大学の研究室の整理をしていたときのこと、英語の教科書が山積みになっていてどうしようかと一冊ずつ手にとってめくっていたら、ついつい読みふけってしまって、ちっとも片付かなかった。大学生向けの教科書は案外と面白いし、そもそも大学の授業そのものもかなり面白い……が、ほとんどの人はそれに気づいたときにはすでに卒業している。しかし、大学在学中にそれに気づいた学生が幸福かというと、そうでもなくて、「学問」などという無明の道に迷いこんで、大学院などという獄舎に入ってしまったりするとこれは大変だ。大学院の入口の上にはイタリア語で「ここより入る者はすべての希望を捨てよ」と書かれていたりする。
大学を卒業して数年、いや十数年して、「いま思えば、大学の授業って本当におもしろかったのよね」などというのが理想だと思う。
そういえば、昔々、バベル翻訳学院というところで翻訳を教えていたことのこと、60歳過ぎの女性がいらっしゃって、翻訳の実力はいまひとつだったものの、ずいぶん気力があって、なんと単身アメリカに留学なさった。そしてしばらくはアメリカから便りがあったのだが、そのうちぴたりと止まってしまった。おそらく、向こうの初老の紳士なんかと知り合って結婚したのだろうと思う。じつにまっとうな人生だ。
それはさておき、研究室にあった大学生向けの教科書をめくっていてひとつ気がついたのは、「英語の言葉」を英語で解説、説明したものを集めたテキストがかなり多いということ。ただ取り上げられている単語はほぼ似通っていて、同じものにあちこちで出合う。そのなかで最もポピュラーな単語はというと「サンドイッチ」だった。日本人でも、これがイギリスのサンドイッチ伯爵の名にちなんだものだということくらいは知っている人は多いと思う。
しかしこの三冊を読んでおもしろかったのは、紹介の内容が驚くほどちがうことだ。
たとえば『Question Box:Centre Daily Times』(北星堂書店)は、「アメリカ地方紙に30年以上連載中の人気コラム“子供の質問”から選んだ」もの。子供向けというだけあってひとつのトピックが短い。
内容は……サンドイッチは第4代サンドイッチ伯爵、ジョン・モンタギューの名にちなむ。彼は大のギャンブル好きで、片時もポーカーの場を離れたくなくて、肉をパンにはさんだ食べ物をテーブルに置いておいた。しかし、こういった食べ方は彼が最初に始めたわけではなく、昔からあって、ローマ人はこれを「オフラ」と呼んでいた。これは「ひと口」という意味。またアメリカで最初のサンドイッチは「ウェスタン・サンドイッチ」で、これは卵とタマネギを混ぜたものをパンにはさんだもの。卵は足が速いので(卵が走るわけはなく、いたみやすいという意味)、その臭い消しにタマネギを使ったらしい。
また、1920年生まれのジョン・デニスが書いた『Stories Behind English Words』(成美堂)の説明は物語仕立てで、物騒な18世紀のロンドンの裏通りで馬車からふたりの男が降りてくるところから始まる。そのうちのひとりがジェミー・トウィッチで、「金色の角亭」という会員制クラブに入ると、テーブルを片づけろと怒鳴り、テーブルにコインの詰まった袋を放り出す。そしてサイコロ賭博が始まる。この男、ジェミー・トウィッチというのは偽名で、実名はジョン・モンタギュー、第4代目のサンドイッチ伯爵。昼間はジョージ3世に12年も仕えている海軍大臣(ただし無能で、海軍省の借金はかさむばかり)、夜は勝ち知らずのギャンブラー。さて、負けに負けを続けてもひるむことなくギャンブルにいそしんでいるうちに、早くも夜明け。伯爵が「腹が減った」というと、召し使いが仕方なく、トーストしたパンとローストビーフを持ってくる。伯爵がコールドビーフをパンにはさんで食べていると、ギャンブル仲間に「おい、それなんて食べ物だ」とたずねられ、「じゃ、名前をつけるか。サンドイッチってのはどうだ?」といってからさらに12時間ギャンブルを続け、すっからかんになってそこを出た。こんなふうにして1760年にサンドイッチが誕生する。それから18年後、キャプテン・クックが太平洋で諸島を発見し、伯爵の名にちなんで、これを「サンドイッチ諸島」と名づける。そして1792年、4代目サンドイッチ伯爵はろくでもない人生を閉じる。
それからもう一冊、アメリカSF小説の大御所、アイザック・アシモフの言葉のエッセイ集『Words from History II』(弓書房)もこの言葉を取り上げている。これはこんなふうな感じだ。イギリスの南東の端、ドーヴァーの12マイルほど北に、サンドイッチ町があって……1660年、エドワード・モンタギューがチャールズ2世のための尽力を評価され、初代サンドイッチ伯爵となる。しかしこの家系で最も有名なのは4代目だろう。彼は海軍大臣を務め、一方、大航海にも興味があって、キャプテン・クックの後押しをした。クックはやがて太平洋のまん中に諸島を発見し、「サンドイッチ諸島」と名づけるが、その後、現地の先住民の呼び名が使われるようになって、「ハワイ諸島」となった。4代目はやがて政治的な問題で親友と敵対することになり、敵側から「ジェレミー・トウィッチャー」と呼ばれるようになる。この名前は『三文オペラ』に登場するいやな男の名前だ。しかし伯爵はひるむことなく、政府で活動の場を広げていく。保守的右翼的傾向が強く、アメリカ独立戦争のときにはもちろん、反アメリカ派! 一方、私生活では根っからの賭博者で、1762年のこと、24時間ぶっ続けでギャンブルをやり、そのとき召し使いにロースト・ビーフをパンにはさんで持ってこさせた。それ以来、これをサンドイッチと呼ぶようになった。アメリカでもポピュラーな食べ物だが、これが独立戦争のときの敵であったイギリスのタカ派の海軍大臣の名前にちなんでいることを知っている人はほとんどいない。
とまあ、この三冊の紹介の内容ときたら、まったく、驚くほどちがうではないか。だいたい、サンドイッチ伯爵のやっていたギャンブルがポーカーなのかサイコロなのか。アシモフはどちらとも書いていない。それにサンドイッチ伯爵の描き方も三者三様だ。
まあ好みもあると思うけど、やっぱりアシモフのエッセイが最も包括的で目配りもよく、文体もスタイリッシュだし、内容も面白い。
ちなみに、サンドイッチの異端児、三枚のパンに二層の具をはさんだものをダブルデッカーという。またダブル・デッカーというのはロンドンの二階建てバスを指すこともある。
さらにちなみに、金原がいちばん好きなサンドイッチはクラブハウス・サンド。これもダブルデッカーのサンドイッチで、トーストした3枚のパンに、チキンかターキー、ベーコン、レタス、トマト、その他をはさんだもの。語源について、英語のWikipediaでは、"It is theorized the club sandwich was invented in an exclusive Saratoga Springs, New York gambling club in the late 19th Century."(サラトガ・スプリングズという会員制の店で作られたということになっている。ここは19世紀後半のニューヨークにあったギャンブル・クラブ)とある。ううむ、これもまたギャンブルかあ。
じつはこういう発想の食べ物は日本にもある。賭場でサイコロ博打に夢中になっていた男たちは、軽くつまんで腹の足しになる食べ物を考案した。これが「鉄火巻き」。まあ、やくざ者が考案したというよりは、博打場で海苔で巻いた巻物をよく出していたのだと思う。
おもしろいのはこの「鉄火」という言葉。もともとは「①赤く熱した鉄。焼きがね。③刀剣と鉄砲。また、弾丸を発射したときに出る火。⑤気質が荒々しいこと。勇みはだであること」(『日本国語大辞典』)。ここから「鉄火肌」という言葉が生まれる。肌が赤いとか熱いという意味ではない。「威勢がよく侠気に富んだ気質。無法で荒々しい気質」(『日本国語大辞典』))とある。つまり、清水次郎長、国定忠治といった侠客、およびその子分たちはみな「鉄火肌」……というわけで、こういった人々の大きな収入源は博打であって、賭場のことを「鉄火場」と呼ぶようになった。そしてここで重宝されたのが鉄火巻きであった。まあ、手軽につまめて手がよごれなければいいんだから、具は穴子でもお新香でもいいはずだが、片肌脱いで、刺青を見せびらかしながら、「丁! 半!」とやっているお兄さんたちがカッパ巻きをつまんでいるところは絵にならない。やっぱり、鉄火巻きでしょう。ただ、もうひとつこの語源にはおまけがついていて、同じく『日本国語大辞典』から、「鮪をぶつ切りにして巻くところから、身をもちくずしたヤクザの意の鉄火としゃれたもの」(『スラング』暉峻康隆)というのもある。しぶいなあ。個人的にはこの説が最も素晴らしいように思える。
と、以上のような原稿を送ったところ、まめな編集者から、『語源由来辞典』というサイトを見てね、という指示がきた。これによると、鉄火巻きという名称は「鉄火場」からきているのではなく、身が赤いことと、わさびの辛さからきている、その証拠に「鉄火丼」「鉄火味噌」に共通するのは色と辛さであるという。
このあたりはとても難しい。じつに難しい。たしかに御説ごもっともなんだけど、カッパ巻きだってワサビもいっしょに入れるし、そもそもにぎり鮨ってワサビたっぷりだし、鉄火巻きだけが「辛い」わけではないとか、鉄火味噌は普通は黒いとか、いろいろ反論もできるわけで、このへんは面倒だ。いやあ、語源っていろいろあって難しいなあ。もし気が向いたら、次号で続きを書くかもしれません。
さて、ちょっともとにもどって、サンドイッチ伯爵が後ろ盾についたというキャプテン・クック(1728-79)は本名ジェイムズ・クック。イギリスでは知らない人はいないくらい有名な航海家、探険家、海軍軍人で、ロイヤル・ソサエティの依頼で3度にわたって南太平洋を航海し、数々の発見をし、膨大な量の資料を持ち帰った。『世界大百科事典』(平凡社)によれば、「太平洋の地理的全貌は彼によってほぼ明らかにされた」とのこと。ハワイの先住民との戦いで命を落とす。
第7回 サンドイッチと鉄火巻き
金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。





