カネハラ言ノ葉研究所

日夜、英語と日本語のあいだで格闘するスーパー翻訳家・カネハラ教授の「言ノ葉研究レポート」。言葉のもつ力、不思議、面白さが見えてきます!

第15回 暗殺の前に

 NHK出版から『英語をめぐる冒険』というエッセイが出た。とてもおもしろい。著者はNHKラジオ「徹底トレーニング英会話」の講師、岩村圭南さん。
  岩村さんはクリント・イーストウッドにあこがれて英語に興味を持ってから、その思いは募る一方で、浅草の仲見世にきていたアメリカ人観光客のあとを尾行して英語をきいたこともあったらしい。いい話だなと思う。それに、この人の英語道は、そのまま一編の青春小説のようなのだ。
  その英語の達人がたどりついた境地はというと、「何ごとにおいても上達するには、不断の努力が必要なのです」。
  あたりまえじゃん、とかいってはいけない。
  ここを読んだとき、思わず、膝を叩いた。もうこれしかないのだ。これに尽きるのだ! いままで数えきれないほどの英語の達人が口がすっぱくなるほどいってきたではないか。
  たとえば、斎藤兆史さんの『これが正しい! 英語学習法』(ちくまプリマー新書)でも、まず、第1章にこう書かれている。「そもそも、毎日1時間、6年間英語の授業を受けつづけただけで英語が何不自由なく使えるようになった人の話など、聞いたこともありません。語学学習は、それだけ難しいということです」
  語学の専門家がこれほど口をすっぱくして「語学に王道なし」とくり返しいっているのに、なぜか学生にはこれがわからない。彼らはおしなべて、「努力しないで語学の達人になる方法」があると錯覚しているふしがある。だから、安易な英会話教室の宣伝文句にやすやすと引っかかってしまう。
  たとえば、「英米の子どもが覚えるように英語を覚えよう」とかいう宣伝文句を見ると、「そうか、いままでがむしゃらに勉強しようと思っていたからだめだったんだ。よし、子どもが覚えるように……」などと思ってしまう。
  しかし、語学の専門家が口をすっぱくしていうように、子どもは語学の天才なのだ。単語の50や100、すぐに覚えてしまう。単語の記憶力に関していえば、大学生なんてはっきりいって、バカだ。いうまでもなく、大学生を教えている教師はもっともっとバカなのだ。だから、「子どもみたいに覚える」というのは、「宮本武蔵みたいに剣道をやってみよう」というのに等しい。

  だが、絶望するにはおよばない。大人には大人なりの覚え方というものがあるのだから。たとえば、単語についての印象的なエピソードを読むとか。
  このあいだ、翻訳の講座で“assasin”という単語が出てきた。「暗殺者・刺客・殺し屋」というふうな意味だ。『リーダーズ英和辞典』には「イスラム教イスマーイール派の一派ニザール派の一員」という説明がある。また『ジーニアス英和大辞典』には「初16c;アラビア語、大麻常用者、大麻の効能を借り暗殺を企てたことから」とある。このあたりの詳しい解説は省くが、大麻で気持を高揚させ、恐怖心をなくして、暗殺を試みたということだろう。ネットをのぞいても、この手の紹介がほとんどだ。
  しかし、これには強い反論がある。
  そもそも、大麻で気持は高揚しないという。ぼんやりしていい気持ちになるらしい。そういう意味では酒に似ている。じゃあ酒をたっぷり飲んで暗殺に向かうか……というと、そりゃどうかな、と思ってしまう。大麻や酒は一般に「ダウナー」と呼ばれている。ダウナーの女王はいうまでもなく「阿片」。この麻薬、いまではほとんど入手の可能性はないが、開高健が『ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短編小説』(文藝春秋)に体験記らしきものを書いているので、興味のある方はぜひ。金原の大好きな作品なのだ。この中に、こんなことが書かれている。阿片という麻薬はとても嫉妬深く、満腹のとき、酔っぱらっているとき、情事のあとなどは効き目が薄く、常習者は最大限の効果を得るために、食べず、飲まず、女と寝ないで、阿片を吸う。だから、阿片窟にはがりがりにやせた連中がぼーっと寝転がっている。
  それはともかく、阿片は徹底的なダウナーらしい。そしてこの阿片からモルヒネ、ヘロインが作られる。モルヒネ(モヒ)はいうまでもなく癌などの痛み止めに使われている。

  というわけで、大麻を吸って暗殺に行くというのは、変ではないかという指摘が昔からある。そういう場合には、アッパーを使うのが普通だというのだ。
  アッパーというのはダウナーの反対で、コカインなどがその代表格(弱いけどコーヒーもこの範疇に入る)。そして覚醒剤も、読んで字のごとく、シャキッと目が冴えるアッパー。暗殺に使うなら、もちろん、これ。
  実際、第二次世界大戦中、日本軍も覚醒剤を大量に作っていて、重労働のときの疲労回復や眠気覚ましに使ったり、突撃前の特攻兵に使っていたのは有名な話。そしてこれが戦後、「ヒロポン」として一般に出回る。阿佐田哲也の『麻雀放浪記』でも、坊や哲が中毒になる。当時はヒロポンは違法な薬物ではなかったらしい。
  ちなみに、語源だが、「疲労がポンと飛ぶ」から「ヒロポン」という説もあれば、ギリシア語からという説もあってよくわからない。一方、「シャブ」というのは、「骨までしゃぶられるから」らしい。それはともかく、ヒロポンについて、『日本国語大辞典』には次のように書かれている。

  覚醒剤、塩酸メタンフェタミンの日本での商標名。大脳に対する強い興奮作用がある。乱用すると、不眠・興奮・幻覚などの中毒症状が現れる。

  つまり、気持を奮い立たせたり、恐怖心をぬぐい去ったりするのに使うのはアッパーであって、ダウナーではない、ということは、暗殺の前に大麻をやったりしないだろう、ということだ。
  ではなぜ、「大麻常習者」から「暗殺者」という意味が派生したかについては次のような説がある。
  ニザール派の集団は、屈強な男たちを誘拐してきて監禁し、大麻中毒にさせ、禁断症状が出てくると、大麻を餌に暗殺をさせた。
  ううむ、なるほど。ヤクが切れて、凶暴になっている連中に暗殺をやらせるほうが、大麻を吸って暗殺にでかけるより、もっともらしい。ただ、この説は案外と知られてなくて、英語の辞書にも出ていないし、ネットを調べても、ほとんどお目にかからなかった。

  というわけで、“assasin”という単語にまつわるエピソードを紹介してみた。どうだろう、このくらい読めば、さすがに、この単語は確実に覚えてしまったのではないだろうか。最強の覚え方である。
  ただ問題は、単語ひとつひとつについて、興味深いエピソードが必要となると、これもまた効率的ではない。
  ではどうすればいいのか。
  それについては次回をお楽しみに。

プロフィール

金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年、岡山県生まれ。法政大学社会学部教授。翻訳家。ヤングアダルトの分野を中心に精力的に翻訳活動を行ない、訳書は300点近い。エッセイや評論などでも活躍。おもな訳書に『豚の死なない日』(ロバート・ニュートン・ペック)、『満たされぬ道』(ベン・オクリ)、『青空のむこう』(アレックス・シアラー)、『ブラッカムの爆撃機』(ロバート・ウェストール)、『リビアの小さな赤い実』(ヒシャーム・マタール)、『武器よさらば』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『国のない男』(カート・ヴォネガット)など。著書に『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『大人になれないまま成熟するために』などがある。

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