子」が重要文化財に指定され、これが唐九郎の倣作であることが判明した「永仁の壺事件」が起こり、すべての公職を捨てた。(注:「瓶子(へいし)」というのは口の細い壺で、「飴釉(あめゆう)」というのは飴色の釉薬のこと)


 この「永仁の壺事件」、骨董関係の人で知らない人はいない。というか、少しでも陶磁器に興味のある人ならだれでも知っている大事件で、この末がじつにおもしろい。興味のある方は、ネットで調べてみてほしい。「唐九郎 永仁の壺」で検索すると、4,110件ヒットする。また、これに関する本も多々出ているが、最も信頼できそうなのは松井覚進の『永仁の壷―偽作の末』(朝日新聞社)。これは1990年、朝日新聞の「にゅうす・らうんじ」という欄で31回にわたって連載されたものを補筆してまとめたもの。非常によく調べてある。つい先日、昔のファイルをめくっていたら、この記事の切り抜きが出てきた。1回目から最終回まで、すべて取ってある。20年ほど前は陶器に夢中だったのだ。なつかしい。
 さて「永仁の壺事件」、あらましだけ紹介すると、戦時中、鎌倉時代の古い壺が出土する。松留窯という古い窯跡から出てきたものらしく、やがてこの壺は大いに注目を浴びることになり、当時の文部技官であった小山富士夫が中心になって鑑定を始める。そのときの決め手のひとつになったのが、東京根津美術館にあった松留窯の陶片(かけら)だった。壺と陶片をくらべた結果、おそらく同じ手のものだろうということになり、永仁の壺は資料的価値の高い鎌倉時代の陶器として、1959年、重要文化財に指定される。ところが、後年これが贋作であることが判明。小山もそれを認め、辞職。壺も重要文化財の指定を取り消され、唐九郎も60年、無形文化財の資格取り消し処分となる。
 結局、松留窯というのは唐九郎のでっちあげた窯であって、そんなものはなく、根津にあった松留窯の陶片というのも、唐九郎が焼いて、唐九郎が美術館に寄付したものだった。永仁の壺と、根津美術館の陶片が似ているのは当然。
 この事件はいまでも謎が多く、そもそも永仁の壺を焼いたのが、唐九郎だったのか、長男の岡部嶺男だったのか、弟の加藤武一だったのかがわかっていない。また、唐九郎がなぜここまで手の込んだ芝居を打ったのか、その動機も明らかになっていない。単なる金目当ての詐欺行為だったのか、茶目っ気たっぷりの芝居だったものが引き際を誤って突き進んでしまったのか、封建的な骨董界・古美術界に対する挑戦だったのか、もともと本人が変人だったのか。また、永仁の壺は三つあって、それにまつわる物語もある。
 一方、この事件の産んだ副産物もいくつかある。まず、初めて蛍光X線分析が用いられ、永仁の壺は鎌倉時代の古瀬戸とは釉薬の成分が違うことが判明した。これは考古学に対する大きな貢献といえるらしい。もうひとつ、この事件がきっかけで、愛知県猿投の古い窯跡が発見されることになる。これは平安時代のものらしい。
 しかしこの事件は、とても皮肉で、とてもおもしろい現象を引き起こす。永仁の壺が偽物であることが判明した年、名古屋の丸栄百貨店でこれが加藤唐九郎作として展示され、大評判になった。


 この永仁の壺事件は、本当に面白い。真贋を見わける難しさのみならず、骨董そのものの抱えるいい加減さといかがわしさ、魅力と魔力を端的に伝えてくれる。骨董の世界から、いい加減さといかがわしさが消えたら、魅力も魔力も消えてしまうにちがいない。そのきわどさにこそ、人は夢中になるんだと思う。
 ここで突然だが、吉行淳之介の本で、なかなか気の利いた表紙のものがある。絵は山藤章二。貝の上を雁が三羽飛んでいる。タイトルは『贋食物誌』。
 勘のいい方はもうぴんときたはず。「贋」という漢字、上下に分解すると、雁と貝なのだ。そこで『漢字源』を引くと、こう書かれている。


 会意兼形声。「貝+(音符)雁(ガン)(かっこよくかどめをたてて飛ぶ鳥)」。もと、形よくととのえた財物のこと。転じて、外形だけを形よく似せたにせ物の意となった。


 昔、美しい貝を飾りや貨幣に用いたことから、「貝」には宝物という意味が生まれる。それはいいとして、「かどめ」がわからない。これが『漢字源』のよくないところで、そもそも同じ電子辞書に入っている『大辞泉』を引いても出てこない。『広辞苑』にも出ていない。現代語で説明をしてほしい。仕方なく『日本国語大辞典』を引くと、「とがっていてかどばっていること。また、その部分」とある。つまり、「かどめをたてて」というのは、ぴしっと形が決まっているという意味らしい。ふうん、雁って、そうなんだ。
 それからわかるようでわからないのが「財物」。これは『大辞泉』によれば、「金銭と品物」とある。この人を食ったような説明にむっとした人もいると思うけど、そのあとに「財貨、たから」と続くから、なんとなくわかる。
 さて一件落着したものの、ところで、雁と雁って、どう違う……つまり、「雁(がん)」と「雁(かり)」。どうやら同じものらしい。ただ『日本国語大辞典』によれば、「かり」のほうは早々と『古事記』(712年)に出てくるが、「がん」のほうは1485年まで出てこない。
 ところで、この漢字を見るといつも思い出すのが森鴎外の『雁』。中学校の頃、これは「がん」と読むのか「かり」と読むのか大いに悩んだのだった。
 どっちか知ってました?
 そういえば、そろそろジビエの季節。

プロフィール

金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。

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