カネハラ言ノ葉研究所

日夜、英語と日本語のあいだで格闘するスーパー翻訳家・カネハラ教授の「言ノ葉研究レポート」。言葉のもつ力、不思議、面白さが見えてきます!

第19回 翻訳の目利き

 なんでもいいから面白いものを読みたいなと思うと、出久根達郎の本を買うことにしている。なんか、どれも楽しい。だから、あまり買わない。いつも買っていると、すぐに底をついてしまう。あまり多作な人ではないのだ。
 ただ、面白いといっても、本好きにとってはということであって、そうでなければ、食指どころか小指一本動かないと思うので要注意。
 去年出た『作家の値段』(講談社)も、やっぱり面白かった。いろんな作家のいろんな(古)本の値段をネタに書かれたエッセイ集なんだけど、高い安い、損だ得だという話ではない。そもそも、古本の値段にはそれなりの意味がある、という前提で書かれている。
 最初に取りあげられているのが司馬遼太郎で、『竜馬がゆく』の初版本の話。そして最後の「実益作家論」と題されたあとがきも、司馬遼太郎のエピソードで始まる。
 司馬遼太郎は歴史小説を書くときは徹底的に資料を集めた。

……司馬氏は古本屋からトラックで運びこまれる雑多な本に目を通し、小説に使えるもの、使えないものに分けたらしい。使用できぬ本は即刻、払い下げた。本の山に埋まってしまうからである。
 司馬氏は古書価の絶妙に感心したという。使える本は、それなりの価格で、使えぬ本は安い。

 その例にあがっているのが、参謀本部が編纂したという全十巻の『明治卅七八年日露戦史』という本。いかにも立派な作りなのだが、紙くず同然の値段らしい。というのも、これは「日露戦争の論功行賞のために編纂されたので、誇大な手柄話ばかり、記述が不正確で参考にならない。古本屋は先刻承知で、こういう本を後世に残さないために、せっせと安い売価をつけてきた」という。
 司馬遼太郎は、そういう古本屋の「眼力」に恐れ入ったと、述べているらしい。
 じつに、いい話だと思う……が、じゃあ、そんな本、燃やしちゃえばいいじゃんとも思う。
 しかし、また一方、こんなエピソードもある。これはある編集者からじかにきいた話。あるとき、井上ひさしが歴史小説を書こうと思って、その手の本をさがしたところ、神保町にはほとんどそれに関するものがなかった。ちょっと前にすべて、司馬遼太郎が漁っていってしまったというのだ。それほど、司馬は資料には金を惜しまず、徹底的にそろえた。そうなると、それらしい資料を持ってくるのが古本屋。司馬は、出された資料(本)を見ては、古本屋の言い値で買った……が、資料的価値のないものやいいかげんなものに対しては、言い値を払いながら「今度はちゃんとしたものを持ってきてください」といったという。こういわれたら、次からは下手なものは持って行けない。目利きである司馬ならではのすごさがうかがわれる。

 

 これらふたつのエピソードを並べて考えると、いい古本屋もいれば、悪い古本屋もいるということかもしれないし、目の利く古本屋もいれば、目の利かない古本屋もいるということかもしれない。そしてまた、目の利く客もいれば、目の利かない客もいる。
 これはそのまま骨董にも通じる。
 さて、骨董に限らず、売り手と客、どちらが上かといえば、扱う物がなんであれ、圧倒的に売り手が上……というか商売にしているほうが上。司馬のような買い手は非常に珍しい。
 なにしろ、毎日毎晩、物を相手にしているわけで、古本屋にしても、たまに本を買いに行く客の数百倍、数千倍は物を見ている。数の問題かと問われれば、即座に、あたりまえじゃん、と答える。よっぽどの天才であればともかく、凡人の場合、知識や感性というのは時間と手間をかけたほうに軍配が上がる。
 銀行員がお札を数えるのを見たことのある人は少なくないと思うけど、あんな速さで数えながら、変な(偽造の)紙幣があると、ぴっとそれをはじきだすという。
 また優秀な編集者は訳文をみながら、ここは誤訳で、おそらく原文はこうだろうと指摘するという。
 知人が銀座で短冊や掛け軸の個展を開いていたら、ほろ酔い加減のおじさんがぬっとはいってきて、ふんふんとうなずきながら、紙に鼻を近づけて、「いいにおいだなあ、この墨は××かな」と指摘した。名前をたずねたら、有名な日本画家だったという。
 落語の録音技師として有名なKさんは、昔のものであれば、出だしのところをきいただけで、演者はいうまでもなく、何年のどこどこでの録音だねとわかるという。
 叔父の出身校である土佐中学校の校長先生は目が悪かったけど、廊下を通る学生の足音をきいて、だれだれくんだなとわかったという。全校生徒150人の私立中学校とはいえ、すごい。その校長先生はかなりの名物で、ディック・ミネのお父さんとのこと……とかいっても、若い人はしらないか。
 うちの母親が、うちの父親の刀剣を三振り売りにいったときのこと、鑑定家の人は刀を抜くまでもなく、手に持っただけで、そのうちの二振りは偽物ですねといったという。
 とまあ、こういう人々がすべて凡人で、時間と手間をかけたあげくこういう境地に達したのか、あるいは、もともとの才能があって、それが磨かれて、こうなったのかはわからないし、わかりようがない。けど、時間と手間をかけなかったはずはない。
 そういえば二年間の休暇のような浪人時代を送っていたときのこと。昼過ぎに起きて昼ご飯を食べて、パチンコ屋にいって、夕方、下宿で夕飯を食べて、麻雀をして、そのあとは飲み屋に繰り出すという生活で、半年くらい集中的に、寝ても覚めて麻雀という時期があった。するとたまに、次に自分の持ってくる牌がわかることがあって、自分でもびっくりした……というふうな話はどうでもいいけど、ひとつのことを徹底してやり続けていると、不思議と勘が磨かれていくらしい……ものの、それで身を滅ぼす人も多いから、そのへんはなんともいえないか。
 翻訳をやり続けていて、そのうち、原書を手に持っただけで、おお、これは傑作だとわかるようになりたいと思ってはみるものの、これは無理かなあ。いくら場数を踏んでも、だめそうだ。そもそも、読んでみて、これは売れるぞと思った本さえ、ろくに売れない。一時、金原が面白いという本は売れないという評判が立って、売れそうにないけどユニークな作品は金原に持っていけとよくいわれていた。ある編集者が、ちょっと読んで感想を教えてほしいといって送ってきた本がもろツボにはまって、わくわくしながら読み終えて、報告したところ、その本はいまだに出ていない。不思議だなあ、というか、当然かなあ。
 結局、20年以上も翻訳をやってきて、何が身についたんだろう。ま、いいや。

 

 ところで、「翻訳」という言葉がよくわからない。いや、「訳」はよくわかる。『漢字源』によれば、旧字は「譯」で、次のような説明がある。

「睪(エキ)」は「目+幸(手かせ)」の会意文字で、手かせをはめた罪人をひとりずつ並べて、面通しすること……「譯」は「言+(音符)睪」で、ことばを選んで、一つずつ並べてつなぐこと。

 ここから、「ことばを一つずつ並べつないで、他の文句にいいかえる。ある言語と他の言語になおして、意味を通じさせる」という意味になっていく。そのまま、ずばりだ。なるほど、意味の通じないものは「訳」とはいわないのだ、自重せねば、などと思ってしまう。
 問題は「翻」のほう。これがわからん。
 「翻」という漢字、まず、音がおもしろい。たとえば、いきなり「本以外に『ぽん』と読む漢字をあげなさい」といわれたら、ちょっと考えてしまう。この字は、「ほん、ぽん、はん」などと読むから、これを使った単語はリズミカルでいい。
翩翻(へんぽん) 旗なんかが風にはためく様。
翻倒(ほんとう) ひっくり返ること。
翻覆(ほんぷく) ひっくり返ること。
翻盆(ほんぼん) 盆をひっくり返す→激しく雨の降る様子。なるほど、中国ではバケツではなく、お盆をひっくり返すらしい。
翻弄(ほんろう) ひっくり返してもてあそぶ→なぶりものにする。
瀾翻(らんぽん) 波のひるがえる様。
 しかし意味はというと、「ひるがえす、はためく、ひっくり返す……」であって、どこが「翻訳」なのかと、悩ましい。しかしそのあとで、こんなふうに説明されている。「裏表をいれかえる。表現を裏返しにする。『翻訳』『翻案』」
 というわけで、異論のある人もあるかとは思うけど、とりあえずは、これで納得することにしよう。
 今回、漢和辞典を引いておもしろいなと思ったのは「ほんきんと」という言葉。「宙返り、とんぼ返り」のことをいうらしい。漢字で書くと「翻筋斗」。ただ、「筋斗」だけでも「とんぼ返り」の意味がある。不思議な言葉だなと思う。
 さて、「筋斗」とくると、それはやっぱり、『ドラゴンボール』でもおなじみの「筋斗雲」でしょう。ただ、「觔斗雲」が正字。
 手元の『西遊記』(呉承恩作・伊藤貴麿編訳・岩波少年文庫)から悟空のお師匠様の言葉を引用しよう。

 およそ、諸仙の雲にのぼるのをみるに、みな足をけって飛行するのであるが、そちはそうはいたさず、足をふんばりもんどりうってのぼったが、いまわしはそちに適した『觔斗雲の法』(觔斗とはもんどりうつこと)をさずけてつかわそう。

 ちなみに、「もんどり」を国語辞典で引くと、「翻筋斗」と出ている。あ、なんだ、「とんぼ返り」と「もんどり」って同じだったんだ。森見登美彦は知ってたのかなあ。
 

プロフィール

金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。

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