カネハラ言ノ葉研究所

日夜、英語と日本語のあいだで格闘するスーパー翻訳家・カネハラ教授の「言ノ葉研究レポート」。言葉のもつ力、不思議、面白さが見えてきます!

第1回 白子と真子

 「言葉、言葉、言葉」というのは、シェイクスピアの『ハムレット』に出てくる有名な言葉で、ハムレットが、ポローニアスに「陛下、なにをお読みです?」とたずねられて、こう答える。そうかっこいい科白ではなく、どちらかというと、にべもない言葉で、思い切って訳せば「うるせえな、言葉だよ」という感じかもしれない。だから、なんでこの言葉がそんなに有名になったのかは、よくわからないのだが、しゃれた文句として、あちこちでよく引用される。言葉が独り立ちして歩き出すというのは、こういうことをいうのかもしれない。
 翻訳というのは、ある言葉を別の言葉に移しかえる作業だから、当然、「ある言葉」にも通じていなくてはならないし、「別の言葉」にも通じてなくてはならない。こういう移しかえの作業を毎日のように繰り返していると、「ある言葉」だけでなく「別の言葉」、つまり、英語だけでなく日本語もあれこれ気になってきて、「地団駄」ってなんのことだろうとか、「たららを踏む」の「たたら」ってなんのことだろうとか、いろいろ調べてしまう。するとたまに、面白い発見があったりして、ついつい人に報告してしまいたくなるのだ。
 というわけで、今回、ポプラ社のウェブにこんなコーナーを作っていただいた。どうぞ、ネタの尽きるまで、あるいは、愛想の尽きるまで、おつきあいください。
 秋、そろそろ白子のおいしい季節……といっても、ここで書きたいのは鱈の白子ではない。なにかというと……と、本題に入る前に、白子の話をちょっと。
 こないだ気づいたのだが、関東の学生の多くは、鱈の白子が「白子」だと思いこんでいる節がある。いや、学生だけではない。居酒屋で「白子の酒蒸し」とあるから、「なんの白子ですか?」ときくと、けげんな顔をされることさえある。しかし、それはちがう。
 『日本語大辞典』で白子を引くと、「雄の腹中にある乳白状の精液のかたまり。食用となる」と説明があって(「精液のかたまり」とか書かれると、食欲は半減するけど)、そのあとに正岡子規の『病状六尺』から次の引用がある。
 「鯛の白子は粟子よりも遙かに旨し」
 そうそう、鯛の白子はおいしいのだ。鱈などほとんど食すことのない瀬戸内の常識。
 しかし、子規の引用で耳慣れない言葉が「粟子」だろう。同じく『日本語大辞典』にはこう説明されている。「粟粒のようにきわめて小さい、魚の卵の総称。ヒラメ、鱈の卵など」とあり、さらに「雌魚の腹中の卵。卵巣」とある。ということは、もちろん、鯛の粟子もあるのだ。ところがおもしろいことに、「鯛の粟子」とはあまりいわない。普通は「鯛の真子」という。この「真子」は、真子ガレイの真子なので、ああ、なるほどと思う人も多いはず。
 じゃあ、真子ってなに……と思って、『大辞典』を引くと、「魚類の腹にある卵塊。白子に対していう」とある。
 さて、以上、まとめると、魚の精巣が白子で、卵巣が真子、また、小さいつぶつぶの真子が粟子、ということ(だから、イクラなんかは粟子といわない)。しかしまあ、「粟子」という言葉はもう死語かも。
 したがって、鱈子というのは、正しくは「鱈の真子」なのだ。ところが、これを「タラコ」と書いてしまうと、「鱈の真子の塩・香辛料漬け」のことになってしまうから、やっかいだ。たまに、「タラコ」が「鱈子」と一致していない学生もいたりする。
 さらにやっかいなことに、「明太子」という面倒な言葉がある。
 昔、父親に「おめえ、明太子いうなぁ鱈子のことじゃねえか?」ときかれたことがあった。「いや、あれは辛みで漬けた鱈子のことだと思う」と答えたら、「そりゃあ、ちがおう。『辛子明太子』とよう書いとるじゃろうが。いうことは、『明太子』を辛うしたもんが『辛子明太子』で、『明太子』は『鱈子』のことじゃろうが?」との反論。
 たしかに『大辞典』を引いてみると、「明太」というのは「すけとうだら『介党鱈』の異名」らしく、したがって、「明太子」というのは「すけとうだらの真子」のことらしいのだ。しかし、「多く唐辛子を加えて塩蔵したものをいう」ともある。このへんが微妙だ。
 ここで料理に詳しい人は耳がぴくぴくっとしたのではないだろうか。というのも、「鱈」には、「すけとうだら」のほかに「まだら」というやつもいるのだ。「斑」じゃなくて、「真鱈」。
 じゃあ、真鱈の真子は明太子じゃないのか。
 ちがいます。「タラコ」も「明太子」も真鱈の真子ではありません。
 一般にいう鱈子は、すけとうだらの真子であって、真鱈の真子は、その数倍、いや、ものによっては10倍以上あったりして、かなりグロテスクなのだ。そんなものを魚屋に売っているのか、というと、売っている。普通は切り身で……あれ、真子は「切り身」とはいわないか……それはさておき、これがまた、おいしいのだ。
 秋から冬にかけて、大きな魚屋にいくと、すけとうだらの真子と、真鱈の真子の両方(両方とも生!)を売っていて、仕事の帰りだとついつい両方買って帰って、煮付けてしまう。ただ、このとき注意したいのは、ちゃんとした店で買うこと。ごくたまに、あまり売れてなさそうなスーパーなんかで買うと、臭くて食べられないことがある。
 金原家の流儀では、魚を煮るときに砂糖、味醂は使わないので、醤油1に酒4を鍋に張って、そこにそっと真子を入れて、そっとそっと煮付ける。料亭なんぞに行くと、すけとうだらの真子のまん中にすっと包丁の刃を入れて、沸騰した醤油・酒の中に入れて、ぱっと花のように散らしたものを出してくる。これはこれで、華やかでいいけど、これをやると、小さい粒々が底にたまってもったいないから、うちではやらない。あくまでも、皮がはじけないように、そっとそっと煮る。そして冷やしてから、ひと口大に切って、皿に盛る。 じつは、金原家の正月料理の一番人気がこれ。酒の肴によし、ご飯のおかずによし。
 ところで、すけとうだらの真子と真鱈の真子とどちらがおいしいのか。いろんな人にたずねた結果、どちらもおいしい。すけとうだらのほうは、こりこりした固めの食感が快く、真鱈のほうは真子+白子のような、まったりした食感が快い。舌の悦楽というのは、こういうのをいうんだなと思う。魚卵って、どうしてこんなにおいしいんだろう。
 やっぱり、お相手は日本酒でしょう。まあ、味付けが日本酒と醤油だしね。こないだ初めて飲んだ、大阪の「秋鹿」というお酒なんか、名前もいいし、絶対に合うと思う。
 あ、いかん。こんなことを書く予定ではなかったのだ。冒頭にもどろう。
 秋、そろそろ白子のおいしい季節……といっても、ここで強調したいのは鱈の白子ではない。なにかというと……鮭の白子。鱈の白子とくらべると、驚くほど安くて、驚くほど美味なのだ。それに期間限定で、あっという間に消えてしまう。だから、知らない人が多い。見た感じは、鶏の笹身を2、3倍くらいにした、ごく薄いピンク色の白子。こないだスーパーの魚屋で見たら、3、4腹入っていて、350円だった。もちろん買ってきて、さっき書いたように煮付けて、酒のあて。くれぐれも、砂糖、味醂は使わないのが、わが家のしきたり。鮭の白子は、高島平の団地の魚屋で買って煮付けたのが最初。なつかしい。

プロフィール

金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。

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