2007 年 11 月 26 日午後、アン・リー監督の『ラスト・コーション(色戒)』の試写会へ。主演はトニー・レオンとタン・ウェイ。 1938 年から 42 年にかけての香港、上海が舞台。日本の傀儡政権のスパイとして暗躍しているクァン(トニー・レオン)暗殺を計画する元大学生たちが描かれる。彼らは香港大学の演劇部の仲間で、演劇活動を通じて排日運動を始めるが、やがて命がけでクァン暗殺へと傾いていく。そのなかで、クァンを誘惑する役割を負うのが、見るからに中国美人のチアチー(タン・ウェイ)。しかし、チアチーはクァンにひかれていき……というふうなストーリー。
ここで決定的な役割を果たすのが 6 カラットのダイヤの指輪。見事に細工された指輪をおずおずと差し出すチアチーにむかって、クァンはこういう。
「わたしはダイヤには興味はない。それをつけたきみを見たい」(うろ覚えなので、正確ではないかもしれないけど、こんな内容)
これでチアチーはくらっときてしまう。
「弱き者、汝の名は女」(『ハムレット』)という、シェイクスピアの名台詞がぴったりの場面。しかしここでつい、尾崎紅葉を連想してしまうのが、日本人の悲しいところだ。
……再来年(さらいねん)の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」
金持ちの男になびいた許嫁のお宮をうらんで一高(いまの東大みたいなもの)を退学して高利貸しになる貫一もどうかなと思うが、それはともかく、ここでも登場するのがダイヤの指輪なのだ。
そんなにダイヤがほしいのかと問われれば、まず半数以上の女性が「ほしい!」と答えると思う。あの輝きは何にも代え難いものらしい。男にはまずその魅力はわからないが、そこで「それをつけたきみを見たい」という男はやっぱりすごい。なによりまず、 6 カラットのダイヤの指輪を買わなくてはならないのだから。
ちなみにダイヤモンドは日本語(中国語)で金剛石という。『金色夜叉』でもこんなふうに出てくる。ちなみに金剛石の指輪をはめているのは紳士のほう。
……天上の最も明(あきらか)なる星は我手(わがて)に在りと言はまほしげに、紳士は彼等の未(いま)だ曾(かつ)て見ざりし大(おほき)さの金剛石(ダイアモンド)を飾れる黄金(きん)の指環を穿(は)めたるなり。
「金剛」という言葉は、『日本国語大辞典』によれば、「梵語 Vajra の訳語……金中最剛の意)」とある。この言葉、日本ではすでに 9 世紀にお目見えしている。また「金剛石」の文書への登場は 18 世紀らしい。古い教養人にはおなじみの「金剛石も、みがかずば、たまの光はそはざらん」(ダイヤモンドも磨かなければ、美しく光ることはない)という幸田露伴のデビュー作『露団々』からの引用も添えられている。ちなみに中国語では、金剛石は原石、磨いたものは「鑽石」というらしい。
ここでおもしろいのは、日本語(中国語)でも英語でも、かつてダイヤモンドは、美しいというよりは硬いものだった、ということだろう。
英語の“ diamond ”の語源は、「 a- (……がない)+ damas (馴らす)=馴らせないもの、従順でないもの」(『ジーニアス英和大辞典』)らしい。ちなみに、語源を同じくする英語の“ adamant ”は「きわめて堅いもの」(同)という意味。そこから「頑固な」という意味も生じてくる。
ちなみに“ She is adamant. ”というと、「彼女は頑固」という意味。“ adamant ”なのはきっと女が多いにちがいないと思って、 Google で検索してみると、“ She is adamant. ”のヒット数は“ He is adamant. ”の半分だった。男のほうが頑固なんだろうか。不思議だ。
ところでダイヤのカットが一般的になるのは 15 世紀。最も硬いダイヤを研磨するにはダイヤをもってするしかなく、粉末ダイヤを回転板に接着して研磨するという方法を思いついた人は、すごい。
ダイヤの品質は 4 cで判断されるといわれている。つまり、重さ( carat )、研磨( cut )、色( color )、透明度( clarity )。
このうちのひとつ“ carat ”(宝石の重さを量る単位。 200mg )の語源が“ fruit of carob ”というのがまたおもしろい。なにかというと、これはイナゴマメのことなのだ。イナゴマメは小粒でどれもほぼ同じ重さであったところから、かつて天秤秤の分銅の代わりに使われたらしい。しかしいまの日本でイナゴマメはまず入手不可能だと思う。ネットでさがしてみたが、ドッグフードに使われていたり、糖尿の人のダイエット食品(イナゴマメ抽出物が入っている)に使われていることはわかったものの、そのものを販売しているところはなかった。『聖書』によれば、聖ヨハネは砂漠でイナゴマメを食べていたらしい。
と、延々とダイヤモンドの話をしてしまったが、実は今回書きたかったテーマは「贈り物(プレゼント)」なのだ。
ずいぶん昔のこと、「シルエット・スペシャル・エディション」というロマンス物を訳したことがあって、そのうちのひとつが『愛のはじまり』だった。メキシコ湾の油田開発を計画している若き石油王ブレーズと、環境保護のため、またベトナム移民の貧しい漁師のために立ち上がった女弁護士コートニーのふたりが主人公。最初、激しく対立するふたりがやがて……というストーリーで、そのへんは良くあるロマンス物。コートニーがくらっとなる場面はこう。
午前 0 時、黒い小箱のふたがあいた。ベルベットのうえに細い金の鎖のついた切手大のエメラルドがきらめいた。(中略)「さあ、着けてごらん」ブレーズがかすれた声でいって、箱から鎖を外した。(中略)エメラルドは、コートニーの胸の柔らかい肌の海に浮かんでいるようだ。
という次第で、コートニーは最初のキスを許してしまう。
究極の贈り物は、相手を喜ばすことではなく、「どうだ!」とばかりに、相手を圧倒することなのだ。
そこで思い出すのが、ネイティヴ・アメリカン(アメリカ・インディアン)のある部族に伝わる、「ポトラッチ」という儀式だ。 『世界百科事典』によれば、「競覇的な贈与交換を伴う饗宴」。つまり、首長同士で相手を招いて大ごちそうしてもてなし、すごい贈り物をする。すると相手の首長もお返しに、さらなる大ごちそうでもてなし、さらにすごい贈り物をする。するとまた……という繰り返しを繰り返し、前回を上回るもてなし、贈り物ができなくなったほうが負け。
これこそ贈り物の究極の姿なのだと思う。つまり、相手を圧倒して「まいりました」といわせることが究極の目的なのだ。
ただ、いうまでもないが、贈るものがダイヤやエメラルドばかりである必要はない(ことを祈りたい)。
*蛇足 これを読んだ担当編集者(女性)からメールあり。
「宝石にあまり興味のないわたしでも、そんなにでっかいダイヤをもらったら、すぐに『まいりました』と言ってしまうかも……頑固じゃないですからね。頑固者が多いのは絶対に男だってば!」





