カネハラ言ノ葉研究所

日夜、英語と日本語のあいだで格闘するスーパー翻訳家・カネハラ教授の「言ノ葉研究レポート」。言葉のもつ力、不思議、面白さが見えてきます!

第6回 マスクメロンのあやしい香り

 もうずいぶん前、アメリカのサンタフェの小さなレストランでピザを注文したときのこと。「ハムののってるやつ!」といったら、ウェイターに「ハムじゃない。ヘェムだ」といわれたことがある。
  日本語の「あ」というのはあまりはっきり発音しない。どちらかというと、英語のあいまい音の「ア」に近い。しかし英語の“ham”の「ア」は大きく口を開けて「ア」と発音するか、「ア」と「エ」の中間のような感じで(「エッ! ほんとかよ」の「エッ」みたいに)発音する。
  金原は、この品のない「エッ!」という音が苦手なので、アメリカでは注意されることが多い。しかしそれを引け目に感じることはない。まあ、発音なんて悪くたって、話の中身で勝負だからね、という妙な自負がある。だいたい、内容がおもしろければ、少々、発音が悪くたって、気にならないものだ。それがまた個性や魅力になることさえある。「お姫様」を「おしめさま」としか発音できない江戸っ子のようなものだと思えばいい。
  中学校の頃、英語の先生が“l”と“r”の発音の違いを説明しながら、「“rice”はご飯だけど、“lice”はシラミだから。間違えるとレストランなんかで困るよね」とかいってたけど、そんなことはない。嘘だと思ったら、アメリカのレストランにいって“Lice, please”といってみればいい。絶対にシラミなんか出てこないから(出せるものなら出してみろ!)。普通は、おとなしく、ご飯が出てくる(ただ、チャイニーズ・レストランやジャパニーズ・レストランの場合であって、フレンチやイタリアンだと無理かな)。

 だいたい、他言語の発音はむつかしいのだ。さっきの「ハム」にしても、フランス人にはかなり大変だ。なにしろ、フランス語というのは“h”の発音がないのだ。だから、「母」は「ああ」に、「母者人」(ははじゃひと)は「ああじゃいと」に、「紐」は「芋」になってしまう。だから、「ハム」は「アム」になってしまう。
  大学の頃、一か月ほどドーヴァーの近くにあるフォークストンという港町の会話学校にいってたときのこと。クラスに、ドイツ人、トルコ人、アラブ人などなど、いろんな学生がいて、それぞれに訛った英語を話すのがとてもおもしろかった。教師もよく心得ていて、たしかバーバラという名前の陽気なおばさんだったけど、「はーい、じゃ、次は“h”の発音。日本人はOKね。さて、そこのパリジェンヌ、アメリだったかしら。ちょっと、やってみましょうか」という具合に、フランス人の女の子を指命する。女の子は、必死になって“h”の音を出そうとするんだけど、なかなか出ない。まっ赤になって、喉の奥が詰まったような音を出そうとするのが、かわいかった。
  しかしその時、「は」と「あ」って、口の形も舌の位置もほとんど変わらないわけで、こりゃ、知らない人間に違いを教えるのはむつかしいよなと思った。
  フランス語には“h”の発音がない。ということは、笑うときは「はははは」とか「へへへへ」ではなく、「ああああ」とか「ええええ」……かと思ったら、なんと、不思議なことに、そうではなく、ちゃんと、「はははは」「へへへへ」と笑うらしい。笑い声というのは、万国共通なのだ。「べべべべ」とか「ざざざざ」と笑う人はあまりいないと思う。
  それはともかく、母語にない他言語の発音をそのまま母語に取り入れるときは、ちょっと問題が生じる。たとえば、英語の“l”も“r”も日本語にすると「ラリルレロ」になってしまうわけで、“race”“'lace”も「レース」になってしまう。去年封切りされたアン・リー監督の『ラスト・コーション』というタイトルを見たとき、これは“Last Caution”(最後の警告)かなと思った。ところが「色戒」という副題がついている。そこで原題を見てみたら、“Lust Caution”だった。なるほど、“lust”(色欲)かあ。それで、「色戒」、納得。
  こんなふうに、言葉に関して、誤解→疑問→調査→解明、という過程を経て納得にいたるという経験は少なくない。

 居酒屋で学生と〈2500円食べ放題、飲み放題コース〉を楽しんでいると、最後のほうでメロンが出ることがある。そこで、「マスクメロンって、なにがマスクなんだろう?」とたずねることがある。われながら、いやな教師だなと思う。
  「仮面かぶってるからじゃないですか」
  「ほう、あれが仮面に見える?」
  「だって、網タイツかぶってるみたいじゃないですか」
  「ほう、網タイツを仮面というか? まあ、頭にけがしてネットをかぶっていると、メロンかぶっているっていうけど。それはちがうしなあ。それにマスクメロンという名前がついた時代に網タイツがあったかなあ?」
  じつにいやな教師だと思う。学生もそろそろうんざりして、早く答えを言えといわんばかりの顔になる。
  このマスクメロン、小学館の『日本国語大辞典』を引くと、桃井鶴夫の『アルス新語辞典』(1930年)から次のような引用がある。
  「マスク・メロン 英 musk melon 西洋まくはうりの一種で味極めて美味」
  え、マスクメロンが「西洋まくはうり」? と驚いた人も多いかもしれない。たしかに日本語でメロンというと妙に高級感が漂うが、英語の“melon”は基本的にはウリなのだ。昔、キプリングの『ジャングルブック』の翻訳を読んでいたら、「リッキー・ティッキー・ターヴィ」というマングースが主人公の短編があって、そのなかに「メロン畑」という訳語が出てきた。これは「ウリ畑」だろう。舞台もコブラの出るインドの田舎だし。
  ちなみに、マクワウリの「マクワ」は、岐阜県本巣郡真桑村からきているらしい。
  さて、問題はマスクメロンの「マスク」である。そう、これは“mask”(仮面)ではなく、“musk”(麝香)なのだ。つまり、ウリのなかでも、麝香のような良い香りのするウリ、という意味でマスクメロン。麝香というのは、ジャコウジカという鹿の雄の「包皮腺分泌物を乾燥した黒褐色の粉末。古来、香料、医薬として珍重。雄1頭から約50gが得られる」(百科事典マイペディア)。香水なんかにある「ムスク」と同じもの。
  しかしまあ、ジャコウジカの雄の下腹部の50gに注目したり、マッコウクジラの腸にたまたまできる竜涎香(このエッセイの第2回目参照)に注目したり、人間の嗅覚というのはじつに不思議だ。
  ついでに書いておくと、マスカットも英語では“muscat”で、これも香りの良い高級なブドウの品種。さらに蛇足ながら、一字ちがいの“musk cat”は「ジャコウネコ」。
  今回、なんでこんな話になったかというと、前回のエッセイで、こんなことを書いたのがきっかけなのだ。

 ついでながら、英語の“bean”は「豆」だが、古英語では「ソラマメ」を指していたらしい。現在では大豆も“bean”で、“bean curd”というと豆腐。ただ、最近ではそのまま“tofu”と呼ぶことのほうが多いと思う。

 “curd”というのは、「凝固物」。だから豆乳を固めた豆腐は“bean curd”。これを読んだアメリカ在住の角谷くんから「Tofuのお寿司」というメールがきた。それって、豆腐が上にのっているにぎり寿司? と思った方はぜひ次を。

 寿司屋でバイトしとった時、アメリカ人のお客さんに「Tofu のお寿司」って言われて、何やろう? って考えて「お稲荷さん」やと気付いた。何人もそこでバイトしとったけど(みんな日本人)、お客さんにそう聞かれて「いなり」と分かったのは少ない。そう言えば、こないだも日本人とアメリカ人のお母さんが一緒に日系スーパーで買い物しとって、「あとは、Tofu のお寿司だけなんだけど、どこかしら」「え? 豆腐のお寿司?」って会話が聞こえてきて、横から「それ、多分、お稲荷さんですよ」と教えてあげた事がある。
  最初、店にはお稲荷さんは置いてなくて、客からのリクエストが多くて置くようにした、お稲荷さん。「他の店では、(メニューに)いなりの事をビーン・カードと書いてるよ」と聞いて、「ほぅ、Bean『Card』か。なるほど」と変な納得してたんですけど……。だって、いなりあげって、一回り小さいけど、クレジットカードみたいやし、ナイス命名! とか思っとった……。でも、card ではなく、curd と知り、以後、Bean curd =「稲荷あげ」やと思い込んでいました。
  Bean Card の誤解が解けて、Bean Curd やと知ったのに、「Bean Curd =いなりあげ」ではなく、「Bean Curd =豆腐」やったとは!
  「Inari」「Bean Curd」と言うても通じひんかった時は、「豆腐で作った茶色の袋ですし飯を包んだやつ」って説明すると分かってもらえました、「あぁ、Tofu の寿司ね」って。その「Tofu の寿司」って表現が嫌やったから「Inari」「Bean Curd」って言うとったのに、結局はそない言うとんと同じやったんですね、僕……。

 はい、角谷くんの“card”と“curd”で、今回はおひらき。

プロフィール

金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。

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