僕もKも歴史物のゲームが好きで、戦国時代が舞台の『信長のなんたら』などは言わずもがなの大好物である。だが『信長』新作の発売日以来、Kは無惨なほどに憔悴していた。
 K曰く。毎晩、喉奥から口内にかけての異物感と息苦しさで目覚めるのだという。見れば、自分の口から飛び出た黒い棒状の物体が天井めがけ屹立し、そして棒の先端に括りつけられた丸いものが複数個、顔の真上でくるくる回っているのだとか。わけがわからない。
 たまたま照明を付けっ放しで寝入った晩、Kは口から伸びた物体の正体を知った。それは漆塗りの豪奢な槍で、しかもその先端には幾つもの落武者の首が乱れ髪で結わえつけられ、槍の周囲をせわしなく旋廻していたのだ。
 「……しかも、生首の口には笹の葉が噛ませてあるんだ……」
 「ってことは、可児才蔵の槍か! それがお前の口から? すげーな! うおー!」
 “笹の才蔵”を知らない人には何の事やらな話だろうが、戦国オタクの僕などはエキサイトせずにいられない。とはいえ今は友の危機である。興奮している場合ではないのである。
 Kと共に訪れた先の拝み屋曰く。ゲームに端を発する霊障だという。Kは『信長』ではいつも決まって秀吉でプレイし、ライバルの柴田勝家を苛めぬいて最後は必ず一族郎党もろとも斬首する、という親豊臣反柴田のプレイスタイルを貫いていた。ちなみに笹の才蔵は、一時期柴田家に仕えていたことがあった。
 「人の怨念ちゅうもんはね、数百年じゃあ消えやせんくらい強いもんですよ」
 そんな拝み屋の忠告に従って「今後『信長』をプレイしません」と神前に誓って以来、Kが才蔵の槍を見ることは二度となかった。
 そして今。Kがハマっているのは『三国志』。
 「さすがに二千年も前になるとさ、人の怨念っつーのも消えちゃうみたいだな」
 そう嘯きながら魏の諸将を苛めまくっている。そういうものだろうか。

ヒモロギヒロシ(ひもろぎ・ひろし)
平田国学の研究に一生を捧げるつもりが、天狗小僧寅吉や稲生物怪録といった妖魅世界の面白さに魅入られてしまい学問的視点を亡失。今は古今の妖魅のことなどを好き勝手につらつら書いてへらへら暮らしています。

 たったひとつだけ、頭から離れない思い出があります。
 いつものように大学へ向かう総武線のなかで本を読んでいたのですが、その日の出来事は――去年の十月の末頃だと思います――何を読んだかさっぱり忘れるほどでした。
 赤ん坊を抱いた母親、ただ見た事を書けばそうなります。肌は白く、少ない髪を無理にしばったその人は、赤ん坊をあやすでもなく、席をゆずられても座らずに、電車が再び動き出すと同時にふらふらと歩いて……隣の車両のドアが閉まる音が聞こえました。
 ちょうど本八幡の藪知らずが向こうに過ぎるのを見たときです。あの赤ん坊が泣きだしたのか、母親の背中が小さく見えても、隣の車両からぐずった声がもれていたのですが、その声に私をふくめた車内全員がざわめきだしたのです。
 あれは、赤ん坊の声では決してありませんでした。
 子供の頃、夏休みに再放送されたウルトラマンに出てくる怪獣の声に似ていたと思います。その声に混じって、電車に原因を押しつけたり、単なる聞き間違いと強引に納得させてしまう囁きやつぶやきが、そこかしこから聞こえてきました。
 母親の遠ざかる姿と共に赤ん坊の声は小さくなり、しかし時おり聞こえてくる声は怪獣の叫びをますます歪ませたものになっていきました。何人か思わず席を立ち、隣の車両をのぞきに行かせるまでに駆らせた好奇に私自身も中(あ)てられ、自然と鞄を席に置いてドアの近くまで行き、何気ない様子で母親の姿を探したのですが、映ったものはいつもの日常の光景で、自分の期待が自身を小馬鹿にした、とどのつまりがぶっつけ落ちでした。
 肩をすくめて去ろうとすると、隣に居た子供が元気な声で母親へ話しかけていました。
 「それでね、しゃべってるのはママでね、赤ちゃんじゃないの、それでね――」

小栗四海(おぐり・しうみ)
1982年、三重県生。ウィリアム・バロウズと泉鏡花の融合を目指す。尊敬する作家は澁澤龍彦と小栗虫太郎。最近矢野目源一の私家版全集製作に夢はせる。『熊の出る開墾地』のレコードは所持しておらず、誰か情報求む。
 

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